男子禁制・水遊び会

 なんだか布団が柔らかいな、と思った。

 ついでに温かい。いつもこうだといいのに、と思いながら目を開くと、すぐ近くにアイリスの寝顔があった。


「っ!?」


 声を上げそうになりつつも必死に堪える。

 寝ている後輩を起こしてしまうのは可哀想だ。……と、その配慮ができたのは良かったのだが、問題はその後輩をレンが思いっきり抱きしめていることだ。


 昨夜はアイリスと一緒に寝た。


 文字通り同じベッドで寝ただけである。女の子と一緒というのは落ち着かないかと思ったが、案外、他愛のない会話を繰り返しているうちにお互い眠りに落ちていた。

 大型犬を隣にしているような安心感、といったところだろうか。

 ただ、寝た時点ではちゃんと布団を抱きしめていた。

 見ればその布団は床に落ちており、二人とも人肌を頼りに暖を取っているような有様である。


「アウトじゃないか、これ」


 一緒に寝るだけならともかく身体を押し付け合うのはよくない。

 今のうちに離れてなかったことにするべきか……と思ったところで少女が「ん……」とゆっくり目を開いた。

 ぼんやりした表情のままレンを見つめて、


「おはようございます、レンさん」


 無防備な笑顔。

 あまりの愛らしさに頭を撫でてやりたくなる。


「おはようアイリス。悪いな、苦しくなかったか?」


 下敷きになっていた腕を引きぬきながら尋ねると、少女は少し考えるようにしてから「いいえ」と首を振った。


「とても気持ち良かったです。……小さい頃を思い出しました」

「お父さんと一緒に寝ていた頃のこと?」

「いえ、お母さんと」


 そこはお父さんと言って欲しかった。


「起きるか。……何時だかわからないってこういう時に不便だよな」

「大丈夫です。日の高さを見ればだいたいわかります」


 生まれた時から時計のない生活をしているとそうなるのか。ひょっとして、文明の利器に頼らない人間の方が生物としてのスペックは高いのではないか。

 ともあれ、レンは床へ下りると身体と翼をぐっと伸ばして、


「今日はいよいよ湖の解禁日だもんな」

「はいっ」


 朝食を済ませたらさっそく出発しなければならない。



   ◇    ◇    ◇



「わぁ……! すごいすごい! 本当の湖みたい!」

「うん、お姉ちゃんすごい!」

「ええ、これは美しいです。ありがとう、アイリス。よく頑張りました」

「綺麗……。水も光をきらきら反射してる」

「こんなところで泳げるなんて楽しそう! 今年は泳ぎに行けなかったし!」


 欠片による世界の創造は、行ってしまえばあっという間だった。

 手持ちの欠片五十個を入れた小袋と自分の絵を手に念じるアイリス。直後、光と共に欠片が闇へと吸い込まれていき、絵の通り──念じた通りの地形が徐々に形作られていく。

 曲線を描きながら広がる澄んだ湖と丈の低い草地。

 草食動物の餌場としても森の水場としても大きな役割を果たすだろうし、泳ぐのに十分な広さがある。


 これに歓声を上げたのはフーリにアイリスの妹、母親、それからレンたちと一緒に転移してきた元クラスメートの女子たちだ。

 湖の完成式に集まった面々である。

 マリアベルと娼館の娼婦たちもレンの傍らで微笑んでいる。


「良い場所ができましたね」

「本当。一番に使えるなんて得しちゃった。ありがとね、レンちゃん」

「いえ、そんな。むしろ皆さんには迷惑をかけてしまったので」


 タクマたちの件について、もちろんあのあとお礼は言った。ただ物理的なお詫びはできていなかったのでこれくらいは当然だ。

 頑張ったのはアイリスなのであまり偉そうなことも言えない。


「せっかく男子禁制なんだから楽しもうね、レンちゃん」

「いえ、それなら俺がいるのはおかしいんですけど」

「大丈夫。レンちゃんなら誰も気にしないから」


 逃がさないとばかりに腕を片方抱きしめられてしまう。

 彼女の言う通り、この場にいるのは(レンを除いて)女子ばかりだ。アイリスの父を含む男子は一人もいない。

 タクマたちも留守番で、娼婦が出払う代わりにと街から呼ばれた用心棒に大掃除をさせられているらしい。

 どうしてここまで徹底したのかと言えば答えは簡単で、


「さ、アイリスちゃん? さっそく泳ごっか!」

「はいっ! フーリさん、泳ぎ方教えてくださいね?」

「もちろん!」


 湖の傍に立ったフーリとアイリスが服に手をかけ姿になる。

 黒と白の布地を身に纏った少女たちは片や楽しそうに、片や少し恥ずかしそうに水へと足をつけていく。


「わ、冷たい!」

「いいなあ。ね、フーリ、私たちも入っていい?」

「うん! ほら、みんなも泳ご?」


 他の少女たちも次々と服を脱いで下着だけの姿で湖に駆けていく。


「……いやまあ、今回のためだけに水着を作るのは金がかかりますよね」


 思わず遠い目をしてしまう。

 女子相手でも少しは落ち着いて対応できるようになってきたと自負しているが、さすがにこの人数、かつパティメンバーでもなんでもない相手の下着姿まで含まれているとどうしていいのかわからない。

