お姫様の変化とフーリの悩み

「レン? 暇なら部屋に行きましょう?」


 日常においてレンの仕事は相変わらず少ない。

 シオンが人化できるようになり、フーリやアイリス、メイを手伝うようになったので猶更だ。料理の際の着火や風呂の支度もレンでなければいけない、というわけでもなくなり、主な役割は氷室の状態を調整するとかそのくらいになっている。

 せめてこれくらいは、と気合いを入れて「フリーズ」を使い、リビングに戻ると腕に柔らかな感触がきた。

 普段づかいにはかなり重めのドレスを見事に着こなした褐色白髪の美少女──ダークエルフの姫ことミーティアである。


 レンの左腕を抱いた彼女が耳元で囁いてくる声は、甘い。

 男心を「これでもか」とくすぐられる声である。その辺の男なら一撃だろうと思いつつ、二つ返事をするのはぐっと堪えて、


「いや、わたしはちょっと魔法の練習でもしようかなって」

「魔法? そんなの別にいいじゃない。あなたたちの魔法は毎回安定した効果が得られるんでしょう? 練習したって大した意味はないわ」

「それはそうなんだけど……」


 困った。

 相手に悪気はない──どころかレンとしても嬉しい申し出だけになんとも断りづらい。思考が鈍ってうまいこと考えられなくなっているのを感じつつ、とにかくなにか言葉を発しようとして、


「ミーちゃん! ちょっとレンを構い過ぎじゃない? 私たちにも気を遣って欲しいんだけど」


 食糧庫の方で備蓄のチェックをしていたフーリが地下への階段から顔を出して怒った。

 するとミーティアは「ふん」と笑って、


「いずれ結婚する相手と愛を育んで何が悪いのかしら。ずるい、と言う暇があったらあなたたちもレンを誘惑したらどう?」


 これである。

 どうしてこうなったかというと、二、三日前に二人で酒を飲んだこと……というか、その後にあったことが原因だ。

 誰かとそうした経験のなかった少女はそれがたいへんお気に召したらしく、レンへの態度を軟化、というか一変させた。ことあるごとにくっついてきて誘惑してくるようになったのだ。

 それも朝昼晩、時間も人の目も気にせずである。

 さすがに外では自重してくれると思うのだが、そんな姿を見せられる他のメンバーはたまったものではない。


「や、こういうのはできるだけみんな平等じゃないとだめでしょ。レンは一人しかいないんだから」

「あら、甘い考えね。そんなことを言っていたら後宮では何もできないわ」

「レンは王様じゃないし、ここは後宮でもなんでもないでしょ」


 別にフーリもミーティアと喧嘩がしたいわけではない。

 一人だけレンに甘えっぱなしの状況が気に入らないから文句を言っているだけである。ただ、女子的なプライドからストレートに口を出すのはできるだけ避けたい。どうしても遠回しな言い方になってしまうのだが、そういうのは価値観の違うミーティアには通用しない。


