幕府陸軍誕生

 襲撃を退けた後、彦根藩邸は直ちに全ての門を閉じた。

 外敵の再度の攻撃を警戒したわけではない。

 内部から本当の凶報が、準備もできぬまま流出するのをおそれたためである。


 その屋敷内では、行列を護衛していた全ての者が拘束され、敷地内の牢に隔離された。「殿様の護衛に失敗し家名を辱めた」ことがその理由だった。

 吉五郎以下の小者、賊を追い、首級をあげた中間たちも例外ではない。

 あの襲撃を退けるのに関わった全員がそれぞれ個別に隔離された。

 それだけの人数を独房にするとなると既存の牢だけでは足りず、屋敷の使われていない部屋をも牢に転用して見張りを立てて代用の牢とする処置が取られるなど、互いの接触を抑える措置は徹底していた。

 この隔離は数ヶ月に及び、吉五郎がようやくのことで解放されたときには世間は一変していた。


 殿様はやはり亡くなっていた。

 最初の銃撃が致命傷だった。

 引きずり出された際の刀傷はいずれも浅く、駕籠を身を挺して守った二人の働きによるものと思われた。

 藩邸に運び込まれたときにはまだ息があったらしいが、宇津木様が声をかける間もなく事切れたという。

 彦根藩としてはこの時に殿様が遺言を残したということにして、藩主の継承ほか後の始末をつけたようだ。

 白昼堂々の大量の行列襲撃という大事件にしては意外とすんなりとした結末のように思える。襲撃に対する見せしめとして、三日三晩ものあいだ賊の骸が一八も大路に転がるという陰惨さもあり、町人たちも好んで話題にしていないようだった。


 吉五郎にとって深刻だったのはむしろ、自身の進退であった。

 曲がりなりにも五体満足での殿様の帰還(生死はさておく)を果たすのに少なからぬ功があったと認められた一方で、守りきれなかったことは処分されなければならない。

 侍たちはまだ簡単であった。

 護衛中に亡くなった三人は不問に付すのは良しとして、生き残ったものは怪我の程度により処分が決まった。重傷ならお役目解除の上幽閉、軽傷ならば切腹。無疵は死罪の上、一族郎党ごと御家断絶となる。いかにも先例に従った沙汰であった。


 厄介なのは「士分ではない」中間・小者である。

 士分ではないにもかかわらず護衛に奮闘した、というのであればその功を認めてやればよい。追いすがり一八もの首級をあげた中間の四人はじっさいにそうした。

 一方で樛堅楼からの狙撃を担った小者たちが問題であった。

 より正確に言うならば、町人ごと賊を撃った者こそが問題であった。

 町人を巻き込んだことは些事である。他の射撃と異なり「公儀の御城へ撃ちかけた」そのことが問題視されたのだった。


 夏の盛り、吉五郎と又佐ェ門の二人だけが解放されたことがその答えである。

 伊兵衛は「御城へ向けて撃ちかけた」として宇津木様より直々に切腹を命じられ、見事果てたと後で知らされた。

 又佐ェ門は「撃ったのは自分だ」とずっと主張していたが容れられず、奉公解除の処置で終わった。伊兵衛自身が撃ったのは自分だと言っている以上そちらを取るというのが処置の理由であった。

 吉五郎は無罪放免と相成った。のぞめば藩邸での奉公を続けられると声をかけられたが断った。吉五郎にとって御殿様いがいの殿様はない。又佐ェ門も伊兵衛もそうであっただろう。


 わずかな荷物だけで藩邸を引き払った後、吉五郎は伊兵衛の墓を参り、又佐ェ門の実家を訪ねた。又佐の老いた父は吉五郎の突然の訪問に驚きはしたものの、息子が出奔した旨を嘆き伝え、反対に消息を尋ねてくる。

 せっかく不問となったのになぜ士分を目指さないのかと憤る又佐の父をいなして辞去した吉五郎の足は実家とは反対へと向かう。

 牢に入っているうちから家は既に弟に譲っている。又佐ではないが、吉五郎も士分を目指すというのはとうに棄てていた。

 体面で成るサムライが、体面を保つために体を張らねばならぬ時に腰砕けでは意味がない。にもかかわらずやはり体面を保つためだけに処分に汲々とする有り様を牢の中から見ていてほとほと幻滅したのだ。

