第5話 合言葉
とある地方の建設会社に、事務員の女性が居ました。
彼女はPCの知識が豊富で、誰かがPC関係で困った時は聞かれるのが定番となっていました。
しかし、彼女の地位は一向に上がりませんでした。
厳しい現場作業に比べたら、事務作業など楽なもの――そんな風に思っている風潮が社内にはあったからです。
確かに、実際に作業するのは現場ですが、それを円滑にするのは事務所の仕事です。ですが、職人気質の強い年老いた作業員たちにはそれが理解できませんでした。
社長や部長も事務員を低く見て、高圧的な態度を取ることが少なくありませんでした。
ある日、会社の経営が苦しくなって、誰かをリストラしようということになりました。もっとも、作業員を首にしては現場が回らない――そう思った会社は事務員を切ることにしました。
その対象となったのが、彼女でした。
他の事務員は彼女に辞められると困ると言いましたが、社長や部長は聞き入れません。それどころか、それならお前も辞めるかといって脅す始末です。
どうせ事務員などまた雇えばいい――そんな考えだったからです。
しかし、彼女は意外にもあっさりと聞き入れました。一緒に仕事していた事務員も、本人がそう言うならと受け入れざるを得なくなりました。
「高くつきますよ」
彼女はそれだけ言うと、辞めるまでにまだ残っている仕事を片付けると言って、PCに向かいました。
結局、辞める日まで彼女は一番遅く残って仕事をしていました。
多くの人が気の毒に思いましたが、彼女自身は飄々としていました。
彼女が辞めた翌日、事件は起こりました。
事務所に置いてある全てのPCのパスワードが変更されていたのです。
これでは仕事にならない――そんな声があちこちから上がります。
彼女の仕業だと、皆が気付きました。
部長が彼女のスマホに電話しました。
「何を勝手なことをしてくれたんだ! すぐに元に戻せ!」
社員であった時と同じように高圧的に言いました。
「は? なんのことでしょうか?」
「お前が全部のパソコンのパスワードを変えたんだろ!? すぐに元に戻せ!」
「私はもう御社の社員ではないので、従う必要はありません」
彼女は平然と返します。
「ふざけるな! お前がしたのは確かなんだ! ごちゃごちゃ言ってると訴え――」
「では、証拠をお出しください」
「昨日お前が最後まで残っていたのは――」
「で、最後まで残っていたとして、私がパスワードを変えたという根拠は?」
その言葉に、部長は詰まりました。
彼はPCに詳しい訳ではありませんでしたが、確かにパスワードを変えたというのを誰も見ていない――それだけは分かりました。
とはいえ、このままでは会社の業務が滞ってしまうことは確実です。設定済みの特定のPCから電子入札や電子発注等はしなければならないので、それらに遅れれば会社は莫大な損失をする可能性もあります。
「うるさい! これは犯罪だ! 警察に届け出てお前の指紋を調べれば――」
部長は半ば
「犯罪者でもないのに指紋を? そもそも、私は他人のパソコンも触ることが多いので、指紋が出てもなんの証拠にもなりませんよ」
そうです。彼女は何かある度に他人のPCを扱っていたので、指紋が付いていても不審でもなんでもありません。
「と、とにかくだな……」
もはや部長は言う言葉が見つかりませんでした。
「御社には大変お世話になりました。後はご自由に……」
それだけ言うと、電話はプツリ切れました。
冷静になってかけ直そうとした時には、既に着信拒否となっていました。
彼女の自宅にも向かいましたが、居ないのか一向に出てきませんでした。
皆さんも、パスワードの管理にはくれぐれもご注意を。
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