第二夜「焔」(Aパート)⑤

 チ號参拾を椅子に腰かけさせ、後ろに回って、髪に櫛を通してゆく。

 ここで起こったことを、ひとまず誰かに伝えないといけないのではないのかとも思ったのだが、この部屋には緊急時の呼び出しボタンのようなものもがないし、その相手と言うのが思いつかない。

 犬飼かなめ、嵯峨かのん、戦部ユウスケ。

 いずれも、それぞれ問題がある。

 本来、こんなことをしている場合ではないだろうと、余程思ったのだが、今のところ、当のチ號参拾が

「別にいい」

 というし、

「何かしてほしいことはないか」

 と聞いてみれば、

「髪を整えたい」

 とだけ望まれたので、それをやってあげるしかなかった。

 確かに、ついさっきまでは乱雑に刈られた、ベリーショート、と言うにもみすぼらしい坊主刈りだったのが、一気に膝のあたりまで伸びていた。

 一度梳いてあげなくては、不便ではあるだろう。

 幸いマサト自身も髪は長い方だったので、私物の中に櫛くらいは持ってきていた。

 部屋の壁にかけられた姿見の前で、生え際から毛先まで、丁寧に梳き上げてゆく。

「……どんな感じがいいのかな」

「……真っ直ぐに整えてくれればいいよー」

 時折くすぐったがって笑い声を漏らす彼女の髪に、櫛を通し続ける。

 こうして手で触れているのが気が引けるような、プラチナの糸のような銀髪だった。

 きれいだ、と思った。

 他人の髪の毛を、そんな風に思うのは初めてだった。

 ……「みことさん」の黄金の髪も美麗ではあったが、彼女には恐怖しか感じなかったし、どちらが好きか、と言われたら、チ號参拾の銀髪だ。


 そうしている内、彼女が退屈しないように、と思いながら、

「……コサージュ造花っていうのは、魔法つかいとは違うのか?」

 と、尋ねてみた。

「……うん、魔法つかいのお父さんとお母さんがいて、お母さんのおなかから生まれるのが魔法つかい。そうじゃなくて、魔法つかいのさいぼうを混ぜ合わせて作るのがコサージュ人工魔法つかいだよ」

 判ったような、判らないような。

「わたしたちチ號は、選ばれた魔法つかいの細胞で作られた、とっても高性能な最新型なんだよー」

 君が優秀なのは知っているけれど。と心の中で呟いた。

 と言うか、それでは本で読んだ、ホムンクルスだのビメイダーだのという代物のようだ。

 確かにここは魔法つかいなるものの組織の拠点ではあるのだけど、それがこの中でどの程度に特別なのか、というのが良く判らなかった。

 「みことさん」だって規格外の存在ではあったし、犬飼かなめだって、別の意味で区別化されていた。


「……チ號参拾」

「なあに?」

「ほかに何か、してほしいことはないかな?」

 もっとも替えの無いものを、命をもらってしまった。

 できる限りのことをして返さねば、祇代マサトは己を恥じて消え入ってしまいそうだった。

「それなら――えっと、お話が、したい」

 ――もっとマサトくんと、お話しがしたい。と、チ號参拾は返す。

「マサトくんのこと、もっと知りたい」

 と言うのである。

「あ、でもマサトくん、あんまりお喋り得意じゃないんだよね? じゃあ、わたしが聞いてみるから、それに答えて? それならできるでしょ?」

 それが何がしかの彼女への返礼となるとも思えなかったが、

「まあ、そんなことくらいだったら」

 と、応える。

「……じゃあねえ……そう、だ」

 話題を探すように小首を傾げてから、ひとつ頷いて。

「マサトくんは、お日様、太陽って見たことある?」

 チ號参拾はそう問いかけた。

「……それは、空に出てる、アレ、のこと?」

 あるよ。と答える。

「じゃあ、お月様は? 毎日形が変わるって本当? ツクヨミさまみたいにきれい?」

 それもある。と答えた。

 ツクヨミ、というのが良く判らなかったが……

「青い空は? 白い雲は? たくさんの星は?」

 それも、ある。と、これもマサトは返す。

 ふざけているのかとも思ったが、彼女の口ぶりから、そうではないらしい。


「……すごい、すごい! ねえ、空が青いって、どんな感じなの? 」

「ちょっと、待ってくれ」

 ――そんな事で賞賛されるなど想像の埒外で、当惑しながら聞いてみる。

「君は、……ないのか?」

「うん、無いよ?」

 冗談では、ないらしい。

 この子は、本当に、空をみたことがない。

「……海は?」

「……それは、ないかな」

 マサトも海と言うものを見たことはなかった。

 何分、遠出と言うものができないので。

「そっか、じゃあ、そこはおんなじだね! いっしょだね!」

 その答えに親近感を抱いたか、嬉しそうに彼女は言う。

 けれど、マサトは寒気を感じていた。

 こんな子が、まともに空を見たことがないって、そんなことがあり得るのだろうか?

 この子はこれまで、どんな風に育ってきたのだ?