「とにかく、そういうのは夜だけにして。あと毎日レンのところへ行くのも禁止」

「それを決めるのはレンでしょう? それと、判断材料としてアプローチするのも」


 ミーティアはレンに抱きついたまま話しているので話すたびに息がかかってくすぐったい。


「むー。もう! レンからもなんとか言ってよ!」

「やめなさい。この子から見たら役得なんだから、下手に『嫌だ』なんて言えるわけないでしょう。そんなことしたらうま味が減ってしまうもの」

「うん。いや、その通りだけどはっきり言われるとそれはそれで困る」


 この状況はさすがにレンも予想外である。


「本当、どうしてそんなにハマったのかな」


 こうなったら話題を逸らしてみよう。そう思って口を開くと、ミーティアは「そうね」と首を傾げて、


「ダークエルフはもともと欲望に忠実なところがあるから、その影響もあるかしら。お母さまにも愛人が何人もいたしね」

「なにそれ。お父さんはそれでOKしてたの?」

「ええ。口づけをするのは結婚相手とだけだけれど、性行為は禁じられていないもの。むしろ欲求不満を解消できて夫婦円満に行くのなら言うことはないわ」


 なかなかに特殊な価値観である。

 それは一般には受け入れられにくいのでは、と思ったが、考えてみるとレンたちがやっていることも大して変わらない。

 それにしても、そういうことをする相手とキスなしというのもなかなか寂しいものがあるのではないか……と、話がさらに逸れた。

 フーリは「うーん」と唸って、


「じゃあミーちゃんも愛人作ればいいんじゃない?」

「嫌よ。人間の男なんてロクなものじゃないもの。強引に口づけを迫られても困るでしょうし」


 ダークエルフ同士であれば「キスはNG」という共通認識があるので問題は生じないという話。


「それに、レンにされる心地良さを知ってしまったら他の相手で満足できる気がしないわ」

「それは私もそう思う」

「なんか、嬉しいけどめちゃくちゃ恥ずかしい」

「自信持てばいいわ。きっと、あそこまでできるのは一握りよ。……同性愛者のサキュバス、なんて稀有な存在だしね」

「でも、いくら気持ちいいからって独り占めはだめでしょ」


 逸らしたはずの話が気づいたらもとに戻り始めている。


「……うん。わたしとしてもフーリたちを除け者にはしたくないな。もちろんミーティアの気持ちは嬉しいけど、順番を守るというか、みんなの気持ちも考えて欲しい」


 仕方なく告げると、腕を抱く力が強くなった。


「それはフーリたちに遠慮しているということかしら」

「っていうか、みんな大切だから失いたくないだけかな」


 利己的な返答が逆にお気に召したのだろうか。ミーティアはふっと笑って「……仕方ないから許してあげる」と囁いてきた。

 甘い声を出されると夜の彼女を思い出して変な気分になってしまうが、なんとか興奮を追い出して「ありがとう」と微笑む。


「納得してくれてよかった。そろそろダンジョンに潜るのも再開したいところだったから」


 ミーティアと出会った三十五階攻略以来、レンたちはダンジョンに潜っていない。あれからもう少しで一週間である。

 バタバタしていたというのもあるし、それ以上に「潜っている間、ミーティアをどうするか」という問題があったからだ。


「しばらくはリザードマンでも狩るつもりだけど、一緒に来る?」

「遠慮しておくわ。そこでは話が通じなくなるんでしょう? なんらかの方法で意思疎通できるようにならないと行ってもつまらないもの」

「そっか」


 そもそもミーティアを連れて行った場合、一階から再挑戦なのか三十五階から始められるのか、という問題もある。

 三十五階にいた人物を再度ダンジョンへ行かせるのに一階から挑戦しないといけない、というのもおかしな話だが、あのダンジョンのことなので可能性がないとは言い切れなかった。


「じゃあ、わたしたちが行っている間はおっさんにでも預かってもらおうかな」

「待ちなさい。どうしてあの男の所に行かないといけないの」

「さすがに一人でこの家に置いておくわけにもいかないし」


 ミーティアが信用できないわけではない。ただ、百パーセントなにもしないと断言できるかと言えばノーである。


「そうだねー。アイシャさんも出入りするだろうから、二人っきりになっちゃうし」


 アイシャは去年やってきたばかりで、しかもダンジョンには一度も潜っていない。教師のクラスは「人にものを教える」ことで経験値がどばっと入るためそこそこレベルは上がっているものの、そもそも非戦闘系のクラスである。一対一でミーティアを一蹴するのはさすがに無理だ。

 警戒すること自体はお姫様も「当然の判断ね」と理解を示したものの、


「だからってあの男は嫌よ。他にちょうどいい相手はいないのかしら?」

「うーん、そうは言ってもなあ……」


 娼館は夜の活動が主体なので迷惑になるかもしれないし、ミーティアほどの美人だと客や男性従業員に変な刺激を与えてしまうかもしれない。

 洋食店の店主は忙しいだろうからとてもわがまま姫の相手なんて頼めない。

 アイリスの両親──エルフとダークエルフの相性の悪さはアイリスとの会話で実証済み。


「コスプレの店の店主さんにでも頼んでみるかな」


 さっそくメッセージを送り、その後直接相談しに行くと、思ったよりあっさりとOKが出た。向こうとしてもオーダーメイドのための採寸をしたり、衣装デザインの参考としてモデルになってもらえれば大歓迎ということらしい。

 ミーティアのほうも「あの店ね。それならいいわ」と了承してくれたのでひとまずこれで解決である。

 長年こっちで生活しているあの店主ならさすがに首輪付きのミーティアよりは強い。しばらくこうして様子を見てなにも問題が起こらないようなら警戒レベルを下げていくこともできるだろう。



