第8話

 ゆっくり目が覚めると、衣装の脇が破れたスアバリの身体があった。朦朧と呻きながら嘘のように消した形から死に戻りを直視する。更新された眼前には最も馴染みのある姿のルメル、「痛タたたたたぁ」スアバリに押されて俯せに倒れていた。

 そう、私はルメルを一度も殺していない。狙いを定めた肉の宿主は見ず知らずの人物に置き換わり、鼻につくスパイスと狂瀾の中では見過ごしていた。私の為、あるいは世界の為にスアバリは第一水平世界の彼女を死守したのだろう。当初の怒りはもう霧散し、用意していた台詞も愚作と踏んで捨てた。

「…………もう止めよう」ルメルが振り替えるより先にナイフを背に隠す。「……はい?」突如呼び出されて何事かとこちらを覗う彼女には、「どうしても会いたかったんだ」ただ真実を伝える。決して穏やかではない表情も平和の象徴として映える。その後はラーメン屋に寄り梅酒を買い、六度死んだはずの彼女と隣並んで歩いた。夜も更けてきたのでその日は彼女の家に泊まることにした。

「死にたい…………死にたイ死にたイ死にたイ死にたイ!!」アパートに着いて一通り晩酌し寝ようとした瞬間、消魂しい叫声が飛んできた。音の出処は意外にもルメルの布団の中で「どうしたの?」と問い掛ければ「最近もう精神がズタボロで……一人にさせてくれない?」泣きながら仕事中には見せない弱さを床一面に吐いた。

 アァ、これも私のせいではないかと思えた。私が殺意を以て時空を行き来した為に彼女の精神構造は歪んだのかもしれない。どうしていつも上手くいかないのだろう。この世界でも幾度と無い過ちを繰り返し彼女の時間配分から私が害悪と見做される。二人は会わない方が正しいと証明されてしまった。

 彼女は私の初めての恋人、彼女が居なくなったら人間関係一文無し、部屋に籠るだけの生活が戻ってくる。彼女が最初で最後の親友だったのに、初めて他人を心から思い遣ったのに、もう一人に戻りたくないのに、どうしたらいいのか、あの頃からずっと分からない。橋下に捨てるべき翔子の記憶もいつまで経とうと忘れられない。段々と重たい脳味噌が掻き混ぜられてどうしようもなくなる。私はまた一人まだ一人誰かと過ごす時間に向かない誰も気にしていない彼女をまた傷付けるかもしれない。何故私なんかを好きになったのだろう。本当に私のこと、好きなのか?振り返れば全て何か都合に応じた演技のように思え、少しずつ感じてきた違和感が泡となって弾けた。

「一瞬だけ付き合ってよ」だから私から提案してみた。これまで遊んできた世界を弔うように彼女と首を吊った。互いに謝ることさえ深夜の暗黙に留め、安心して空に向かった。



「駄目だったか……」世界を目下に置いたあたしはゲームオーバーを見届ける。下らないマスクは外して溜息を吐いたら、無数に聳える墓石の一つに身体を預けた。

 ここは第八水平世界、通常の人間は降り立つことの出来ない終末の惑星。第一から第七までとは異なり人類滅亡の路線を辿りあたし以外の住民は居ない。あたしの周りでは人々が滅びへと向かい、今から裂ける地球の運命もその一片だと気付いた。生き残った運の良いあたしは水平方向にも死が訪れない第八住人の特権を使って、全世界の警察を嘯いて旅している。

 世界のルールを書き換える能力まで有するあたしは垂直移動という概念を生み出した。七つの水平世界は元より存在していたがそれぞれを繋げたのはあたしだ。考えてもみなさい、殺人犯、兵士、死刑執行人等が漏れなく失踪したら社会は正常に機能しないだろう。この更生保護の世界設計は全て響の為に突貫工事で用意したものであり、その利用者は響と芽河に尽きる。何故響の為に世界を捧げたかと言うと、この広過ぎる宇宙で彼女にだけは心が惹かれたという他に、あたしと似た人物がよく彼女を連れていたという思い入れが挙がる。あたし擬きの未来はどれも芳しくなかったので響を過去に派遣し彼女を変えようとしたが、芽河に邪魔された為にその先の未来まで狂ってしまった。あたしの設計能力は御都合主義になり切れない、つまり個人の優遇や過度な殺人は認められず、全世界から同一人物が死ぬと世界が不安定化するのは不可避の事実だ。見兼ねたあたしは第五から介入したが彼女の死に至る航路は変わらなかった。

 垂直移動には例外規則があり、第八の者に対しては殺す素振りだけでそれが可能であるということ。第七で響にあたしを殺させようとしたのは、あたしの招いた惨状への謝罪と響を第一に戻して幸せを取り戻して欲しいという思いがあった。芽河や屑男の棘が無い第一であればやり直せると思っていたけれど、心中までしてしまうとは。他殺は物理的に止められるが自殺の類は説得するにも限界がある。

「本当、あたしの周りはロクなことにならない」このだだっ広い墓場に何度顔を埋めようと考えたか。今日はどの白骨を掘ろうと眼球の暇を持て余せば、見覚えのある人物が現れた。

「Am私aD@……あ、どうもどうも」黒闇から浮き上がるのはつい先日出会ったスアバリという名の女。まともに喋れるのかと感動し、脱いだスカーフから垂れる髪は今まで注視していた人間の面影を感じてしまう。第一でスアバリが二人の間に入ったのは既知であり、今にして思えばあたしがその役を務めるべきだったが、その豊かな行動力に惹かれて移動を共にしていた。

「お前のことは単なる特異体質だと思っていたけど」

「私はただ第八水平世界に生きる浮浪者だよ」死に戻りだと解釈していた彼女はあたしの知らない生き残りで垂直移動していただけらしい。何故あたしの世界設計を黙認していたのか、第一で二人を助けたのか、言語症を装っていたのか、思い当たる理由はあれど謎だらけのこの世界では最早どうでもいい。

「まさかあたし以外にも人間が居るとはな」

「運命かもしれないね」それらしく微笑む彼女。その後は滅多に開けないワインを罅割れのグラスに入れ、亡霊を弔いながら二人語り合った。こうして誰かと出会えるだけで幸せだったと思う。

「大丈夫、私はあなたの隣に居るから」

 これは償いの物語だ。

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お墓のルメル 沈黙静寂 @cookingmama

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