 というかアイリスの母まで水遊びに参加しているのだが……こうして高校生に交じっても「ちょっと年上」程度にしか見えない。

 誰もレンのことなんて気にしていないし、なんならフーリやアイリスが「早く早く」とばかりに手を振ってくる始末。

 くすりと笑ったマリアベルがもう一方の腕を取って、


「私たちも参りましょうか、レンさん?」


 耳元をくすぐる吐息に少しぞくっとしてしまう。


「マリアさん、また俺をからかっているでしょう?」

「申し訳ありません、つい。若い方の反応を見ると初々しくて可愛らしいな、と」

「いや、まあ、男扱いされるのは諦めましたけど……」

「じゃあいいじゃない、ほらほら」


 年上の女性二人に急かされるようにして服を脱ぐ。

 現れたのは黒いブラとショーツである。女子の中でボクサーパンツはNG、ということで身に着けさせられたものだ。

 キャミソールでも経験した通り、女子用の衣装というのは肌触りが良く、この下着も穿いていて心地いい。

 ただ、


「めちゃくちゃ恥ずかしいですよ、これ?」

「そっかー。レンちゃんの分だけ水着にすれば良かったかな」

「いや、ぶっちゃけ水着と下着って素材が違うだけですよね?」


 ものによっては境界線も曖昧なわけで。

 ラベルの差だけで人前に出られるか出られないか変わるというのはエロ──もとい、ちょっと理不尽だと前々から思っていた。

 するとマリアベルは首を傾げて、


「では、レンさんは同性から同じように『格好いい』と褒められたとして、下着と水着で同じ反応ができますか?」

「いや、下着褒められたらちょっと気持ち悪いです」


 なるほど、気の持ちようは偉大らしい。


「そうですね。せっかく来たんですし、少しくらい泳いで帰ります」

「そうそう。ぶっちゃけその格好でも可愛い女の子にしか見えないしね」

「レベルもだいぶ上がりましたからね」


 寝ている間にエナジードレインした分か、今朝ステータスを確認したらまたレベルが上がっていた。その結果、女性化はさらに進んでおり、なんというかフーリに押し倒されたタイミングはぴったりだったかもしれないと思う。


「実は今朝起きてからトイレに行きたくならないんですよ」


 感覚がおかしくなっているだけかと思って念のためにチャレンジしてみたものの、何も出て来なかった。

 娼婦のお姉さんが目を瞬いて、


「サキュバスってトイレ行かなくていいの? なにそれずるい」

「吸精によって生きる種族なのですから、エネルギーの分解の仕方が我々とは異なるのかもしれませんね。栄養を百パーセント取り込めるのだとすると排泄の必要はないわけで、人間よりもよほど清潔な生き物なのかもしれません」

