第三夜「始まりの夜に集う」(Aパート)③
〇
明らかにそれと判る、突進の予備動作。
迎え撃つちさとは、
いま、背後には、祇代マサトが、――何を引き替えにしても護りたい、己の半身のような相手がいる。
彼を傷つけさせない、一秒一瞬でも早く、この危険極まりない状況から退避させたい。
目前の、〈カグツチ〉でさえ、できることならば傷つけたくない。
そんな、けして間違ってはいない想いが、気をはやらせて。
ほんの少し、またたき一つ、ちさとは目算を誤った。
彼女の振う大業物〝神の戦斧〟鎧王のその大重量、大質量。
振り回せばいい、どこかに掠めればそれでいい。
確かにそれは一つの事実。
されど、それが意味を持つのは、あくまで十分な加速が伴っていればこそ、である。
刃の先端が最高速度に至る、そのタイミングよりわずかに早く、〈カグツチ〉の突進がちさとを捉えた。
咄嗟に、縦に振り下ろす動作から横に薙ぐ動作に切り替え、鎧王を盾にして防ぐものの、衝撃は大きくちさとを後ずさらせ、その背中を壁が強く打つ。
「かッ……!」
息が詰まる。視界がぶれる。
その中でが捉えたのは、〈カグツチ〉がその尖った鼻先をマサトへと向ける光景――!
依然、〈カグツチ〉の最優先する破壊目標は、眼前で戦斧と棘付鉄球とを振るうちさとではなく――その後ろにいる、祇代マサトなのである。
故に、マサトさえ殺せれば、ちさとを殺す必要はない。
放っておけば〈●●●●●●〉と化す可能性を持つとはいえ、今はまだ普通の人間に毛が生えた程度の存在でしか在り得ない。
あえて、高い戦闘能力を持つ敵と交戦しなくても、――ことは済む。
「マサトくんっ!」
ちさとが叫ぶ。
「だからっ!」
床を蹴り、全身をバネ仕掛けのように弾けさせた。
「……やめてってばあっ!」
〈神の棘付鉄球〉
鎖を手元で振り回すのではなく、先端の握り手を掴み回転半径を最大にして身体ごとの大回転。
自ら破壊の
「こん……のぉっ!」
巨大な鉄塊とその鋭利なスパイクが大気を巻き込み、風を切って唸り、嵐と化す。
「お願い、武王ッ!」
叫びと共に、鎖を打ち振るい、戦艦の巨砲じみた勢いで鉄球を放つ。
無論、間違ってマサトを掠めでもすれば、致命の傷は免れないが……
ちさとが照準を過つことはないし、正確に狙いを定めることが困難なのであれば、そもそもこんな戦術は選ばない。
十分に加速された大質量が〈カグツチ〉を捉える。
横合いから加えられた一撃に絶叫しながら巨体を傾がせる火焔蜥蜴に、さらにもう一撃。
「――もう一つっ!」
武王を放つと同時に自らも駆けていたちさとが、間髪をいれずに追撃を加える。
狙いは、大顎にも鉤爪にも邪魔されない横っ腹。
鎧王の一撃が降り注ぎ、今度は〈カグツチ〉が壁面に叩き付けられて悲鳴を上げた。
「武王! そのままっ! その子を動かさないでッ!」
のみならず――最初に着弾した〈武王〉が、〈カグツチ〉の肉体に食い込んだまま、轟音と共に猛然と横回転を続け、その場へと釘付けにする。
咆哮と共に、〈カグツチ〉の全身が火の粉をまき散らした。
「マサトくん、こっちっ!」
マサトへと駆け寄り、片手を繋いで一度距離を取る。
広間の隅へと跳ぶと、そこで鎧王を床に突き立て盾代わりとして、三角形の即席陣地を敷く。
「……んっ、やっぱり、マサトくんが見えてた方が、戦いやすいかな」
軽く肩を上下させ、呼吸を整えながら、ちさとは呟く。
「……困ったな……言葉は、通じないみたい……もしかして、最初にあった時、いきなり鎧王で殴ったから、怒ってるのかな?」
と尋ねるちさとに。
「……違うんじゃないかな、その前からぼくを狙って来てた感じだったし」
とマサトは返した。
あの揺らぐ炎のウィッチは、明確に自分を標的として捕捉している。
悔恨に囚われそうになる自分を一度突き放し、意識を向ける方向を切り替える。
――今、自分がしなくてはいけないのは、悔恨と逡巡ではないはずだ。
「……ちさと、あいつ前に見たときと、姿が変わってるよな」
