大文字伝子が行く86

クライングフリーマン

大文字伝子が行く86

午後3時。EITO会議室。

「理事官。提案があります。」と、みちるが手を挙げた。

「何だ、白藤。珍しいな。言ってみろ。」「私、この前まで妊娠していました。流産しました。」「知ってる。残念だったな。よく立ち直った。それで?」

「愛宕と、産まれて来る赤ん坊の名前、色々と相談していたんです。「うむ。それで?」「お名前カードのデータにも、運転免許証のカードでも見つからなかったんですよね。住基データでも時間がかかるんですよね。もし、住基データにも無かったら、『まだ産まれていない人物』で探すのはどうでしょうか?元妊婦の発想です。」

二人の会話に、思わず伝子が叫んだ。「それだ!ラスボスは、殺す時間や場所を決めるのに時間がかかるって言いましたよね、理事官。みちる、出産予定の子供の名前が『中田臣吉』って言いたいんだな?」みちるは頷いた。

「面白い。やってみよう。時間をかけてな。総理に頼んでくれるか、大文字君。」と理事官は伝子に尋ねた。「全日本医師連盟に協力させるんですね。前の志田総理だったら無理だったかも知れないけれど、市橋総理ならやってくれそうですね。」

その3日前。

午前9時。伝子のマンション。伝子と高遠となぎさは朝食を採っている。

「なぎさ。着替えてから食べろよ。学は男なんだぞ。」「はーい。」

なぎさは伝子に言われて、予備室に消えた。予備室とは、以前『お仕置き部屋』と言っていた部屋である。

「本当の『妹』になりたいのかな?」と、高遠は伝子に内緒話をした。「多分な。お前、誘惑されないように気をつけろよ。」「マジでありそうだから怖いな。」

高遠はテレビを点けた。ニュースを放送していたが、「臨時ニュースを申し上げます。今朝8時頃、また、警視庁宛に『です・パイロット』からメールが届きました。今度は中田臣吉を殺すことにした。殺す時間や場所を決めるのに時間がかかるかも知れない。追って連絡する。EITOの諸君。待っているといい。以上です。』

午前9時半。高遠達が朝食を終えたのを待っていたかのように、EITO用のPCが起動し、アラームが鳴った。

「大文字君。ニュースを見たかね?」「はい。ついさっき。理事官。やっぱりラスボスは『シンキチ』に拘っているようですね。」「うん。取り敢えず会議だ。一佐。休暇終了を繰り上げていいかな?」「喜んで。」「喜んで?誰の影響だ?とにかく、オスプレイが向かっている。高遠君。済まんが、数日は帰れない。」「はい、分かっています。」

画面が消えると、3人は準備を始めた。

午前10時半。EITO。会議室。

「最初からターゲットの名前を明かすなんて大胆な幹ですね、です・パイロットは。」と、珍しく金森が発言した。

「探しにくい人物、ということでしょうか?あの自信は。」と、結城が発言した。

「警察は、どうするんですか?」と、大町も積極的に発言した。

「捜査本部は設置出来ないですよね、理事官。」と、今度は、あかりが発言した。

「新町の言う通り、警視庁にメールが来たからといって警察に対策本部は設けられない。事件はまだ起こっていないわけだから。前回のように『人質』があれば、誘拐事件だから設置するが。ここは、EITOの案件だ。」と、理事官は応えた。

「あのー。前から疑問に思っていたのですが・・・なんで敵は警察のメールアドレスをしっているんですか?」と馬越が遠慮がちに言った。

「それは、僕が説明しよう。敵は、前からハッキング等で警視庁のメールアドレスを知っていたわけじゃない。一部のマスコミはそれを疑っていたりするけれど、ね。知っていたんじゃなくて、ヒットしたんだよ。フィッシング詐欺の手口だな。数字とアルファベットを併せた36種類の文字の組み合わせで、架空のメールアドレスをセットし、組み合わせが無くなるまで同じ文章を通信プログラムで繰り返し送りつづける。お人好しの人は、そのメールアドレスに返信する。すると、罠にかかってしまう。そのやり方で、昔、相談連絡用のアドレスに使われていたアドレスにヒットしたんだ。今は、警察の相談用に設定されているアドレスには、セキュリティーで送り主のアドレスが分かってしまう。だから、そのやり方にしたんだろう。因みに、その、敵のアドレスには送り返せないようだ。」

