アウト オブ スタンダード

眞壁 暁大

魔弾の射手

 「誰か、誰かある!!」

 季節外れの牡丹雪に雨がまじり、ようやく薄日も差し始めた春の朝に、彦根藩邸側役 宇津木左近の大音声が響く。


 登城の行列を見送るために屯していた屋敷の若党から中間、小者、さらには未だに門を出切っていない行列最後尾の従者までが、普段は泰然とした態度を崩さない宇津木のただならぬ狼狽に振り返った。

裸足のままそこに駆け寄る宇津木は声を枯らし叫ぶ。

「水戸浪人が殿様を害する虞あり! 尊攘の徒党が殿様を襲うやもしれず!」


 宇津木が言い終わらぬうちに、ましらの如く駆け出したのは小者の伊兵衛だった。

 その向かう先を見やり宇津木は直ちに得心する。

「又佐、吉! 伊兵衛に続き樛堅楼きゅうけんろうより賊を見張れ!」

 とくに殿様が目をかけている三人の小者…吉五郎・又佐ェ門・伊兵衛の三人は軽輩ながら家内でも鉄砲上手で知られている。

 殿様が伝手で手に入れたさまざまな洋式銃も、扱えるのは家中で連中くらいのもの。任せておけばよい。賊が現れれば撃退する助けにはなろう。


 後は行列の増援に誰を出すか…

 宇津木がそこまで考えたところで開け放たれたままの門の向こうから、ばん、とかわいた銃声が届く。

 顔色を一変させた宇津木は同じく青ざめた顔の中間たちに命じる。

「小刀ひとつでも良い、すでに帯刀のものは殿様お救いに向かえ!」

 集まっていた中間たちには家事にあたっていた者が多く、脇差を携えていたのはわずかに四人。

 襲撃の規模はわからぬが十分な支度とはいえない。

 それでも彼らは躊躇なく門外へと駆け出した。



 宇津木のいう「樛堅楼」は、先年の善光寺地震の後に、清国より堅牢なる建築様式として紹介された「福建土楼」を模倣した土蔵作りの多層階の円形兵舎である。

 珍奇な格好の建物ではあるが、ためしに建ててみたところ安政地震でもたしかな耐久性を示したこと、さらに土蔵の分厚い壁が防壁として有用であろうことを期待して、黒船来航以来、江戸城最寄りの親藩譜代の大名屋敷に「堅楼」を設置するように命じられていた。

 外敵に対する防御として備えるのだから銃眼は上層階の海側あるいは城とは反対側に設けるように命じられていたが、(彦根藩にかぎらず)どの家もカネ不足で難渋しているこの時世にかような建築物を即座に完成させられるはずもなく。彦根藩の威容をしめす樛堅楼もまた、外に向けた半分はそれらしく繕って居たけれども、城側の半分は足場と骨組ばかりの状態でしばらく捨て置かれていた。


 殿様が見上げるたびに「不細工極まる」と不機嫌になっていた樛堅楼。

 入ってすぐの武具庫に立てかけていた銃をとり、その階に又佐が足をかけたところで最初の銃声が響いた。

「急げよ」

 すぐ後ろの吉五郎が背負った銃をガシャリと鳴らしながら言う。又佐は駆け登る速度を上げてそれに応えた。


 

 又佐が樛堅楼に登り切るのと、銃声が響くのと、怪鳥音とが聴こえたのはほぼ同時だった。

 見やれば、降りしきる雪の隙間から駕籠を取り囲んでいる男の一人が殿様を引きずり出しているように見えた。

 その男の傍に、まさに寸前まで構えていたであろう刀が転がっている。

 襲撃した賊の放った銃声ではないことは、作りかけで吹きさらしの回廊に漂う煙で分かる。

伊兵衛が寸でのところで狙撃を成功させたのだ。

 伊兵衛から杵築藩邸前の駕籠までの距離、およそ147,8間といったところであろうか。伊兵衛のブランズウィック銃に刻まれた照尺、300ヤードの限界にちかい距離であった。

