第二章
新しい出会い
「ん……」
気持ちのいい朝。
目を覚ますと、すぐ傍でレンが眠っていた。
身体には彼──もとい彼女の温もり。寝ている間に抱きついてくるのはレンの癖だ。仰向けで寝られないのでなにかを抱いた姿勢が安定するのだろう。ひどい時だと押し倒された上に抱きしめられた状態で目覚めたこともある。
まあ、特に嫌だとは思わないのだけれど。
女の子の身体は柔らかいので触れ合っても痛くないし、レンはあまり力も強くない。ほんのり甘く人を酔わせるような匂いも好きだ。
「可愛いなあ、もう」
口を開くとぶっきらぼうなのに、寝ていると美しくもあどけない。
何時間でも見ていられそうだと思う。もちろん、実際にはそうも言っていられないのだけれど。
仕方ないので額にキスをするくらいで我慢する。
「ほら、レン。起きて」
「ん……」
透き通った高い声で呻くと、レンは数秒の間を置いて目を覚ました。
「おはよう、フーリ」
寝ぼけた声で言ってから慌てて手を離してくるのもよくあることだ。いざとなると積極的な癖に。でも、そういうところも可愛いと思う。
「おはよ。朝ご飯の支度、手伝ってくれる?」
「おう」
身を離すのを少し名残惜しく感じつつ身支度を整える。
よく使うのでこの部屋にも着替えを置いている。レンと一緒だと水どころかお湯さえ用意してもらえるので便利だ。顔を洗うのに井戸で水を汲むのは大変だし、何より冷たい。
顔を洗って髪を整え服を着たら部屋を出てキッチンへ。
魔法のお陰で火起こしの時間は大幅短縮できる。薪を使ったかまどの熱はついでに部屋を暖めるのにも役立ってくれる。
だいたいレンたちが起き出すのと前後してアイリスも起きてくる(もちろんレンと一緒にいるのが逆の場合もある)。
「おはようございます、レンさん、フーリさん」
「おはよう、アイリス」
「おはよ。アイリスちゃん、スープの用意手伝ってくれる?」
「はいっ」
金色の髪に深い青色の瞳。ハーフエルフの少女・アイリスは今日も美しい。紫紺の髪と瞳を持つサキュバスのレンと甲乙つけがたい、日本人離れした容姿である。
同性としては羨ましさと共に負けた気分にもなるものの、この二人と一緒にいると男も気おくれするのかナンパもほとんどないので助かっている。
朝ご飯のメニューは前と大きくは変わっていない。
攻略する階層が進んでお金に余裕ができたのと氷室のお陰で食品を保存しやすくなったのでスープに少し肉が入るようになった程度だ。しかし、少しとはいえ馬鹿にはできない。いいうま味が出て味にぐっと深みがでるのだ。
「本当、二人ともすごいよなあ」
レンは調理の役に立たないので火や水を起こしたらお仕事終了である。
出来上がるまで待っていてくれて構わない、というか二度寝してもいいくらいなのだが、最近は興味があるのかフーリたちの作業を眺めていることが多い。
「褒めても何も出せないよー?」
などと言いつつ、内心では嬉しくてたまらない。顔がにやけているのが自覚できるので仲間たちにもバレバレだろう。
料理をするのが必ずしも女の子の役目だとは思わないものの、好きな人に料理を作ってあげるのは楽しい。レンが料理を覚えてしまうとこの特権がなくなってしまうので現状維持を望んでいるとは当の本人は内緒である。
「いただきます!」
三度の食事はダンジョン攻略においても重要な要素だ。
腹が減っては戦ができない。摂取した栄養で動いている以上、これは紛れもない事実だ。美味しいご飯が食べられるとついでにテンションも上がる。
なお、サキュバスになったレンにとってはこの「美味しい」というのがもはやメインで。
お誕生日席に座った彼女に視線を送れば、フーリたちの分に比べて格段に少ない量をじっくりと味わって食べている。エナジードレインが食事になるので寝ている間にたっぷり「食べた」今はお腹が空いていないのだ。
「ところでレン。クラスの方のレベルアップはどう?」
「思ったよりも上がってるかな」
先日、レンは念願のクラスを手に入れた。
『
魔力操作を得意とするこの職業は当然、
「サキュバスよりは数字の上がりが遅いけど、クラスの適性行動がどっかに混ざってるっぽいな、これ」
「魔操師って意外といやらしいクラスなんでしょうか……?」
