第二夜「焔」(Bパート)⑤

 通信機器の向こうで、再度騒がしい声が上がった。

「な、何を迷うことがあるのです! コサージュなど、いくらでも同じものを増産できるではありませんか! ソレがお気に召したなら、同じものを一ダースだって……!」

「少し黙ってろ! このひとの、男子一生の一大事だ!」

 通話機の向こうで、硬いものが、豆腐か何かを殴って潰すような音がした。

 戦部ユウスケがイワクラ氏を殴り倒したらしい。

「……すみません……ちょっとその、机の角に手が当たってしまいました」

 ……とりあえず、耳障りな雑音が消えた。と言うだけでも、マサトにとってはありがたい。

「……すぐには、決められません。それに、ちさととも、――この子とも、少し話をさせてください」

「……承知。すべての隔壁を落として、可能な限り足止めします。それで、一分間程度は時間が稼げるはずです。俺はもうこれ以上口を挟みません、その間に――どうするのか、ハラを決めてください」

 そう言うであろうと思っていた。というかのように、戦部ユウスケが即答した。

「あなたが決定を下し次第、俺もそちらへ向かいます」

 そこまで言うと、ちさとへ代わるように求める。

「チ號参拾。……いや、ちさと、だったな。そいつがお前の名前か」

「うん」

「気に入っているか」

「うん」

「なら、大事にしろ。そいつは、そうそう巡り合えない類のものだ。もし稼働状態で帰って来たらパンケーキでもハンバーグでも奢ってやるぜ」

「パンケーキにあんこと、ハンバーグにチーズも載せていい?」

「ああ、山盛りにしろ。……おまえのマサトくんに代わってくれ」

 通信機器がちさとから帰ってきて、再び耳を当てた。

「もう一つだけ、よろしいですか」

「はい」

「……例えあなたがどんな決断を下そうが、俺はけしてあなたを非難はしません、責めもしません」

「……判った、ありがとう、戦部さん」

 そう言って、通信を切る。

 

