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19世紀最後の年は来年のはずだが、布引丸の船内には今年が最後の年であるという誤解が蔓延していた。
その誤解の震源地である男が今も派手に煽動の演説を打っている。
「フィリピンの独立勇士を支援することこそが日本男児の誉」
「独立不羈、草莽崛起のその姿は我らの父祖伝来、侍の心意気ではないか」
「西洋に屈従した旧世紀は今年で終わりにしよう! 新世紀はアジアの世紀にしようではないか!!」
などなど。一節ごとに煽りのヤジも飛び、それに拍手と怒声が湧いて船内は騒がしいこと夥しい。船室の隅の方でヌルい麦酒を猪口でちびちび飲んでいた若い男は、隣で踞っている中年とも老人ともつかぬ男に言った。
「大層なこって。
みんなカネで雇われた食い詰めもんだろうに、なんであんなに熱くなれるのやら
爺さん・・・兄さんもそう思わねえか」
「わからんな」
「だろ? 比律賓がどうなろうとオレたちには関係ないだろうに。
だいたいこの荷物を下ろしゃそれでお役御免って話だったろ」
男はそう言って船室内にまで溢れ出した荷物、古い村田銃その他の武器の詰まった箱を軽く蹴飛ばす。みっしり詰まったそれは微動だにしない。
流石に船室にまでは持ち込まれていないが、すぐ隣の船倉には弾薬もみっしり詰まっている。布引丸はいわば浮かぶ火薬庫さながら。
そんなものの荷揚げを裸同然で引き受ける人間など沖仲仕でもそうそう居ないのは分かりきっていたから、武器弾薬を布引丸でフィリピンまで運ぶ手配をした連中は手回しよく陸揚げのための人足も確保していた。
東西戦争の損害を引きずり、日清戦争で勝利したもののその恩恵の広がりもまだまだだった当時であれば、食い詰めのっぴきならなくなった人間など少し声をかければいくらでも集まる。
布引丸に乗っていたのはそうした連中がほとんどであったはずだが、数人しか居ない国士勇士にあてられて、すっかりフィリピン解放志士の気風に染まっていた。
染まらずに居た男と、年齢不詳の男はその数少ない例外。
今では当初の目的が忘れ去られ、陸揚げした武器弾薬はフィリピン独立勢力に引き渡すだけでなく、自らもその銃を取ってともに戦おうという雰囲気になっている船内で孤立した二人は、船室でも隅の方でひっそりと過ごしている。
男は陸揚げが終わればさっさと逃げ出すつもりで居た。というより元々の契約が荷揚げ作業の完了とともに終了という話なのだから何も後ろめたいことなどはないはず。
それでもちょっとしたバツの悪さからともに騒いでいる連中から離れるつもりだったのだが、年齢不詳の男は荷揚げが終わったその夜には忽然と姿を消していた。
荷役を管理する頭領に男は尋ねる。
「親方! オレといっしょに居たジジイだかオッサンだかわからん奴どこいったか知りませんか?」
「あん? 連中と一緒に降りたんじゃねえのか」
顎をしゃくったその先には、積み上げられた弾薬の側で整列し、軍隊もどきの点呼をはじめている国士勇士が居た。
「イヤそんな話はしてないんですよね。オレといっしょに降りるとばっかり思ってたんで」
「そうか。じゃ知らねえな。それよりオマエ、銃が一挺失くなってんだが知らねえか?」
「は? イヤ船室にも船倉にももう残ってる荷物はないはずっすけど」
「なんだよ…しょうがねえな。まあ良いか。あんなボロ銃、連中も比律賓人も使わねえだろ」
「どの銃です?」
「ぶらん…なんとか言ったかな? 種子島に毛が生えたような銃だよ」
「そりゃそんなもん、それじゃ使い物にもなりませんや。誰かゴミと思って海に放り捨てたんじゃないすか。わざわざ持ってくるほうが無駄でしょ」
「ちがいない」
笑って頷いた頭領は男に言った。
「ところでよ、話は変わるんだがオマエ船下りるつもりか?