マサトが最初に相対した〈カグツチ〉は、不定形かつ半透明の、ゲル状の体に眼球が一つ埋まり、その全身を炎に包まれる、と言った姿だった。
今、目の前にいる「カグツチ」は、特徴的な一つ目こそ変わりないが……、
明確に、脊椎で繋がった頭部と胴体があり、大きな顎と強靭な四肢とが備わっている。
最初に目にした形態は、あえて言うなら原生生物に似ているものだったが、今はあえて言うなら、顎を持つ魚類――を経て、陸に上がった両生類、爬虫類か。
「……あの牙も、爪も、鋏も、多分、わたし対策であの形になったんだと思う」
「そうか……なら、あいつが何言ってるのか判るかな、ちさと」
「わたしも、ウィッチ語は判らないんだけど」
と、前置きしてから、
「打ち合ってて伝わって来たのは――絶対に、諦めない。って気持ち」
何故か申し訳なさそうに、ちさとはそう言った。
……どうやら、自分は知らない所で、随分と恨みを買ってしまっているらしい。
自分の事情に巻き込まれた彼女が、不憫でならなかった。
●
現状、鎧王は防御に、武王は足止めに徹している――となると、かなり攻撃方法が限定される。
さっきのハンマー投げの要領での一撃だって、かなりちさと渾身の一撃に見えたが、あれでもまだ、かなりの痛打であるにせよ、倒すには至っていない。
「ちさと、このまま足止めすることは?」
「……できない、多分もうすぐ、武王は撥ね飛ばされる」
ちさとの言葉通り、視線の先では、〈カグツチ〉が身体をのたうたせ、叫びを上げながら、己の胴体に食い込んで回転し動きを封じている〈
「……だけど、放っておけば、もし逃がしたりすれば、多分あの子は、次はもっと強くなって、姿を変えて、またマサトくんを狙ってくる。その時はもうわたしでも、戦部さんでも勝てなくなるかもしれない。倒すならいま、このまま、わたしとマサトくんで戦うしかない」
防御か拘束、いずれかを解かないと効果的な攻撃はできない。
味方の戦力は、当面女の子ひとりと、息をしてることが奇跡のような祇代マサト。
……その上、時間制限付きか。
となれば、武王が抑え込んでいる間に、鎧王による攻撃を加えるしかない……のだが。
と、悲しげに、ちさとが呟いた。
「駄目……なのかな? わかって、もらえないの……かな?」
「……それは」
「できればあの子ともお話して、それでやめてもらえたら、一番いいって思ってた。……今日は何だか、すっごく調子が良くて、頭も冴えて、何でもできちゃいそうな気がして」
……でも、それでもできないことって、あるんだね。と、続けてちさとは言う。
どうやら、マサトがやっとのことで生き残ろうとする努力をすることに決めたと
き、彼女は襲ってくる敵まで助けようと考えていたらしい。
――ああ、この子はきっと、戦いには向いていない。
と、マサトは思う。
戦ってでも守るものがあるから、武器を取る。
目前に迫った脅威に、命を懸けて立ち向かう。
その範囲内において、ありとあらゆる戦術を講じ全力で戦う。
彼女ができる割り切りは、そこまでだ。
――戦えば、彼女は強い。
けれど、戦うコト、他の生き物の体に鋼の刃を叩き込み、傷つけるコトそれ自体は彼女にとって、何処までも苦痛を伴うこと。けして歓迎するべきことではない。
「それも……しかたないの……かな?」
「――しかたなく、ない」
マサトに返せる言葉は、そんなものばかりで。
「ちさと。……ぼくが、君に命令した。戦え、必ず勝てって。だから、その苦しいのも、悲しいのも、全部……全部、ぼくのせいにして良い」
自分の胸を指で示し、そう告げる。
「その上で、もう一回だけ言う。――戦え、必ず勝て」
酷く嫌な言い方だが、自分が、そして彼女が生き残るには、彼女にうまく持ちこたえてもらうしかない。
……自分の言葉で、自分が何かの感情を彼女に注ぐことで彼女が戦えるのなら、……どんなことだってしよう。
「二人で、生き残るんだ」
今のちさとは、その能力の一部をマサトに委ねている。
多分、自分が彼女との接し方をひとつ誤れば、ひとつ彼女を失望させてしまえば、それまでだ。