 あの一八の骸のうち一三にもおよぶものが、致命打となったのは殿様の命を奪ったのとおなじ銃撃であったことは聞き及んでいる。吉五郎の手応えとしても、最遠の賊を撃ったのを除けば確かに撃ち殺したという実感があった。中間たちの働きも無視できないがやはり最大の功を挙げたのは小者、分けても伊兵衛であったろうことは疑いがない。

 その伊兵衛が切腹と相成り、己は放免されている。

 その居たたまれなさは止むことなく疼く。だからこそ吉五郎は越中島を目指し歩を進めるのだった。

 



「オレの銃のほうが良い」

「象山先生ェ・・・」

 

 吉五郎はもう何度目になるのか分からぬ問答の果てに音を上げかけていた。

 来たる幕府陸軍の創設を前に、制式小銃を巡って二人は相争っている。


 彦根藩邸の奉公を辞したのち、吉五郎が進んだのは銃隊調練所の応募兵であった。創設から五年程度の新しい組織だが、開国圧力の高まりに合わせて武士はもちろん、町人から百姓にいたるまで身分を問わずに募兵していたのに応じて入所したものである。ヒラから始めたものの、名を隠すでもなく勤めていたのですぐに「あの樛堅楼の鉄砲上手」として知れ渡り、またたく間に(士分ではない故に正式な肩書は付されていないものの)鉄砲教授助補なる役にまで押し上げられてしまった。


 対峙する佐久間象山もまた、幕府陸軍の正式な役職とはいえない〈幕府陸軍歩兵方顧問〉なる肩書でこの場に在るわけで、つまり幕府陸軍なる新軍隊の主要装備はよくわからない肩書の二人によって決められようとしている、という異常な状況である。

 にもかかわらず幕府も、そして新軍隊の初代指揮官(総長)に内定している伊豆韮山代官もそれを問題視していない。前者は御家人らの近代兵制への移行を主としていたから新軍隊そのものへの期待が薄く、後者は二人の才覚と能力を信頼していたためだ。


「吉五郎、貴様の「ゔらんずうぃっく」は挙動に無駄が多すぎるぞ」

「ごもっともではありますが。しかし象山先生ご自慢の「サクマ式」は作りにくくございます」

「線条ならば二条も八条も変わらぬではないか」

「大いに変わりますとも! 鉄砲鍛冶どもはそも、条を彫れる絡繰を持ち合わせておりませんぞ」


 二人の幾度もの問答の末、幕府陸軍が採用すべき銃は二種に絞られていた。

 ゲベールの廃止と施条銃にすることは既に決定している。

 吉五郎の推すブランズウィックは伊兵衛の用いていたものと同じ型で、すでに国産化に着手している。前装銃ながら太く粗い二条でも線条が刻まれることで射撃精度は格段に上がり、この先の量産化が確実に見込めるのが最大の利点であった。

 対する象山の推すのは自身の名を冠した「サクマ式」で、これは黒船の来航時にもたらされたホール銃を模倣し、撃発を雷管式に改良したものであった。遊底を跳ね上げて弾丸と装薬を装填するのだが、引き金近くで、手元で装填できるのが何よりの利点であった。

 いっぽうでどちらも無視できない欠点を抱えてもいる。ブランズウィックは前装ゆえの装填の不便をどうしても克服できなかったし、「サクマ式」の方は吉五郎の指摘した施条の問題はもちろん、遊底を跳ね上げる絡繰を作れる鍛冶もほとんどなく作れても長時を要するのが大きな課題だった。

 単純な性能で言えば「サクマ式」の生産技術を高めるように努力するのが最善手であろうが、まずもって時間がない。外国はもちろん、別の事情もあった。

 

 いつもの問答の後に、象山は兵糧丸を齧りながら言う。

 これも新陸軍の装備の一つとして選考された「兵用糧食」の候補で、象山が推していたがあまりの不味さに満場一致で不採用の決まったものだ。傲岸不遜でなる象山でも押しきれないほどの反発が集まったあたり、どのような味かは察せられるところ。

「吉五郎」

「はい」

 吉五郎もまた堅パンを齧りながら答えた。こちらは先代の韮山代官の導入した舶来のもので、兵糧丸に比べればまだマシであった。


「あと三年…もとい二年あったとして、だ。貴様は「サクマ式」とゔらんずうぃっく、どちらが良いと思う」

「それはもちろん、「サクマ式」です」

 伏せていても膝立ちでも弾丸がすばやく装填できる「サクマ式」は野戦での有利がはっきりしていた。銃隊調練所の数度の演練でもそれは示されている。この点ブランズウィックは明らかに劣る。膝立ちでの装填も不可能ではなかったが、すばやく装填するのであれば立ち上がらなければならない。野戦ではいい的だ。


