第一目標間近

 気づくと暦の上では十月に入り、気候もぐっと秋らしくなった。

 栗や秋刀魚の美味しい季節だが、どちらも今の異世界では手に入りづらい。芋にしてもサツマイモよりジャガイモ優先ということで、なかなか高価な品を一人一本分ずつ買い求めて焼き芋にして食べた。

 高校生になってから約半年。

 半分以上は机に向かって勉強するのではなく異世界で四苦八苦していたことになる。数か月かけてまだ十階すら攻略できていないあたり「三十年もののダンジョン」はやはり恐ろしい。


「九階のボスだけど、ここでまた厄介な相手が出てくるらしい。……ゴブリンヒーラー。回復役だ」

「構成はソルジャー三体にシューターが二体、メイジが一体とボスのヒーラー。一番奥のヒーラーが前のソルジャーをばんばん回復させるから、さっさと終わらせないと戦いが長引くんだって」


 九階ボス部屋前で作戦会議。

 レンたちの戦い方だとここのボスとは相性が悪い。レンにもアイリスにも一撃必殺の攻撃力がないうえ、フーリの攻撃も急所を狙う必要があるからだ。

 まともな前衛がいればもっと楽ができるのだが。

 タクマたちは性格は悪かったが実力と度胸だけは大したものだった。特にタクマは防御も考えずに突撃してはゴブリンを一撃で叩き潰すのを繰り返しており、その攻撃力が「一か月で八階まで攻略」というスピードに繋がっていた。当時の攻略実績はクラス内で一番だったはずである。

 まあ、ないものねだりをしても仕方ない。

 事前情報があるだけでも儲けものだ。自分たちにできる中での最善を探すしかない。できればマリアベルの手を借りずに、だ。


「とにかくヒーラーを早く潰すことだな」

「私とレンさんで集中攻撃しますか?」

「ちょっと厳しいんじゃない? ソルジャーが守ろうとするだろうし、後衛もいっぱいいるからなかなか当たらないよ」


 レンが飛べればもうちょっとマシだっただろうが、今の翼ではまだ無理だ。


「じゃあ、直接フーリに刺してもらうしかないな」

「心臓狙えば一撃でいけるだろうけど、そこまで行く前に私死んじゃうんじゃない?」

「敵の注意を俺たちで惹けばいい」


 かなりリスキーな作戦ではあるものの、回復を受けた前衛に殺到されたらどのみち無理だ。やってみる価値はあると判断。


「マリアさん、無理だったら助けてもらってもいいですか?」

「かしこまりました。タイミングを見て助け舟を出すようにいたします」

「ありがとうございます」


 鍵開け、罠確認済みの扉を「せーのっ!」で開け、勢いよく飛び込む。


「マジックアロー!」

「ファイアボルト!」


 四十本の魔法の矢に炎の弾と実体のある矢。今回は拡大精霊魔法ではなく弓矢との併用を選んだ。

 開幕から降り注いだ攻撃に敵たちはいったん防御姿勢。それが終わるか終わらないかのタイミングで後衛が飛び道具の準備を始め──。

 レンは彼らの目を順に見つめながら「魅了の魔眼」を発動させた。

 どうやら敵は全部オスだったらしい。彼らの視線がレンへと釘付けになる。残念なことに「なんでもいうことを聞きます」という態勢ではなく「イイオンナ、テニイレル」とばかりにギラギラ視線が送られてくる感じだが、注意を惹ければそれでいい。

 レンはさらにマジックアローを放ちながら「マジックシェル」で敵の攻撃を防御。防ぎ切れない分はかわすか、喰らった上で「ヒール」を用いる。

 アイリスはその間も攻撃を続けてソルジャーを休ませない。


「うお、やばいなこれ……!?」


 シューター×2+メイジがレンに集中攻撃、ソルジャーはアイリスをターゲットに定めてそちらに殺到。

 アイリスも逃げ回りながら攻撃を続けているものの長くはもちそうにない。

 自分への攻撃をなんとかやり過ごしつつ、後ろを向いたソルジャーの一体に「マナボルト」を叩き込む。もろに喰らったソルジャーは重症──と思ったところにヒーラーの回復魔法が飛ぶ。


