第6話

 移動した先は退勤したばかりの社内、卓上のカレンダーと時計は二〇三二年八月二十五日の昼過ぎを示す。今度は未来のパターンかと頬杖しながら、三年程度では特に変り映えない風景に一つの違和感を覚える。それはルメルの姿が無いということ。

 書類を片付ける演技をしつつ携帯の履歴を漁ってみる。失恋を引き摺った芽河というリスクは消滅した。出張なのか休養なのか便所なのか、何処かに生きているはずの彼女の情報を探す。スクロールする内に見つけたのは「八重露の葬式」という文面。演技を忘れて詳細を解き明かせば、先々月彼女は鬱病を発症し自宅から飛び降りて自殺したらしい。これは垂直作用のせいか、この世界の過去の私が彼女を死に至らしめたのか。あの警官は寧ろこの未来を指して危機を語っていたのか。手遅れだった時間に生まれた私は悔いることさえ意味が無い。

「Ah智2NNok」すると会社の窓から不意にあの異民族が現れた。ここが何階だと思っているのか、宙吊りで髪を垂らす彼女に隣人が次々と奇異の眼を向ける。私の殺人に引けを取らない速さで死んだようだが、未来に向かえないのではという懐疑は一周目の移動次第かと腑に落ちた。

「ODェk蛇九オsっAs」通訳の方は何処だろうと首を振るが、時空を超えられるはずの警官が見当たらない。この世界に未練は無いから早く次のストーリーを確かめたい。だが軽忽な人殺しは犯したくない。

「!えsOl呼Ow日s@A」窓枠に寄り掛かった彼女の迫真の叫びは、何を言っているか分からないが、意味する所は不思議と分かった。だが問題となるのは手元に都合の良い代物が無いこと。そこでふと閃いた。

「変なことしないでくださいよ」合図する相手には沈んだ眼の奥に一筋の光が見える。垂直移動は一周で十分、どうせこの世界に戻ってくることは無い。私は彼女を抱き締めるように、窓から飛び降りた。この世で最も能率的な死に際に臨んだ。この世界のルメルも同じ感覚だったのだろうか。宙を舞う髪から少し甘い香りがした。

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