第8話 もう居ない
私がもう一度振り返ると、もはや「彼女」の姿は無かった。殺風景な夜の道路だけが広がっている。
――またか。
彼女とは、高校生の頃少しだけの間付き合っていた仲だ。
あれから、8年――もう会うことはないと思っていたのにこれだ。
ふとした時に彼女の姿を見かけるようになった。
例えば、独り暮らしの安アパートからゴミ出しに出た時。
例えば、会社のオフィスから外を眺めた時。
例えば、今日のように営業の帰り道にふと振り返った時。
どれも些細なことだが、彼女は確かに居た。
しかし、一瞬目を逸らしてまた見ようとするともう居ない。煙のように消えている。
そして、周囲の人間に確認しても、見たという人はいない。
――どうして、今頃になって……。
その理由が知りたくて、彼女の実家に電話してみたことがあった。
「ふざけるな! おかしな冗談はよせ! あの子はそんな子じゃない!」
彼女の父親からきつい調子でそう言われた後、電話はすぐに切られた。
それからかけ直そうとしたが、同じことになるだろうと考えてやめにした。
彼女の両親からしてみれば、不快極まりないだろうと思ったからだ。
私は夜道で、下腹部を押さえた。
近頃、何だか妙に下腹が重い。医者に行かなければと思いつつ、忙しいのを理由に先延ばしにしている。
本当は、すぐに行くべきではないかとは思っていた――が、行ったところでどうにもならないだろうという確信めいたものがあった。
「人は、死んだ後どうなると思う?」
確か昔、彼女は私にそう言った。
彼女はオカルトというかスピリチュアルというか、その手の話が好きだった。
「死んだらその先には何も無いよ」
私は簡潔に答えた。私は彼女と違って科学の信徒だった。
「違うわ。死んだら人間は霊になって――」
――また始まった。
私はそう思いつつも、彼女の言葉に耳を傾けた。
私はそういったものを信じてはいなかったが、それらの話自体は嫌いではなかった。怪談話の本を読んだこともある――あくまで「創作」としてだが。
思えば、その頃から彼女と私はすれ違っていたのかもしれない。
それでも、彼女と過ごす時間は嫌いではなかった。話がかみ合わず、全く理解できなくても、自分とは違う価値観があるのだということが知れて面白かった。
それはある意味、科学者が実験動物を観察するような目で見るのと同じことで「愛情」とは言えなかったのかもしれないが。
それから、彼女との「別れ」はすぐだった。それはあまりにもあっけなく、涙を流すことさえも忘れていた。
私は夜道を歩き続けた。
今日はもう遅い。一旦帰って明日会社に出て行った時にまとめよう。
それにしても、今日は特に下腹が重い。自宅には市販の睡眠薬があったはずだから、さっさとそれを飲んで寝てしまうに限る。……うまく眠れればいいが。
本当は分かっていた。自分は重大な病気であるということ。そして、死期が近いのだろうということも。
――だから、この世にもう居ない彼女が見えるのだということも。
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