   ◇    ◇    ◇



 アラームを使って敵を集める方法なら向こうから敵が来てくれるため短時間でたくさんのドロップ品を集められる。

 敵のいなくなったダンジョン内は平和そのもの。念のためシオンに「聖域」を展開してもらえばもはや休憩スペースと変わらない。


「ダンジョンの中でも意思疎通する方法かあ」


 左腕にアイリス、右腕にメイ、膝の上にシオン。くっついてくれた仲間たちからエナジードレインを行いつつ、レンは呟いた。

 それに応じたのはマリアベルと共にドロップ品の整理をしてくれているフーリだ。


「ミーちゃんに日本語覚えてもらうか、私たちが異世界語覚えるのが一番なんじゃない?」

「そうだけど、それだとどっちにしても時間がかかるんだよ」


 例えば英語。日本で三年以上も勉強していたが、レンの英語力はとてもネイティブと話せるレベルではない。簡単な指示を出せるレベルでいいなら時間はかからないかもしれないが、ミーティアの言っていた「つまらない」がそれで解消するかというとおそらくノーだ。

 すると今度はマリアベルが、


「ひとまず間に合わせられそうなスキルがあるのですか?」

「なくはないんですけど」


 最近になって現れた新しいスキルだ。

 名前は「運命のつがい」。要はパートナーを設定するものであり、設定された相手とはテレパシー的な会話が可能になるほか、接触していなくても微弱なエナジードレインが可能になり、通常のエナジードレインの効率もアップする。


「至れり尽くせりではありませんか」

「ずっとレンさまからドレインを受けることになるとは、普通に生活を送れるのでしょうか? 慣れるまではなにも手につかなくなりそうなのですが……」

「それもそうなんだけど、問題が他にもあって……これ、対象を『一人』設定するスキルなんだよね」

「!」


 少女たちの目が良くない感じにぎらりと輝いた。


「ふーん」

「……そうなんですね」

「……それは、また」

「ご主人様? 当然私ですよね?」


 メイの言葉は半分冗談だろうと思いつつも、レンは「だよね」と頷く。


「いちおう、レベルアップすると人数を増やせるんだけど。みんな一緒に設定しようとするとスキルポイントがぜんぜん足りなくてさ」


 どうしたものか。

 とりあえず必要なのはミーティアの分だけなのだが、それをやったらさすがに不公平すぎる。それに、あのお姫様のことなのでここぞとばかりに「じゃあ私が正妻ってことね」と調子に乗りそうである。


「ここはリセットストーンの使い時かなって」


 前に入手した「取得スキルを一度リセットしてスキルポイントを回収する」アイテムである。

 使ったからと言って総スキルポイントが増えるわけではないが、今まで持っていたスキルを諦めて他に回すことができる。

 五ポイントくらいならなんとか確保できなくもない。


「具体的にはどんなスキルを外されるのですか?」

「エナジードレインの効率アップとか、魔法発動間隔の短縮とかかな」


 前者は新しいスキルで代用可能。後者は当時、総合的な戦力アップのために取得したものの、二重魔法ダブルキャスト追尾魔法ホーミングで破壊力を上げられるようになった今となってはどうしても必要なものではない。


「じゃあそれでいいんじゃない?」

「そうなんだけど、こういうのって『いらない』と思ったスキルが意外といい働きしてたって後から気づくとかゲームなんかでもよくあるから」


 例えば魔法発動間隔が変わると戦いの時に微妙なタイミングのズレが生じ、ここぞという時に不利に働くかもしれない。それこそミーティアとの一騎打ちみたいな状況だと致命的である。


「試してみて駄目だったらもう一つ石を使えばいいではありませんか。複数余っているわけですし、今となっては金銭でも購入できます」

「そうだけど、もったいないしギリギリまで悩みたいなって」

「レンさん、なんだかんだ言って楽しんでいますね?」

「はい、実はそうかもしれません」


 買い物にしても「なにを買おうか悩んでいる時」が一番楽しかったりする。これもその手の話に近いのかもしれない。

 すると、フーリが「スキルかあ」と呟いて、


「私も種族変えられないかなあ」


 意味深なセリフがその唇から紡がれた。

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