第二夜「焔」(Bパート)②
「ちさと、ぼくは……」
正直、彼女には伝えづらいこと、だった。
「ぼくは、身体が弱くてね」
だが、だからこそ、いつかは言わなければならない。
ならばいっそのこと、今言ってしまおう。
「しょっちゅう、さっきみたいに血を吐いていた」
そう思って……マサトは言葉を続ける。
「だから、こんな思いをこれからもするくらいなら、こんなに苦しいなら、どうせこの苦しみから逃げられないなら、」
絆創膏を剥がして、治っていない傷口を見せつけるような気分で、
「――早く、本当に死んでしまいたいって、そう思う事だってあった」
そう、口にした。
己の命。――それは、それこそは、マサトがこれまで長く、どうしようもなく持て余し、早く使い切ってしまいたいと心の底で思い続けたモノ、だった。
けれど……、
「現実に、本当に死んでしまいそうになった時、ぼくは誰かに助けてほしいと望んで、……君がぼくを助けてくれた。 今は、これだけは、もともとのぼくのものではなくて、君にもらった命だから。……特別、だ」
ちさとは、ただおだやかな顔で、マサトを見ていた。
「……あ、マサトくんが、わたしのあげた命を大切にしたいって思ってくれたの、何だかうれしいな」
「……うん」
「それはもう、マサトくんにわたしがあげてしまったものだから、マサトくんはそれをどう使っても構わないし、例え粗末に扱っても、わたしには何も言えないもの」
「……いや、そんなことはできるだけしないよ。大切に、使う」
「良かったら、なるべくこれからも、大事にしてほしいな! ……今度は、助けてあげたくても、わたしの命の代わりは……もうないしね」
「ああ、命のスペアは、もうないんだったよな」
「……残念だけど、いっこもないね。 ……あ……でもでも! マサトくんにはわたしがついてるから! 大丈夫! きっと大丈夫だよ!」
と、胸の前で握り拳を作って、ちさとは笑いかけた。
「……そっか。頼もしいよ」
苦笑いと共にそう返して、
「ちさとは、すごいな」
と、口にした。
「うん! わたしは、みんなのことが大好きなんだもの! 大好きなみんなのためって思うと、がんばれちゃうの!」
そう、彼女は、すごい。
――少し、普通ではない。
何分、生まれ育ちがふつうでないぶん、マサトには普通と言うものが実際の感覚としては良く判っていない。と言う事は自覚している。
彼が身近に知っているのは、育った施設の同窓生たちと、その職員だ。
もちろん、様々な性格、気質の子たちがいた。
活発だったり、大人しかったり、温厚だったり、感情の起伏が激しかったり、まあ色々だ。 生きているのだから、当然だ。
少なくとも、それはどこでも共通だろうと、自分たちがそうずれた在り方をしている訳でもないだろうと、マサトは信じている。
それでも、あそこにいた子供たちの、一定の傾向、と言うものはあった。
……その一つが、自己肯定感の得難さ。である。
あくまで、あそこが特別酷いところだったわけではない。子供同士の中で悪質ないじめが改善不可能なレベルで横行していたわけでもない。
ただ、自分たちが同年代の、教皇院の言葉を借りれば「外の」子供たちに対する、拭い難い負い目は、やはり存在した。
そういう自分の存在に対する不信感はマサトにも、多分弟にもあった。
かつ、その境遇に対して荒れるでもなく、内にこもるでもなく、マサトのようにふて腐れることもできず、そして、それらを乗り越えて人間として自立するということもできなかった場合。
……過度に「良い子」になってしまう、という子は、幾度も目にしてきた。
環境に対する、過剰適応。
必要以上に、自分を抑え込んでしまう。
必要以上に、他者に対して献身的になってしまう。
……言ってしまえばそれだってある種の「歪み」だし「病」だ。
コサージュ。――人工の魔法つかい。
この子は、普通の、当たり前の12歳かそこらの女の子ではない。
それは、判っているのだけれど。
この子の、まるで絵本の登場人物みたいな博愛精神と真っ直ぐさには、どこかそういう危うさを感じるのだった。
「わたしは多分、ひとを助けたいとか、笑顔になってほしいとか思うの、やめられないし。 ……悲しいことなんて、ひとつ残らずなくなっちゃえ、って思う気持ちも、きっとなくせない。……きっと、それがわたしの、いちばんおっきな欲望なんだ」
そんなことを思いながら、ちさとの言葉を聞いていた。
「マサトくんのことも、大好きだよ!」
「……ぼくは何か、そんなにきみに好かれるようなことをしただろうか?」
何の気はなく、ただ話の流れで、ぽつりと、マサトはそう尋ねてみた。
「……え」
それだけのつもり……だったのだが。
ちさとは、予想外のことを聞かれたかのように、さっと目をそらして、
「え……えっと……」
と、しどろもどろになる。
しかしそれもほんのしばしのこと。
「んっ……気付いてくれてないみたいだから、教えてあげない」
「……ちさと?」
彼女は小さく頷いて逡巡を断ち切り、
「ないしょ!」
と言って笑うのだった。
……まあ、小学生相当の子供に大好きと言われても、面映ゆくなくはないが、そう重く考えることもないだろう。
「えっと、とりあえず、武器、選ぼう?」
どこか白々しく話題を切り替えて、ちさとはロッカーに顔を差し込んだ。
「わたしは、そうだなー、今日はこの子にする! この子と
