第三夜「始まりの夜に集う」(Aパート)④

 真っ赤なフィルム越しにでも見ているかのように、世界の全てが赤くそまって見える。

 非常放水器が懸命に全力稼働しているのもむなしく、周囲は燃え広がる炎によって、灼熱地獄と化そうとしていた。


「火、焔ってのは、厄介です。――漢書に曰く、火は、なり。

 通信端末の向こう側から、戦部ユウスケの声が届く。

「壊す。破壊する。焼いて滅ぼす者である。って意味です。刃も矢も弾も、破壊できるのは直接当たったものとその周りだけです。ですが、は違う。 酸素と可燃物がある限り、周りを喰らって、燃え広がり、被害を及ぼし続ける」

 と、講釈を述べる。

 粗暴そうな見かけによらず、漢籍にも通じているらしい。

 ――博識じゃないか、戦部ユウスケ。

 今日び、軍隊の士官や将校だって高学歴でなければ勤まらないし、ただ腕っぷしが強いだけの無法者が魔法を身に付けたところで、それは魔法を使う無法者が出来上がるだけだろうから、もしかしたら、実際に学士の資格くらいは持っている男なのかもしれない。

「もしかしたら、未だに〈火〉は人間の手に余るものなのかもしれません」

「……同感、かな」 

 落ち着いた口調で言ってはいるが、戦部ユウスケの息遣いは荒く、声の向こう側には、隔壁をその都度叩いて壊し、高速で空気を切り裂いて進む風切の音が混ざっている。

 どうやら、全力でこちらに向かおうとしつつも、マサトに語りかけ、何とか気を紛らわせようと続けているらしい。


 実際、全身を毛羽ケバ立つ炎に包まれた肉食竜。とでも言うべき〈カグツチ〉の威容に対峙して、マサトは気を失いかけていた。

 炎と熱波に晒されていながら、全身が凍り付くような感覚に襲われてもいた。

 遺伝子だの、本能だのという駄法螺を持ち出すまでもなく、抜き身の刃の上に寝かされているような神経のひり付きが、五感全てが目の前のソレが徹底して一貫して生命を脅かす外敵であると伝えてくる。

 けれど、未だマサトが恐怖と絶望に呑まれ、頭の中が真っ白になってしまわないのは。 

 ――まだ、恐ろしさと絶望感で〈みことさん〉が上回っている。

 ――まだ、邪悪さと嫌悪感で〈明智光秀〉が上回っている。

 あの二人に比べたら。と、感覚が麻痺してしまったように、どこか冷静に、そう考えていられるからだった。

「……何が役立つか、判らないもんだな」

 誰に言うでもなく、そう呟いた。


 「カグツチ」の全身の炎は一層激しく燃え盛り、変わらぬ単眼は輝きを増していた。

 巨大な顎、曲刀のごとき両脚の鉤爪、ちさとを模したかのような二本の角、長い尻尾の先には武王対策と思われる骨塊、背中を覆う無数の棘と、半月状の刃。

 先ほどまで備わっていた鋏と触腕は失われ、前足の鉤爪も小さく姿を変えているが、その攻撃的な形態は、――つまりは、より洗練され、より攻撃に特化した、より強力な形態に他ならない。

 尤も、放って置いても死にそうな身だ。

 当たり所が悪ければ石ころ一つだって、辺りを焼いているただの炎だって、凡人以下の生命力しかもたない自分にとっては命とり、である。

 目の前にいるのが、ナイフを持った暴漢だろうが、牙を剥く野犬だろうが、火を吐く大怪獣だろうが、〈みことさん〉だろうが、マサトの命を奪うには些かの不足もないと言う点においては全て同じだった。

「マサトくんッ!」

 大きく飛び退り戻って来たちさとが、短く呼びかける。

 どうにかマサトが平静を保っていられるのは、只管にこうして今隣りにいて、護ろうとしてくれている彼女が――ちさとが信頼できる、というその一点に尽きる。

「……あんなになるって、思わなくって!」

 いつでも反撃に移れるよう、マサトに背を向けたままの姿勢で、ごめんなさい、と詫びるちさとに、

「ちさと、炎の攻撃は、要注意だ。ああやって吸収される」

 とだけ、返す。

 君が謝ることではない、とでも言おうかと思ったが、余裕がなかった。

「……そっか、元々、あの子からもらった力だもんね」

「炎は、そのまま使うんじゃなく、例えば目くらましとか、相手の炎を散らすとか、そう言うことに、……つまり」

「つまり剣じゃなく、盾として使って……って、そういうこと?」

「ああ、そういうこと」

 そうすれば、炎を操る力は、充分ちさとの力として機能するだろう。

 だが、現状では、どうも分が悪い感が否めない。

 今のところ、お互いに対して、炎による攻撃は決定打となりえない。

 〈カグツチ〉の炎はちさとに、ちさとの炎は〈カグツチ〉に効果がない。

 ならば、それ以外のところで突破口を見出すしかない、のだが――

「早く来てくれ、戦部さん」

 通話端末に向けて、そう呼びかければ、

「……はあ、そうやって、あなたが指示を出して、相談しながら戦っていたわけですか。……なるほど、なかなかに善戦してると思ったら、そういうことでしたか。いや、これはどうも……コサージュを指揮したのは、本当に今日が初めてですか?」