けれど、
「ううん。……そういうの、いいよ」
ちさとは、祇代マサトの
「全部、半分こにしようよ?」
流石に余裕がまったくないのか、彼女らしい、穏やかな笑顔は今はなかったが――それでも、マサトを見つめ、告げる。
「今は、わたしもマサトくんも、ひとりぼっちで戦ってるんじゃない。……だから、苦しいけど、しんどいけど……ふたり一緒なら、苦しいのも、しんどいのも、……きっと、半分こにできるよ」
「……ちさと」
「マサトくんは戦うの嫌いだから、わたしが代わりに戦う。――ごほうびくれると嬉しいけど、それは後でいいや」
――ああ、この子は。
この子は、何て。
「何か……何か、できることはあるか、ちさと」
「? ……そこで見ててくれるだけでいいよ?」
「いや、そういうのじゃなくて……」
実際、この状況で何かできることと言うのも、悲しいことにあまり思いつかないのだが。
……しかし、〈カグツチ〉もそうだが、ちさとも随分、姿と印象が変わった。
まず、今の彼女は頭部に二本の鋭い角が生えているし、飾り気のない、丈の短い検査着と、柔らかく丸みを帯びた四肢のラインこそかわりないものの、当初はこんな大マサカリや棘付き鉄球を振り回すような子とは想像もしなかった。
そして、初めてあったとき、透き通るような銀色だったちさとの髪が、燃える炎のような鮮やかな赤い色に変わっている。
そんな感傷が、ふっと声に出て。
「――きれいな、髪だ」
「きれい?」
「ああ、きれいだよ、ちさと」
ぽつりと言ってしまってから、マサトは後悔した。
――彼女のような幼い少女相手に、これではまるで下手な口説き文句だ。
「……あ、あははっ、」
照れさせてしまったのか、調子はずれな、裏返ったような声で、ちさとが笑う。
「マサトくんは前の色と今の色、どっちが好き?」
「……今の色、かな?」
「……あー……マサトくんが気に入ったなら、この色のままにしておこう、かな?」
変えたり戻したりできるものだったのか、それ。
「……そうだ!」
と、何か思い立ったか、ちさとがどこか明るい声を上げた。
「んー、……ちょっと、ごめんなさい!」
短く言って、ちさとは両手をを伸ばし、
「ちょ、ちさっ…!」
制止する暇も与えず、マサトを、ぎゅうっと抱きしめた。
「何をっ……」
……ついさっきもこういうことがあったばかりではあるのだが、あの時とはかなり精神状態が異なっているし、むしろ今の方が幾分冷静になっているだけ、彼女の意図を測りかねて、マサトはただ困惑する。
それでも、隙間なく密接した少女の躰からは、彼女の体温と、柔らかい感触と、……僅かな震えが伝わってきて。
「ちゃーじ、完了!」
或いは、マサトの鼓動を感じ取ろうとするように、感触を憶えようとするかのように、ひとしきりそうしていたちさとが、そう言って、マサトを解放する。
「ありがとう、マサトくんっ!」
一声、ちさとが叫ぶ。
「戻ってきて、
その声に従って、〈武王〉が回転を停止した。
一旦宙に舞い上がると、時間を稼ごうとするように、一撃、もう一撃、と〈カグツチ〉の胴に打撃を加えた。
そして、紐でも付いているのかのように、ちさとの下へと飛来する。
鎖の反対側に短剣のついた握り手が、ちさとの掌に滑り込んだ。
そのまま、波打つ鎖を横に大きく一度振るう、
「ごめんね。……もう、やめてあげられないッ!」
体勢を立て直した「カグツチ」が足を停め、大きく息を吸い込むように首をもたげる。
これも一目でわかる、火焔放出の予備動作、だった。
「多分あの子には、わたしとマサトくんが持ってる力、全部出さないと、絶対勝てないと思う」
まっすぐに前を見据えて、ちさとは柔らかな、けれど奥底にしなやかな強さを感じさせる声で、告げる。
「だから――〈がんばれ、わたし〉」
鎖を引きずり、一歩踏み出しながら、頭の中のものを現実にする
「〈がんばれ、マサトくん〉」
自分自身を、そしてマサトを鼓舞し、奮い立たせるように、何度も言葉にする。
「……〈がんばれ、わたしたち〉ッ!」
――そして、走り出す!