「今の長い講釈で分からない人も、敵と警視庁が通じていないこと位は分かってくれたよね。」渡は草薙の説明に茶々をいれ、草薙は、むくれた。

「長い講釈で悪かったな。」と、言う草薙に、「まあまあ。詰まり、です・パイロットからは一方通行だ。単純な誘拐犯人とは違う。」と、理事官は言った。

「36種類の文字?」と、浜田が反応した。

「コンピュータでは、数字は2つのやり方で扱う。計算用の数字と、文字表示用の数字だ。ゼロから9迄の文字用数字の10文字とアルファベットの26文字で36種類の文字だ。いちいち当てずっぽうで送るんじゃなくて、プログラムが自動で行う。普段、コンピュータを操作する為にだけ使う人にはイメージしにくいが、システムを使える人間には簡単なことだ。いかん、また講釈した。」草薙が頭をかいた。

「問題の、犯人の親玉が指定する人物は、どうやって探すんですか?」と、安藤が手を挙げて言った。

「漏洩したのは、お名前カードのデータだ。理事官。そのデータの中で、『中田臣吉』は?」と、伝子が尋ねた。

「読みが同じでも漢字が違う。です・パイロットが、わざわざメールを使うのも、同音別名を除外する為だと思う。つまり、ヒットしなかった。今、公安委員会のデータ、つまり、運転免許証所持者のデータで照合している。身分証として運転免許証を持っていても、お名前カードを作っていない人は大勢いるからね。」

伝子の問いに、理事官は簡単に応えた。

会議が閉会する前に、伝子は、なぎさに言った。「なぎさ。後で、みちるに会議の内容を伝えておいてくれ。」「おねえさま。じゃ、みちるは・・・・。「明日から本格復帰だ。」

午前10時半。伝子のマンション。高遠は、Linenのテレビ会議をしていた。

「誘惑された?」と依田が素っ頓狂な声を上げた。

「一佐が高遠を誘惑するなんて、想定外だ。」と、福本が言った。

「やっぱり、ショックで・・・おかしくなったのかなあ。」と服部が言った。

「今朝、なかなか起きないから、伝子さんに言われて起こしに行ったら、伝子さんのキャミソール着て出てきた。びっくりしたよ。そのままご飯食べようとするから、流石に伝子さんも注意したけど・・・。」と高遠は説明した。

「本当の妹に成りたがっているのかもね。ウチの蘭は、よく裸で僕の前を通り過ぎるし、着替えずにご飯食べたりするよ。」と、南原が言った。

「やっぱり、まだ尾を引いているんだな。大丈夫かな?戦線復帰して。」と物部が言った。

「3日じゃ無理よ。」と栞が言った。

「1週間でも無理かも。でも、先輩の右腕だしねえ。」と、祥子が言った。

「箱根の活躍ぶりは、とても傷心の人とは思えなかった、って、スタッフが言ってたわ。」と慶子が言った。

「私も一言言っていい?」と、蘭が言い出した。

「高遠さん、誘惑されても乗っちゃダメよ。先輩や高遠さんも傷つくけど、一番傷つくのは、一佐よ。」

「ありがとう、蘭ちゃん。ああ。みちるちゃんも復帰したらしいよ。」と、高遠が言った。

「じゃあ、最後は僕かな。みちるも復帰したけど、青山警部補がEITOに出向になったよ。」と、愛宕が発言した。今までは、あまり参加しなかったが、テレビ会議になってkら、愛宕はちょいちょい参加している。署長の許可を得て時間限定だが。

