天狗党の乱

 夜通し燃えた多宝院は、いまだ燻り続けていた。

 水戸天狗党の鎮圧に打って出た幕府軍本営が置かれていたそこは昨夜奇襲を受け、完膚なきまでに叩きのめされた。

 完全に寝入ったところを襲われた幕府軍は寝間着か、あるいは褌一丁の赤裸で逃げ惑う始末。

 動員された高崎藩ほかの武士団の戦意は著しく低く、銃はおろか刀も脇差も放り捨てて脱兎のごとく逃げ出している。

 

「やはり雇われの身ではこんなもんでしょうな」


 多宝院の焼け跡から響く天狗勢の勝鬨を背に、幕府陸軍・兵賦第一小隊長の田吾作が報告する。報告を受けているのは幕府陸軍の士分中隊長である。

 多宝院の本陣は高崎ほかの藩兵、すなわち本物の武士にゆずって外縁部に分散して野営していたのがかえって幸いし、幕府陸軍の直接の損害は僅少であった。

 しかし、本物の武士ですら恥も外聞もなく逃げ散った後とあっては、これが初陣の幕府陸軍にも動揺は広がる。

 夜襲の天狗の郎党の、悪鬼羅刹のごとき活躍を見て怖気をふるった兵が闇に紛れて何処へかと姿を消したため、戦ってもいないのに第一小隊は半数の兵を喪っていた。


 隷下小隊の戦力半減を悪びれずに答えた田吾作に、中隊長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「雇われならというがな…公儀も少なくない俸給を払っているのだぞ。こんなザマでどうする」

「初陣ゆえ覚悟の足りぬ者が紛れていたのはまことに某の力の及ばぬところでございます。しかしながらーー」

「いい、言うな。武士が逃げ散ったのに百姓町人上がりに強くは言えん」

 そういうと中隊長は大きく息を吐いた。

「どうするかな、田吾作」

「ここは退くのが最善かと思います、若様。天狗が残党狩りをはじめたら残った兵も逃げ散るかと」

「やはりそうなるか」

 深呼吸すると中隊長は第一小隊長、かつて彼の中間として長らく仕えていた田吾作に命令を下す。

「部隊を反転する。新福寺の水戸藩兵・二小隊と合流するぞ」

「士分本軍との合流はなさらないのですか」

「高崎藩兵を見ただろう。合流できる本軍が残っていると思うか?」

 田吾作は沈黙をもって答えに代えた。


 幕府陸軍は俸給で雇い入れた士分以外の百姓町人そのほかからなる兵賦と、役をもたない士分、おおきく二つの部隊からなる。兵賦も頼りない存在ではあったが、士分はそれに輪をかけて信用のおけない部隊であった。

 士分隊の構成員は家督から外れたとはいえ、現状嫡子ではないだけでいずれお鉢が回ってくる可能性も高い二男三男からなり、そうであるがゆえにおいそれと命懸けで戦に当たれない、イエの維持のために命を惜しむところ甚だしい。

 今回の征伐を命じられて派遣されてきた高崎藩をはじめとする各藩の藩兵も似たような構成である。大事な跡取りそのもの、あるいは大事な跡取りに変事があった際の予備として保持している嫡子・庶子らに、辺鄙なよその土地で落命なぞされては目も当てられない。

 士分本軍・藩兵、彼らの目指す戦は圧倒的な戦力差で敵を鎧袖一触に屠る、自身の落命の可能性の著しく低い、そんな戦いだった。


 中隊長はつい先日までそうした連中の生き様をいやというほど見せられてきたし、自身もその中にいた。士分本軍から外れたのは嫡男が家督を相続し、予備を保持している必要性がまるきり薄くなったためだ。士分本軍であれば俸給は幕府と出壮武士の家の折半で出されるが、兵賦ならば全額幕府が支給する。

 中隊長はいまだ家名に末席を残してこそいるものの、体よくお払い箱にされた結果として、いま中隊長を勤めているのだった。


 幕府の威光と大兵力で盗賊のような天狗党一味を一気に磨り潰すという目論見が、先制夜襲を受けて打ち砕かれた以上、中隊長は他所からの援軍の藩兵にも、士分本軍にも戦意はないという見立てであった。いっぽうで水戸の藩兵はここが彼らの領地である以上、期待しても良いはず。