「カグツチ」の口腔内に、赤光が満ちる。
「だから、それは――もう覚えたってばッ!」
歌舞伎の赤獅子の舞を思わせる動作でちさとが頭を振った。
真紅の髪が、大きく翻る、
「……こうやって……こう!」
放射状に広がる焔の
のたうちうねる焔の息吹が、ちさとを襲った。
互いに向けて放たれた必殺の烈火は、中間で激しく激突し、火の粉を散らして荒れ狂う。
「マサトくんっ! 鎧王の影から出ないでっ!」
呼吸が苦しく感じないのは、傍らに突き立てられた大戦斧の加護によるものであるらしい。
――そういえば、おまえは大人しくて優しい性格だって、……ちさとが言ってたな。
ちさとから預かっていた情報端末が、電子音声で呼び出しを告げた。
見れば、「戦部先輩」と表示されていた。
教わった使い方の通りに操作して、通話機能をオンにする。
「祇代さん! まもなく俺もそちらに到着します、ご無事ですか!」
「良くは……ないですね。ちさとが炎で相殺してるが……ぼくを守るために鎧王の方を振り分けている」
「炎? ちさとが……ですか」
通話先の戦部ユウスケから、怪訝な声が返ってくる。
「……あいつは、そんな力は持ってなかったはずですが」
「さっき使うようになったんだ、ウィッチの炎をこう、受け止めて」
「……? いや、待ってください。
どうも、話がかみ合わない。
――どういう、ことだ?
会話しているさ中にも、戦況はまた、新たな様相を見せる。
炎のぶつけ合いは、どうやらちさとに軍配が上がった。
ちさとの放った炎が勢いを増して、〈カグツチ〉の炎を抉り、切り裂いて突き進み、――そして〈カグツチ〉を捉えんとする。
「……だが、気を付けてください。学習機能が高いと言うなら……」
だが、ちさとの吹きつけた、その炎が……
「――ッ!」
「ちさとっ! そいつには炎は通じない!」
〈カグツチ〉の全身に、ぶつかる端から、吸い取られ、呑みこまれてゆく。
それはついさっき、ちさとが姿を変えた時のように。ちさとが放った炎が、喰らわれる。
とりわけ、妖星のように輝く頭部の一ツ目が、炎を得れば得るほど、その輝きを増した。
〈カグツチ〉が――姿を変えてゆく。
マサトは推測する。
始めに見た姿は、不定形のアメーバ状。
軟体動物の蝕腕、甲殻類の鋏、魚類の顎と脊椎、両生類の手足。
そこから、より頑健な四肢の骨格と鱗状の表皮を手にした。
……少し変則的ではあるが……こいつは、生物の進化を辿っている?
「……そんなの、ありかよ」
相手はウィッチ。人外の魔性。
それを承知しつつも、そう叫ばずにはいられない。
四肢と大顎を得てなお、ちさとを難敵である、と認めたか。
鋏と触腕は、これでは目前の敵を葬り去るには破壊力不足である。と判断されたか、失われていた。
鉤爪を備えた前肢さえ、小さく縮み、最低限の姿勢保持のため以上のものではなくなる。
〈カグツチ〉が、地を踏みしめ、二本の脚で立ち上がった。
巨大な顎、赤熱する鱗に包まれた表皮、
変わらず全身を炎に覆われた、その姿は――
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