「まあ、少なくともこのままなら破裂する心配はなさそうなので助かりました」


 言いつつ、お姉さんがたと一緒に水辺まで歩いて、


「あ、やっと来た。藤咲くん……藤咲くんって呼ぶのなんか違和感あるよね?」

「レンちゃんでいいんじゃない? 可愛いし」

「だね。レンちゃん、ほら、一緒に泳ご?」

「うわ、ちょっと……!?」


 元クラスメートたちにもみくちゃにされた。

 翼と尻尾があるせいか今までと同じように泳ぐことができず、練習が必要そうだったのもあって女子の輪から逃げることができず、水をかけてくる少女たちに反撃していると、


「楽しそうだねー、レン?」

「わ、フーリ!?」

「私もいますよ!」

「レンお姉さん、私たちも交ぜてください!」


 フーリにアイリス、アイリスの妹たちまで寄って来てしまった。

 濡れた下着は肌に張り付いていて、裸とあまり変わらない。


「固まったら泳ぎづらいだろ」

「いいのいいの、水で遊ぶのも楽しいし」

「そうです!」


 今日くらいは羽を伸ばしても問題ない、とばかりに、この日は昼食休憩を挟んで日が暮れかけるまで、女子だけの憩いのひとときが続いたのだった。



   ◇    ◇    ◇



 八階のボス部屋。

 レンたちとしても初めて訪れるその場所に現れたのは六体ものゴブリンだった。

 ソルジャーが三体、前衛を固め、アーチャー二体に守られるようにして立つのは杖を持ちローブを纏ったゴブリン。

 ゴブリンメイジは戦闘が開始するとすぐに呪文らしき奇声を上げながら杖に炎を宿してくる。

 これは、さすがにきつい。

 思いながら、レンは四十本が最大となった「マジックアロー」を生み出す。


 魔法の矢と入れ替わるようにして飛んでくる二本の矢と炎の塊。


「ファイアボルト!」


 レンの掲げる松明から飛んだ炎がひとつ、相手の炎とぶつかって相殺。が向かった先でメイジが慌てたように飛びのいた。


「ナイス、アイリスちゃん!」


 精霊魔法の対象拡大はまだ弓と放ちながらだと上手くいかないらしいが、相手の魔法を防いだうえに牽制にもなったのなら大戦果だ。

 敵の矢の一本はフーリがナイフで叩き落とし、もう一本は──レンの肩に突き刺さった。


「レンさん!?」

「大丈夫。これくらい大した怪我じゃない。それより攻撃してくれ!」

「っ、はいっ!」


 レンの魔法もいくらかがソルジャーの盾に防がれている。敵の前衛が全てフーリに殺到したら一気に瓦解してしまう。


「マジックアロー!」

「ファイアボルト!」


 肩の痛みに構わず再度、全力の魔法行使。アイリスもまた二発のファイアボルトを連発して、ボスであるメイジが一番最初に沈んだ。

 代償は、ダメージを受けながらも生き残ったソルジャーの接近。


「うわ、こいつら急所狙いにくいから嫌い……っ!」


 うめいたフーリはちらり、とレンに視線を送ると、意を決したように一体の懐へと飛び込んでいく。


「──マジックシェル!」


 敵の攻撃は張り巡らされた光の防壁が弾いた。効果時間は0.5秒程度。MP消費も馬鹿にならないものの、防御効果はかなり高い。そして一撃ぶんの時間さえ稼げば、フーリのナイフで心臓を一突きだ。

 これで、三対四。

 後ろにいるマリアベルも「まだ大丈夫」と判断しているようで動いていない。アーチャーの矢が向かった時に防御するだけだ(と言っても、それだけで十分役に助かっている)。

 残るアーチャー二体をアイリスが魔法で食い止めているうちに、


「マナボルト!」


 側面を向けたソルジャーを狙い撃ち。

 後はもう、敵が全滅するまでさほど時間はかからなかった。こちらがまともに受けた攻撃はレンの肩に刺さった矢一本だけ。

 フーリやアイリスも敵の攻撃で小さな切り傷を作っただけだ。


「よし、なんとかなったな。じゃあアイリスから治療するぞ」

「馬鹿言ってないで自分の傷を治しなさい」

「痛っ!?」


 フーリに頭を叩かれた。仕方なく自分に「ヒール」を施しながら、


「女の子の肌に傷が残ったら大変だろ」

「じゃあレンだって気をつけなきゃだめでしょ」

「男からの評価が下がるなら俺はむしろ好都合だし」

「私も困るからだめ」


 ちなみに三人の傷は全て跡形もなく消えた。こういうところは魔法さまさまである。もしレンの魔法で完治しなくても高レベルの治癒魔法を誰かに頼めばなんとかなる。治してもらう前に死んでしまうような怪我さえしなければいいのだ。

 そして。


「記録更新、だな」

「うん。ほら見て。かけらがいっぱい!」


 アイリスの分が十六個。レンとフーリの分で同じく十六個。いきなり前の階の倍以上の数である。


「これだけあったら湖を広げられるな」

「え、もう新しい絵が必要なんですか!?」

「あはは、大丈夫だよ、アイリスちゃん。別にすぐ使わなくてもいいんだし。ゆっくり描けば」

「いっそ完成図を描き始めてもいいかもな。湖を作り終わったら山への道でも作るか」

「そうだね。あー、でも、海にたどり着けるのはいつだろう」


 階が進むごとに欠片の数が増えるのだからいつかは行けるはずだ。……なんて言っているうちに最下層まで下りてしまうかもしれないが。

 もしそうなったらそうなったで日本に帰って心置きなく海水浴ができるかもしれない。


「さ、石碑を書き写したら帰って打ち上げしよっか」

「おう。あの店に週一で行けるのもいつまでかわからないしな。今のうちに食べておかないと」


 長いと思っていた十階までの道のりもあと少しだ。

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