第一夜「カミシロ マサト」(Aパート)②
○
「……ああ、その、病み上がりのところ、悪いんだが…」
と前置きしていてから、
「今、体が辛くないようであれば、応接室まで一緒に来てほしいんだ」
と、施設長。
「別に構いませんよ」とマサトが答えれば、
「……暖かくしていけよ、ちゃんと上着を羽織って」
と、坊主頭の職員が気遣うように言う。
言われなくても、自分の体の粗悪物(ポンコツ)ぶりは十分に理解してる。
病み上がりでない時と言ったら、それこそ寝込んで死にそうな時になってしまう。
ひとに会うなら、まだ前者だろう。
どれ、と、その病み上がりの体を起こし、ベッドわきに置いた年寄くさい色のカーディガンを肩に羽織った。
「ねえ、大丈夫?」
……と問いかけてきたのは、ベッドの脇に腰掛けていた男の子だ。
「ぼくも一緒に行こうか?」
どうやら心配されているらしい。けなげなものである。
が、それを見た施設長が
「ああ、…いや、君はいいぞ、用があるのは、マサトだけだそうだ」
と、〈彼〉に呼びかけて制止した。
(しかし、何だ、この子は他人にもちゃんと認識できたのか)
……この子は実在していたのだなあ、なんてことに、感慨がなくもない。
本当は、彼は孤独な自分の心が産みだした、自分にしか見えない、心の中だけの友人で、第三者から見たら、誰もいない空間に一生懸命話しかけている祇代マサトが見えるだけなのではないか、なんて、怖い想像をしたことだって、あったのである。
ひとまず、この子は紛れもなく、ここにいる、人格を持った一個の人間である。
「そういうことらしいから、ぼくだけで行ってくるよ……君はどうする?」
「……じゃあ、にいさんが帰って来るの、待ってる」
「……いや、この部屋閉めるから、これからどこに行くかってつもりだったんだけど」
何もこの部屋で待っていなくても、テレビの置いてある食堂でも、それこそ図書室でも時間は潰せるだろう。
「……待ってる」
案外と、この子は頑固である。一体誰に似たのであろうか。
「にいさんが帰って来るの、ここで、待ってるよ」
「……そう」
と、頷いては見たものの、さっきの、来なくてもいい、という言葉だけでは、まったく彼を納得させることができていなかったみたいで、
「にいさん、にいさん」
カーディガンの袖口をつかみ、
「ねえ、何か、おかしいよ」
と、そっと耳打ちしてくる。
「行かない方がいいよ」
とも、言った。
施設長の方をちらと見る、「そういうわけにはいかない」と、目で応えられた。
何だかただならぬ事情があるようだ。
少し考えて、ひとまず、いつもと同じように、一度は「そうだね」と肯定で返した。、
それから、続けて、
「……でも、ぼくはきみのお兄さんだからな」
と、マサトは言って、袖口をつかんだ手をそっと引き離した。
「……何だよそれ、意味が分からない」
ふて腐れたような声でいい、少年は顔を俯けた。
どうやら機嫌を損ねてしまったようである。
多少気がとがめる。が、また後で埋め合わせのしようはあるだろう、と、その時のマサトは、安易にそう考えていた。
だから、俯いた彼に、重ねて言葉をかけた。
「……でも、きっときみも、いつか誰かに。そういう風に言うようになると思うよ」
それからひとこと、じゃあね。と言い。
マサトは、ばたんとドアを閉じた。
――どうか、元気で。
どういうわけか、妙に感傷的な気分で、そんなことを思う。
ああ、願わくば、君が、こんな場所でなく、もっと別の、暖かい場所で、ぼくのようなろくでなしと関わりなく、幸せとか絆とか温もりとか矜持とか、そういうものを得られる日が訪れればいいのだけど。
そんな風にも、思った。
……悲しいかな祇代マサトは生まれてこの方幸せであったことがついぞなかったので、幸せがどういうものであるかを、知らなかったのだけど。
○
「すみません、お待たせいたしました」
腰を低くして、施設長が応接室に入るのに従って、マサトはドアをくぐった。
