第6話 いつの間に

信用していいよってどういうことなのか。穂波と別れてからもずっとその言葉の意味を考えていた。何かが引っ掛かる。その時、「もう人なんて信用しない」自分が放った言葉と共に、ある映像が浮かび上がる。雨が降っている。びしょ濡れの男は良で、いつもの制服姿である。泣いているのか、水溜まりの校庭にうずくまり、泥を掴んで、地べたを叩いている。

「あれは、なんだった?」

記憶を辿ろうとすると頭痛がした。風南海に会うために砂浜を歩いていた良はその場に座り込み、海を見た。朝日がキラキラと水面を照らしている。なんて幻想的で素敵な光景なのだろう。良は目を細めた。天使の梯子が海に向かって降りていたからだ。

「あの上の世界って天国なのだろうか」

両親を亡くした時からそう思っている。その明るい振る舞いからは想像できないが、彼はとても繊細な心の持ち主だった。或る意味、穂波の存在が、彼が、これまで生きてこられた要だったのかも知れない。

「あれっ」

良は立ち上がった。天使の梯子の下に人の姿を見た気がしたからだ。ゆっくりとした足取りで歩を進めると、そに人物が風南海だと気が付いた。

「かっ風南海さーん」

彼女を呼びながら、良は海に入って行った。海水は、氷水の様に冷たかった。こんなところに入ったら、死んでしまう。

「風南海さん」

普通に泳ぐのと違い、足が取られる。そうだ、泳げばいいんだ。良は泳ぎが得意な方だ。クロールで泳ぎ、すぐに風南海の腰を捉えた。

「捕まえた」

風南海は抵抗しなかった。青白い顔を朝日に向け、泣いていた。

「寒いから帰ろう」

風南海の肩を抱き、手で波を漕ぎながら歩いた。風南海の家に連れて帰る気はない。きっと家庭に大きな事情を抱えている筈だ。しかし良の自宅という訳にも行かず、学校の保健室を思い出した。休日のきょう、保健士はいない。先週、衛生班だった良は、保健室の鍵を持っている。

ふたりが並んで歩く様子を、穂波は見ていた。良と公園で別れてから、そこを動いていない。少し距離を置き、良の後を追っていたら、今の光景を目にしたのだった。

「どうして、こんなことに」

穂波は溢れる涙を堪え切れず、両手で顔を覆って泣いた。


「少し暖まった?」

保健室にある予備のジャージに着替えたふたりは、並んだベッドに向かい合って座っていた。

「うん、とっても」

「温かい飲み物でもあったら良かったんだけど、何もないなごめんね」

風南海はかぶりを振った。

「良くんを巻き込んでしまって申し訳なくて」

「まあ、いいじゃん。それで、聞くよ。どうしてあんなこと。自殺しようとしたんでしょう。海水浴とは思えないしね」

「うん、死んじゃいたいと思った。半分だけ」

「半分?」

「今朝は気分が良くてね、海岸を歩いていたの。良くんに会いたくて」

風南海に真っすぐ見られ、良の視線が泳いだ。

「そうしたら、公園で穂波さんと話している良くんを見て、どういう訳か、悲しくなってきて、もう生きている意味がないような気になり。気が付いたら海に入っていた。ばかだよね」

「そんな……でもなんで、僕と穂波が一緒だと死にたくなるの?」

「良くんのことが好きだからよ」

「……」

僕も好きですという言葉が、すぐには出て来なかった。愛の告白をされたことは何度もあるが、今回はいままでとは違う。サイドボードに置いた白湯の入ったマグカップを取ろうとして、手先が狂い良は、お湯を零してしまった。すると風南海は良の隣に座り、彼の両手を挟み、肩に頭を乗せた。

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