 田吾作もそれには同意見であったが、念の為に伝えておく。


「水戸は良しとして、第二小隊はよろしいのですか」

「後がない連中のほうがこういう場合は信用できる。

 逃散した連中が捨て置いた銃をできるだけ回収して後退する。

 天狗の騒ぐ声で兵が狼狽える前に切り上げろ」

 



「回収してきたのは鉄砲だけかい」

「そうだ。刀がいくつあっても荷物になるだけだ」

「ふぅん」

 博徒のような風体の二小隊の隊長は田吾作の弁に納得のいかないように首をひねった。

「鉄砲大事ってのもわからんでもないが、合戦は最後はやっとうだろうよ」

「この銃なら刀の間合いに入る前に二発は撃てるからな」

「儂らはあんたら百姓が弾を込める間に五〇間は走るぜ?」

「なら吾らは百間でも当てられるぞ」

「は…おぅ田吾作。馬鹿も休み休み言えよ」

 凄んでみせる二小隊長にはやはり極道あがりの迫力があった。

 とはいえ田吾作も一小隊長であるから、この程度では怯まない。

「試すか? 捷の親分さんよ。こっちはブランズウィック、ゲベールとは違うぞ。

 もっとも、腕がなきゃブランズウィックでも無意味だがな」

 取り巻きが色めき立つのを、捷の親分と呼ばれた隊長が掌で制する。

「そんなもんがあるならなんで此方に寄越さねえ?」

「募兵を超えて入隊させておいてよく言う。手前の子分ぜんぶに回すほどの数はねえよ」

 いまでこそ兵賦第二小隊と呼ばれているが、元を辿れば捷の親分以下、武州広域で暴れていた博徒の徒党だ。関八州取締出役の伸長に伴い退潮気味だったのが幕府陸軍の募兵をこれさいわいと乗り込んできた。兵賦は身分出自を問わないとはされていたが、さすがにヤクザ博徒が相手では勝手が違う。幕府陸軍上層がどうにも扱いかねているうちに幕府陸軍の名を騙り盛大に募兵し、兵賦隊の中でも大勢力に成長していたのが第二小隊だった。

 常に不足していた幕府陸軍の兵員は、第二小隊の活躍で頭数がようやく揃っていたから無碍に扱うわけにもいかず、今日まで不可触とされてきたが、戦争になったからにはそうはいかない。

 田吾作は覚悟を決めて言う。

「ついてこい。中隊長どのと軍議を執り行う」

 捷はニヤリと笑い、ゲベールを取るのではなく、白鞘の長ドスを手にとって立ち上がった。



「てことはあれかい。

 儂らは鉄砲担ぎでもしてろということかい」

「鉄砲上手がいるならその限りではない。

 今すぐ扱える自信のあるものがいるのなら試す。

 それがないのなら力自慢を一小隊の人足に出せ」

「儂らも戦をやってるんだがね、中スケさん」

「闇雲に突っ込んで切った張ったは戦とは言わん。ヤクザの喧嘩だ」

「ならば、突っ込まれて切った張ったで逃げ散る奴らは腰抜けですかね」

「そうだな。腰抜けに武士も町人も百姓もない。

 もっとも、こっちの腰抜けはもうあらかた抜けたからここには居ないがな。

 切った張ったもしないうちから、オレたちを貶している二小隊がどうかは知らんが」


 指示された命令に不満タラタラの二小隊長だったが、中隊長の最後の言葉は聞き捨てならなかったようで

「オイ中スケ。舐めた口利いてくれるじゃないか」

 長ドスに手をかけて凄んでみせる。間髪を入れず中隊長の従者がすばやく拳銃を抜いて捷に向けた。

「おいおい理屈立てて進めるつもりだったがその時間もないから正直に言う。

 いいか。

 この軍勢はオレのもので、博徒崩れの貴様の自由に動かせるものではない。肝に銘じろ。気に入らなければオレを斬れ。だが斬れば貴様も死ぬ。その覚悟で斬れ」

 身一つで傲然と言い放つ中隊長と二小隊長の間に重い沈黙が降りる。

 どれくらいそうしていたか、先に矛を収めたのは捷の方だった。構えかけていた長ドスを下ろす。

「…儂らはどうすればいい」

「言ったとおりだ。一小隊の鉄砲担ぎの人足をいくらか出せ。

 鉄砲を担いでも走れるやつ、なるべく足の早いやつを選べよ。

 それ以外の全員はゲベールを持たせろ。オレの指示で撃て」

「鉄砲上手なら二人心当たりがあるが」

「田吾作に預けろ。…田吾作」

「はい」

「撃てる奴ならそのまま配下に入れて使え。判断は任す」

「承知。1ミニウト三発撃てれば及第として組み入れます」

「それでいい。急げよ」

 一気に言った後、中隊長は二小隊長に向き直り、すごみのある笑みを浮かべた。

「捷の親分。これからほんものの合戦を見せてやる」

 