「間違いないな? …良し。それが分かっていればよい。太郎左衛門殿にはゔらんずうぃっくを推す」

「は?」

 これまでの議論が拍子抜けするほどに象山はアッサリと折れた。訝しむ吉五郎に象山はボソリと続けた。

「坦庵どのへの恩も返せずじまいだったからな、はやく決めて進めてやりたい」

 高弟の密航疑惑で獄に繋がれたことのある象山の復帰を後押ししたのは先代の韮山代官だった。攘夷論を巡って激しく対立していたのがそれで和解、する前に先代は亡くなったというのは吉五郎も聞いていた。

 事情を察した吉五郎は居住まいを正し、食っていた堅パンのクズを払うと立ち上がり礼をする。

「有難うございます。 総長へもよろしくお伝えお願い申し上げます」

「それよ」

「それ、と申されますと」

「吉五郎よ、バカバカしいとは思わんか。

 鉄砲上手と謳われこのオレさえもが認める貴様が、太郎左衛門殿にはろくろく自由に会えないというのは」

「しかしながらこればかりは」

「家格の差、士分とそれ以外の差か? 

 それで沙汰が滞ったら元も子もないとは思わんか。

 オレと貴様がここですったもんだするよりも、太郎左衛門殿の前で議論し裁可してもらうほうがよほど早かったとは思わんか。

 …掃部頭は苛烈ではあったが曲がった男ではなかったな。ただ従う理を間違えていた」

 それ以上のことは象山とて言わなかった。吉五郎も答えない。腹の底を見透かされたと痛感したからだ。あの日の行列にサムライに代わり四人の中間が同道していれば。あの中には撃剣の腕が見込まれ士分に推されていたものだって居た。士分だ中間だ小者だ言わず、腕で護衛を立てていれば。そうすれば御殿様は命を落とすことはなかったのではないか。考えても詮無いことと言い聞かせてもなお湧き上がる吉五郎の後悔と無念を、象山は見抜いていたのだ。

「…掃部頭を襲った賊は舶来銃を使っていたそうじゃないか。なぜそんなものを賊が扱えるのかは措くにせよ、おかしな話だと思わんか? 夷狄を払えと喚くその賊が、掃部頭を弑したのが夷狄の銃なのだぞ。

 刀だけではなし得ぬと観念したのであれば、観念したなりの振舞いがあろうが、それもせずに古い道理に拘る。誰も彼もバカばかりよ」

 黙り立ち尽くす吉五郎をそれきり放っておいて象山は残った兵糧丸を黙々と齧り続ける。


「座れ」

 食い終わって竹筒から水を飲みながら、象山は吉五郎に命じた。

「このオレが折れるのだから、これは一つ貸しだぞ吉五郎」

「はっ」

 それで話は終わりだ、とばかり、象山は吉五郎の傍に立てかけてある銃に手を伸ばす。伊兵衛が用いていた、撃発装置の地板に「38038」と刻字されたブランズウィックそのものだ。調練所の武具庫で見つけて以来、吉五郎は半ばそれを自分用の銃として独占使用している。それを縦にしたり横にしたり弄くりながら首をひねる。

「だが不思議なものだな。どうやったらこの銃で1ミニウトに五発も撃てるのだ」

「それはですな、こう…鉄砲の真ん中を膝に乗せてくるりと回しまして…」

「曲芸のような真似をする」

「真似ようをしたものはいくらでもいましたが、他にできるものは居りません。某も出来なんだ。同輩の又佐はやや上手く真似られたほうですが、それでも出来なんだ」

「吉五郎でもか。やはりその伊兵衛とやらはよほどの鉄砲上手だな」

「傍で見ておりましても神業としか言いようがない技でございました。装填から射撃まで、まさに神速一撃」

「そのような男がいま得られぬのは誠に残念よ。しかし言うても無為なこと。

 吉五郎よ、貴様はゔらんずうぃっくを誰もが1ミニウト三発は撃てるように調練せよ。よいか「誰もが」だぞ。さすればそれで貸しはナシにしてやる」

「はっ」


 文久二年。

 初代にして最後の総長(これ以降は幕府陸軍の長は陸軍奉行と改正される)である 韮山代官により、幕府陸軍制式小銃はブランズウィック銃とすることが決定。

 農兵の育成・火砲開発・砲弾発明に大きな足跡を残し、同年に早世する韮山代官最後の大仕事であった。

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