じゃらりと音を立てて、ロッカーから鋼鉄の鎖が引き出される。
「この子は
その先端には……あろうことか、サイズで言えばバスケットボール程の球形の鉄の塊が繋がっていた。
加えて、鋼鉄色の球体部分は、その表面に鋭利な
――銀髪で柔和な雰囲気の童女が、鎖で繋いだ棘付鉄球を引っ下げている。
その絵面に、再度目眩を覚える。
ひゅん、ひゅんっ。
ちさとは軽く鎖の片端を握り、鉄球をお手玉のように何度か旋回させて見せた。
どこかユーモラスなしぐさだが、その一撃が霞めただけでも鉄棘が人間の胴体を割り開き、頭蓋を粉砕するシロモノであろうことが見て取れて、マサトは口の中に酸味を覚えた。
「……鎖って便利なんだよ、こうやって巻きつけておけば、攻撃を受け止めるのにも使えるし。それにこの持ち手、見て! 先のところが短剣になってて、近づかれたらこっちで戦えるんだよ!」
……まったく、頼もしい世話係ができたものだ。
「それから、この子もわたしが使うね。……行くよ、
それじゃ、いこっか。と、これまた軽々と大戦斧を担ぎ上げて、マサトへと向き直る。
「結構、長くお話ししちゃった、早く避難場所まで行こう」
「ああ。……まったく、何であんな生き物がいるんだろう、な」
ちさとに頷き返すと長い廊下へと再び移動して、マサトはそう呟いた。
「……教皇さまは……」
出来る限り早足で歩きながらの、半ば独り言のようなものだったのだが、ちさとは耳ざとくそれを聞きつけて、
「「仕方がない」――って、言っていた」
と、その続きを口にする。
「仕方がない、だって?」
歩調を落とさないようにしながら、考えを巡らせる。
……それは、どういう意図の言葉だろうか。
ウィッチの被害から、市民を守る教皇院。
ならば、その中において責任ある立場ともあろう者が、軽々しく口にするべき言葉とも思えなかった。
「……ぼくには、そうは思えそうにない」
「そう、かな?」
「……君が仕方がないと思っても、ぼくは、仕方がないとは思わない」
仮に、ウィッチというものが「種族」であり、その完全な根絶や駆逐が実質的に不可能なものであるとしても。
生態として人間を捕食する、人間の天敵のようなもの。いわば自然の摂理の一部なるものであるにしても。
――あまりに、志が低いというものではないだろうか。
自らが、一個体の生物としては脆弱極まる生まれつきをしているが故に、マサトは「食物連鎖」だの「自然の摂理」なるものをそのまま物分り良く受け入れてしまうことに、ある種の抵抗があった。
……それが「仕方がない」で通るならば、どんな惨酷劇だって「仕方がない」で終わってしまうだろう。
「……あんな生き物が、その辺にいることも、君みたいな子が、武器を持って戦わなくちゃいけないことも」
そうマサトは言った。
「ぼくがこんな体に生まれついたのだって、仕方ないってことは、ないだろ?」
だからと言って、何をどうこうできるわけでも、ないのだけど。
「……そっか、仕方なく、ないんだ」
マサトの言ったことを、噛み締めるように、口の中で何度か言葉にしてから、
「……いいかもね、それ」
と、ちさとは笑って返す。
その直後、だった。
「――ッ!」
ちさとが、耳をそばだて、さっと向き直り、周囲を警戒しつつ、マサトを背中に庇うような挙動を取っていた。
「……ごめんなさい、マサトくん。お喋りしてないで、もっと急いで、真っ直ぐ逃げればよかった」
彼女らしからぬ、こわばった表情、硬い口調。
「どうした、ちさと」
「ウィッチが……こっちに向かってる! さっきまで別の方に向かってたのに――真っ直ぐ、近づいてくる!」
「――なッ!」
さすがに、彼女の表情にも余裕がなかった。
「マサトくん、わたしに掴まって!」
短く叫び、戦斧を背中に担ぎ、鎖鉄球を肩にかけて、自由になった両腕でマサトの体をしっかりと抱きしめる。
柔らかな双球が、マサトの身体に圧迫されて、平べったく形状を変える。
細い指、小さな掌がマサトを支え、一瞬、重力が喪失した。
「逃げるよっ!」
マサトが背中に感じる少女の掌は、――微かに震えていた。
――走る。
まるで前方に向けて落下しているのかのようにすさまじい速度で、周囲の景色が流れ去ってゆく。
一足一足が床面を蹴って、その度に再加速。瞬く間に100メートル近くを駆け抜ける。
童女に抱きかかえられながら全力疾走するという人生初の経験に困惑しながら、抱きしめる手から伝わってくるのは、微かな震え。
風切の音を聞きながら、耳朶が捉えたのは、――熱。火照り。
……それが示すのは、何かしら、高熱を放つ物が、ちさとの脚力以上の速度で追尾してくると言うコト。
疾風の如く駆けていたちさとが、急停止した。
「間に合わない――来るッ!」
「追いつかれるってことかッ?」
ちさとに抱きしめられたまま、マサトは叫んだ。
「どうするんだ、ちさとっ!」
「……わたしが、戦う!」
一言叫び、抱きしめていた両手を解いてマサトを解放した。
「マサトくん、伏せてッ!」
咄嗟に、ちさとに言われたとおり、そのまま倒れ込むように横に飛んだ。
腹ばいになったマサトの頭上を、〈
「……こん……のぉっ!」
ちさとの叫びと、戦斧の刃が、何か強固なものに叩きつけられる衝撃音が、甲高く響き渡った。
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