第20話 旅行 5

 何とか無事部屋に戻ってくることが出来た。幸い他のお客さんに会うことがほとんどなかった。奥にある階段を使わずに受付の近くの階段を使ってくれていたおかげだろう。


 窓の外を見ると夕日も山で隠れて、夕焼けによる赤色と鮮やかな青色が雲の浮いた空を色づけていた。


 紫都香さんが浴衣の中に肌着をつけている間、俺は窓の外を眺めていた。



 荷物の整理を終え、しばらくの間ゆっくり寛いでいると誰かが部屋を訪ねて来た。誰だろうかと扉を開けると部屋に案内してくれた女将さんがいた。


「御夕食をお持ちしました」


 受付で夕食の時間とメニューを決めることが出来た。もうそんな時間かと思いつつ夕食を運んでもらう。

 夕食に関してはメインがすき焼きとメインが刺身の二種類があったので紫都香さんと相談してすき焼きに決めた。


 この宿を予約する時に自分の分は自分で払うと言ったので紫都香さんは高すぎないここに行きたいと言ってくれたのかもしれない。

 しかし、この宿は接客も丁寧で景色も奇麗、机の上に並ぶ夕食も美味しそうだったので寧ろここで良かったと思った。


 夕食は見た目通り美味しいと言うしかなかった。


 夕食を終え、俺は今日この宿に来る途中に飲んでいたジュースを部屋にある冷蔵庫に入れていたのでそれを取る為に冷蔵庫を開ける。そこには二本お酒が入っていた。


「紫都香さんお酒っていつ買ったんですか?」


 おやつを机に広げる紫都香さん訊ねる。


「それはね、さっきのお土産屋さんに売ってたから買ったの」


「そうなんですね」


 紫都香さんが夜お酒を飲むということは間違いなく一緒に寝ることになるだろう。となればさっきの卓球勝負による場所決めは何だったのか。途中でやめたのでどちらにせよ勝敗は決まっていないが。


 机の上のおやつも減っていき、紫都香さんの飲んでいたお酒の缶の中身も空になった。


「紫都香さん、紫都香さん起きてますか」


 紫都香さんが黙りこくってしまったので座ったまま寝てしまったのかと声を掛けてみる。


 むくっと顔を上げた紫都香さんは立ち上がり対面に座っている俺の方へ歩いて来る。


「悠くん、露天風呂に入ります。一緒に」


「え……ちょ――」


 何を思ったのか紫都香さんは俺の肩に手を乗せて浴衣をズラしてくる。俺は状況が掴めずに放心していると上半身は何も纏わぬ状態となっていた。


 俺は紫都香さんに引っ張られながら部屋から出る。湯の沸いていない露天風呂に連れてこられた俺は紫都香さんが脱ぎ始めるのを真近で見ることになってしまう。

 浴衣を脱いだ紫都香さんは下着姿だった。夕食前に肌着を着ていると思っていたのだがどうやらそれは勘違いだったようだ。


 パンツ一枚の俺と下着姿の紫都香さん。


 紫都香さんが下着を脱ごうと手を後ろに回した所で俺はふと我に返った。


「こういう初めてはやっぱりシラフの時にした方がいいですって!!」


 俺はこの後起こってしまう展開を想像して精一杯止める。別に紫都香さんとシたくないわけではない。俺は初めてはお互いの思い出にしたい。そんな酔っぱらった状態では紫都香さんが覚えていない可能性だってある。


「一緒にお風呂に入ってくれないんだったらわたし……」


 紫都香さんは目に涙を浮かべて下唇を突き出してくる。


「……泣き落としはずるいですよ」


 俺は露天風呂のボタンを押し、自身の下着を脱いだ。紫都香さんの目線が下半身に刺さる。


「……絶対脱ぐタイミング間違えたよな、俺」


 温泉に湯が溜まるまでの間、紫都香さんの視線を一点に受け続けることになってしまった。


 大体二人が入れるほどの大きさの湯船にそろそろいい具合に湯が溜まってきた。


「わたしも、脱がないとね!!」


 紫都香さんはとうとう下着を脱いでしまった。

 ただでさえさっきまでも肌の多くを露出していたのに更に露出が増えて目のやり場にさらに困った。俺は視線の方向を変えてまだ溜まり切っていない湯に浸かる。


 続いて紫都香さんも湯船に入ってくると背を向けている俺に抱き着いて来た。背中に柔らかいものが当たる。あの電車で嗅いだようなアルコールと彼女自身が身に纏わせている香りが混ざった匂いがした。


「あの、ね。身体はあっちを向けたままでもいいから話を聞いてほしい。わたしがこの宿を選んだ理由って何だと思う? わたしは君が『自分の分は自分で払うから』と言った時にあまり高い宿にはしないでおこうと決めたの。でもここを選んだのはそれだけじゃないの」


 紫都香さんは高くない宿で尚且つ急な予約でも空いていそうな宿がここだったからここを選んだというわけではないらしい。俺は背中を向けながらも真面目に紫都香さんが語る話に耳を傾ける。


「わたしは悠くんと更に先のステップに移りたいと思って、裸の付き合いが出来るように泊まる部屋に露天風呂が付いているこの宿を選んだの、でも今気づいた。わたし達同棲までしてるのにまだちゃんと言葉にしたことがなかったことがあったって。だから、今言います。……わたしと恋人になって下さい」


「その気持ちすごい嬉しいです。……嬉しいは嬉しいんですけどやっぱりシラフの落ち着いた時にちゃんとしたムードで俺から気持ちを伝えたいんです。すっぽんぽんで愛を告げ合うというのは俺と紫都香さんにはまだ早いと思うんです。わがままだとは分かってるんですけど。今は保留って形じゃダメですか」


「……はい、ずっと待っていますね」

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