第10話 お別れ お幸せに さあ次に行きましょう


 幸と過ごして一週間たった。

 今日は幸が家に帰る日だ。

 暴力的で幸を物の様に扱う虐待オヤジの元に帰る日であった。


 幸自身も帰らなければいけないことはわかっていたが、それでも帰りたくないのか、気持ち悪いオジサンに助けを求めるようにズボンを掴むも、気持ち悪いオジサンは助けることはせず、ただ一緒に迎えの車を待っていた。


 そして訪れる。

 タクシーではなく、いかにもヤバイ連中が好んで使用していそうな黒塗りのベンツが訪れた。

 ガラスも黒塗りされており外から見えないようになっている。


「相変わらず見た目がとても怖いモノにお乗りですねぇ」

「お・・おじ・・・さん・・・」

「ああ、すみませんねぇ。大丈夫ですよ。車は怖いですが、持ち主のお人はとてもお優しい方ですからね。幸さんをとても大事にして下さる方々を連れて来て下さったのですから」

「私を・・・・大事に・・・・・ひぃ!?」

「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。全身黒スーツのサングラスで怖い見た目ですが、とてもとてもお優しいお方ですからご安心ください。にこりとも笑いませんし、微動だにしないお人ですが、思いやりのあるお人ですからご安心ください」

「・・・・てれてれ」

「ほらご覧ください。恥ずかしがり屋さんでもございますのであんなにも無害に恥ずかしがっておりますよ」


 明らかに裏の世界の住人と言わんばかりの筋肉質な男が、気持ち悪いオジサンの褒め言葉にもじもじと身体を揺らしている。

 アレだな。

 可愛らしい女性がその動きをするならばまだしも、大の男がそれをされると気持ち悪いオジサン並みに気持ち悪いな。


「・・・・・・・・ふふ」


 ただ気持ち悪いオジサンと一週間過ごしたおかげか、気持ち悪いに耐性が付いた幸には、その動きがとても可笑しなものに映っていたようだ。


 気持ち悪いオジサンの元に来て初めて浮かべた笑み。

 最終日にやっと笑ってくれたことを嬉しく思いながらも、初めて笑った瞬間があの武骨な筋肉男がきっかけと言うのはなんとも悲しく思えてくる。

 できるならば動物達と接していて思わず笑みがこぼれてしまったとか、もっと絵になる瞬間に零して欲しかったものである。


「幸! 幸なの!」

「幸! さーーーちーーーっ!!」


 そんな事を思っていると、黒塗りベンツの中から老夫婦が飛び出してきて、幸に駆け寄ってきた。

 ただかなりご高齢であるためか、ぷるぷると震えており、その歩みはとても遅く駆け寄るとは名ばかりの歩行速度であった。


「・・・・・だ・・だれ・・・ですか・・」

「幸さんのお爺様とお婆様ですよ」

「・・・私・・・の?」

「ええそうです。あの方々は幸さんの亡きお母様のご両親です。少々私の口からご説明するのは憚れますが、幸さんのお母様とあちらの方々は喧嘩別れしてしまったようで、今まで満足に連絡を取らなかったようですね」

「喧嘩・・・・・」

「ああ、ご安心くださいね。幸さんが生まれたことで一応仲直りはしましたから」

「そう・・なの?」

「ええ、貴方と言うとても愛らしい子が生まれたことで、納まりは付いたのでしょう。ただ家を飛び出すほどに大喧嘩をした手前、互いにどう距離を詰めればいいのかわからず、疎遠になってしまっていたのですよ。あの方々のお住まいは日本ではなく海外ですからねぇ」

「・・・・・・私が・・・・生まれなければ」


 幸は自分が生まれなければもしかしたら、違う形で亡き母と、今も必死に駆けよってくる祖父母と仲直りできたのではないかと考えてしまう。

 自分が生まれなければ、もっと違う形で亡き両親は幸せに生きられたのではないかと。


「幸さんのお名前は幸せと言う文字なのですよ。ご両親は貴方が生まれてきてくれたことを心から喜び、私達の元に貴方という幸せを届けてくれたことを心から祝福し、貴方に幸と言う名を付けたのです。ですから、生まれて来なければなどと思ってはいけませんよ。幸さんのご両親にとって、幸せが形と成して現れたのは貴方なのですから」

