第2話ケルベロスじゃなかったかも

 ピチャピチャピチャという音と、頬に湿り気を感じる。それから、気を失ったことを思い出した。


「はっ、どれくらい気を失っていたのだろう」


「ガウッ」


 俺は自分が思っている以上に間抜けだったらしい。隣から聞こえた咆哮で気を失った理由を思い出した。


 そうだ、俺はまた左右をみる……。いる、まぁ当たり前だが。


 右の犬は俺を心配そうに見ていた。俺はコイツに頬を舐められていたみたいで、右頬が湿り気を感じた。


 左側の犬は、俺と目があうと足元に目をやりフンと鼻を鳴らした。


 足元をみるとそこには、所々緑色に変色し、何やらウジのような虫の沸いている腐肉だった。


 俺は吐きそうになったが、餌を取っておいてくれた左の犬に悪いと思い我慢した。しかし、流石にこれを口に入れたくない。


「俺は大丈夫だから、食べちゃっていいよ。ありがとう」


 左の犬は、またフンと鼻を鳴らしてグチャグチャと食べ始めた。


 俺はとりあえず、悩んだ末に、ここから脱出しようと考えた。


 姫という奴の態度も気に入らなかったし、この劣悪な環境では病気になってしまうと思ったからだ。


 早速俺は、通じるかわからないが、犬たちに話しかけた。


「おい、ここから出よう」


「ガウッ」


「フンッ」


 オッケーなのか?まぁここから出ることに異論はないだろう。


 俺は周りを見渡す。やはりほとんど真っ暗だ。


 この場所は、井戸のような作り方で四方、石ブロックの壁に囲まれている。多分地下だから、ここをぶち破るのは難しそうだ。最終手段にしよう。


 次に俺は上を見た。すると、はるか上部に餌を投げ入れる用であろう穴があった。ここだ。


 とりあえず、人間の頃よりはジャンプ力もあるはずだし、届かなくても石ブロックの隙間につめを立てればなんとか行けるかもしれない。


 俺は、とりあえず壁に近づこうとした。


「あれ?」


 俺は全く体を動かせなかった。


 厳密には、首は動かせるのだが、そこから下が全く動かせない。体の感覚はある。それに、よく意識してみると、両隣の犬の頭の感覚も自分の体のように感じられる。


「あのー」


 俺は、犬達に話しかけた。犬達はじっと俺を見る。


「ここからでないか?」


「クーン?」


「フンッ」


 どちらも、よくわかってないようだ。意思疎通は難しいか。どうしよう。


 それに、今気がついたのだが、俺の声は自分が思ったより大きいみたいで、かなり反響している。身体が変わったからか、まだうまく制御できていないようだ。


 それから、どうしたものかと悩んでいると、上の穴から餌が落ちてきた。


 ビチャンッ、ここ数日で何度も聞いた音だ。やはり、少し腐った肉らしく、水気を含んだような音がする。


「俺は食べないから、お前たち食べていいよ」


「えっ!?」


 上から声がした。そして、ズルッという音と女の悲鳴が聞こえてきた。


「うわあああああっ」


 ビタンッ。うわっ、何かが、いや、誰かが落ちてきたみたいだ。


 犬達、もとい、俺の身体がその誰かに駆け寄った。


「うわああ、食わないでくれっ」


 いやいや、食べないよと言おうとしたら、犬達は餌だと思っているようで、口を大きく開けていた。


「待てっ」


 犬たちは涎を垂らしながら、なんとか止まっている。よかった。


 落ちてきた人をみると、耳を塞ぎながら顔に苦痛を浮かべていた。


「大丈夫だよ」


「ああああああっ」


 彼女は耳を塞ぎながら、大声を上げた。


 その間に彼女をよくみると、人ではないみたいだ。


 黒い短パンと、ボロボロの短いタンクトップのようなもの意外は身につけておらず、小柄で細身だが、筋肉質で、紫色の肌に白い短髪、おでこに短い上向きのツノが二本生えていた。十代後半に見える。


「あのー」


「ううっ、耳が痛い……」


 なるほど、俺の声が大きすぎるのか。俺は、蚊の飛ぶような音くらい、かぼそく声を出す意識をした。


「あのー……」


「たっ、食べないでくれっ」


「俺は、食べる気はないよ」


 まぁ、犬たちはわからないけど。怖がらせるだけだろうから、言わないでおこう。


「たっ、助かった……、のか……?てかケルベロスって人語が話せる種族なのか……、いや、そんなわけ……」


「えっ、本当は話せないの?」


「ひっ!……。う、うん、基本的に、完全な獣系の魔物は話せないよ。口の作りが違うんだから」


「確かに、でもそういう魔法とかないの?」


 目の前の人物は、肝が座っているみたいだ。段々と普通に会話をしてくれる。


「ま、まぁ、あると言えばあるんだろうけど、獣人はともかく、そこまでの知能がある魔獣は、ほぼいないんじゃないかなぁ」


「へぇー」


「いやー、でもよかったよ。よかったんだよね?食べないんだよね?僕はグレープ・ソーダ。グレープと呼んでくれ」


 ほう、僕っ子か。初めて遭遇した。悪くない!


「うん、食べないと思うよ。変わった名前だな」


「そうでしょ?恩人がつけてくれた名前なんだけど、変わった人でね」


「俺は、えっと」


 この世界で別に名前があるわけではないから、元の名前でいいか。


「タロウだ。よろしく」


「タロウね、よろしく。やっと目が慣れてきた、しかし、ケルベロスなんて初めてみるな……ん?えっ?うわああああ」


「えっ、なんだ?」


 グレープは叫んだ後、気を失った。なんでだろう。まぁわかってたとはいえ、三つ首の巨大な犬は怖いか。


三十分くらいしてから、グレープは目を覚ました。


「ご、ごめん……君が人語を話せる理由がわかったよ……君はなんていう種族なの?」


「えっ、どういうことだ?ケルベロスじゃないのか?」


「あっ、あー、もしかして、君は自分の姿を見たことがない?」


「生まれてすぐ、ここに投げ込まれたみたいだからな」


「ちょっと待ってて」


グレープは、ポケットをゴソゴソして、小さな四角い鏡を出して、俺の方に向けた。


「うそ……だろ……」


 巨大な黒い獣の身体に、フサフサの長い尻尾。そして、両隣に赤い目が光るオオカミの凛々しい顔。そこまでは想像通りだった。


 しかし、一つだけ違う部分があった。


「お……俺?……え、俺えええええええ」


 真ん中の首だけ、元の人間の頃の頭が身体に合わせたサイズで乗っかっていた。


 俺は、この世界に来て二度目の気絶をした。

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