「青山さんが?じゃあ、愛宕さんの相方は?」と、高遠が尋ねた。

「橋爪警部補が転勤してきました。橋爪さんには、EITOとDDのこと、予め話しておきました。協同で動くことがあるし。」

愛宕は、高遠にすらすらと話して、テレビ会議から離席した。それを機に高遠は散会をした。

「ふうん。」声がするので振り向いたら、エプロンを着けた綾子と藤井だった。

「聞いてたんですか?」「聞いてた。」「チャイム鳴りませんでしたけど。」「鳴らすのを忘れたわ。」高遠の言葉に、綾子は平然と返した。

「田舎から福神漬けを送ってきたの。じっくり煮込んでカレー食べましょうよ。」と、藤井は言った。

「料理教室は?」「今日は午後2時から。綾子さんも参加するって。」と藤井が応えた。

「料理居室の後は、帰るわ。伝子から婿殿を盗ろうと思ってたけど、蘭ちゃんに叱られるから止めるわ。」高遠は呆れた。

午後1時。藤井と綾子は帰っていった。

EITOのPCが起動した。画面には、伝子が映っている。

「学。困った。」「どうしたの?」「お名前カードにも、運転免許証所持者のデータにも『中田臣吉』の名前はない。」

「住基データは?住民基本台帳ネットワークシステムのデータだよ。お名前カードの前身のシステムだけど、自治体によって不揃いだったけど、まだデータはある筈だよ。来年からは新規データは扱わないって聞いているけどね。お名前カードのデータと重複する部分もあるが、そうでない部分もあるかも知れない。歴代総襟は世論や反対派に負けて、ちゃんとしたシステムが出来ないまま来た。コロニーのお陰でお名前カードの全国民化は進んだけど、まだまだこれからなんだ。お名前データシステムがちゃんと完成していれば、簡単に見付け出せるかも知れないのに。」

「分かった。高遠君。流石だね。しかし、どうやって早急にデータを・・・。」二人の会話に割って入った理事官だったが、データ収集が困難に思えた。

「総理に頼んで下さい、理事官。」「総理に?」「自治体の首長である知事に直接依頼出来るのは総理だけだと思います。今、話した通り、システムを作っていない、あるいは先に破棄してしまった自治体もあるかも知れない。時間が勝負です。会議なんかしている暇はない。中田臣吉がどこの誰かは知らないけれど、です・パイロットは予告したんです。使い魔を使って、必ず殺そうとするでしょう。それに、伝子さんには借りが沢山ある筈ですから、応じてくれる筈です。」

「分かった。一旦切るよ。」画面は消えた。

30分後。高遠が風呂を洗っていると、EITOのPCのアラームが鳴った。行ってみると、画面の理事官はニコニコしていた。

「快く引き受けてくれたよ。人命がかかっている、ラスボスにみすみす負けを認める訳にはいかない、と言い添えてね。うまく行った。後は結果待ちだ。」

翌日。午後4時。高遠は洗濯物を取り込んで、畳んでいた。

高遠のスマホのバイブが鳴った。伝子からだった。「学。ダメだった。お手上げだ。」

「じゃあ、完成しなかったシステムだから、『こぼれた』データかな?後は市役所・区役所等の直接のデータだけど、時間がかかりそうだね。」「うん。今、その作業に入っている。住基データを持っている知事にも持っていない知事にも、各首長に伝達、職員に作業をさせている。」「そうか。待つしかないね。」

翌日。午後2時半。EITOベースワンでトレーニングをしていた、みちるは、思いついた事を会議で提案することにしようと、ロッカールームで決意した。

そして、午後3時。EITOベースゼロ。会議室。

「理事官。提案があります。」と、みちるが手を挙げた。

午後3時。総理官邸。

「分かったわ、大文字さん。住基データといい、色々思いつくのね。『3人よれば文殊の知恵』って言うけれど、貴女たちには甲を脱ぐわ。コロニーで儲けまくって不正ばかりしたんだから、今度こそお国の為に役立って貰わなくては。」総理は、今度も快く引き受けてくれた。

午後7時。EITOベースゼロ。作戦室。伝子のガラケーに総理からのホットラインが入った。総理の提案でホットラインの電話番号がセットされたのだ。

「見つかったわよ、大文字さん。」伝子は草薙に合図をして、ガラケーをスピーカーに繋いだ。

理事官達も聞けるようになった。

「病院は、泉本病院。泉に本と書いて『いずもと』。そこの妊婦さんで、中田さんがいて、明日に出産予定。知っての通り、今は出産前に性別が判る世の中。男の子の予定だから、中田さんは『臣吉』と名付けた。『しん』は大臣のしん。間違いないわ。狙われているのは、その子よ。間に合ったかどうかは、貴女たち次第ね。後はお願いね。」

「了解しました。」と、伝子は言った。

「やっと、駒が一つ進んだか。何としても、その子を守ろう。」と、理事官が言うと、増田が「理事官。使い魔は病院内にいるのかも。」と言った。

「そうだな、増田。偉いぞ。出産する妊婦から、『中田臣吉』の名前を知った使い魔がです・パイロットに報告したんだ。いや、『シンキチ』の名を知った、と言うべきか。」と、伝子はため息をついて言った。