と、自分でもあまり信じていないという口調でアイリス。転職で与えられた衣装は意外とエロかったものの、さすがにそれはない……と思う。
サキュバスと経験値が完全一致していないということは、えっちなことで経験値がたくさん入るわけではないのだろう。
いや、もちろん毎晩えっちなことをしているわけでもないのだが。
「あれかな。エナジードレインは有効なのかもしれない。あれってMPを回復してるわけだから」
「あー。魔力操作ってことになるんだ」
サキュバスと相性ばっちりかもしれない。
「じゃあ、あれだね。寝る前にギリギリまで魔法使ってから寝れば完璧?」
「庭が水浸しになりそうだな、それ」
攻撃魔法を撃つわけにもいかないし、確かに庭へ水を捨てるくらいしかできないか。魔法の明かり? 消えるまで寝られなくなるから却下だ。
「とりあえず最大MP量を上げて、魔法のMP消費減らして、魔法の威力も上げた」
「レンさんが魔法をたくさん使えるようになるんですね」
「もうちょっとクラスレベル上がらないと魔法攻撃力が前くらいまで戻らないけどな。その分、使える回数は増えたはず」
まだまだクラスのレベルは発展途上。長い目で見れば大幅なパワーアップだ。戦闘中にエナジードレインしている暇はなかなかないのでボス戦で使えるMPが多くなるのは嬉しい。
「十一階からもハードな感じだし、気合い入れていかないとね」
あれからレンたちはダンジョン十一階の攻略を終えている。
ゴブリン地獄が十階で終わったため、出てくるモンスターは新しくなった。今度の敵は二足歩行の豚に似た種族、オークである。
人間並みの身長を持ち、筋力では人に勝る彼らは耐久力に優れている。
数的は減少し、一度に一体か二体程度しか出てこなかったのが救いではあるものの、なかなか倒れない敵をいなしながら攻撃を加え続けるのはなかなか骨が折れた。
オーク相手だと攻撃特化のタクマでも一撃必殺は無理だったかもしれない。
「それはそれとして羽も伸ばすけどねー?」
「楽しそうだな」
「だってデートだもん」
今日の休みは三人で本屋に行く予定だ。
レンとのデートでもあり、アイリスとのデートでもある。これなら一回のお出かけで二度美味しい。デート、という言葉にレンたちが二人して照れるのもまた良い。
なにを着ていこうか。
外出用の服は機会を見て少しずつ増やしている。日本にいた頃のようにぽんぽん買ったりはできないものの、高校生にもなると身長はあまり伸びないので買った服は長く着られる。多少のほつれなんかは自分たちで繕いながらコーデに活用したいところだ。
サキュバス化が完了してからレンが可愛い格好をしてくれるようになったのも嬉しい。
「せっかくだから私もなにか買おうかなー」
三人で連れ立って歩くと街の人から視線が集まる。
声をかけられることもあるのでそういう時は笑顔で応じる。基本、注目されるのはレンとアイリスだけれど、気軽に声をかけられるのはフーリが多い。
「またマンガか?」
「うん。小説ってごろごろしながらぼーっと読みづらいじゃない?」
「あー、それはあるな」
そう言うレンはコスパ重視で文字の多い本狙いらしい。
気分転換ではなく時間潰しが目的ならそれもアリだろう。レンには他に最近始めた裁縫くらいしか趣味がないし。
「私は歴史の本とか買いたいです」
「アイリスは勉強家だなあ」
「とっても面白いんですよ? 教科書の短い文の中にもこんなに物語が詰まってるんだ、って」
アイリスの知識は両親が買い揃えて与えた本が中心だ。
記憶から教科書を作ってもらえばこの世界でもある程度の教育はできる。専門的な部分は暇をしている元教師にお願いすることもできる。
紙の原料となる木を生産しているだけあって少女の家には本が豊富で、ちょっと話している分にはアイリスが異世界人だと忘れてしまいそうになる。
それでも、この後輩にとっては鎌倉幕府も文明開化も「知らない世界の物語」なのだ。
「私たちもこのくらい熱心に勉強するべきだったんだろうね」
「歴史の勉強なんてなんの役に立つんだよ、とか思ってた自分が恥ずかしくなるな」
「……もう、あんまり褒めないでください」
照れるアイリスはものすごく可愛かったが、往来なので頭を撫でるのは我慢した。
さて。
人口千人の街はあまり大きくもないので本屋にはわりとあっさり到着する。