 と、何故か、妙に感心したような声が返ってきた。

「〈コサージュ人工魔法つかい〉も、〈ウィッチ〉も、〈ゴッドアームズ神の武器〉も、それからあなた方〈魔法つかい〉も、今日初めて見聞きしました。それに、そう大したことを言っているとも思えないが」

「……責めも慰めもせず余計なことは言わず、必要なことだけ適切に助言と指示されるのは、言われる方にしちゃありがたいでしょう? ……良いと思いますがね」

 ――どこまで本気かはともかく、どうやら手放しにではないが、何かしら褒められているらしい。

「……ちさとは、焔を喰らって今の姿になった、といっていましたね。あいつはもともと「お手伝い用」のコサージュです。 多岐にわたる任務に携われるように、多彩な技能を習得できるように、高い学習能力、自己強化能力を有する調整を施されている」

 だから、炎を取り込むことが出来た。

 だから、炎を扱えるように、自分自身を調整カスタマイズした。

「だけど、それは「カグツチ」も同じだ、「炎そのもの」はそもそも効かないし、下手に強力な武器で攻撃すれば、ああやって真似てくる! どうやって戦えばいい……?」

「……相手の攻撃パターンや、有効となりうる戦術を見つけ出す、それならばちさとの得意分野です、そういう、右から行くか左から行くか、レベルの事なら、ちさとに判断させてやってください」

「それに戦部さん。……「無限に成長するコサージュ」と「無限に成長するウィッチ」それが戦い続けたら……どうなる? 何が起こる?」

「……何分、今は情報が足りてません」

 即答できない己を不甲斐なしと痛罵しながら、戦部ユウスケはそう返す。

「……考えても判らん事は、ひとまず考えないってのも、手ですよ」

 そこまでのことは別にあなたに望んでない。という言葉を口に出さず、呑みこんだ。

 ――自分にだって、それはまだ、まるで判らないのだから。

 恐竜型に変じた〈カグツチ〉が炎を纏い、咆哮を放った。

 それに応じるように、全身の炎が背中へと集中、無数の棘状に屹立した。

 そして、首を深く垂れて背中を向ける、ヤマアラシが外敵を威嚇するような姿勢を取る。

 ……ならば何となく、その次に何が起こるのかは、凡そ想像がつく。

 予想に違わず、〈カグツチ〉の背中でヤジリ型に穂先を揃えた炎の柱が、槍衾と化して発射され、尾を引きながらマサトとちさとに襲い掛かった。


「だったらっ! こうやってぇ……!」

 叫ぶちさとの、二本の角が赤熱した。

 それに従って周囲の燃え盛る炎が、たゆたう流水のように、風に舞う花弁のようにたなびき、浮き上がる。

 ……現状で問題なのは、ちさとの勝利条件はマサトを守りきること、できれば再度の来襲を防ぐそのために〈カグツチ〉の命を奪うことだが、〈カグツチ〉の勝利条件はマサトを殺すことのみであり、そのためにはちさとを倒さなくても、極論、ちさとと交戦しなくても、別に構わない。

 ちさとに炎は効かないが、〈カグツチ〉にもちさとの炎は効かない。

 ただし、一撃でも被弾すればマサトは即死する。……という点である。

 ちさとは、回避よりも、受け止めることをより選択せざるを得ない。

 ――揺らぐ炎はちさとの前方に集中すると、渦を巻き、花の蕾のように折り重なって形を作る。

 左右の掌を手首で合わせて、前方に翳し、叫ぶ。

「――セィァッ!」

 紅蓮の花がその蕾を綻ばせ、そこから大量に産みだされるのは、いわば、炎の針。

 ――高密度に圧縮した炎を、火流や火弾ではなく細く針状に研ぎ澄まされた無数の火線として放った。

 つまり、面や線ではなく、点の攻撃。

 直接ぶつけたり、真っ向から撃ち合うことを想定すれば無論威力不足だが、意図はあくまでも「防御」「迎撃」だ。

 これならば、より省エネルギー、小さな消費で――小さなナイフで結束バンドを断ち切るように、炎を散らすことが出来る。

 ちさとの烈火針は狙い通り縦横に乱舞して〈カグツチ〉の放った炎のミサイルを迎撃し、砕き散らした。

 

