第21話 嵐の前の静けさ
言葉を交わすこともなく無言で肩を並べて湯船に浸かっている二人。
他の客の声も聞こえない。湯が肌に触れて奏でる音だけが響いている。
人生で初めて女性から告白をされたことも相まってか温泉に浸かっていた俺の身体はすっかり温まってしまったので上がろうとしていた。紫都香さんの手が俺の腕を掴み身体半分湯船から出た状態で静止する。
「どうしたんですか、紫都香さん」
俺は問いながら紫都香さんの方へ身体を向ける。
「悠くんから気持ちを伝えてくれるという約束の保障として一つの契約をしたいので目を瞑ってください」
何をするのか分からなかったが言われるがままに目を瞑ってみる。
湯船に浸かる紫都香さんに腕を掴まれながら俺は湯船に片脚を突っ込んで目を瞑る。
湯が波を打つ。次第に紫都香さんの吐息らしい音が近づいているのが分かる。目を瞑っているので耳に神経が集中してしまい、いつもより更に耳の感度が上がっている。
突然さっきまで聞こえていたはずの吐息の様な音が聞えなくなるな、と俺がそう思ったのとほぼ同時に唇に柔らかいものが当たる。少し潤んだ感触で自分の唇と同じくらいの大きさのものであるのが分かった。何かが当たったのかと思ったが唇に当たっているソレは離れない。
抵抗しないでいると頭が動かなくなった。紫都香さんに両手で後頭部を掴まれている感覚だった。そのおかげと言うべきか、せいと言うべきか唇に密着しているものは一向に離れない。段々呼吸も苦しくなって来たので仕方なしに目を開ける。
目の前には紫都香さんが俺と唇をくっ付けている顔があった。
「これで悠くんとの約束の保障としての契約は完了した」
紫都香さんはゆっくりと唇を離し、顔を遠ざけて行った。
――――――
そんなことがあった日の翌朝。
紫都香さんは朝起きてからも平然としていて昨夜のことを覚えていないのだろうか、もしそうならばあの時に恋人になると言わなくて良かったかもしれない。
バイキングで好きなものを取り席に着く。種類が豊富でついつい色んなものをお皿に取ってしまう。中には昨日お土産コーナーの一角にあった野菜が使われている料理もあった。席に着くと紫都香さんは恐る恐ると言わんばかりのおどおどしさで昨夜のことについて聞いて来た。
「昨日の夜、何があったのか断片的にしか覚えていないんだけど、夢の内容と混在していて」
「じゃあ昨日の夜の事で覚えている限りの事を話して見て下さい」
「えっと、わたしはお酒を飲んで酔っ払って露天風呂に浸かりました。それで起きたら布団の上で」
すっかり昨日のキスの事は忘れてるってことなのか……。出来るなら一つの思い出として一緒に持っていたかったなぁ……。
「――それで夢の中でわたし悠くんとキスしてたみたいなの。夢だからわたしかなり強引に行っていたみたいで」
え、つまり露天風呂での事をもしかして夢だと思っていたということか。
「紫都香さん、それ現実です。夢の中の話ではないですね」
顔を真っ赤にしながら食事を食べる手を止めている紫都香さんと情緒が戻って落ち着いた後今日はどうするかを話し合った。
その日は神社へ行ったり観光地に行ったり、家に帰る寄り道としてその県に賑やかな市で買い物なんかをして満喫した。
二人で住む家に戻って来た。
「なんか懐かしい気分になってしまいますね」
「そうだね、一晩しか家を空けてないのに。それだけ楽しかったってことだよね、きっと」
家の中に入って買った物を整理したりせわしなくしているとインターホンが鳴る。誰が来たのだろうとモニターを確認する。画面に映っていたのは宅配だったので受け取りに行く。
受け取った段ボールを開けると中には手紙と俺の私物が入っていた。実家から送られてきたものだった。
そして、手紙の内容――
久しぶり、悠。入学式にお母さんもお父さん行けなくてごめんね。今日は悠が送って欲しいと言っていたものと必要そうだなぁとお母さんが思った物をピックアップして入れておきました。
追伸 ゴールデンウィークの初め辺りに
でもお兄ちゃんお兄ちゃんってうるさくて……。シェアハウスでもないし部屋も空いているでしょ?
これはまずいことになった。紫都香さんとの事なんてまだ何も話してさえいないのにいきなり訪問か。しかもよりにもよって詩が来るのか。まぁそれでもだけならまだ……。
紫都香さんに予めブラコンの妹が来ると伝えると必ず挨拶させてくださいと中々強めの圧を感じた。
紫都香さんは一緒に住んでいると伝える気でいるようだった。いつかはバレる……というか詩ならばウソも見破ってしまうだろうと思い、俺も素直に一緒に住んでいることを言ってしまおうと決めた。
お酒は隠しておかないといけないな。俺は察してしまったのだ。
あのお酒が入った状態の紫都香さんと妹を同じ空間に居させてはまずいということを……。
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