第三夜「始まりの夜に集う」(Aパート)①

 丈の短い患者衣の裾が翻るその度に、露わになった白いふとももが躍った。


 炎を撒き、熱風を散らし、たてがみをなびかせて、祇代マサト専用コサージュ・チ號参拾ことちさとは疾走する。

 振り下ろされる爪は、武王ブオーで叩き返した。

 上下から迫る大顎は、鎧王ガイオーで防いだ。 

 そして吹き付けられる火焔は、掌で受け止めた、


 己の体に数倍する体躯差をものともせずに真っ向から互角に打ち合う強力と堅牢な四肢。

 襲い掛かる爪牙を流水のように受け流す技巧としなやかさ。

 常人であれば視認することも困難であろう、ミリ秒以下の三次元的な動きに振り切られず追いすがって跳躍し、後の先を取ることすらを可能とする、超高速の機動力と飛翔力。

 微細な重心移動や予備動作を見逃さず、次にくるであろう攻撃を瞬時に見極め対応する鋭敏な五感。

 そして、二手三手と先を読み、それらを適切に運用する、知性と戦術。

 祇代マサトによって名を呼ばれ〈戦闘モード〉を起動したちさとは、確かに、四つに組んでの真っ向勝負を避けながらの戦いに徹していた初戦。〈民生モード〉での戦いの際とは別次元の戦闘能力を発揮していた。

 けれど――けれど、いま、彼女のその口から放たれる言葉は、必殺の咆哮ではない。


「ねえ、どうしてッ?」


 ――そう、問いかける。 

「……あなたはどうして、何の為にマサトくんを襲うのッ!」

 何故と、尋ねる。

「やめようよッ! こんなこと、することないじゃない!」

 元は――ウィッチ、なのかもしれない。

「お願い、誰かに操られているなら、目を覚まして!」

 けれど、自分と同じように、ヒトの手によって、ヒトの幸せな営みを守るために、と生み出されたものであるのならば、もしかしたら。――もしかしたら、と。

「あなたの事、わたしに教えてッ!」

 造花コサージュの少女は一縷の望みをそれでも絶ち切れず、懸命に、澄んだ声でそう伝え続ける。


 祇代マサトは、己の行為の罪深さを、今更ながら受け止めずにはいられなかった。



 ――祇代マサトが決断を下し、その欲望願いを受け止めたチ號参拾コサージュ=ちさとが〈カグツチ〉と激突を開始したその瞬間、教皇院砲戦参謀・戦部イクサベユウスケは己の愛用の得物と戦具足を担ぎ、行動を開始していた。

 六道がひとつ、修羅道の魔法の使い手たる彼の表道具は、魔法で強化した数多の重火器と、大質量の装甲。

 無論、重量は嵩むが、魔法で強化した脚部装甲からの圧力で自身を浮かせ、背部からの噴射で強引に加速することで、ウィッチを圧倒する火力と機動性を両立することで、として、これまで彼は「近代兵器を用いる魔法つかい」という稀有な存在として、戦部の名を不動のものにするだけの功を上げて来ていた。


 戦部ユウスケが祇代マサトに対し鷹揚で誠実な態度を崩さなかったのは、実際のところ100%の善意からという訳ではなかった。

 ……今の時点では。

 これはどうにも、気の毒なお人だ。――と思いこそすれど、祇代マサト個人に対し、そこまでの思い入れはない。

 ……今の時点では。


 彼に対して、戦うのを高圧的に強いるようなことをしなかったのも、

「そんな切羽詰まった状態で、やりたくないと心の底で思っている、事前の気構えも特にないと言う者に無理強いをしても、どうせろくなことになりはしない」ということが、理屈からも、自分の経験上からも、骨身に染みて判っているからである。

 人生の重大な局面において、本意にそぐわぬことを、他人によって強制されたと言う意識は、心の奥底に沈殿し、オリとなって蓄積する。

 例えここを何とか乗り切ったとしても、それはいじけた悪感情と精神の瑕疵キズとなって決していい結果を産まないし、……何より自分もそうだったからだ。

 二十にも満たない青年に、そんなものを抱え込ませるのは気が引けた。

 ……さりとて「自分で決めた」からこそ、逃げ道をふさいで重荷となり、先々禍根を産む。ということもあるのだとわかってはいるのだが、そこまで言及すれば、何が悪いのかと言えば、祇代マサトが、特殊な、ある意味やんごとない生まれつきをしたからであって、彼の罪ではあるまい。

 まして、突然命を脅かされるという異常な環境下で未成年が下した「自由意思による自己決定」なんぞ、法律上もまったく無効だろう。


 やつれ、疲弊し、青白く擦り切れたようなその痛々しい姿をはじめて目にした時は、氏素性や生まれというものがこれほどまでにひとりの人間を打ちのめし、痛めつけ、自尊心を奪うものなのかと、今更ながらに背筋が凍った。

 そして一目見ただけで、この人がもう、そう長くは生きられないだろうというのが伺えた。

 名前も知らない遠い先祖のおかげで、20も過ぎてから魔法つかいなんてものになって、それも教皇直々に氏姓を賜り、落ちぶれた名家の跡取りにされるほど荒事をこなすと、嫌でもそういうものが見えてくるようになる。