応接室、と言っても、他の空き教室と大差ない年季の入った部屋で、置かれているのも横長の応接机とパイプ椅子だけで、肢のゴムは擦り切れている。
そこにはそれ以外に、幾人かの人が待っていた。
おおよそは、幾度か顔を見たことがあるひとたちだった。
確か出口側の席にいる男性がこの院の運営に出資してくれている、後援会会長兼、最寄り駅前の商店街の商工会の会長で、そば屋だかうどん屋だかの店主である。
……どこも不景気で、さほど大きくもない地方都市の駅回りの商店街など知れていて、彼らだってそう優雅な生活は嗜んでいない、というのは、身に着けているものとか、たまに様子を見に来る際にふるまってくれる土産物のグレードの低さから窺い知れていた。
後援会の会長まで呼ばれてくるとは、どうも賓客は何とか話をまとめたい、機嫌をそこねられない御大尽らしい。
……もし自分がごねでもすれば、彼らは困るのだろう。
彼らの為に下げる頭くらいは、持ち合わせている。
何分もともと不幸なもので、世界も人間も別に好きではないが、別に嫌いでもない。
そういう場所は、もうずいぶん前に通り過ぎてしまった。
だいたい、「世界」だの「人間」だのその手の大きな主語はマサトの知識と経験の埒外だ。
「世界」は知らないが「この施設の敷地内」は知っている。
「人間」は知らないが「院長」や「そば屋の旦那」や「自分を幽霊呼ばわりした男の子」は知っている。と言う話である。
「――失礼、します」
一つ頭をさげて、入室した。
おおよそ見知った顔ぶれの中に、見慣れない方がひとり。
……ということは、その人が、自分を呼び出した酔狂な方か。
「こちらの方、でしょうか」
「――ああ、その、いいかい、マサト。……福祉団体の、嵯峨さんとおっしゃる方だ」
示された先に、その人は腰を下ろしていた。
藤色の着物を着た、長い白髪の、随分品のいいお婆さん、だった。
かなり高齢ではあるようだけれど肌のつやもいいし、背筋もぴんと伸びている。
目鼻立ちは整っているし、若い頃はかなりきれいな人だったのかもしれない。
「……あら、あらあら」
優しげで、良い声だった。
「あなたが、祇代のマサトくんね」
マサトの顔を見て、老婦人は応接椅子から身を起こし、嬉しそうに声をあげる。
「確かにあの人の面影があるわ、目の辺りなんてそっくりじゃないの」
そう言って、その老婦人は、改めて
「ああ、はじめまして、わたしの名前は嵯峨かのん、職業は公益法人代表」
と、名乗り、
「歳は聞かないで頂戴ね」
と、冗談めかして付け加えた。
「――はじめまして」
できる限り礼は尽くさねばなるまい。と思いながら、マサトは一礼して、挨拶を返す。
「ぼくが、祇代マサトです」
「え、ええとその、この子が、ご指名の、マサトです」
見れば、件の商会長が、大きな体をかがめ、しきりに冷や汗をハンカチで吹いている。
まったく、何をびくついているのか、みっともない。
あなただって押し出しの良さなら別に負けてないではないか。
黙ってればそれなりに立派に見えるのだから、堂々としていれば良いのに。――とマサトは思った。
「ええ、この子で間違いありませんわ、今までこの子を大切に育てて頂いてありがとうございます。わたし達を代表して、お礼を申し上げます」
言うと、嵯峨かのん、と名乗った老婦人は、品の良い所作で一礼した。
舞踊でもやっているのだろうか、動作も優雅で若々しい。
「……あ、あの」
ハンカチで汗をぬぐいながら、傍に立つ施設長がおずおずと問いかけた。
「マサトを、椅子に座らせてやってもいいでしょうか、……この子はその、体が弱いもので」
「何を仰るの、そもそもわたしが勝手にその子を呼び立てているのではありませんの、さあ、腰を下ろして、楽にして頂戴」
……席に着くのに許可が必要という場合は、確かになくもないのだろうけど、そこまで恐れ入るほどのことだろうか。