 ――間際、向こう側で、

「俺の鉄砲相棒持ってこい! モタモタすんな張り飛ばすぞォ!」

 という獣じみた雄叫びが響き渡っているのが聴こえた。

 ……戦部ユウスケの声によく似ていたが、まあ空耳だろう。


 ――走りながら、自問する。

 たどり着いた広間で、答えを探し続ける。

 どうすればいい。

 戦うのか。――いや、ちさとを、自分を助けてくれた女の子を戦わせるのか、道具のように使うのか。

 そんなことが、自分に許されるわけがない。 

 どれだけ自分に問いかけても、答えは出はしない、

 そもそも、ウィッチは自分を狙っていて。

 ちさとが力を発揮できないのは、自分が原因で――

 自分は、彼女に出会ってはいけない、ただ一人の人間だったのか。

 では――


「――マサトくん」

 と、ちさとが自分を呼んでいた。

 くいくいと、上着の袖を引っ張られる。

「えへへー」

 ちさとが笑いかけた。

 あいかわらず天真爛漫――彼女らしい、柔和で穏やかな微笑。

 それに一瞬気を取られた瞬間。

「んっ……!」

 伸ばした両手を首に回されて、ちさとの胸に、抱きしめられていた。

 患者衣を柔らかく押し上げる柔らかなふくらみに、顔が埋まる。

 仄かに甘い匂いが香った。

「……自分を置いて逃げるようにわたしに命令する。……っていうのは、ダメ、だからね?」

「……一瞬前まで、そう思ってた」

 そっかー、しょうがないなマサトくんはーと、鈴を転がすような声で笑われて。

「……笑うコトないだろ。これでも必死に考えたんだよ」

「ねえ、マサトくん」

 と、そのまま、名を呼んで、頬を寄せて、耳の傍で囁かれた。

「わたしが死んじゃってた時なんだけど……死んでた間のことは覚えてないんだけど、ちょっと覚えてることがあるの」

「何か、あったっけ」

「マサトくん、わたしのこと、ずっと抱きしめててくれたよね」

 ……それは、確かにそんなこともあったかもしれない。

 けれど、それは、

「どうしたらいいか判らなかったんだ、何ができる訳でもなかったしな」

「……あれ、ちょっと嬉しかったんだ、抱きしめていてもらえて」

「倒れる前に、ちょっとお喋りしただろう? なら、全然知らない相手じゃないしさ」

 彼女を振りほどくこともできず、ちさとに抱きしめられたまま、そう返す。

「亡くなった外のひとや、魔法つかいはちゃんと扱わないといけないけど、壊れて動かなくなっちゃったコサージュは、ただのモノだから」

 相変わらず、ただ穏やかで柔和な口調だった。

「わたしが目が覚めた時、弐拾玖番より前の子は、もういなかった。……他のコサージュの体がゴミみたいに捨てられるのを見るのは、やっぱり悲しかった。いつかわたしもこういう風に壊れて動かなくなって、捨てられちゃうのかなって……怖くて、苦しかった」

 いつか必ず訪れる終焉、その時に約束されている無慈悲。

 それはどれほどの恐怖か。

 ……この子は、そんなものを抱えながら、あんな風に。


 どこか遠くから、轟音が響いてくる。

 それは炎が燃える音。

 鋼の防壁が破られる音。

 ――追撃してきたウィッチが、もうそこまで迫ってきている

「ああ。わたしは、モノじゃないんだって、だから、ちょっと嬉しかった」

 マサトの背中をぽんぽんと叩きながら、声の調子を変えず、ちさとは続ける。

「マサトくんが優しいヒトで、名前をくれて、嬉しかった。」

「…優しいどころか、今は君を危険に晒してる」

「……んっ……ここで、終わっちゃうの」

 ちさとが呟いた。

「……わたしは、いやだな」

 胸元に抱きしめたマサトに、続けてそう囁き、問いかける。

「せっかく、あなたに逢えたのに、名前をもらえたのに、もうおしまいなのは、悲しいな」

 ちさとの胸の奥で脈打つ心臓の鼓動を感じながら、それを聞いていた。 

「……あなたは、どう?」

 ちさとの両手にこもる力が、僅かに強まった。

「……死んじゃっても構わない。って、今でも、そう思う?」

 その手は僅かに震えていて、その声の底には、微かに怯えがあって。


 激しい衝撃音が、響き渡った。

 分厚い防壁に、ウィッチが突進し、攻撃を加えている。

 もう後、数十秒もすれば破られるだろうと思われた。


 意外なほど素直に、胸の奥から言葉が流れ出た。

「――ちさと」

 今から、自分は、君に、きっととても酷いことをする

「空を見たことないって、言ってたよな」

 顔を上げ、一度ちさとから身を離す。

「……雪、って知ってるか? 空から、白い氷の粒が降って来るんだ」

 反対に、両手で肩を掴み、目線を合わせて、彼女の顔に、正面から向き合って。

「――素敵だね、それって。……やっぱり冷たいの、かな?」

「夜になるとね、空にはたくさん星が見える。色々な星があって、繋ぐと、星座っていって、色んな形を表す星の並びがあるんだ。それぞれに物語があって……本で読んだから、少しはぼくも知ってるから、話してあげられると思う」

「それ、見てみたいな。……マサトくんのお話も、聞きたい」

「……君と一緒に、いろんな空を見に行けたら、いいと思うんだ」

「うん、うん。……うん!」

 ちさとが、何度も頷いた。


「……マサトくん。 魔法つかいは、自分の名前を叫んで、自分がどこの誰で、何をして見せるのかを叫ぶ。コサージュはちょっと違ってて、名前を呼んでもらって、何をしてほしいのか教えてもらって、それで力を発揮できる。だから――」