「よし、救出作戦を練ると同時に、使い魔を探しだそう。」興奮する理事官に、「理事官。池上先生に協力して頂いては?」と、なぎさが提案した。

「どうした、みんな、今日は。冴えているじゃないか。池上先生に依頼しよう。」と理事官は笑って応えた。

会議は深夜まで及んだ。

午前2時。伝子のマンション。

高遠は、経緯を伝子のLinenメッセージで知り、安心して眠った。

翌日。午前9時。泉本病院。

手術室の『手術中』ランプが消えた。

「無事終りました。丈夫な男の子です。」手術室を出た産科医で院長の池端新子が、待っていた父親の中田臣之助に言った。

「じゃあ、この子は預かろう。」と、スタッフの一人の男性看護師が皆に拳銃を向け、一人の女性看護師がタオルにくるまれた赤ちゃんを抱いた。

「どうする積もり?」と池端が言った時、他の一人の看護師が自分の胸を叩いてDDバッジを押した。

「貴様、今何をした?」「合図を送ったのよ。お馬鹿さん。」看護師はニヤリと笑った。

どこからか、ブーメランが飛んで来て、男の拳銃が落ちた。ニヤリと笑った看護師が男の股間を蹴った。

柱の陰からなぎさが投げたのだ。その看護師がフライングヘッドシザーズで男を組み落とした。

呆然としている女から看護師は、赤ちゃんを奪い返し、院長に渡した。

「早く新生児室へ!」と看護師は叫んだ。

駆けつけた、誘拐未遂犯の男女はすぐに愛宕達に逮捕連行された。なぎさは柱の陰から見ていた。

手術スタッフ達が慌ただしく動いている様子を見ていた患者が、急ぎ足で玄関を出ようとした。「待て!」と叫んで追いかけようとする橋爪警部補を見た男は、横から出てきたみちるに脚を引っかけられ、宙を飛んだ。すかさずエマージェンシーガールズ姿の伝子が巴投げをかけた。

倒れた男に橋爪は手錠をかけながら言った。「おみゃあさんには、色々聞きてぇことがあるでよぉ。署でじっくりとゲロしてちょ。」

突然の逮捕劇に、待合室の患者は拍手喝采をした。みちるは、悪い気はしなかった。

午前10時半。警視庁、記者会見場。

副総監が会見した。

「という訳で、中田臣之助氏のご子息『なかたおみよし』君を無事保護致しました。誘拐直後に逮捕連行というのは、近代希に見る快挙です。」と副総監は満面の笑みで発言した。

「副総監。確か、です・パイロットは『中田臣吉(なかたしんきち)』を狙うと予告したのでは?」と、記者の一人が手を挙げながら言った。不規則発言は、副総監の嫌いなマナー違反だが、今回は目をつぶることにした。

「日本語で使う漢字には、『音読み』と『訓読み』があることを知らなかったのでしょうな。文化の違いです。」会見は、短時間で終った。

です・パイロットは、臍をかんでいることだろう。殺害予告をした為に、『該当者』がいなくなってしまったのだから。

同じ頃。午前10時半。EITOベースゼロ。作戦室。

「紹介しよう。新しく仲間になって貰った、元陸自看護官の飯星満里奈君だ。飯星君は出向ではなく、退役してからの参加だ。今回は早速活躍して貰えた。」と、理事官は嬉しそうに言った。

「池上先生が、手術スタッフに入れるように手配してくれたので助かりました。お陰で手術スタッフの経験をさせて頂きました。」と、飯星は挨拶した。

「彼女の得意なのは看護の知識経験だけではない。プロレス技だ。今回は本当に適任だった。人目に晒さずにフォローした橘一佐も見事だった。今日はこれで散会する。皆、極ご苦労だった。帰宅していいぞ。」

同じ頃。午前10時半。伝子のマンション。

Linenで皆に報告のメッセージを送った高遠は、あくびを殺していた。

チャイムが鳴った。物部だった。「集会でなきゃいいんだろ、高遠。はい、コーヒー、紅茶、ココア。」

「不部長自ら配達ですか。記者会見、見ました?」「観た。副総監、ご機嫌だったなあ。記者達も文句付けようがないからな。」

高遠のガラケーのバイブが鳴った。ショートメッセージだった。

「おにいさま。あのキャミソール、気に入ったの。おねえさまにお願いして頂くから洗濯しておいてくれない?」

メッセージを覗き込んだ物部は言った。「帰るわ、高遠。しっかりな。」

物部は高遠の肩を叩いて、出ていった。高遠はしばし呆然とした。

―完―




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