そう恐ろしげな人にも見えないが、一体どういうひとなのだろう。
(まあ、えらい人っていうなら、それだけで怖いものだろうけど)
「では、――本題に移ってよろしいかしら?」
マサトが椅子に腰を下ろすのを認めると、〝嵯峨さん〟はそう切り出した。
自然と、マサトもひとまず居住まいを正した。
「いいか、マサト、こちらの方――嵯峨さんが、君を引き取りたい……と……仰っている」
「――はい」
一応可能性のひとつとして予想はしていたけれど、どうやら冗談ではなかったらしい。
「あの、本当でしょうか」
「ええ、わたしは、あなたを、わたし達のところに迎えたいと思っています、それで今日は、貴方の気持ちを伺いに参りました。急で驚かれたかも知れないけれど、如何かしら」
一言、先に告げる。
「……では、まず、既に聞いていると思いますが、ぼくは健康ではありません、普通に養子をお探しなら、別の子を選んであげて下さい」
言外に、身体の弱い、不幸な子供に救いの手を差し伸べた。という美談の主にでもなりたいのなら、そんなものになるのは御免被りたい、という言葉を含んでいた。
24時間テレビの感動のドラマは嫌いだった。
「ふむ……なるほど、けれど、そういうわけにはいかないの、あくまでわたしたちはあなたに来てほしいのであって、あなたが駄目なら他の子を、というわけにはいかないのよ」
「……何かの、人違いとかではないですよね、同姓同名の別人と間違えてるとか」
せいぜいのところ、自分の〈利用価値〉など、さっき言った、美談のネタ程度でしかない。
文学とか美術とか、そういったことで目覚ましい才能や才覚を見せているとかなら判らないでもないが、そういうことはまるで憶えがないのだし。
「いいえ、あなたで間違いありません」
困惑もここに極まれり、だ。
何というのか、特にとりえのない男子を、急に高貴な人が迎えに来るというアレみたいだ。
――生憎と、かわいい女の子ではなく、半世紀ほど前には絶世の美少女だったであろうと思われる人。だけど。
どちらにしても、実際起こってみれば、ここまで見事に喜びも感動もなく、「何を企まれてるんだろうか」という気分しか湧き上がってこないものとは思わなかった。
そんな逡巡を見透かしたか、困ったように眉をひそめ、「嵯峨さん」は尋ねた。
「――あなたはあまり、自分のことが好きではないようね」
悲しげにそういう声も、マサトにはどこか白々しく感じられた。
「……自分を憐れむなとか、とか、ぼくよりも不幸なひともいるだろうとか言いたそうですね」
……さあどうする、きれいなおばあさん。
あなたがどれほどたいそうな人生経験をお持ちだろうが、こっちは屍と同じなんだぞ。
「とんでもないわ。……自分の不幸を嘆く、自分を憐れむ。それはとても大切なことよ」
さっきまでのどこか冗談めかした声音も、今はない。
「他の誰も、どんな人も、けしてあなたの代わりに、あなたがそうするように、あなたの嘆きを嘆いても、あなたの身の上を憐れんでもくれはしないのだから」
「……ッ」
少しばかり、意外な反応ではある。
まあ、確かに、理屈としてはそうなるだろうけど。
「だから、あなたはたくさん嘆きなさい。そしてその上で、どうすれば惨めな自分が惨めでなくなるのか、その方法をお考えなさい。…よろしくて?」
「……考えれば、ぼくは惨めではなくなりますか」
「それは判らないけれど」
そう言って「嵯峨さん」は穏やかに笑いかけて見せた。
……もしも自分に祖母というものが居たら、こんな感じだったのだろうか。
それから、マサトの前に、いくつかの資料が手渡され。
彼女のいう組織の、自分を受け入れることになるらしい団体のことを大まかに説明される。
簡単な作業とそれに従って支払われる対価。これまで同様の、体調を崩した際の福利厚生。
「わたし達は、どうしても、あなたを迎えたいと思っているの」
考える。
自分のことを、これまでのことを、考える。
