発足、湖作成委員会?

「上手くいくかどうかはわからないが、試してみる分には構わないのではないか? 森の奥なら迷惑もかからないだろう」


 恒例の報告ついでに相談すると、賢者は少し考えたうえでそう答えた。


「川なり水路なりで海と繋げる、というのであれば湖の端から細く伸ばせばいい。海岸線を作るよりはよほど融通がきくだろう」


 欠片で拡張される『世界』は基本的に正方形だが、使用時に思い描くことで変型も可能だという。もちろんその場合でも総面積は変わらない。


「川などの細い地形も作れるし、さらに応用すれば縦横ではなく『深さ』を高めることも可能だ」

「あ、もしかして井戸はそうやって掘ったんですか?」

「そうだ。地下には鉱石の採掘場もある。地上に作ると地形が限られてくるからな」


 彼の話を聞いてレンたちにもさらに閃くものがあった。


「じゃあさ、地下に湖を作るっていうのはどう?」

「地底湖か。陽光が届かないと通常の海の魚は育たないかもしれん」

「えー。……うーん、難しいなあ」

「無論、この世界では問題ない可能性もあるがな。我らの『祝福』同様、都合の良い作用が働くこともありうる」


 とはいえ逆の可能性も考えなければならない。

 汽水湖プランはひとまず保留ということにして、今度はアイリスの両親のところへ話を持って行った。


「塩分のある湖だと森の動物たちに悪影響が出ないかしら」

「あ、そっか。動物たちの飲み水になるんだもんね」


 いつの間にか考えが抜けていたと口を開けるアイリス。父親がこれに頷いて、


「それに、繋げるのであれば海よりも山の方がありがたい。海まで森を伸ばすのも大変だろう?」

「山かー。高いところも涼しいっていうもんね」

「我々としては熊や鹿などの動物が生息してくれないか、という希望が大きい。それからきのこや山菜の類も期待できる」

「熊って美味しいの、お父さん?」

「独特の臭みがあるはずだが、好きな人は好きなはずだ。俺も食べたことはない」


 そう言われるとちょっと食べてみたい気もする。

 今まで山を作らなかったのは地形的な事情のほか、大型動物を狩る人手がいる……というのもあるらしく、軽々しく作るとは言えないものの、


「レンさん、フーリさん。今回は普通に湖を作りませんか?」

「賛成。泳ぐだけならそれで十分だよね」


 夫妻も「普通の湖ならば」と欠片の使用を快諾してくれた。その上で良さそうな場所へと案内してくれる。


「森や湖のような地形を作る際は『地形を終わらない』のがコツです」


 と、アイリスの母。相変わらず娘と姉妹にしか見えない若さと美貌である。


「そうしておけば後から広げたい時に便利でしょう?」

「それって端っこから水が流れちゃったりしないんですか?」

「大丈夫です。あの闇は虚無ではなく壁のようなものらしいですね」


 それならば問題ない。となると後は広げる世界のイメージをきちんと思い描けるかどうかだ。


「アイリス。頭の中でイメージしようとせず、道具の助けを借りてもいいのよ。たとえば、作りたい湖の絵を描くのはどうかしら?」

「あっ、そっか」


 というわけで、一度紙と筆記用具を用意して湖予定地へと取って返し、ああでもないこうでもないと筆を走らせることになった。

 レンとフーリも面白そうだからとアイリスの絵を眺めたり、彼女の相談に乗ったりする。


「アイリス、絵上手いんだな」

「あっ……その、ありがとうございます。昔から森の風景や動物たちを描くことがあったので」


 そのせいか、少女の絵は写実的でタッチが丁寧だった。

 ただ、今までは「そこにあるもの」を描いていたのでイメージ図の作成はなかなかに難航。

 結局、その日のうちには完成せず、ゆっくりと絵を完成させたうえで湖の作成に臨むことになった。


「焦らなくていいよ、アイリスちゃん。今すぐ欠片を使わなくてもいいんだし」

「そうだな。先に攻略を進めてもっと広い湖が作れるようにしてもいい」

「でも、それだと夏が終わっちゃいませんか?」

「すぐに涼しくなるわけじゃないし、それはそれで泳ぐから大丈夫だよ」


 前に水浴びや水風呂を試したこともある。その時も水の冷たさは感じたものの、翌日風邪を引いたりはしなかった。『祝福』によって身体が強くなっているお陰だ。


