第二夜「焔」(Bパート)③
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ちりちりと、頬を苛む熱気。
眼球が乾いてしまいそうな、目を開けているのも辛いほどの火照り。
焼けた空気を呼吸して、マサトは咳き込んだ。
それらが伝えてくるのは、眼前において、大量の炎が燃え盛っているという現実。
翳した掌で眼を庇い、そして、ソイツの姿を、初めて視界に収める。
「こいつ……!」
祇代マサトはまだ、〈ウィッチ〉に関する知識を豊富に持ってはいない。
知っているのは、それが人を襲い食らう脅威であるということ。
あくまで、地球上の生物を素体にして、誕生するものであるということ。
何となくではあるが、昆虫もしくは爬虫類を想定していた。
だが姿を見せたソレは、想像をさらに上回っていた。
マサトの既知の、如何なる生物にも似ていなかった。
――言うならばそれは、不定型の、巨大な炎の塊。
生きている、揺らぐ灼熱の業火そのもの。
時折炎の中に時折垣間見えるのは、赤黒いゲル状の実体。
中央部分に大きく開き、此方をねめつける、巨大な一つ目。
甲高い音を立ててちさとの強烈な一撃を受け止めたのは、見た目によらぬ堅牢さを持つらしい、その眼球部分。
芋虫のように胴で這いずっているようだが、後背部に目をやれば、バーナーの如く、強烈な勢いで炎を噴出し体勢を保持し、後にのけぞることもなく、ちさとと鍔迫り合いのような形になっていた。
腕も足も持ち合わせないように見えながらちさとの脚に振り切られることなく追いついてきたのは、これによるものか。
ちさとの〈鎧王〉の刃が打ちこまれた部分が、軋む音を立てた。
振り回した、当たった、確かに、怯んだ。
「く、ぅっ……!」
だが、それだけだった。
ちさとの喉から、唸り声が零れる。
「だったら……」
一旦大きく引下がり、ちさとは距離を取った。
「お願い、
――
唸りを上げて鉄球が縦横に旋回し、加速した上で叩きつけられる。
高速で回転する、高硬度の大質量。
ちさとの手から放たれているというのが信じがたい、あまりに殺意の塊じみた一撃が、連続して襲い掛かる。
「あっちに……行けぇッ!」
ゲル状の全身に、中央の眼球に、棘付鉄球の打撃を雨あられと叩き込まれながらも、炎のウィッチは胴体で這いずり、ちさとに正対すると、眼球の下に、細かい牙が無数に乱立した、無顎類のような口を開いた。
そして、その喉奥に、赤い光が満ちる。
「マサトくんっ!」
――
ちさとが即座に得物を戦斧に持ち替えて、体の前で風車のように猛回転させた。
一瞬遅れて、一ツ目のウィッチの口蓋から、破裂音と共に猛烈な勢いで一文字に火焔が放たれ、吹き付けられた。
空気の断層を作り出すことで炎の噴射そのものを切り裂き、寸前のところで散らす。
間一髪、ちさとがこの炎をいなすための防御姿勢に切り替えていなければ、後にいるマサトも、もろともに焼き尽くされていただろう。
全身から、揮発可燃性の物質を常時分泌しているというところか、と読んだが、体内にもそれを抱えているとなれば、呼気と共にそれを吹き付ければ、こういうことになろう。
――体の中も外も、炎の塊か。
そしてそれを読み取ったちさとも、防戦一方ではない。
燃料が減少したか、炎がその勢いを減じ、やがて途切れる一瞬を見過ごさず、攻撃に転じる。
「
頭上で大きく円を描き、回転運動で速度を加え、振り下ろした大戦斧の刃は、その目前のウィッチではなく――足元へと叩きこまれた。
通路の床面が、砕け、ひび割れ、部材がその下へと落下してゆく。
戦斧の一撃が、大きく床を破壊し、巨大な穴をぽっかりと生み出す。
「落ち……なさぁいッ!」
重心を大きく前方へ傾け、身を乗り出すような形にしていた――のが、大きかった。
ちさとは床を蹴り、得物の重量を利用して方向転換、側面へと回り込むと……大きく振り上げた戦斧を、斜めに振り下ろし、叩き付ける。
空を飛べる、という訳ではないのが幸いだった。
ウィッチの巨大なからだが大きくバランスを崩し、前へと倒れ込む。
「もうひとつッ!」
振りぬいたその勢いでさらにもう一撃。それが決定打だった。
ウィッチはその身を炎に包んだまま、ちさとの開けた大穴の奥深く――下の階層へと落下していった。
「やっつけた。……わけじゃ、ないよな?」
呆然とそれを見ていたマサトは、どうやら当座の危機を脱したと判断してから、ちさとに声をかけた。
肩で息をしながら、ちさとが叫ぶ。
「……ねえ、なに? なんなの、アレ!」
「何、って……」
「わたし、あんなウィッチ見たことない!」
何の他意もない、困惑することしきり、という口調だった。
「……悪いけど、君に判らないものは、ぼくにも判らない」
マサトは、何となく感じ取っていた。
今のは機転を利かせて、下の回に突き落として凌いだだけで。
ちさとの攻撃は、なんら致命となる傷をつけられてはいなかった。
彼女の得物である〈鎧王〉と〈武王〉は見ていた限り十全にその機能を発揮していた。
武器の性能による差ではない。単純に、ちさとが弱い。