「もちろん、どうしても嫌だというなら無理強いはできないけど」
「――特にどうしたいとか、したくないとかはありません」
何しろ、つい数十分前まで、あの療養室で、生きながら腐ってゆくようにして、残りの数年を過ごすことになるのだろうと、そう思っていた。
ああしたいとかこうしたいとか、そもそも考える余地がなかった。
思った端から、それらには×印がついていく。そういうものだと思っていた。
それがここに来て初めて、選択肢、とでも言うべきものが示されていた。
自分で自分の行先を選ぶなんて経験が、マサトにはほとんど初めての事だった。
「……ありませんが、ついていったら、ぼくはどうなりますか」
と、尋ねるマサトに、
「そうね、あなたに「お母さん」ができるわ」
嵯峨かのんは、そう答えた。
「……もしかして、あなたのこと、ですか?」
「わたしではないわ、でも、とても素敵なひとよ。……すこし風変わりな方だから、はじめは驚くかもね。……どうかしら、その人に、逢ってみたいと思わない?」
「……わかりません、そもそも実の母の顔もぼくは覚えていません。……だから、そう魅力的な提案とは思えない」
あらためて、はっきりと口にした。
「――ぼくはたぶん、もうすぐ死にます。それに、ご覧のとおり、性根が曲がっています」
入室からこちら、和気あいあいとはとても言えない。
嵯峨かのんの老齢に似合わぬどこか華やいだ雰囲気に救われてきたものの、さっきから部屋の空気は冷え切って、いよいよ氷点下だ。
「それをご承知の上でそれをお望みであるのなら、それに沿いたいと思っています……でも」
彼女の申し出を受けて此処を出た場合、自分が失くす物は……特に、ない。
けれど……たったひとつ。
あの子は…ぼくの弟は、どうなるだろう。
「迷っているみたいね」
「まだ、少し」
「それともわたしが気に食わないかしら」
「……そういうわけでは、ありませんけど」
少し口をつぐんでから、嵯峨かのんは重々しく口を開いた。どこか苦々しげな口ぶりだった。
「……あなたが来てくれるならば、この施設に、わたし達の組織が続く限り、資金援助を行います」
重ねて、続ける。
「それから、より良い条件での、縁組、進学、就職に対しても、当人の望む限りの支援を行うことも、約束しましょう」
テーブルの上の湯呑を取って、マサトは白湯を一口、口に含んだ。
「……まさか、そうまではっきり言ってくるとは思いませんでした」
「できれば、こういう言い方はしたくなかったからね」
「何だか、金で売り買いされる気分です」
「……そう受け取ってしまわれても構わないと思っているわ。……でも、もしできるなら、それだけあなたを望んでいる表れと思ってもらえたら嬉しいわね」
「……それは」
マサトが答えようとしたとき、脇から、第三者の声が入った。
「なあ、マサト……」
ほとんどマサトと嵯峨かのんだけが言葉を交わしており、同席している人たちはずっと口を挟むことはなかったのだが。
「……マサト、俺たちが悪かった、こんなの、おまえだって面白くないよな」
頭を抱え、悲しげな声で、蕎麦屋の旦那がすまなそうにそう呟いていた。
「嫌だったら、断っていい。……断ってもいいんだ」
「会長、あんた……」
「お前がこれまでずっと苦しんできたことを、俺たちは知っとる、無理は……我慢はせんでいい」
同席していた、後援会の理事の制止を退け、蕎麦屋の旦那はそう続けた。
ああ――そうか。
自分はこれまで、やっぱり心のどこかで、この人たちを怨んでいた。
十派ひとからげにして、どうせ自分の苦しみなど知らないところで生きているひと達だ、と、そう考えていた。
だが、その思いが仮初のものだったとしても、今こうして言葉にしてもらえただけでも、ほんの少し、その怨みが、薄らいだ。
「嵯峨さん」
ついさっきの、「月の神さま」の絵本を眺めながらのやりとりを、思い出す。
(にいさんのしたいことは、なんですか?)