「とりあえず川魚で満足するけど、いつかは海老とか貝も食べたいよね」

「俺たちの欠片も貯めていかないとな」


 これには少し不安そうだったアイリスも笑顔になって、


「じゃあ、八階を早く攻略しましょう!」

「うん。でもまずは六階からね」

「そうでした」


 小さく舌を出した後輩はいつの間にかいつのもの調子に戻っていた。



    ◆    ◆    ◆



 ダンジョンの質が変わった。

 六階に足を踏み入れた瞬間、アイリスはそれを肌で感じた。

 壁や床、天井の材質も素っ気ない白い石からやや深みのある色合いへと変わっている。それが空気にも影響しているのかもしれない。


「……よしっ。行こっか!」


 先頭に立ったフーリが気合いを入れるように拳を握って宣言する。

 踏み出した少女の右手はナイフの鞘ではなく盗賊の七つ道具シーフズツールの傍に置かれている。ということは、最初の障害は敵ではなく罠。

 片手に松明、片手にマリアベルの手を握ったレンがアイリスの隣に立って、


「さすがに気合い入ってるな」

「危険な罠があるんですね?」

「ここまでに比べると、な」


 五階までの罠は壁や宝箱から飛び出る矢が中心だった。見分け方は単純で「穴」に注意すればいい。階が進むにつれて穴が小さくなったりカモフラージュされたりはするものの対処方法に大差はない。穴を埋めてしまうか射線上に立たなければいいのだ。

 ここまでのフーリの作業を見ていたので、五階までの罠ならアイリスでもある程度対処できる気がするのだが。


「っと、ここだ」


 少女の靴音が止まったのはアイリスが何も発見できていない地点だった。

 右側の壁に寄ったフーリは小さく千切った粘土を取り出す。その手が向かった先を注視すると、そこには縫い針ほどの大きさの穴が。

 レンが松明をかざすと粘土が硬くなって罠をしっかりと封じる。「ちなみにこれがスイッチ」と何の変哲もなく見える床の一点が踏まれ、カチッと小さな音。当然、針は飛び出して来ないが、


「ちくっとするだけだと思って油断してるとしばらくして痺れてくるんだよね」


 ナイフを握るくらいならなんとかなるものの力は入らなくなるし、飛び道具だと命中させるのさえ難しくなるという。


「ほらここ、よく見ると線が入ってるでしょ?」


 確かにスイッチの部分には薄いラインが見えるが──二種類の明かりがあるとはいえ、こんなものを逃さず見分けないといけないとは。


「私、サブの盗賊シーフをする自信、なくなってきました」

「大丈夫ですよ、アイリスさん。罠の見分けは知識と経験の蓄積ですから。この程度、今となっては私でも見分けられます」


 と、これは最後尾を歩くマリアベル。

 娼館では経理や庶務、クラス的な役割は前衛である彼女は盗賊には向いていない。


「私だって攻略本がなかったら見落とすかもしれないしねー」

「本当、攻略本がなかった頃は命がけだよなこれ……」


 ため息をついたレンが「防御力上げる魔法も欲しいよなあ」と呟く。彼はこうやってみんなのことを考えてくれる。ちゃんと決めたわけではないものの、実質、パーティのリーダー役でもある。

 先日、彼はフーリと深い間柄になったらしい。

 その夜はぐっすり寝てしまったのでアイリスは声も音も聞かなかった。フーリが部屋にいなかったのと、レンの部屋から二人で出てきたのを見ただけなのだが、後でフーリに尋ねると少し恥ずかしそうに「……うん」と頷いてくれた。


『でも、付き合ってるわけじゃないから安心してね』


 アイリスだって何も知らないわけではない。母から最低限の教育は受けているし、両親がこっそりとした行動からおおよそどういうものかは把握している。

 ただ、そういうことは結婚あるいは交際している男女がするべきだと思っていた。

 だから、付き合っていないのにそういう関係になるというのはむしろ「大人だ」と思ってしまう。

 安心して、というのがアイリスに気を遣ってくれているのもわかるのだが、少女にはとてもフーリの真似はできそうにない。

 レンのことが好きか嫌いかで言えば好きだ。

 たぶん、特別な人として好きなのだと思う。マリアベルと手を繋いでいたりフーリと仲良くしていると、妹たちに感じたことのある「お父さんたちを取らないで」に近い、けれど少し違う嫉妬の感情を憶えてしまうことがある。