――おそらくちさとは、独力ではあのウィッチにはけして勝てない。
ちさと自身が言っていた「お手伝い」というのはおそらくそういうことで。
彼女はあくまで、牽制、陽動、索敵、あるいは物資の輸送、そう言った補助的な役割を果たす者、なのだろう。
確かに、人工的に作られたもの、であるならば、制御できなくなった場合を考慮すれば、あまりにも高い戦闘力を付与するのは、リスクが大きいだろう。
今、実際そういうコトになっているのだが。
「……今、倒せたわけじゃ、ないんだろ?」
「うん、だいぶ深い所に落としたけど……あの子、凄く強いウィッチだった。早くここから離れて、避難場所へ行こう」
呼吸を整えて、早く行こうと促すちさとに、
「……ああ、それと、助かった、ありがとう、ちさと」
この位はしておかなければならないだろう、と、感謝を伝える。
「どういたしまして」
と一度返して、
「……そ、その、別に、ふかいいみはとくにないんだけど」
ちさとはそう言って、口ごもる。
「でも、マサトくんが、どうしてもって思うなら……照れないで、お世話係であるわたしに、ご褒美をくれてもいいんだよ?」
「……?」
彼女の言っていることが呑みこめなかった。
確かに、せめて感謝の印の品なり渡せれば、とは思うのだが。
「……ああ、でも、ごめん。今上げられるようなものは、何も……」
駄菓子すら持ってきていない。というのは、彼女も承知していたはず。
もう一度ちさとに目を戻せば。
「…………」
彼女は薄く目をつぶり、マサトの方に、会釈するように頭を差し出していた。
……ああ、そういうことか。
しかし、本当に、こんなのでいいのかな、そういえば弟にもこういうコトはしなかったな、嫌がりそうだったし。と思いつつも、ちさとの差し出した頭に、掌を重ねようとして……
突然、大音量の電子音が鳴り渡り、咄嗟に延ばしていた手を引いた。
何かの警告音かとも思ったが、さっきから鳴り渡り続けているサイレン音ではない。
見れば、ちさとの患者衣をふくよかに押し上げている胸元。電子音はそこから放たれていた。
……この子の胸は音が出る。という訳でもないだろう。
確かさっきの通信機器を胸の所にしまっていたから、それが呼び出し音を放っているのではないか。
「……ご褒美は?」
「先に出た方がいいんじゃないのか?」
マサトが手を引くと、ちさとは、不承不承、患者衣の胸ポケットから先ほどの通信機器を取り出した。
……そうか、これが通信機器であるのなら。
これを使って誰かに連絡を取り、助けを求める、という選択肢もあったわけか。
連絡する当てがそもそもないので思いつかなかったが、ちさとであれば、こういった場合の連絡、指示系統も言いつけられているのではないだろうか。
「……もしもし?」
と、機器を通話モードに切り替えて、ちさとが呼びかける。
「……ああ、繋がった! 環境適応型の戦闘補助用コサージュが、一基です!」
「おい貴様! 貴様の型番は?」
という怒鳴り声が、即座に飛び出してきた。
「はーい! チ號、参拾番です!」
応えたちさとに、続けて権高な叫び声がヒステリックに投げつけられる。
「――チ號参拾! 戦闘モードに移行!」
「た、戦え! 早く、捨石となって、その方をお守りしろ!」
通信機器が吐き出す、取り乱した声を聞いたちさとは、一瞬ぱっと背筋をまっすぐに伸ばすようにして見せて、それから
「ん……あ、あれ?……変だな」
と、声に出した。
「チ號参拾! どうした! 何故従わない!」
「型番で呼ばれたのに、コードが飛んできたのに、セーフティが外れない。――戦闘モードに、なれないみたい」
ちさとが、戸惑いながら返事をする。
何かしら、彼女の身に、通常なら起こらないことが起こっているらしい。
「なっ! ど、どういうことや! この……この出来損ないめが!」
聞き覚えのある、妙に甲高く、生理的にマサトの癇に障る声が響いた。
「このようないざという時に使えぬ、不良品など作りおって!」
……この声は、イワクラ氏だ。
「これだから、コサージュなどという薄気味の悪い模造品など反対したのだ! ええい、この責任、誰に負わせれば……」
通信装置の向こうから、ちさとを罵る言葉が立て続けに聞こえてきた。
「……そ、そんな……そんな、こと、わたしに……いわれても……」
困ったように眉を顰め、硬い口調で呟くちさとの姿に堪りかね、マサトが口を挟みそうになった、その時。
「……ちょっと、落ち着いてください」
慇懃だがどこか荒っぽい、覚えのある別の声が聞こえてきた。
「今あるもんで何とかするしかないんでしょうが」
これは……戦部ユウスケの声か。
「状況を纏めろ! 今どうなってる? ああ……開発責任者の首に縄ァかけて、引きずって来い! 馬鹿野郎、今チ號を責めてどうする、ウィッチの方のにきまってるだろうが!」
「……あ、そっか。
途方に暮れたように、ちさとがぽつんと呟いた。
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