 数波にわたって放った斥候の報告から、多宝院を襲った天狗の一味が新福寺を狙って進撃していることは掴んでいた。その報を受けて水戸藩兵は新福寺に陣を構えて迎撃する肚だったが、幕府陸軍中隊は新福寺から前進して小高い丘に陣を敷いた。

 視界のひらけた、細い木のまばらに生えているだけの丘だが、それだけに天狗党の進撃路からはよく見える場所だ。そこに此見がしに展開するのが一小隊、その背後の疎林に控えるのが二小隊という具合だった。

 中隊長はこの二小隊とともに陣取り、一小隊が抜かれた後の銃撃を指示することになっている。

 二小隊長は作戦の詳細を聞いた後でも半信半疑であった。

 ブランズウィックの試射に立会い、その長射程に感服したもののそれがそのまま戦場で生かされるかどうかは未知数であったし、そもそも本来の半数以下の勢力に落ち込んだ一小隊の兵数で足りるのかという疑問があった。

 二小隊から鉄砲上手と見込んで推挙した二人は一小隊で僅かな時間練習を受けただけでブランズウィックを扱えるようになり、その戦術にも得心していた。年かさの者などは銘板に「38038」と刻字された銃を掲げながら満面の笑みで捷に

「これはすごい鉄砲ですよ親分」などと語りかけてきたほどだ。

 

 捷もたしかにいい銃であるのは認めるが、だがそれほど大げさに騒ぐほどのものか、という疑問を捨てきれないまま、戦端は開かれた。



 ババン、と連続した射撃音が響く。

 二小隊のはるか手前、まだ天狗の先触れが見えた程度のところで早くも丘の上の一小隊は射撃をはじめていた。

 早すぎる、そう舌打ちする捷を尻目に、一小隊の射撃音は途切れることなく続く。

 銃兵の数に倍する鉄砲を丘に担ぎ上げたのはこのためであったか。納得はするもののそれにしても連射がこれほど長続きするものか? 捷は少し困惑していた。


 一小隊の連続射撃は捷の予想どおり、装填の終わった銃を次々に取り替えて撃ち続けていたから可能となった技であった。途切れないのは射撃間隔を整えるために、小隊を四個の群に分けて射撃しているためだ。「1ミニウト三発」という絶対条件を課しているからこうすることで一度の射撃の密度は小隊一斉射撃に比べるとぐんと落ちるものの、ずっと撃たれ続けるという圧力をかける効果は大きい。

 突破するか、撤退するかの判断がまとまらぬまま、天狗の一味はバラバラにその場から拡散していく。退く一派は二小隊からも抽出された鉄砲上手も含む狙撃に晒され、強引に突破を図った一派は二小隊の守る疎林の正面に無防備な姿を晒し、至近距離からゲベールの一斉射撃を浴びて壊滅した。

 捷の発した命令は、ゲベールの射撃下令の二度に留まった。

 それだけで天狗の一味は数多の死骸を残し、もと来た道をすごすごと退却していく。

 握り締め片時も離さなかった長ドスは遂に抜かれることなく合戦は終わった。



 新福寺の攻防は幕府軍の勝利に終わった。

 もしも天狗の一味が多宝院の夜襲から間髪おかずに進撃していれば幕府陸軍の展開も間に合わなかったかもしれないが、天狗党は幕府方の動員した藩兵の総崩れに乗じて追撃を選択したために守り通すことに成功した。

 天狗党の幕府軍・藩兵の残党狩りは労多くして功少なし、という結果に終わる。夜襲を受けて秩序だった撤退が出来ず、残党の多くが身一つでバラバラに逃亡したためにあまりにも長い時間拘束されてしまったからだ。

 天狗党にとっては失態だったが、幕府にとってもより深刻な失態であった。

 幕府陸軍・藩兵いずれも攻撃されると異常に脆く、統制が取れずに容易く瓦解することが天下に知れ渡ったのだ。

 新福寺をめぐる攻防という局地戦には勝利したものの、軍隊として、組織としての弱体を露呈したことは幕府にとっては致命的な打撃と言えた。



元治元年。

幕府陸軍の初陣は苦い辛勝であった。

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