もしも、自分が何かを願う、なんてことをするのであれば。
「――ぼくも一度くらい、誰かの役に、立ってみたいと、思います」
もう、祇代マサトに、悩む要素は何一つ残っていなかった。
一瞬、自分を兄と呼ぶ少年の、ふて腐れた顔がよぎる。
――だけど、彼とて、ひと月もすれば、ぼくのことなど忘れてくれるだろう。
祇代マサトと、当面の生活環境の改善。
秤にかけて、どちらが彼の為に役立つのかと考えれば。――それこそ、圧倒的に後者である。
「どうか、ここに残る子たちが、生活に困らないようにしてあげてください」
「約束するわ」
「――ぼくは、ぼくをあなた方に売ることにします。どうぞ、できるだけ高くお買い上げください」
「では、ここを出る支度をしないといけません。ここを発つのはいつになりますか?」
「今日、これから」
○
一度応接室を出ると、マサトは自分の部屋に足を向けた。
医務室でも、あの療養室でもなく、本来の、この施設の寮生としての部屋である。
とりあえず、自分の私物で、当座の暮らしに要りそうなものをまとめると、施設長や蕎麦屋の旦那に手伝ってもらうまでもなく、手持ちの鞄ひとつに収まる程度の量にしかならなかった。
本当に、自分はこのまま鞄一つ身一つで、ふらりとどこにでも行ってしまえるのかと思うと、今更ながらに、自分は本当に幽霊みたいなものだったのだなあと、再確認する。
(映画であったな、こういうの)
正門の前で、一度振り返り、長い事自分が居座っていた療養室を見上げた。
……明かりはもうついていない。どうやら、あの男の子ももう流石に帰ったらしい。
挨拶もできずにここを立つことになるが、
まあ、体が言うことを聞いてくれるときに、改めてここに顔を出す機会も、ないわけではないだろう。
寮の正門前に、高そうな車が一台停まっていた。
「あ、おかえりなさい、かのん様」
見れば、後部座席に、若い女の子が一人座っている。
「お待たせ、かなめさん」
……かなめさんと呼ばれたその女の子は、自分とそう変わらない年ごろだろうか。
辺りが既に薄暗くて、顔貌は良く見えないが、どこかの制服と思しきブレザーを身に着け、小脇に細長い布包みを抱えている。
長い髪を、頭の後ろで一つにまとめていた。
体の一部が妙にまるまると大きいが、だからと言って何の感慨も湧かない。どうでもよかった。
寮にも女子生徒はいたけれど、ほとんど会話を交わすことがなかった。
今考えると、どこか薄気味の悪い物を見るような目を向けられていたような気もする。
無理もない事だと思うから、彼女たちを責める気持ちはないけれど。
さて「嵯峨さん」はと見れば、
「え……あなたが運転するんですか?」
……運転席に乗り込んでいた。
「ええ、いけないかしら。免許もちゃんと持っているわよ、ほら」
と言って、袂からケースに入った免許証を示す。
写真はまあ本人ののようだが、夜目が聞かないので、生年月日が見えない。
大正?昭和?
「ああ、腕の方も心配しないでちょうだい、こう見えても女学生時代には……」
「かのん様の「女学生時代」は真に受けない方がいいですよ」
混ぜっ返すように、後部座席の女の子が
まあ、公益福祉団体の代表の道交法違反と言うのも笑えない冗談だから、運転技術に問題があれば、そもそも周りが運転なんてさせないだろう。
……一度だけ振り向いて、最後に寮舎を目に納め、マサトは、車中に身体を押し込むと、車のドアを閉じた。
周囲が薄暗くなっていく中、車は進んでゆく。
言っていた通り、まずまず滑らかな運転である。
女学校時代の杵柄も大したものだ。
そう思いながら、ふと気づく。
妙に、隣席の彼女から受ける既視感である。
「……前にどこかであったかな?」
「んぁ? 何ですかそれ、口説いてんの? きみ結構かわいい顔してるけど、わたしの好みじゃないかなー」
「……あ……思い出した。……エカチェリーナだ」
「誰それ、昔の彼女?」
「そう……昔……」
懐かしい姿を脳裏に呼び起こしながら、それを口にする。
「昔寮で飼ってた犬」
がふっ、という音が、「かなめさん」の喉のあたりから聞こえた。
これが本で読んだ「ぎゃふん」というものだろうか。
「……一応女の子だったし、かわいい犬だったよ」
「いいですか?」
「何だろう」
「犬、は、ちょっと、その、やめてください」
「ああ、嫌だったかな」
「ほんと、お願いしますよおにいさん」
「ええと、その」
「はい?」
「……ぼくに妹はいません」
「だから?」
「だから、お兄さん、と言われるのは、その」
「かのん様ぁ……何だかこのひと偏屈なひとですねえ」
彼女に対して、言葉を選ばないひと。という印象が芽生えた。
たぶん、向こうも同様のことを思っているのだろう。
「一応これから一緒にやっていくのよ、仲良くして頂戴」
運転席から、嵯峨かのんの困ったような声が聞こえてきた。
ついで、改めて、という風に、もうひとつ。
「〈教皇院〉へようこそ、祇代マサトくん」
それは確かに、さっき渡された資料に名称であった。
「……あなたは、――〈魔法つかい〉って、…信じるかしら?」
一瞬、耳を疑った。
少なくとも70代辺りであろうおばあさんの口から出るとインパクトがある。
それとも単にからかわれているんだろうか。
「――何ですか、それ」
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