「じゃあ、地球って、見たことある? ――こういうのだよ?」

 チ號参拾は患者衣のポケットから、小さなノートを取り出すと、その1ページを開き、折り畳んで挟み込んであった一枚の紙きれ――雑誌の切り抜きを大切そうに広げて、マサトに見せた。

 そこには、白い部分と、緑色や茶色に見える部分以外の大半を青い色で印刷された球体が写っていた。

「……こういうのは、ないかな」

 と答えた。

「ないの? 外から来たのに?」

「……ああ、ふつう、こういう風には見えないんだよ」

 と説明すると、わかったようなわからないような顔をして、

「でも、知ってた? 地球はね、こんな風に青くて、とってもきれいなんだよ?」

 と、得意げに言って見せた。

「わたしは、地球がいちばん好きだな。マサトくんは?」

 ――地球が好きだ。

 単体で言われると、なかなか力のある言葉だった。


 地球の環境は祇代マサトが生存するには過酷だが、地球以外の天体、例えば月とか太陽とかは、もっと過酷だろう。

 何となく、「みことさん」は太陽が好きそうな感じがする。

 彼女なら太陽表面でも平然としているだろう。

「……なら、ぼくも地球だ」

 少し考えてから、そう答えると、

「そっかぁ、ならいつか、マサトくんにも見せてあげるね!」

 チ號参拾は、えへへー、と笑い返すのだった。

 何となく、いつまでもチ號とか参拾と呼び続けるのも失礼な気がしてくる。

 一応それが彼女の名前と言う事になっているのだけど。

 仮にも命の恩人だ。


 チ號・参拾。

 彼女を表す言葉。

 まさか、チ號が名字で、参拾が名前と言うわけではないだろう。

 というか、まるで型式番号だ。

 「チ號ちゃん」「参拾番ちゃん」

 ……どっちも、どこか失礼な感じがする

 或いはもっと親しくなって、気のおけない間柄にでもなれば、そう言う呼び名でも、情をこめられるものかもしれないが。

「……君に」

 と一度、呼びかけてみる。

 もしもこれで、

「もう、わたしの名前はチ號参拾だよ」

 とでも返されたら、彼女なりにこの名に矜持を持っているであろうと思われるので、ココから先を口にするのは憚られる。


「ん、なあに、マサトくん」

 と、予想に反してニュートラルにそう返されたので、そのまま続ける。

「その、チ號参拾っていうのが、君の名前だよな」

「うん、わたしの番号だよ? ……変かな?」

 どうも彼女にとっても、それは番号であるらしい。

「……もしかしたら余計なことかもしれないし、それならそう言ってくれていいんだけど」

 我ながらおかしなことを言ってるな、と思いながら、

「……これから一緒に暮らすなら、君に名前を送りたい」

 と、告げた。

「名前? わたしに?」

 チ號参拾は、

「マサトくんのマサトとか、戦部さんのユウスケとかいう、名前のこと? マサトくんが、つけてくれるの?」

 ああ、と頷いて、

「チ號参拾って名の方に愛着があるって言うなら、そう言ってくれれば、二度とこんなことはぼくは口にしない」

「……わたしは、コサージュなのに?」

「…ぼくには、そういうのは良く判らない」

 彼女はコサージュ。――人工の魔法つかいである、ということだったが。

 コサージュに名前があるのはおかしいのか、型式番号でなければいけない理由が何かあるのか、その辺は知ったことではなかった。

 ふつうと違う。という一点では、自分だって十分に普通ではないだろう。

 戦部ユウスケはともかく、先刻のイワクラ氏辺りはとやかく言ってくるのかもしれないが、自分が呼ぶだけであれば、余所からとやかく言われる筋合いもないだろう。

 ここのしきたりや習わしなんぞ知らないのでそうしました、と言い張るだけだ。

「……じゃあ、お願い!」

 思いのほか好印象。

 嬉しそうに、彼女はそう答えた。

「欲しいなって思ったこともあったけど、誰も呼んでくれなかったから、諦めてたの。マサトくんが付けてくれたら、わたし、嬉しいと思う」

 そう言って、さあどうぞ、と言うように、彼女は居住まいを正す。

 さて、勢いでここまで話を進めてしまったが、どう名づけるか。

 誰かに呼び名をつけてみるというのは初めての経験だったし、何分親しい友達と言うのもいなかったので、自分にあだ名がつくようなことも、ついぞなかった。

 強いて言うなら「マサトにいさん」というのがそれなのだろうが。


 ……多少なりとも、元の呼び名とつながりのある方がいいだろうか?