「あと少しだったのに!」

「やっぱり先に倒さないと駄目だね、これ」


 聞こえたフーリの声は敵陣の奥から。

 驚き振り返るヒーラーだが、もう遅い。ローブの上から突き刺さったナイフが心臓を抉り、ボスのHPを一撃で削り取った。

 ゲームと違い、種族ごとの生命力はだいたい決まっている。お陰でちゃんと狙えばこの通りだ。

 真っ先に消滅したボス、至近に現れた(単にこっそり回り込んだだけだが)敵に慌てふためく敵後衛。だが、慌ててフーリの方を振り向いてしまえばむしろ隙だらけ。


「後ろを向いてていいのかよ!」


 今度のマジックアローを守ってくれる前衛はいない。フーリは身を屈め、ゴブリンの陰に隠れることで光の矢をやりすごし、矢の雨が止んだ途端に舞うようにして敵の頸動脈を切り裂いていく。


「レンさん、フーリさん! 助けてください!」

「うわ、やば。もうちょっと待ってアイリスちゃん!」


 後衛を壊滅させる間にアイリスがピンチだ。愛用の弓を放り出し、ナイフを引きぬいて三体のソルジャーを相手にしている。ナイフだけでなく敵を蹴っ飛ばしたり殴り飛ばしたりしてようやくなんとかなっている状況。

 急いでレンが放ったマナボルトで今度こそ一体が消滅、駆け寄ったフーリがさくっともう一体を倒して、


「これで終わりです!」


 アイリスのナイフが敵の額へと叩き込まれた時には、思わず安堵の息が漏れた。

 負けかけた、と言っていい。

 誰も重傷を負ってはいない。しかし、そんな事態になったらむしろ負けなのだ。死んだ人間を蘇生する魔法はまだ見つかっていない。

 ゲームと違ってやり直しは効かないのだから。


「十階に挑戦する前にレベル上げをするか」


 全員の傷を癒しながらレンは呟いた。

 フーリも若干浮かない顔をしつつ「そうだね」と頷く。


「週一の縛りはさっそく崩れちゃうけど、今の私たちだと十階のボスには勝てないと思う」

「……そんなに大変なんですね、十階は」

「ゴブリンの親玉が出てくるからね」


 十階のボスは「ゴブリンキング」だ。

 味方のゴブリンを強化する能力を持っているうえ、取り巻きとして全種類のゴブリンを一匹ずつ連れている。盾と鎧、剣で武装を固めるため倒すのも用意ではなく、正攻法で上回ることを余儀なくされる。

 唯一なんの傷も負っていないマリアベルが頷いて、


「皆さんにとってはむしろ十一階以降よりも高難易度かもしれません。十一階からは個の能力が上がる代わりに個体数が減りますから」

「ここが正念場ってわけか。せめて俺とアイリスの攻撃で一体ずつ倒せるようになればだいぶ違うだろうな」


 後回しにしてきた火力強化が必要かもしれない。

 次の探索は十階の攻略ではなく、攻略済みの階層を巡って経験値を稼ぐという方針で一致した。攻略を急ぎたいアイリスもこれに同意してくれる。

 あと一レベルか二レベル、レンとフーリが上げられれば戦力はかなりアップするはずだ。


「では、レンさん。私とも一緒に寝てくださいますか?」

「え」


 マリアベルからの何気ない、しかし重大な提案にレンはすぐには返事ができなかった。



   ◇    ◇    ◇



「こうして二人きりになるのは初めてかもしませんね」


 高校生だったレンとはまったく違う大人の女性──マリアベルが部屋にやってきたのはその日の夜のことだった。

 適度に酒を飲んで身体が火照った状態のレンは己の欲望を抑えきれず、ついつい相手の身体に目をやってしまう。フーリやアイリスとはまた違った魅力に思わず息を呑んだ。

 微笑んだ彼女は自然な動作でレンの隣、ベッドの上へ腰を下ろすと「もう少し飲みませんか?」と、手にしたワインボトルとグラスを示してくる。

 誘われるままにグラスを手にし、軽く打ち合わせて乾杯。

 意外にもワインは作られたばかりの若いものだった。若いレンにはこういう酒の方がわかりやすい。半分ほどをついつい一気に飲んでしまうと「ペースを速めると酔いが回るのも早いですよ」と言われた。


「男に酔わされたこととかあるんですか?」


 セクハラめいた問いにもマリアベルは動じなかった。

 優しげな顔立ちに微笑を浮かべたまま「そうですね」と呟き、手にしたグラスを小さく揺らして、


「男性と交流していると『酔いをコントロールしなければならない』シチュエーションというのはどうしてもあります。心から『そうなっても良い』と思える男性以外は警戒しておかなければ食い物にされるだけですから」

