第4話

 いつも通り切り替わった景色には急な坂道が控えていた。周りは杉林に囲われていて林間から溢れる陽の光にこれはもしやと想起する。隣に歩く誰かを無視して開く画面には二〇一九年二月三日、約十年前となる日付と当時の壁紙が映える。今の私は冬期休暇中の大学一年生であり、遊ぶ相手も無く家に引き籠っていた思い出しかない。

「どうした?」立ち止まる私を形式的に心配する女は数分前に手を掛けたばかりの吾妻翔子だ。呑気に死へと歩みを進める彼女に「何でも」返答して階段を昇る。冬休みの内に大学生らしいことをしたいと思い、私から誘ったのがこの高尾山デート。結論を言えば二人の思考の違いが明確化され、疎遠となる切掛けを提供してくれたのでトラウマ以外は甦らない。何の因果から山に降り立たされたのか。

 こんなに疲れさせたかと疑う程長い石段を昇り切ると、見晴らしの良い高台が広がっていた。細長く起立する木板から当時のやり取りを思い出す。行き交う登山客には思いの外若者が多くもう帰りたいとぼやく大学生の集団に我が身を省みるが、折角若返ったことだし不自然に跳ねながら進む。翔子の「は?」と言いたげな退屈な反応からその場に滞留していた空気が読めた。

「天気が微妙だな」展望台まで来た所で曇り模様が空気を更に重くする。「あぁ、仕方ないね」当たり障りの無い答えしか生まれない私は面白味の無い奴と思われて仕方ない。要らない忖度で毒を抑えた先には無味乾燥しか待っていない。そう言えば芽河はどうしているかと思い電話すると、「アタシはルメルの居場所を特定している最中」と口早に答えて切れた。今のルメルは二十二歳、大学四年生辺りで就活や卒論に追われる時期だろうがその命は残り短いと宣告された。初々しい彼女を見物したい欲はあるが出会える時には既に病院の中だ。好い加減血飛沫を上げる人体に飽きてきたが芽河はいつまで執念を保つのだろうか。

 頂上の酸素を吸い終えたらつまらないと知れた情報館には寄りもせず、四号路という道を辿り下山をメインに据えるとした。気持ち程度に整えられた山道を二人縦並びで行く。三歩間違えればあの世送りの急斜面を、黒服男とすれ違いながら翔子の後ろで注意して進む。出会えた記念に彼女に一つ訊きたいことがあった。

「翔子は将来何がしたいの?」十年後は保険会社に勤務して公私共に私なんて眼中に無い程忙しい生活を送っているようだけど。

「スポーツ医を目指して今勉強中」内容は予想外のもので在籍する大学を変えることを薦めたくなった。その夢は叶わないだろうよと諭す優しさは飲み込んだ。

「そっちは?」

「……一生好きな人の隣に居られるだけで良いかな」勘違いしないで、お前のことではないからなと言う冗談は通じない気がして曖昧に濁す。その後は倒れた巨大樹を何とか避けたり、スマホは何の機種かという他愛無い話をしたりする内に木造の細い橋が現れた。手摺はロープ一本で一度乗ると大きく揺れる。杉が小豆大に見える程の高度があり落ちれば頭を砕いて死ねると思った。

「揺らしてみようぜ」二人が乗り合わせると翔子がふざけて言った。嘗ては怒鳴りつけて拒絶した場面で私は調子を合わせることにする。

「ごめんね。これで最後だから」そう伝えると橋から彼女を突き落とした。一瞬驚いた眉を浮かべた女はあっという間に落下して岩石に絵を描いた。不運にも足を踏み外してしまった将来有望な大学生の完成図に心が揺れる。元の世界ではこの後二人で温泉に入り、先に出た私が一時間近く待たされた挙句「楽しかった」の一言も無く別れる流れとなった。帰りはホームから線路に飛び込もうとしたが結局出来なかった。今になって漸く過去と決別出来たように感じる。

 復讐はこれで終わりにしよう。私には連続殺人鬼の素質が無かった。終わらない闘いに費やす精神力はもう残っていない。そうして空を見上げると腹の中の具材が逆流する。世界が嘔吐しながら反転した。

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