 そんな風に思い、少し考えてから

 ――「チ號」

 ――「参拾」

 ――「チ・三十」

 ――「チ三十」


 声に出して、呼んでみる。


「――ちさと」


「ちさと、はどうかな?」

「……それが、わたしの名前?」

「ああ、いま、いろいろ考えたんだけど」

 マサトは彼女の手から小さなノートを受け取り、新しいページを開いて。

「たぶん、こう書く」

 漢数字の「千」に続けて「紗」「人」

 と、書きつけて、彼女に見せて、

「千紗人――こう書いて、ちさと、だ」

 ――あ、いや、気に食わなかったら、忘れてくれて構わないけど。どうかな。

 と、付け足し、感想を尋ねると、

 彼女は大きく横に首を振り、

「……ううん! …名前をもらったの、はじめて! うれしい!……とってもうれしいっ!」

 と声を上げた。

 飛んで、跳ねて、くるんとその場で一回転。

 全身で喜びを表現する。

 年相応に小柄な中で、やけに立派なサイズの双球が弾んだり、丈の短い患者衣の裾がひらひらと揺れたりするので、何となく、目を反らす。 

 心肺停止の後遺症などまるで見受けられなかった。


「……じゃあ、ねえ、マサトくん。わたしの名前、呼んでみて!」

 マサトの前に向き直り、彼女は神妙な面持ちで、そう言った。

 わかった、と一度頷いて、

「……ちさと」

 と、呼ぶ。

「………っ」

 彼女の頬が緩み、ほんのり赤く染まるのがわかった。

 少なくとも、響きは気に入ってもらえたようである。

「はいっ!何でしょう!」

 彼女らしい、柔和な声でそう言うので、

「呼んでみただけだよ」

 と返す。

「もう一回、呼んでみて」

 と望まれたので、

「ちさと」

 と、もう一度呼んでみた。

「……えへへっ」

 表情がとろけるのが恥ずかしいのか、今度は両手で顔を覆いながら、

「はい、何ですか?」

 と言う。

「だから、呼んでみただけだよ」

「……もう一回、おねがいします」

「ちさと」

 三度目に呼んだ後に、

「気に入ってもらえたかな?」

 と感想を聞いてみた。

「………はいっ」

 と答える彼女の顔を見るだけで、聞くまでもない事のようだった。

 

 彼女は改めて、マサトの前に立ち、患者衣の襟を正して、背筋を伸ばす。

「……えっと、チ號参拾あらため、ちさと」

 そして、かるく患者衣の裾を指で抓んで、ぺこりと一礼。


「――今日から、マサトくんのお世話係になります。これからよろしくね、マサトくん」


「ああ、――よろしく、ちさと」

 しばらくの間、興奮冷めやらぬ、と言う感じに浮かれていたちさとだったが、ようやく落ち着きを取り戻して、ふたり並んでベッドに腰掛けながら二三の会話を交わす中、 

「……ねえねえ、どうして、マサトくんはそんなに優しいの?」

 と尋ねてきた。

「優しくは……ないよ、うん」

 優しい、なんて、祇代マサトともっとも縁遠いことばだ。

 ほんの一年ほど前の自分ときたら、まるで怨みと憎しみの塊だ。

「だって、凄いと思う、わたしをこんなにうれしい気持ちにしちゃうなんて」

 ――喜んでもらえてうれしくはある。

 けれど、これほどまでに感動してもらえるとは思っていなかった。

 そして、次の彼女の言葉は、

「……わたし自身のものって、今まで何もなかったんだなあって、今思ってるんだ」

 ――マサトの背筋に、冷水を流し込んだ。

「この服も、このノートも、わたしのものじゃなくて、教皇院のものだから」

 彼女と会話をする中で、時折違和感を覚えることがなくはなかったが、――彼女はいったい、どういう風に育てられてきたのだ。

「――でも、わたしの命だけは、わたしだけのものだから」

 コサージュ、人工魔法つかい。

 その実情をマサトはまだ詳しくは知らない。

 だが、戦部ユウスケや嵯峨かのんはともかく、先刻のイワクラ氏のような連中が、作られた命、ヒトでないヒト。――そう言う存在をどう扱うか、想像しただけで、吐き気がこみ上げてくる。

「わたしからの贈り物をするのも、受け取ってもらったのも、初めてだ。――ああ、わたしがいのちをあげたのが、マサトくんで良かった」

 ――だからって、自分の命そのものを、はいそうですかと他人にくれてやる奴があるものか。

 こみ上げてきたその言葉を、マサトはかろうじて喉の奥に押し留めた。

 どんな顔をしていればいいのかわかなくて、困ったように眉をひそめるマサトの前で、ちさとは微笑んで、 

「名前をくれたお返しに、マサトくんの願いを、ひとつ叶えてあげたいな」

 と、言った。

「……ぼくに、願いはないんだ、少なくとも、いまは」

 それに、既に返しようがないほどの、彼女の恩寵に自分は預かってしまった。

 これ以上を望んだりしたら、天罰が自分を砕くだろう。

「……じゃあ、いつか、マサトくんの願いが見つかったらでいいよ。叶えたい願いができたら、わたしに教えてほしいな」

 そう言ったちさとは、――次の瞬間、身を翻し、はっと耳をそばだてた。

「どうかしたのか、ちさと」

 何事か起こったのか、音も、何か起こったような衝撃や振動も、マサトには何も感じられない。

「……何か、変だ」

 と、左右に視線を巡らせて 

「……ここ、離れた方がいいのかも」

 ちさとは、そう言ってマサトの手を取り、立つように、と促した。


 ――刹那。

 けたたましい非常ベルのサイレン音が、耳をつんざいた。

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