第2話

僕は、仕事帰りに1人で飲みに行くことがあまりない。でも、今日は違う。いつもの通勤経路上にある1つの店が気になった。これまでも平日は視界に入っていたが、意識して見るということはなかったのに。


もともと小さな工場だったところを改装している飲食店で、店の間口が広く開放的だ。店内のオレンジ色の明かりが薄暗い道路の半分ほどを明るくて照らしている。立ち止まって店の中を眺めると、店の全景が見える。ご新規さんとしては、このような外から店の雰囲気が見える店はありがたい。L字のカウンターがあり、奥にいくつかテーブルが並んでいる。テーブル席にはお客さんが2組、カウンターには1人で飲んでいるお客さんが1人。みんな女性だ。


女性客だけというのは少し抵抗があったが、自宅から歩いて5分もかからない場所なので、居心地が悪ければすぐに自宅に帰れば良い。


「いらっしゃいませ、お1人ですか?」

カウンターの中にいる若い男性スタッフが声をかけてきた。この男性スタッフの声量は大きすぎず、小さすぎずでちょうどいい。それだけで印象がいい。

「はい、1人です」

「テーブル席も空いていますが、どうされますか? カウンターでもテーブルでも」

僕は店内を見渡した。テーブル席は5席、4人席が2つに、2人席が3つ。外からははっきりとわからなかったが、奥行きがある店で比較的キャパがある。

「じゃ、カウンターにします」

テーブル席も空いているが、1人でテーブル席を占領するのは気がひける。長居するつもりもない。

「では、こちらにどうぞ」

男性スタッフがカウンターの1席を促した。1人で飲んでいる女性の2つ右の席だ。女性は、少し僕より年上だろうか、キリッとした目元の女性だ。女性と僕の間の席は空いている。通勤に使っているリュックサックを椅子の横に置いて、促された椅子に座った。椅子も高いが、カウンターの位置も高めだ。ゆっくり食べて飲む、という感じの店ではなさそうだ。カウンターの上に置かれたメニューを眺めた。食べ物は酒のつまみになるようなメニューがメインのようだ。酒の種類が多い、特にビールの種類が多いように見える。ビールに特段こだわりがない僕にとって知らない銘柄だらけだ…一気に緊張が高まった。スーパーでよく見かける国内メーカーのメジャー銘柄が1つも見当たらないのだ。普段行くような居酒屋であれば、メジャー銘柄のどれかを選ぶ、あるいは銘柄選択の余地のない1択というところが多い。だから、ビール選択にストレスがかかることはない。今日は生ビールが飲みたかったが、ここは瓶だけかぁ、みたいな時はごくたまにあるが…知らない外国語のメニューを読むように、メニュー全体をざっと眺めていると、唯一知っているビールに出会った! 助かった…

「コロナビールをください」

ここはサクッと食べて早く帰ろう。

「あと、この日替わりパスタをください」

一人暮らしなので夕飯はここで済ませたい。でも、メニューをじっくり吟味して選ぶという楽しみをこの店で堪能することはできない。メニューの一番最初に書いてある日替わりパスタを注文した。キャベツとコンビーフのペペロンチーノ、これはこれで美味しそうだ。


酒は嫌いではないが、こだわりがない。外から見える店の雰囲気が開放的だったので、気軽に入れる店だと思ったが、どうやら僕のような酒の基礎知識がない人間にとっては少々ハードルが高かったようだ。酒のメニューでつまづくとは…もうすぐ30歳、大人の男の嗜みとして、もう少し酒の勉強をした方がいいのかもしれない。


カウンターに座っている女性はワイングラスのような形状のグラスで黒に近い色のビールを飲んでいる。あれはビールなのだろうか? 泡はある。


スマートな円柱グラスに注がれたコロナビールが目の前に置かれた。カットされたライムがグラスの飲み口に挟んである。僕は何も考えることなく、爽快な黄色い液体めがけてライムをひと絞りした。コロナにライム、当たり前のセットとして考えていたが、なぜライムなのだろう? コロナはメキシコのビール、ということくらいは知っている。でも、それ以上は何も知らない。たまに見つけると頼む、というくらいだ。どのビールを飲んでも大きな味の違いを感じないのだが、コロナは普段飲むビールとは違う味だとわかるので、メニューにあれば注文する。違いがわからないのは、僕が味音痴なだけかもしれないが…


冷えたグラスを手に持って、ビールを一口飲んだ。

「んまいっ」

思わず小さい声が漏れた。まだ暑さの残るこの時期に、このさっぱりしたビールは体に染み渡る。金曜日だからなおのことだ。


日替わりパスタを待ちながらビールを飲んでいると、2席隣の女性の前に別のビールが置かれた。泡のある赤い液体が入っている。居酒屋でたまにあるトマトジュースで割ったビールだろうか? いや、でも何か違う。瓶が置かれている。この瓶から直接注がれたものなのだろう。しかも、またもやワイングラスのような形状のグラスだ。僕は、思わず他人の注文したビールをまじまじと見つめていた。


女性が僕の怪しい熱視線に気づいた。

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