「空いてるかなー?」
「本屋なんてそうそう混まないんじゃないか?」
「そう? 立ち読みしてる人がいっぱいいるかもしれないよ」
なにしろ立ち読みする分にはタダだ。
……なんて言って一時期、休みの度に通っていたら「たまには買ってくれ」とやんわり叱られたりもしたが。
「あ、ほら、私たちの他にもお客さんがいる」
さほど広くないスペースに本棚がぎっしりと並ぶ書店。
駅前などにある大型書店ではなく個人経営の古書店のイメージに近い店内には店主の他、何度か見た覚えのある姿があった。
フード付きのコートを着込んだ男もしくは女。
手袋までして肌を隠しているのが逆に印象に残っている。フーリとしては「肌が弱いのかな?」と思っているが、未だに素顔を見たことはなかった。
彼、または彼女はフーリたちにちらりと視線を送ってから、すぐに本へと視線を戻した。直立不動での立ち読み。なかなか堂に入った構えである。
「いらっしゃい。……今日は大人数だな」
「こんにちは。こっちの二人は買う気満々だから安心して」
「お前は立ち読み目当てなんじゃないか」
「……フーリ。あちこちで大人を困らせてるんじゃないだろうな?」
「あ、あはは」
中年店主とレンからそれぞれ睨まれた。とりあえず笑って誤魔化しておく。
「ま、買う気になったら声をかけてくれ。それと売り物は丁寧に扱ってくれよ」
「わかりました」
素直に頷き、それぞれ目当てのコーナーへ歩いていくレンとアイリス。
自分も少女マンガを物色しようかと思ったところで、店主がふっと息を吐くのに気づいた。
「アイリスちゃんと例のレンちゃんか。あのコンビは目の毒にも程がある」
「おじさん。そこは目の保養って言うべきじゃない?」
「触ったら駄目なんだぞ? 薬と言うよりは毒、むしろ罠だろう」
確かにそうかもしれない。フーリはレンにもアイリスにも触り放題だが。
「それこそフードでも被って欲しいもんだよ」
「フードと言えば、あの子は立ち読みしてもいいの?」
視線で先客を示すと「ああ、あいつか?」と店主は頷いて、
「あいつはいいんだ。たまに買ってくれるし、両親にも世話になってる」
「ってことは、こっちで生まれた子なんだ」
どんな子なのかちょっと興味がある。
知り合いの子はアイリスたち姉妹のように人懐っこいタイプが多い。大人しい子なのだろうが、果たしてどんな子なのだろうか。
話しかけてみたい。ただ、レンから釘を刺されたばかりだし──と、
「あの」
綺麗な声が聞こえた。
人の心にするりと入り込むようなレンの声とも、小鳥の囀りのようなアイリスの声とも違う。嫌な部分を意図的に徹底排除したようなクリアな声。
見ると、件の子がいつの間にかレンの傍へと歩み寄っている。
声の高さからすると女の子か。
「レンさん、でよろしいでしょうか。サキュバスの」
「ああ、そうだけど……?」
戸惑った様子で答えるレン。
謎の立ち読み少女は正面から彼を見つめると、顔を隠しているフードを丁寧な動作で取り払った。
「……綺麗な子」
表れたのは予想以上に端正な顔立ち。
肌は白く、髪は銀色。黒に近い紺色の瞳はどこか不思議な質感をしている。
歳はフーリたちと同じか少し下くらいだろうか。
少女の予想外な可愛らしさにフーリが妙な胸騒ぎを覚えるのとほぼ同時、形のいい唇から再び声が紡がれて、
「お願いがあります。どうか、私のご主人様になっていただけないでしょうか?」
「え」
「え……!?」
「はあ!?」
声を上げたのはレンとフーリだけでなく、話し声に気づいて寄ってきたアイリスもだった。
本屋には似つかわしくない声に店主がかすかに眉をひそめたが、当の少女は意に介した様子もなくレンだけを見つめ続けている。
こっちは眼中にないというのか。
フーリにはレンの交友関係を制限する気はない。他に恋人を作ったとしてもそれはそれで仕方ないと思っているが、それでも「ご主人様と呼ばせてくれ」は予想外である。
ちりちりと胸が嫉妬で焦げるのを感じつつ謎の少女を睨みつけると、
「……ん?」
少女の顔にごくごく細いラインが入っているのを見つけてしまい、怒りがあっという間に疑問へと変わった。
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