 白い頬が、今はほのかに紅潮している。


「だから、マサトくん――大きな声で、わたしの名前を呼んで」


「戦部さん――戦部ユウスケッ! 聞こえるか、ぼくは決めたぞ!」

 大きく、声を張り上げた。

「この場で、ウィッチを迎え撃つ!」

 一番割に合わない、分の悪い賭けに、張ってやる。


 この子と並んで、空を仰ぐ。


「――戦え、ちさと」


 そのために――叫ぶ。


「戦え! ――必ず勝て! ォ!」


 ちさとは、笑顔を向けて返す。 応えて、叫ぶ。


「あなたの欲望ネガイ――受け取ったッ!」


 ――刹那。

 軋む金属の悲鳴を上げながら持ちこたえていた隔壁の、その最後の一枚が、断末魔の声を上げながらついに破られる。

 一ツ目の、燃える紅蓮のウィッチが、焼き切られた隔壁の裂け目からその姿を見せる。

 僅かな時間で、その姿が、大きく変わっていた。

 一つ目は変わらないが、ぐにゃぐにゃした不定形から、明確に頭と胴と、尻尾があった。

 鋭利な刀が並んだような鉤爪を備えた、前肢があった。

 そして、ぽっかりと空いた穴のようだった口蓋が、上下に分かたれ、上顎と下顎を備えていた。

 敵意に満ちた咆哮を響かせるとともに、巨大な咢門から、爆音とともに紅蓮の灼熱が放たれた。

 岩を砕き、鉄を蕩かす熱波を伴う、超高熱の業火。


 押し寄せる炎に向けて一歩踏み出し、告げる。

「わたしのこと、ちゃんと見ててね。マサトくん」

 放たれたそれを、かざした掌で受け止めた。

 一瞬で蒸発するはずの少女のか細い四肢が、しかし、燃え尽きることなくその場に踏み止まった。

 炎が、嵐のように渦を巻き、火の粉を散らし、叫びを上げながら、ちさとの小さな身体へと、吸い込まれてゆく――!



 烈しく吹きかける呼気と共に噴射する火焔が、目の前に進み出た童女を呑みこむ光景を、〈カグツチ〉は一つ目で捉えていた。

 〈カグツチ〉は、ウィッチの因子を活用し生み出された、対ウィッチ兵器である。

 人間や、魔法つかいや、コサージュのような意味での人格や情緒や感情は存在しない。

 備わっているのは、あるスイッチが入ったことによって発生する、言わば――害意。ウィッチ因子に支配された生物固有の〈攻撃〉の意思。

 だが、あえて表現するのであれば、その瞬間のカグツチは、それを「快」と捉えていた。

 ――ああ、これで障害が無くなった。

 ――どうでもいい。これで破壊できる、これでアレを抹殺できる。

 ―――――――の発生を、阻止できる。

 ――どうでもいい。

 ――今目の前で燃え尽きた、ヒトのメス。

 ――ヤツが振り回していた、何度も叩き込んでくれた金属製の棒と板と、玉と、アレに対抗するために造った、前足と爪は無駄になったが。

 ――どうでもいい。標的は、――は、その後ろにいる。

 これで、楽に。


「――〈武王ブオー〉ォォォォォッ!」

 焔の奔流をかち割って現れたのは、教皇院七大神の武器ゴッドアームズのひとつ、棘付鉄球〈武王〉の一撃。

鎧王ガイオーォォォォッ!」

 続け様に叩き込まれる、大戦斧〈鎧王〉の刃。

 よもや反撃はあるまいと認識して、防御も回避もできぬままの体勢だったところに続け様に放たれた出会い頭の読み違えに、〈カグツチ〉はたまらず、たたらを踏んで数歩後ずさった。

 一つ目が認めた、その姿は――。


 ちさとの、獅子のたてがみのごとく熱風に乱れる髪が、――燃え立つ炎の、赤い色に変じていた。

 秀でた額から伸びて天を射るのは――二本の、螺れた角。

 右手に、――戦斧バトルアックス・鎧王。

 左手に、――棘付鉄球ナイトスター・武王。


 逆巻く焔を背負い、ちさとが叫ぶ。

 が必ず勝たねばならない戦いに臨んでそうするように、己が何者であるか、何を為さんと生まれたかを、気勢と共に、世界に叩きつける。

「教皇院・マサトくんお世話係、祇代マサト専用コサージュッ! チ號参拾!」

 否、もはやそれは彼女の名ではない。

 彼女の名前は――


「――チ號参拾改め、ちさとッ! ――がんばるよッ!!」


第二夜

「焔(The fire)」

――了

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