次が決まってないんなら火夫がひとり足りなくなったんでよ、また乗って日本に帰らないか?」
男はいっしゅんだけ、年齢不詳の片割れに申し訳ない気がしたが、次の瞬間にはすっかり振り切り、この割の良い提案にのった。
「ぜひぜひ! よろしくお願いしやす親方!」
同年から新世紀の2年目にかけて争われたフィリピン解放戦争は、独立勢力の敗北、アメリカの勝利で終わった。
米西戦争で思ったほどの戦果を得られなかったとはいえ、太平洋方面からスペインを駆逐したアメリカ軍の勢力は健在であり、その強大なアメリカ軍に対抗するには独立勢力ではやはり不足していた。
それでも健闘したと言えるだろう。
中でも、戦後もアメリカ軍が躍起になって狩ろうとしている「火縄銃の狙撃隊」の存在は特筆すべきものであった。
フィリピン独立勢力もその存在を認めようとしない凄腕の狙撃手の集団で、アメリカ軍が米西戦争の際に編成したもののキューバには送ることの出来なかったラフライダーズの急進を食い止めたことでその名声を広く知らしめた部隊である。
米西戦争に間に合わなかったものの、ウマの調達が進んで騎兵としての能力が向上していたにもかかわらず、それでもその機動力をわずか10人程度の「火縄銃の狙撃隊」によって破壊されている。
恐るべきはその狙撃隊の射撃能力の高さ、連携の良さであった。
襲撃を受けたラフライダーズの証言によれば銃声は重なることはなく、常に一発。ならば単独者の狙撃であると考えるところだが、残された銃弾は特徴あるブランズウィックのそれであり、単独狙撃ではありえない速度で連射されたことになる。射点も移動していることは立ち上る白煙からもハッキリしており、移動しながら連射しているというのは単独では不可能としか言いようがない。
「火縄銃の狙撃隊」という見立て、火縄銃による狙撃というのは間違っていたがそれでも、一人の狙撃手による反攻ではありえないという結論は揺らがなかった。
ともあれ、その狙撃隊によってラフライダーズは隊長のセオドア・ルーズベルトが重傷を負い、さらに続く指揮官が次々と敵の魔弾に斃れたことで騎兵ならではの突破力・衝撃力を完全に喪失。戦争を短期に終熄させる目論見が外れ、故にその存在は広く知られることとなる。
海を隔てた島国では、その狙撃隊の活躍の派手な報道に「ひょっとしてあいつじゃないのか」と思った人間が一人ならず居たものの、それがアメリカに伝わることはなかった。
昭和33年。
この国が経験した最後の戦争からも10年以上経ち、砲煙も銃声も遠ざかりつつあった時代だからこそ成立した法があった。
銃刀類規制法に基づき、各地で一斉に検挙が行われる。
北海道の寒村でもわざわざ警察が警邏の四駆と全輪駆動の六輪トラックを仕立てて巡回して規制に引っかかった銃器刀剣類を回収していた。
猟師いまだ健在な土地柄もあり、そうそう引っかかることはない。所持を継続するにあたって必要な資格の確認、許可証の交付などもふくめた事務作業も同時に行っていたので、一ヶ所の滞在が長期に及ぶこともあった。
「それでこの銃は?」
巡査はその日持ち込まれた2挺めの銃を見聞しながら言った。
とはいえ、元は銃であったもの、という方がふさわしいかもしれない。
銃床は既に朽ちかけていて、引き金も錆びて動かない代物だった。
「へえ」
持ち込んできたのは村の顔役で、所持者不明、もしくは物故した銃をまとめて持ち込んでいた。何でも先の戦争前に亡くなった身寄りのない老人が使っていたものだという。
「うちの爺さんの言い伝えだと、囲炉裏端からそこの山の」
そう言って顔役は巡査の背後の小高い山を指し示した。
「中腹あたりのクマを撃って追い払っていたとか」
少し苦笑いに変わった顔役の表情も無理はない。
巡査の見立てでも、その山の中腹はここから300mは離れている。
「鉄砲の音で脅かしてたかなんかだとは思うんだけども」
「違うよ、十三じいちゃんは中ててたんだよ」
巡査に説明する顔役のそばから口を挟んだ子供が居た。
「ウチにある毛皮は十三じいちゃんが中てたのを拾いに行ったんだって爺が言ってたもん」
「んだからそんなことあるわけないって」
「ホントだもん!」
巡査を放置して言い争いをはじめた二人。
仕方がないので巡査はそれにかまわずに渡された銃の見聞を始めた。
銃身は外部は錆びているものの、銃口内はまだそれほど錆が及んでいない。
残されている2条のライフルがくっきりと見えた。滑腔の散弾銃がほとんどの猟銃の中では珍しい部類といえる。ライフルが2条しかないのは特に珍しい。過去にもなかったはずである。
念のために型録を調べても過去の払い下げの銃のどれとも合致しない。ライフリングを削り落とした滑腔銃か、4〜6条のライフリングが普通で、2条というのは載っていなかった。
巡査は一つ息を吐くと、型録を閉じて、二人に向き直った。
「ところで」
振り向いた二人、とくに顔役にあらためて念入りに確認する。
「この銃の持ち主には、本当に身寄りがなかったんだろうね」
「それはもちろん。
どっからか、たしか外国の出稼ぎで帰ってきてここに住んだって話です。
葬式もウチらの村であげたし、その後も訪ねてくる人も誰も居らなんだ」
「わかった」
うなずくと巡査は、帳簿に
「形式不明古式銃・幕末頃・施条数二 地板刻印38038」
と書き込んで閉じた。
日がすっかりくれる頃に、この村での回収作業は終わった。
他の村の回収を終えて合流した六輪トラックの荷台に、今日回収した銃をそれぞれ仕分けて投げ込む。
投げ込んだ拍子に積み上げられていた山が派手な音を立てて崩れた。
ブランズウィックは、火縄銃やほかの得体のしれない錆びた鉄筒に埋もれて見えなくなった。
アウト オブ スタンダード 眞壁 暁大 @afumai
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