 だが――

「ちさとっ! 無暗に「新しい技」を使うな!」

「それは、判ってるんだけどね……!」

 ちさとの放った烈火針を「カグツチ」の一ツ目が写し、ぱちりぱちりとまばたきをする。

「アレも、もう覚えられたッ!」

 ちさとは瞬時に武王を手繰り寄せ、鉄鎖を回転させて防御態勢を取る。

 瞬き一つの間を置いて「カグツチ」の瞳から、スコールの如き勢いで烈火針が射出された。

 防ぐしかない、が、一発一発は低威力の、迎撃と牽制を主目的とした技であったが故にそれでも防ぐことはできるし、もし当たったとしても自分なら吸収することができる。

 これでいい、と、ちさとは考える。

 こちらが守勢に回った時には向いているが、これは攻め手としては単なる「威力の低い攻撃」だ。

 ……例えばこのように「使いにくい技、この状況下では有効ではない技」をあえて使って、学習させて見せ「学習能力の容量」を使い切らせるのはどうか?

 と思い、瞬時に「それも下策」と断じてその考えを捨てる。

 その容量がどのくらいか判らないし〈カグツチ〉は恐らく、即座に独自のアレンジを加えて戦術に組み込んでくる。

 それ以前に相手は、自分とは比べ物にならないあの巨大な体躯だ。

 直に噛みつかれたり、踏みつけられたり、足先の爪で切り付けられでもしたら、常人より強靭ではあるコサージュの肉体でもひとたまりもないことだろう。

 相手は自分より強いかもしれない、相手は自分のできないことが出来るかもしれない、それらを考えることは、考えないことよりもはるかに重要だ。


 加えて〈カグツチ〉の肉体が新たな変化を見せた。

 不定形から四つ足に、四つ足から恐竜型――のような、全身を全く違う形にする類の変容ではないが、手首から先に当たる部分だけが胴体から直接飛び出しているかのような形状から、より逞しく、確たる五本の指先を備えたものに。

 〈カグツチ〉が、背中の半月状の刃を展開し、ちさとへとその切っ先を向ける。

 さらにそれは、背中から外れ二丁の手斧と化して、両掌に収まった。

「――気を付けろ、ちさとッ!」

 こいつはもう「道具」まで使うのか。

 それに――「アロサウルス」だったか?

 姿勢保持と食餌の機能のみに割り切って小さく縮んだ形質のソレを持つ「暴君龍ティラノサウルス」や「肉食牡牛カルノタウルス」のものよりも、ある程度「腕」としての機能を持つ、より旧い時代の恐竜のものだ。

 縦横に二丁の手斧を振り上げて〈カグツチ〉が突進する。

「その動きは、もう知ってるッ!」

 あくまで己を見とり模した動きであり、技量としてはそれ以上ではない。

 ちさとは武王の鎖を手繰り、握り手の短剣を掴んで身構えた。

 武王の鉄鎖を巻き付けた左手で骨斧の一撃を受け止め、いなして返す。

 飛び退りながら、斧を保持する指を、武王の短剣で切り裂いてやった。


 一瞬、ちらと背後に視線をやった。

 ――わたしを、見てる。

 背中に、祇代マサトの視線を感じる。

 やっぱり、マサトくんはすごいな。

 と、思った。

 こうやって、見ていてくれるだけで、わたしに勇気をくれる。

 とも、思った。

 もっと、もっとあの人の、色んな顔が見たい。

 彼の泣き顔は見た。

 苦痛に喘ぐ顔も見た。

 怒りに強張った顔も見た。

 困ったような苦笑い――は、見たかもしれない。

 だけど――彼が、屈託なく笑うのを、まだ、見ていない。

 例えば、美味しいご飯を食べさせてあげたら、嬉しそうにするのかな。

 例えば、ケンカしたら、拗ねるのかな。

 例えば、好きな女の子の前では、照れたりするのかな。

 ……わたしが勝ったら、笑ってくれるのかな。


 眼前の巨獣は片方の手斧を取り落して数歩後ずさるものの、即座に体勢を立て直し、巨大な大顎を開き、二度、頭部そのものを戦槌のように振り上げ、続け様に叩き付けてくる。

 これだけは、一撃貰ってしまえば、それまでだ。

「そういうのは……ご遠慮させてもらいますっ!」

 引きつけて、寸前のところで身を逸らした。

 その先に、断頭台の刃の如く輝く両脚の爪が襲い掛かった。

 これも引きつけて、寸前で躱した。


 ――わざわざ、口に出しては言わないけれど。

 この子カグツチがずっと叩き付けてきている感情。

 「絶対に、諦めない」

 ――それは、わたしもだ!

 〈カグツチ〉は片足を大きく蹴り上げたその勢いで状態を反転させ、尻尾を叩き付ける。

 ちさとは手繰り寄せた武王を回転させ、加速して放つ。

 超重量級の骨塊と、武王の鉄砕球が激突し、火花を散らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る