隅田川とビールの泡

うえすぎ あーる

第1話

ここ最近、隅田川沿いをジョギングする人の数が増えた。僕はこの5年間、定点で観察しているからわかる。ベテランの長距離ランナーらしきおじさんもいれば、ダイエット目的で走り始めたと思しきお姉さんもいる。30歳台らしきカップルも増えた。おしゃれなジョギング用のウェアを全身ペアで揃えて、仲良く走っている姿を見ると、これがリア充カップルなのだろう、と勝手に納得してしまう。天気が良い日は気持ちがよさそうに見えるが、どうしても、しんどいのによく走るなぁ、という感想が先行してしまう。僕は、窓から見える光景を時間をかけて隅々まで眺めてから、川沿いの空気を肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと息を吐いた。


その後、窓を背にして、キッチンへと向かった。年季の入った小鍋に水を入れてから、ガスコンロの上に置き、火をつける。休日の朝のルーティンだ。


僕は休日の朝が好きだ。時間の流れが穏やかで人間らしさを保つことができる。テレビは忙しないのでつけない。テレビを見ると脳が緊張するので、穏やかな時間帯には避けたい。とはいえ、テレビが嫌いというわけではない。平日であれば、家に帰るとすぐにテレビのリモコンを探し、テレビをつけてしまう。忙しない平日には、テレビがよく合う。


休日は好きだが、取り立ててすることもない。もちろんジョギングはしない。毎週末、惰性で会社のPCを自宅に持ち帰ってはいるが、これまで休日に仕事をしたことはない。何もしないことに価値がある、と自分なりに納得している。完璧に緩やかな休日があるからこそ、辛うじて人間らしさを保つことができている気がする。


平日、僕は毎日8:30に出社している。IT系の会社では10:00出社という会社もあるらしいが、証券会社では普通の時間だ。営業の人はもっと早い。昭和の証券マンはもっともっと早い。毎日5時台出社という人も知っている。そんな世界だ。昭和の証券マンは個性的で面白い。良くも悪くも、という感じではあるが、人間味があふれていて僕は好きだ。8:30出社とはいえ、自宅から会社まではドアツードアで25分なので、それほど早起きをする必要はない。東京に住んでいて、勤務地まで25分というのはとても恵まれている環境だと思う。ばぁちゃんに感謝だ。ばぁちゃんの持っている小さな川沿いのビルに感謝だ。


今日もいつものように、1日の仕事を終えて日本橋から電車に乗り、最寄駅に着いた。まだ19:30過ぎだ。この時間に帰宅ができるのは何週間ぶりだろうか。しかも金曜日だ。ホームグラウンドに帰ってきたことで、体が一気に軽くなる。


最寄駅は東京有数の観光地であるが、そこから川沿いに下っていくと、町は少し落ち着いた雰囲気になる。とはいえ、この辺りもここ数年で随分賑やかになった。少し前までは、人々が集まるような店はあまりなかった。『観光地に近いのに何もないな』というのが僕が最初にこの辺りに住み始めたときの印象だ。でも今は違う。新しい飲食店が増えた。いわゆるチェーン店の類ではなく、比較的若い世代のオーナーが運営している個性的な飲食店が多いように見える。常に人が列をなしている飲食店もいくつかある。最近の雑誌では”おしゃれ”なエリアという名誉ある冠がつくようになった。僕が休日に人生の足踏みをしている間に、町は確実に発展している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る