第2話 薄明光線

良はすぐに風南海に会いに行った。初対面の時と同じく、制服を着ていた。風南海ははじめて、良が近所の高校に通う生徒なのだと気づく。

「ふーん、結構かしこい学校に通ってるのね。その制服、あそこの学校でしょう。思い出すのに時間が掛かったわ」

窓越しに、ふたりは会話をしていた。

「運だけでで入ったんです。ほんと、僕は賢くないですよ」

良は唇を軽く噛んでいた。風南海からは、良のその仕草は照れ隠しの様に見えた。逆に良は、風南海の高校のことを聞かなかった。卒業出来なかったといっていたから、きっと学歴のことは話したくないだろうと思ったのだ。そして、自分が制服姿で現れたことを酷く後悔した。

「もうすぐ文化祭のシーズンかしら」

「ああ、そうですね。うん、そう」

良は頭を掻いた。制服なんかで来たから、風南海に気を使わせている。そう思うと、遣りきれなかった。

「行ってみたいな~、興味があるなあ」

「えっ?」

風南海の意外な反応に、良は面食らった。

「実はね、高校に進学してすぐに体調を崩したから、殆ど学校に通えてないのよ。文化祭、愉しみしていたのに」

「行きましょう」

良は膝立ちになり、真正面から風南海を見た。

「ふふふ、なんか可愛い」

「え、なんですか?」

「良くん、座っていると、わたしが見下ろす形になるから、こうやって目線が合うと、お顔がはっきり見えて嬉しいわ」

「そうですか、可愛くはないですけどね僕は」

良は真顔でそう答えた。可愛いといわれるのは、あまり好きではない。

「そこはハッキリいうのね」

風南海はクスクス笑った。

「男ですから、可愛くないです。可愛いのは女、子供、動物に限るので」


九月下旬、良は風南海を連れて文化祭に出掛けた。それまでに何度も、彼女とは窓越しに話をしている。風南海はいつも同じワンピースを着ていた。お気に入りを何着も持っているのか気になったが、良は聞かなかった。

文化祭に、彼女はどんな格好で来るのか、少しだけ意識した。彼女との外出ははじめてのことだったし、2歳も年上で美人ときた。友達に自慢したい気持ちもあった。

「良くん」

風南海とは校門の前で待ち合わせた。約束の時間に遅れそうになり、門の内側から駆け足で飛び出したら、後ろから呼ばれた。振り返ると彼女は照れた表情で立っていた。

「どうしたの」思わず彼は聞いた。彼女は高校の制服姿だった。

「だめかしら?」

「ううん」良は大きく首をふり、だめじゃないといった。

「年がバレちゃうかな?」

「そんな、全然そんなことない。かわいいし、いちばんステキに目立ってる」

良の言葉通り、風南海は周囲の人々の視線を集めていた。風南海が着ているのは清楚なお嬢様学校の制服だが、学校が東京だったので、この土地の人間には、彼女がどこの高校の生徒なのかはわからない。風南海は3年前、母方の祖母の家に越してきていたのだ。祖母は当時、既に亡くなっており、家は空家となっていた。

「ご両親、機嫌よく出してくれた?」

風南海から、両親が心配性だから、きょうの外出の許可が出るか不安だと聞いていた。

「うん、暫く体調が良かったから、安心してた」

「なら良かった」

良は胸を撫でおろした。隣で風南海は唇をきつく結んでいる。両親からの許可など嘘だった。丁度、出掛けた両親の隙を見て抜け出して来たのだ。

「良!」

通りの向うから、女友達が数人並んで歩いて来た。良に手を振っている。風南海は、思わず顔を横向けた。そんなにたくさんの人に会うのは慣れていない。

「遅いなお前たち」

良の言葉遣いはいつもより乱暴だった。風南海は、襟を直すふりをしていた。

「だれ?」

良の幼馴染みの穂波ほなみだった。明らかに不機嫌な顔付に、物言い。風南海は、前髪を直すふりをして視線を下げた。

「友達の風南海さん」

「さんって、年上なんだ?」

「はい」

両手で持った学生鞄を手前にし、風南海はうなずいた。

「留年?」

「えっ、ああ」

風南海は一度、首を振り、そしてうなずき、最後に首を傾げた。

「風南海さんだったっけ、年上ってことは留年でしょう、良は3年生なんだし」

「やめろよ初対面で、留年とかじゃないし。まあいいじゃんそんなこと、もう行けよ、あっちに」

「あーっそう、なんかダリい」

穂波はわざと大きな溜息をつき、他の友達と連れ立って校内に入っていった。

「あーもう、本当にごめん」

良は膝に両手をつき、頭を垂れた。

「大丈夫よ、良くん。平気だから」

「あいつ穂波っていって、僕の幼馴染でいっこ下なんだ。小さい頃からしつこく懐いていて、僕の周りに来る人間は、男だろうと、女だろうと警戒するんだよ。どっかに行けっていってるのに」