 不運にして、たまさか〈アレ〉の息子なんかに、ましてあんな体に生まれついてしまったら、誰でもこうなってしまうものではなかろうか。と思いもした。

 だから、彼がここから逃げたい、と言うのならば、抜け出すのを手伝ってやるということだって、まあ吝かではないと思った。

 こんなところにいたら、このひとはさぞや苦しみ抜いた末に、悔恨と絶望に苛まれ尽くして、惨たらしい最期を迎えるのだろう、とも思った。

 ……それは流石に、後味が悪い。

 もちろん、多少後の言い繕いは面倒な事になるだろうが……。

 〈アレ〉も、自分の息子は流石に可愛いだろうし、ここにいるのがいかに自分の息子にとって良いことではないか判らぬような愚物でもないだろう。

 死ぬのなんて、只々悲しくて、苦しくて、恐ろしいだけで、良い事は何もないのだ。

 ここで死ぬようなら死なせてやった方が親切、――なんてことも、広い世の中探せばあるかもしれないが、そうそうその辺に転がっているとも思えない。

 何だったら、チ號参拾――ちさとだって、その為に彼につけてやったって構わない。

 あのお手伝い用コサージュは、きっと喜んで最後の時間を彼にとって穏やかで安らかなものにする助けとなるだろうし、祇代マサトは教皇院のお偉方よりはよほど彼女にとって「お手伝い」のし甲斐のある相手となるだろう。

 逃げるのなら逃げる。そう決めるのは早くするべきだ。

 「男らしく」「逃げずに」「立ち向かおう」としたところで祇代マサトにはその手段がないし、その結果として彼の身を獣の牙が噛み裂き炎で焼いたとしても。

 ――誰もそれに責任を負ってはくれないのだから。


 これも嫌だあれも嫌だと駄々をこねるのも、それはそれで立派な態度だ。と言ったのも、けして皮肉ではなく、そう思っている。

 それはあの若者がここに「戦士になりたい」と志して来たとでも言うのなら甘ったれるなと横面張り飛ばしてやったって別に構わないのだが、そういうわけではない。

 今日ここに連れてこられ、初めてウィッチなる化け物と相対し、魔法つかいだのコサージュだのなる人外を目の当たりにしたばかりの体の弱い若者が――

 或いは、折れぬ覚悟と砕けぬ信念を持って、自ら戦いに臨むとか。

 或いは、倫理と善性とを重んじ、女児を戦わせることを忌避するが故に自己を犠牲にするとか。

 或いは、冷徹に現実と合理に即し、何を切り捨ててでも生き残るとか。

 そう、言えてしまえたなら。決断できてしまったなら。

 それらは何れも、狂気の沙汰だ。


 ……そんなことはできる訳がないし、させるべきではないのだ。

 例え思考を停止させ、怯え竦むしかなかったとしても誰にも彼を嘲笑う権利などないし、いやだいやだ誰かたすけて、と叫べたなら、それですら御の字、立派な見識というものだろう。

 泣いて助けを求める無力な市井の未成年を助けると言うなら、それこそ自分たち教皇院の魔法つかいの稼業である。

 

 ほんとうに、戦部ユウスケという男の芯から出てきた言葉と言えるのは、

「悔いを残すな」

「あんたがどんな決定を下しても、自分だけは決してあんたを非難しない、責めもしない」

 という二つくらいだ。

 だからと言って、何の気休めになるわけでもなかろうが――

 彼が今日を生き延びたとしても、祇代マサトには、もうさほど永い時は残されていないかもしれない。

 彼の体を冒す病魔は、祇代マサトに自分の人生というものを諦めさせるに足るものなのかもしれない。

 彼に纏わりつく絶望と諦念は、祇代マサトの足首を暗がりから掴んで離さないものかもしれない。

 それでも、祇代マサトが今日生き残ること、今日悔いを残さないことは、きっとそれに勝る価値を持つはず。

 ――と、信じる。


 そんな想いで、戦部ユウスケは、マサトの決断を待っていた。


 ――結果として、祇代マサトは意外な選択をした。

 怯え縮こまり、座して死を待つことをしなかった。

 思考を放棄して、無策のまま「男らしく闘う」と言うことを選ばなかった。

 ちさとを冷徹に捨て駒にして、逃げることをしなかった。

 このひとはやりかねないと危惧していた。自分で囮になってちさとを救おうとするということすら、選ばなかった。


 ――ちさとの隣にわざわざ並び立ち、あくまで己のモラルのもと、己の言葉で、戦えと指示を出した。

 自ら業を背負ったその上で「生き残るぞ」と吠えて見せた。

 いやはや、まったくする必要もない蛮勇、狂気の所業だ。


 けれど、戦部ユウスケはそれを――ああ、こいつはいい。なかなか吠えるじゃないか祇代マサト。と思った。

 こいつはひとつ、このひとを救い上げ、明日と言う日を迎えさせてやらねばなるまい。とも思った。

 故に、そう腹を据えて、走る。

 〈カグツチ〉が六道の魔法つかいに匹敵する以上、頭数ばかりではどうにもならないし、何より場所が場所だ。

 自分とちさとと、祇代マサト以外は、この際必要ない。


 ……そして。

 あの、実際にか弱いと言うならこれほどか弱いことも類を見なそうな青年が、自分たちが命を賭して護ってやらねばならない爪も牙も持たぬ無力な人々のひとり。なるものであるとしたら。

 では、一応教皇院の一員たるアレは、一体何なのであろうか。


 数十秒前目にした光景を、思い返す。

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