「……なんかこう、男が本当すみません」


 男からしたら「魅力的な異性と関係を持ちたい」というのは自然な欲求なのだが、女からしたら鬱陶しい時もあるだろう。この世界ならレベル差によってある程度なんとかなるとはいえ、酔い過ぎて前後不覚になっていればそれもできない。

 好きなだけ酒を飲むこともできないとは不便なものである。

 マリアベルはくすりと笑って、


「レンさんも気をつけてくださいね。旧知の男性だからと言って気を抜いてはいけません。男は皆、一皮剥ければ獣なのですから」

「十分わかっているつもりですけど……」

「そうでしょうか? その矛先を向けられた経験はないでしょう?」

「確かに」


 向こうも意外と酔っているらしい。歯に衣着せない話がこそばゆくも有難い。女になってからの身の振り方についてはレンとしてももう他人事ではないのだ。


「トイレに行く必要がなくなってから、レベルが上がらなくても身体が変わってるっぽいんです」

「完全に女性──サキュバスになりつつある、と?」

「はい。ふとした時にむずむずすることがあって、ああ、今も作り替わっているんだな、って」


 フーリとの一件を最後に男性的な機能も役目を終えている。


「そういう意味ではマリアさんやアイリスももう安心かもしれません」

「相手が男性であれ女性であれ、襲われる時は襲われるのですけどね」


 どちらかというと女性の方が好きだというマリアベル。このシチュエーションは「狙われている」のだと考えるべきなのだろうが、不思議と危機感はない。男としては「美人に襲われる」なんて夢のような話なのである意味当然ではあるが。

 せっかくだから少し話を聞いてみようかと、レンは尋ねた。


「マリアさんは、好きな人とかいないんですか?」

「ここ数年は恋人と呼べる相手はいませんね。強いて言えば、レンさんのことが気になっています」


 悪戯っぽい笑みが返ってきた。


「ですが、そういうことが聞きたいのではありませんよね? ……そうですね。私にはここに来る前、恋人がいました」

「女の子、ですか?」

「ええ。中学時代の同級生です。高校は違いましたので、一緒に来られませんでしたが」


 そうか、と思った。

 異世界召喚によって恋人と引き離されてしまったケースもあるのだ。

 だとしたら、マリアベルも帰ろうと必死に努力したはずだ。

 今さら帰っても恋人とはよりを戻せない、と、諦めたのはどれくらい経ってからだったのだろう。


「彼女はきっと今頃、幸せになっているでしょう。もしかしたら結婚して子供がいるかもしれません」


 レンには具体的な想像はできない。

 ただ、自分とフーリに置き換えてみるだけでもかなり胸が痛んだ。


「可能であれば帰りたい、と以前お答えしたのはそういう意味です。……今更帰っても昔には戻れない。それでも、あの子の顔をもう一度見たい」


 あるいは、マリアベルはこっちの世界にいた方が幸せかもしれない。日本ではまだ同性婚が認められていない。しかし、この世界なら女性同士で添い遂げることも難しくはない。

 賢者は「子供を残さないなど重大な損失だ」とかなんとか言うだろうが、あの男の言い分なんて無視しておけばいいのだ。

 ただ、帰りたいと願わなければダンジョンに潜る必要はない。

 戦う者を応援するためにも帰りたい気持ちを繋ぎとめているのかもしれない。


「そうですね。……帰りたいですね、いつか」


 レンはグラスを握る手に軽く力を籠めた。

 残っていたワインを一気にあおる。既にある程度酔っていたため、けっこう身体がふらふらしてきた。良い感じに体温も上がっていて気持ちいい。

 マリアベルは優しく微笑みながらレンのグラスを取り上げ、近くのテーブルへと置いた。中身の半分程残ったワインのボトルも一緒にだ。

 二人で寝るとベッドが軽く軋んだ音を立てる。

 頬を優しく、甘く撫でられたレンはあまりの心地良さに変な声を上げそうになった。


「せっかくですから、少し撫でまわさせてくださいね? レンさんの肌は滑らかで心地良いのです」

「お手柔らかに。……っていうか、マリアさんだって綺麗じゃないですか」

「ありがとうございます。では、レンさんもどうぞお好きなように」


 二人は眠りに落ちるまで、しばらくこの不思議なスキンシップを続けた。

 その甲斐あってか、起きた時には経験値がけっこう溜まっていた。

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