 その距離を、伊兵衛は裸眼射撃の初弾で、射止めてみせたのである。鉄砲上手で井伊家に聞こえた伊兵衛であったが、この成果には吉五郎も又佐も度肝を抜かれた。


 全てが止まったなか、駕籠の数歩手前で倒れていた男がやおら立ち上がって、刀を失い呆然としている賊に体当りして打ち倒す。その勢いのまま、引きずり出されていた殿様を駕籠に押し込め、駕籠にもたれ掛かり駕籠に背を預けてめちゃくちゃに刀を振り回し始めた。

 それをきっかけにして賊と徒士とが再び動き出すのを、伊兵衛が膝の上で次弾を装填しながら指示を飛ばす。

「又佐、吉どの! 交互に撃ちやれ!!」

 この距離で? と驚愕する二人。だが現に伊兵衛は当てている。

「当たらずとも良い! 撃たれれば怖気づく!」

 そう発破をかける伊兵衛に励まされて又佐も吉五郎も射撃をこなす。

 素人ではないし、持っているのはいずれも上等舶来との呼び声高い洋式後装銃。

 又佐のツンナールはプロシアの、吉五郎のシャープスはアメリカのよく出来た銃。

 どちらの銃も伊兵衛のそれよりも遠い的を撃ち抜ける潜在能力はある。

 伊兵衛ほどではないにせよ、鉄砲上手には相応の自負もあった。二人は言われるまま、駕籠を守る侍に斬りかかる賊に向けて撃ち放つ。


 二撃、三撃するうちに又佐と吉五郎の弾も当たり始めた。朦々たる白煙が回廊を満たすが、ようやくの日差しに押された春の風がそれを押し流す。

 連射ができる二人の後装銃に劣らぬ素早さで伊兵衛の射撃も続いている。

 そうして我武者羅に撃つごとに、駕籠を囲んでいた賊が撃ち倒されるごとに、駕籠の様子が見えてくる。寄って集って駕籠に斬りかかっていた賊だが、駕籠に覆いかぶさるようにして守っている二人の侍に埒が明かないと観念したか、それとも伊兵衛ら三人の狙撃で手勢が削られていくのに音を上げたのか、既に撃ち倒された者以外の賊が散り散りに逃げ始めていた。

 しかし、駕籠を守り抜いた二人の侍は微動だにしない。見れば足元は赤く染まっている。


 吉五郎が罵りの声を上げた。

「なにをやっとるんじゃ徒士の連中は!」

 弁慶の如く立ち往生したその二人以外にも護衛が多数ついていたはずなのに、逃げ散る賊を追撃するものは現れない。あらたに屋敷から駆け出した脇差一本の中間たちだけが賊を追う。


 又佐は焦る。逃げられる。

「落ち着いて撃てばええ」

 構えた銃を微動だにせぬまま、ふたたび伊兵衛は言った。そして発砲。

 背を見せて駆けていた男の頭が爆ぜた。


「刀抜いちょる奴、二本差しでこちらに背を向けてるのはぜんぶ賊じゃ。中間らが追いつくまで足止めすればええんじゃ」


 自身は一撃で賊を仕留めながら気楽なことをいう伊兵衛。

 話しながら既に銃を下ろして次弾を挿入し槊杖で突きはじめている伊兵衛に、又佐は言いしれぬ畏れを感じた。銃を扱える小者三人の中でいちばんの若輩にもかかわらず、その腕は又佐も吉五郎も圧倒している。前装銃にも関わらず、曲芸じみた業で吉五郎はおろか又佐に迫るほどの速さで連射ができる。神速としか言いようがなかった。

