第4話 若すぎて

更に1週間が経過しても、風南海の部屋の窓が開くことはなかった。夕方の暗い時間に行っても、部屋の電気は点いていない。表に回るとリビングと思しき部屋は明るかった。やはり風南海は入院しているのか。だとしたら、あの日の。ふたりの行動が影響しているに違いない。良は、自責の念に苛まれる日々を送っていた。

「元気ないね、良」

穂波とふたり、学校の屋上にいた。穂波は柵に腕を置き、海を見ている。良は海に背中を向ける様にして、穂波の隣に立っていた。

「風南海さんから連絡ないの」

「連絡先、交換してないから」

穂波は首を曲げ、良を見た。腕に顔を置いている。

「まじで?」

「持ってないんだってスマホ」

「珍しいね」

穂波は突き放す様にいった。

「病気なんだ、彼女」

「病気?」

「もう3年になるといってた」

「治るの?」

穂波は柵に背中をつけ、良を見上げた。

「たぶん、治る。と思う。あまり病気の話しをしたくない様子だったから。詳しく聞いてないんだ」

「確かに、顔色は悪かったと思う。色白なのかも知れないけど」

良は大きく伸びをした。

「放課後、また家に行ってみるよ」

「彼女に会えたらいいね」

穂波の強張った作り笑顔を見て、良は彼女の頬をやさしくつねった。

「しあわせになれよ」

「なによ急に」

良が去っていく後ろ姿を見ながら、穂波は自分の頬にふれた。そして俯くと、その場に座り込んでしまった。


風が強く、波もうねりを見せている。良は荒れる海を見ながら、風南海の家へと歩いていた。良の高校は、この海岸線にあった。片側1車線の道路を挟んだ山側だ。この道は車の通りが激しい。1本奥に入ると狭い道ばかりで、地元の人間以外では、迷って、引き返すのも苦労する。なので人々は皆、この海岸線の道路を使う。良はいつも自転車でこの道を通り、防波堤の前にある公園に停めてから砂浜に下りる。朝夕、この海岸には犬の散歩の人が多く行きかうが、暗い時間帯には、人の姿は見られない。午後5時、町は既に薄暗かった。

「良くん」

風南海の家に向かう手前に海の家がある。もちろん閉店しているが、その店の脇のベンチに、風南海が座っていた。

「風南海さん」

風南海は歯を見せずに微笑んでいた。片手を肩の高さまで上げ、手を振っている。

「なによ、お化けでも見るみたいに」

良はうろたえた様子で頭を掻いた。久しぶりに見る風南海はとても新鮮で、それでいて美しかった。

「ずっといないから」

そう良がいうと、風南海はベンチの脇に寄り、ここにおいでと、ベンチを叩いた。彼は軽く辞儀をしてから、誘われるがままに、隣に座った。

「1週間、合わなかっただけで、人見知りになっちゃった?」

「そんなことないよ。人見知りなんて、子供じゃないし」

良は口を曲げた。

「うふふふ、元気があって良かった」

「風南海さんこそ、お元気でしたか」

良は風南海に、揃えた膝を向けた。

「うん、元気よ」

「入院してたの?」

「うん、そうよ」

入院の話しをした途端、風南海は視線を逸らし、スカートのヒダを弄んでいる。

「やっぱり、あの外出が原因かな。お母さん、怒ってなかったですか?」

「怒ってないよ」

風南海はこちらを見なかった。横顔は微笑んで見える。

「実は心配で、一度だけ玄関のチャイムを鳴らしたことがあるんだ」

「えっ」

風南海は、はっとした顔付で良を見た。

「いつ?」

「別れた日、だったと思う」

「お母さん、なんて」

「インターフォン越しだったけど、どなたですかとだけ」

「そう、他には」

「何も?」

風南海は上を向いて、息を吸い込んだ。目は瞑っている。

「ごめん、いきなり訪ねて、お母さん、びっくりしたよね」

「ううん大丈夫よ」

ふたりは真っ暗になった海を見つめていた。波の音だけが激しく、怖いくらいに心を震わせる。

「わたしね」

風南海は、波の音に消されそうな小さな声でいった。

「どうしたの?」

「実は、わたし……」

「うん」とてもいい難いことを話そうとしているのだろうと良は思った。

「良くんに話さなければならないことがあるの」

「わかった。聞くよ」

彼女の方に完全に向いた時、良の手が、ベンチの上にあった風南海の手にふれた。その時、暗がりの中で人影が動いた。

「あっ」

風南海は何かに弾かれた様に立ち上がると、良を抱きしめた。

「また」耳元でそういい、彼女は去って行った。

良はしばらくその場を動けないでいた。風南海の香り、肌の冷たさ。良の首にふれた指先は、特に冷たかった。良は自分の首筋をさわると、手のひらを見た。そして匂いを嗅いだ。あれ程ちかくで女性を感じたのは、はじめてのことだった。風南海さんはどうなのだろう。そういう経験はあるのだろうか。いまは二十歳だが、3年前から病気だし、高校に入ってすぐに身体を壊したといっていた。恋をしている時間なんてなかっただろうに。そう考えると、気持ちが楽になった。小さな男だと自分で思う。

「それより、風南海さんは僕に何を伝えたかったのかな」

暗がりの人影は、心配した彼女の両親だろうか。言葉にするのも憚られる何かが、風南海を苦しめているのは事実のようだ。

「あれ、なんだろう?明るい」

山側の中腹あたりで火の手が上がっているように見える。良は微かな頭痛を覚えた。

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