 レンたちがいつも通りにしてくれている──もともと距離が近かっただけかもしれないが──お陰でこうして普通にしていられるけれど、


「レンさんって、なんだかお兄ちゃんみたいですよね」


 ぽつりと呟くと、松明の明かりが小さく揺れた。


「どうしたんだ、急に」

「え、あの。……お姉ちゃんの方が良かったですか?」

「いや、そこはお兄ちゃんでいい」


 ぶっきらぼうにしつつも少し嬉しそうなのが「可愛い」と思う。


「ただ、頼りになるなあ、って思っただけです」

「っ。止めてくれ。めちゃくちゃ恥ずかしくなる」


 肌が白いので顔が赤くなるととてもわかりやすい。こうやって素直な反応をしてくれるのも女性から好感を持たれる理由なのではないだろうか。

 フーリからも言われているし、レンとこうやって仲良くするのは問題ないはず。

 と、前の方から小さな咳払いがあって、


「そろそろ敵だよ。気をつけて」

「あ、はいっ!」


 前方に小部屋。扉はなく、松明と魔法の明かりが部屋の中を照らしたかと思うと、待ち構えていたアーチャー二体が矢を射かけてくる。

 フーリはこれをしゃがんで回避。片方の矢をアイリスがかわし、もう一方はレンから手を離したマリアベルが片手で握りつぶした。


「この、お返しだ!」


 ニ十本(適度に本数を減らしてMPを節約)の魔法の矢が敵に向かって降り注ぎ、アイリスの矢がそれを追いかけるようにして敵の腕へと突き刺さる。


「アーチャーは近づいちゃえば弱いんだよね、っと!」


 すかさず接近したフーリのナイフが二体の首を次々に切り裂き、形勢は完全に決した。

 戦闘終了。

 終わってみれば完勝だったものの、先制攻撃を受けた時はひやりとした。


「やっぱり飛び道具は怖いですね」

「ね。アイリスちゃんがいてくれて本当に良かった」


 レンがお兄ちゃんならフーリはお姉ちゃんである。こうして優しく声をかけてくれる彼女のこともアイリスは大好きである。

 まだ出会ってからあまり経っていないというのに、このパーティで冒険するのが日常のようになっている。

 本当にこの人たちと出会えてよかった。

 同時に、さっきのフーリの活躍ぶりを見て「私は近づかれてもナイフを抜けるようにしておこう」とも思う。


「あ、宝箱だ。これも罠があるかもしれないんだよねー」

「本当に難易度上がってるよな」

「この階のボスはゴブリンシューターです。まだまだ敵は強くなりますよ」


 今度はクロスボウ持ちのゴブリンが増えるらしい。

 機械式の弓は普通の弓に比べて威力が高い。人の筋力で引くより強い力を出せるのだからそれはどうしようもないことだ。

 アイリスもそちらの使用を検討したことはあるものの、


「クロスボウは再装填に時間がかかります。一発目をなんとかしてしまえばあまり怖くないはずです……!」

「さすがアイリス。弓使いの気持ちはよくわかってるな」

「はい、任せてくださいっ」


 もっと彼らと一緒に冒険がしたい。

 もっと役に立ちたい。

 両親を日本に帰したいのとは別に、アイリスの中にはそういう気持ちもある。どちらも嘘偽りのない本当の気持ちだ。


 六階の攻略にかかった日数も一週間。

 湖の構想はなかなか完成しなかったので、アイリスは七階の攻略が始まっても森に通い、絵の製作に勤しむことになった。

 その甲斐あってか、レンやフーリはもちろん、マリアベルや賢者が見ても「これは」というデザインが完成した。人工物っぽくならないように細部まで苦心した自信作である。

 七階までの欠片を全て使うと五十個分──直径80~90m程度を広げることができる。

 自分の頑張りでみんなの暮らしが楽になるかもしれない。そう思うと、ダンジョン攻略に近づくのとはまた別の喜びも生まれる。


「頑張ったな、アイリス」

「お祝いに何か欲しいものとかない? 高いものは私たちにも買えないけど」


 だから、少しだけ勇気を出しておねだりしてみることにした。

 レンの服を小さくつまんで、


「じゃあ、あの、レンさんと一緒に寝たいです」

「え」


 彼の顔がものすごく真っ赤になったので「変な意味じゃなくて!」と慌てて補足した。

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