 同輩の畏怖にも気づかぬように、伊兵衛は機械のように淀むことなく手を動かしながら、視線は手元に落とすことなく眼光鋭く散り始めた賊を睨み続けている。

 又佐は伊兵衛に言われたとおりに照準をつける相手を探した。

 数瞬もせぬうちに陣笠をあみだに被り、見物の町人を藪こぎのように押し分けながら駕籠列から離れようとしているのを認めた又佐は、伊兵衛に確認するように言った。

「陣笠が野次馬割って逃げよる」

「それも賊じゃ。撃て」

「町人がおるんやぞ」

「御殿様の仇や」

 装填を終えた銃を構え直した伊兵衛は、又佐に目もくれずに答え、次の賊を照準を合わせ始めていた。

 又佐もためらっていたのは一瞬だった。賊の雪に濡れて光る陣笠めがけて引き金を引く。わずかな違和感を覚えるがもはやあとの祭りだった。

 賊の頭を狙ったはずの弾は手前の町人の肩を掠めて賊の胴を抉った。賊はもんどり打って倒れたが、同じように肩を撃たれた町人も悲鳴を上げてのたうち回る。よほどの痛みか、その悲鳴は居合の怪鳥音に比べれば小さいものの、たしかに樛堅楼にまで届いた。

 血風けぶる撃剣の応酬ばかりに気を取られていた野次馬たちも、それでようやくのこと散り始めた。皮肉にも二百年を優に超える天下泰平を思わせる光景であった。


 とどめを刺さねば、又佐はそう考えながら槓桿を引いて薬室を覗きこみ小さく罵声を上げた。違和感の正体は薬室と遊底にこびりついたススと薬莢の燃えカスであった。

 これほど短時間に多数を撃つなど、演練でもやったことがない。普段であればとっくに銃口の掃除をしていてもおかしくないだけの数を射撃しながら、なんら手入れをしていないのだから撃発が不調になるのは当然だった。これ以上無理をして射撃を続ければ、薬室の閉鎖不良で銃が破裂しかねない。


 しばらく撃てなくなる、そう告げた又佐に伊兵衛が考え込んだのはほんの一瞬だった。

「・・・吉どの、いちばん向こうの角を曲がろうとしているのを撃ってくれるか」

「当たるかわからんぞ」

転倒さこかせれば中間らが追いつく。あんだけ駆けても逃げきれないと分かれば諦めるやろ」

 吉五郎は無言で一つうなずくと、米沢藩邸脇の筋道に入ろうとしていた賊を狙撃し見事にこれを転倒させてみせた。

 いかな上等舶来のシャープス銃といえども、その照尺限界にちかい距離を狙撃するのは困難であったが、普段の修練の賜物か、吉五郎は二発目、賊が角を曲がる寸前にその太腿に弾を当ててみせたのだった。


 吉五郎が逃亡寸前だった賊を撃ち倒したのを合図に、腑抜けていた徒士どもがようやく正気を取り戻して動き始めた。御殿様の駕籠と側で仁王立ちでこと切れた二人の侍とを全員で彦根藩邸へ運び入れ、手負いの賊の追撃は軽装で飛び出していったわずかな中間に任せて、生き残ったその全てが逃げ帰ってきた。手負いのものもいれば、無疵のものもいる。

 もとい、無疵のまま戻ってきたサムライのほうが多かった。


 又佐はその様子に唐突に怒りがこみ上げた。

 それが武士か! それがサムライか! その有様が男子の有り方なのか!!

 そのような激情が大音響とともに爆発したかのように錯覚する。


 撃発していたのは伊兵衛の銃であった。

 又佐と吉五郎は呆気にとられた。

 すべてが終わったと思いこんでいた徒士たちも、思わぬ銃声に首をすくめて樛堅楼を見上げている。

 それが最後であると確信していたのだろう、ゆったりと銃をおろした伊兵衛は言った。


「陣笠を棄てて逃げようとしおった。 見届け役であろうよ」



 安政七年三月三日。

 内堀通り杵築藩邸前の彦根藩行列襲撃は、通りに十と八つの首級のない骸を残して終わった。

 その中に、凶行で落命した大老・井伊掃部頭直弼は含まれていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る