良は穂波の行った方向を見ていた。困った様に眉尻を下げている。そんな良の横顔を見て、風南海は少し寂しい気分だった。

「そうだ、体調はどう?」

そう聞かれ、風南海は背筋をしゃんと伸ばした。

「きょうは不思議なくらいに身体が軽いの。ううん、きょうだけじゃないわ。良くんが遊びに来てくれている時は、病気のことを忘れてしまう程」

「それは良かった」

良はおどけて胸を張った。

「さ、行こうか?」

「うん」

「クーポン、いっぱい買ってあるから、どこでも入れるよ」

「それ、お金掛かってるでしょう。払うわ」

風南海は学生鞄を胸に抱き、中を覗いた。

「あれっ」

「いいよ、いいよ。バイト代も入ったばかりだし、きょうは僕に奢らせて」

「ううん、ごめんね。お財布、忘れてきたみたい。家にはあるから、取りに行ってくる」

「いいって」

良は風南海の肘の辺りを軽く掴んだ。風南海が振り向く。しかし彼女の怯えた様な顔付を見た時、良は反射的に手を離した。

「ごめん」

「ううん」

首を振った風南海は、片手で顔の半分を抑え、息を吐いた。

「いやだなあ、わたし。良くんより2歳も年上だからって、肩肘張っちゃって。長らく病気だと、物の捉え方が皮肉になっちゃうのかな。わたしに限ってのことだけど……」

「いいよね」

風南海に顔を近づけ、良は聞いた。

「え?」

「遊んで帰ろう。折角来たんだから。身体がしんどくなったら教えてくれればいいから。僕が責任を持って送っていくよ」

良のその言葉を聞いて、風南海の心は軽くなった。何日も前から、ずっと楽しみにしていた文化祭だ。病院以外の外出は、何年ぶりだろう。心が騒いで、昨晩、風南海は眠る事ができなかった。

「良くんは、カフェを開いているのでしょう」

「そう、行ってみる」

「うん、うん」

風南海は2度、続けてうなずいた。良のクラスが運営するカフェに行くことがきょうのいちばんの楽しみだったからだ。

「あー、凄い行列だなあ。裏口からこっそり入ろうか?」

良のクラスの前には、長蛇の列が出来ていた。ふたりは顔を見合わせ、諦めた表情を浮かべた。

「いいよ、いいよ裏口なんて、ちゃんと並んでいる人に悪いもの。他に屋台もあるし、ねっ」

「そっか、風南海さんは真面目だな。わかったよ。まあ、帰りにまた来たら、空いているかもね。先に屋台に行こうか」

屋台は3つある校庭の全ての場所に出店されていた。良は風南海の身体のことを考え、なるべく人の少ない、中庭を選んだ。

2階の踊り場の窓から下を覗く、思った通り、閑散としていた。

「ここだけ空いているのね?」

中庭に着くと、風南海は身体を1回転させて中庭を見渡した。500坪ほどの敷地に、屋台が5店。客の数はパラパラと20人程度だった。

「焼き鳥、タコ焼き、クレープ、ガーリックシュリンプ、綿あめ。うん、バラバラな感じだけど、風南海ちゃんは、最初に何が食べたい?」

「焼き鳥」

「焼き鳥?」

「なんだかイメージと違うなあ。もっとハイカラなものしか食べないかと」

「焼き鳥、好きなの。家では食べられないし、ずっと食べたかったのよ」

「じゃあ、食べよう。焼き鳥」

焼き鳥の屋台の前に来ると、良は掌で額を覆った。

「どうしたの?」

「焼き鳥は、他の店のを食べよう」

「なーによー!逃げるの。わたしが何かした?」

屋台の中から穂波が顔を出した。ハチマキをして、焼く前の、生の焼き鳥を数本、両手に持っていた。

「なんでもないです。じゃあ、さようなら」

穂波を避ける様にして立ち去ろうとすると、穂波に怒鳴られた。

「買いなさいよ!バカ!」

「押し売りかよ」良は風南海にごめんと謝り、嫌々、穂波の焼き鳥を買った。風南海は中庭中央にある、大きな桜の木の周りに巡らされたベンチに座り、良を待った。焼き鳥が焼けるのを待つ間も、良と穂波のふたりは、まるでコントの様な口喧嘩を繰り広げていた。

「ねえ、あの子だれ」

穂波が聞いた。厳しい視線を風南海の横顔に向けている。

「友達だよ」

「どこで知り合ったの?あの制服、見たことないんだけど、どこの高校?」

「なんだよ、尋問かよ。彼女のプライバシーに関することは言わないよ」

「なんでよ」

穂波は手を腰に当て、良を見た。

「大切な人だから」

「大切ねえ……知り合って何日?」

「どうして?」

「いいから答えて」

「半月、くらいかな」

「そんなんで大切な人っていえるの」

「言えるよ」

良の瞳の奥の真面目さを目の当たりにした穂波は目を伏せてしまう。

「あたしの方が、良のことを知ってる」

ぼそぼそと喋った。良は風南海を気にし、穂波に背中を向けている。風南海は風に身を任せるようにして、目を瞑っていた。

「はい、できたよ」

紙製の袋に入れられた焼き鳥が2本、差し出されたが、良は気付かない。

「ねえ良、焼き鳥、できたって。クーポン頂戴」

「えっ、クーポン」

「もう、ぼーっとしちゃって」

穂波の視線は常に良にあった。気の強さをそのまま顔に描いたような顔付の穂波を良はいつも、「目のまん丸い猫娘みたいだ」とからかう。

「なに、見とれてるのよ。バカみたい」

「天女みたいじゃないか?」

「えっ?」

腕組をし、穂波はわざと良の視線の先を見なかった。

「風南海さん。天女のようだ」

「なーにが天女よ」

しかたなく穂波は風南海を見た。見て、すぐに目を擦った。

「どうした。美しすぎてまぶしいだろう」

「えっ、うん。眩しいのは眩しいけど、光が眩しくて。良く見えない」

「悪あがきをするなよ穂波。えっまぶしい……」

そこまでいって、良は言葉を止めた。

ー天使の階段って言葉を聞いたことがある。実際には、雲の切れ間、あるいは端から太陽の光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える現象の俗称だ。しかしきょうは、通常とは逆に、雲の切れ間から上空に向かって光が出ていた。まるで風南海を迎えに来たかのようにー

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