章間・番外編
【番外編】サキュバスになって
「いただきます!」
リビングに三つの声が唱和した。
例によって就寝中のマリアベルを除いた三人での朝食。すっかり馴染みの風景だが、最近になって少し変わったことがある。
食事用の椅子がひとつ増えたのだ。
テーブルの短辺に置かれたその椅子に座るのは他でもないレンである。いわゆるお誕生日席、上座にあたる場所だが、別にパーティリーダーだからこうなったわけではない。
椅子に浅く腰かけた彼の背中──なかなか見栄えのするサイズになった蝙蝠(風)の翼のせいだ。
意識して畳んでいればともかく、うっかり広げてしまうと隣の人の邪魔になる。じゃあ隣に誰もいなければいい、というわけである。
つまり、どちらかというと「邪魔だからはじき出された」と言う方が実情に近い。
ついでにレンの分の朝食だけ妙に量が少ない。
パンもスープもチーズも申し訳程度に置かれている程度で、それぞれ一口か二口でなくなってしまいそうだ。
これはレンへの嫌がらせ、ではもちろんなく、
「便利だよね、サキュバスって。まさか食いだめができるなんて」
フーリが何気なく言ったそれが理由である。
サキュバスになったレンは他者からの生命力吸収──エナジードレインによって食事を行えるようになった。
また、十分な量を吸収できていれば食事時になってもお腹が空かない。
補充が必要になったら何か食べるなり、フーリたちにHPを吸わせてもらえばいい。
空腹でない時でも食事は可能なので、お腹の膨れていることの多い朝は味を楽しむ程度の量を用意してもらうようになった。
これにレンは肩を竦めて、
「便利だけど、フーリたちを食料にしてるようなものだからな。なんか申し訳ない」
「いいのいいの。別に死ぬまで吸われるわけじゃないし」
「適度に吸ってもらえるとご飯が美味しいのでむしろ助かってます!」
最近はフーリかアイリス(たまにマリアベル)と一緒に寝ることが多い。
寝ている時はだいたい身体的接触があるわけだが、無意識状態でも危険域まで『吸って』しまうことはなかった。
サキュバスにとって人間は食料。吸い殺してしまっては勿体ない、ということだろう。むしろドレインだけで殺す方が意識しないと難しいわけだ。
この影響か、フーリたちはレンが減らした分の食料を二人で分けている。印象としてはむしろ元気いっぱいだ。
「でもさ。お腹空かないのは便利だけど、ご飯の楽しみは減っちゃうよね」
美味しそうに食事を口にしながらフーリ。
「味の好みとかも変わってきた感じ?」
「んー。なんか肉が食べたい感じはあるな。あと生野菜」
生命力を摂取しやすい食材をより美味しく感じるのだろう。生肉や生魚はさすがに食べたいと思わないが。
「あ! 生といえばさ、生卵もレンならいけるんじゃない?」
「いけるか……? 駄目だった時が怖いぞ、さすがに」
鶏は身体の大きさなどから比較的飼育しやすいため、卵自体は異世界でもわりと安価に手に入る。
ただ、問題は「生で食べるとお腹を壊す」ということだ。
日本の生卵はきちんと殺菌処理をされているためにこの手の被害が少ないのだが、こちらではそこまで手が回らない。茹でたり焼いたりして食べるのが当たり前であり、卵かけご飯なんかは割と自殺行為である。
レンたちも前に一度試したものの、見事腹痛に苦しむことになった。
人間とはいろいろ仕様の異なるサキュバスなら菌の作用も防げるかもしれないが、もう一回アレを味わうと思うとあまり気は進まない。
げんなりした表情のレンたちを見たアイリスは首を傾げて、
「やっぱりレンさんたちも生の卵、お好きなんですね?」
「昔から食べてたからねー。アイリスちゃんは生卵苦手?」
「はい。あまり美味しいと思ったことは……」
ということは食べたこと自体はあるのか。
「お父さんとお母さんはお母さんの魔法を使ってたまに無理やり食べてますよ」
「便利だな精霊魔法……!?」
生命の精霊に働きかけて身体の調子を元に戻すことができるらしい。
どうしても食べたくなったらアイリスの母に頼もう。二人はそう心に決めた。
「あ。森の方も湖ができてから動物が増えたそうです。湖畔にはハーブも生息し始めたそうですよ」
「それはいいな」
森には食べ慣れた獣──豚や牛は生息していない。肉になりそうな代表的な動物は鹿や狼になるが、食べてみると意外にいける。獲れる量は値段に直結するし、ここで暮らす人数は年々増える一方なので数が増えてくれるのはありがたかった。
「あれ、アイリスちゃん? 動物ってそんな簡単に増えるものなの?」
「はい。森の動物は気付いたら増えてるので」
「気付いたら増えてる」
すごい話である。
この場合、こっそり繁殖しているとかそういう話ではなく本当に無から生えてきているという話。
動物の生息数は自然の規模と充実度、それから管理者の力量によって変化するらしく、森の動物に関しては現状、エルフであるアイリスの母によって維持されている。
精霊使いの方も自然を操るクラスであるため間接的に森の発展に寄与しているのだそうだ。
「肉か。いいよな、鹿肉の香草焼きとか」
「魚も獲れるようになったそうですよ。少しですがお店に出回る量が増えたそうです」
「そっか。なんかいいね。私たちのやったことがそのままみんなに伝わるのって」
悪いことをすればタクマたちのようになりかねないが、良いことをすれば街での生活が豊かになる。
未完成の湖でもそれだけ影響があるのなら完成すればもっと暮らしに役立つだろう。
欠片はまだかなり余っているので広げようと思えば湖をより広げられる。どの程度の規模で完成させるかは悩ましいところだ。
「アイリスの頑張りがお母さんたちの役に立ってるんだな」
「……えへへ。だとしたら嬉しいです。今までは私、森のお手入れくらいしかできることがなかったので」
「じゃあ、やっぱりアイリスちゃんたちは今のままだとクラスを持ってることにならないんだ」
管理者のクラスレベルが影響するのだとすれば、アイリスがレベルを持てるようになったらどうなるか。結果次第ではこの世界の今後が大きく変わることになるかもしれない。
毎年入ってくる転移者数はほぼ固定なのだから、広がる世界を維持していくにはネイティブ世代の協力が不可欠だ。
初期の転移者が寿命を迎えるまでにダンジョン攻略の糸口が掴めなければこのままずるずると行きかねない。そう考えると賢者があれこれよからぬことを企んでいるのもわからなくもない。
「あれ? なあ、アイリス。じゃあ、森を育てるようなクラスの人が他にも住んだら森はもっと豊かになるのか?」
「なると思います。昔、そういうことを試した時期もあったそうなんですが……お母さんたちと意見が対立したりして逆に面倒になったそうで……」
「あー、そういうのもあるのか。ゲームみたいに簡単にはいかないんだね」
悪意がなくとも、というか悪意がないからこそ、意見の調整に四苦八苦することもある。
神の視点から全てを操るのとは違う苦労が現実にはあるのだ。
「レンのサキュバスもなにか隠れた効能があるのかな? 娼館に住んでいるといいことがあるとか」
「っても、人間は気が付くと増えてたりはしないしな……」
言って、レンは遠い目になった。
正規の手続きを踏まないと増えない人間。それを増やすのがサキュバスの役目……なんて可能性はあるだろうか。
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