「・・・・・・・・・」


 なぜ名前の由来を断定するように言えるのかわからないが、そうであったならばいいなと思う。

 そうであったならば、悲しくならずにすむから。


「ほら、行っておあげなさい。あの方々にとっても、幸さんという貴方自身が幸せそのモノなのですから」


 優しく背中を押す。

 幸にとっての幸せな場所は何処なのか教えるように、気持ち悪いオジサンはそっと背中を押して、祖父母の元へ向かわせようとした。

 けれどためらいや恐怖があるのか幸は動けない。

 気持ち悪いオジサンを疑いたくはないが、それでも心のどこかで、嘘をつかれているのではないかと。


 そんなことはない。

 こんなに良くしてくれた人が、私を騙すなんてない。


 そう思いつつも、心のどこかで信じられぬ自分がいた。

 今まで優しく接してくれた人に対してあまりに不誠実で失礼な事だとわかっていても、疑わずにはいられなかった。


 故に幸は動けない。

 故に幸は動くことはなかった。


 だが、不意に何かに誰かに抱きしめられる感覚にとらわれた。

 驚き後ろを見ても、そこには祖父母の元へと行きなさいと言わんばかりに諭す気持ち悪いオジサンが立っているだけで、誰かに抱きしめられていることなどない。

 けれど、なぜかな。

 今も優しく抱きしめられているような、可笑しな感覚がある。


「幸さんのご両親はとても愛情の深い方々だったのですね。とても羨ましい限りです」

「・・どういうこと・・ですか?」

「亡きご両親は、冥府の底に落ちようとも、貴方と言う存在を愛しているということですよ。そして存外あの世を管理する方々は、お優しく、少々お節介な方々が多いという事ですね」

「・・・・??」

「わからなくてよろしいのです。気になさらなくてよろしいのです。ただ今は、貴方を求める彼等を信じてあげてください。貴方と言う存在を心の支えにしている祖父母を信じてあげてください」


 そしてこれが最後だと言わんばかりに、少しだけ強めに背中を押す。

 今までのように優しく諭すのではなく、逃げずに行きなさいと叱られるように。


「・・・・・・・」


 初めて叱られた。

 そんな驚きを覚えながら、幸はゆっくりと祖父母の元へと向かう。

 足がとても重かったが、確実に距離を詰めていった。


「幸! 幸なのかえ! ああ、こんなに痩せて! なんでもっと早くに気付いてあげられなかったのか!」

「ごめんね。ごめんね。ごめんね幸! 私達が意地を張っていたばかりに苦労を掛けて。ごめんね。ごめんね」

「・・・・・・・・・」


 そして祖父母の手が届く距離まで来ると、二人共縋りつくように幸に抱きつく。

 弱弱しい二人の力であるのにどこか力強く、今度は決して離してなるものかという決意が感じ取れた・・・・・・・・・・そのせいかな


「・・・・・・・・・」


 ただ抱きしめられているだけだと言うのに、こんなにも嬉しくて。


「・・・・・・・・・・」


 こんなにも・・・こんなにも・・・・


「・・う・・・うえぇぇぇぇ」


 安心できて、なぜか泣けてしまうのは。

 気持ち悪いオジサンは私に優しくしてくれた。

 親切にしてくれた。

 けれど決して優しく抱きしめたりしてくれることはなかった。


 なんで優しくしてくれるのに、優しく頭を撫でたり、抱きしめてくれないのだろう。

 もしかして、本当は私の事なんて嫌いなんじゃないかと思ったこともあった。

 けれど、今は何故私を抱きしめたりしなかったのかわかった気がする。

 多分優しくしてくれただけの人に抱きしめられても、泣くことはできなかった。


 哀れに思って優しくしてくれる他人のオジサンに抱きしめられても、少しの安心感を得られただけで泣けるほどでは無かっただろう。

 だってオジサンは優しい人だけど、私を一番には考えてないのはわかっていたから。

 オジサンは優しい人であるけれど、私を特別には考えていないのはなんとなくわかっていたから。

 だからオジサンは私をこんな風に抱きしめなかった。

 オジサンでは私が求める物を与えることができなかったから。

 そして、一番最初に私に温もりを与えるべき存在は祖父母であるとわかっていたから。


「これからは貴方を一番に愛してくれる方々と共に歩みなさい。大丈夫。もう貴方を苦しめる鎖はございませんから。でぇへへへへ」


 そう気持ち悪いオジサンは呟きながら、気持ち悪い笑みを浮かべていた。













「・・・必要経費を抜いた・・・・成功報酬・・・」

「はい、確かに頂戴致しました・・おやおや、やはり今回も後処理にはお金がかかりましたね。すみませんねぇお手数をおかけしまして」


 幸と祖父母が黒塗りベンツに乗ると、強面筋肉男と気持ち悪いオジサンは互いにスマートフォンを取り出し、数秒スマホを重ね合うと、オジサンのスマホにはお金が四千円振り込まれていた。

 そこには虐待オジサンへの社会的な後処理などで掛かった経費などが書かれていた。


「・・・こんな仕事ばかりを受けていても赤字になるだけ・・・・もっと割の良い仕事を受ければ・・・・」

「ご先祖様方のおかげでお金には困っていませんし、割の良いお仕事は他の方々がこなしてくださいますので、私のようなオジサンはこう言った雑務を消化させて頂きますよ」

「・・・・・死体だって獣に処理させるのではなく・・・自分達に渡してくれれば・・・その分の報酬が得られる・・・」

「臓器売買はどうにも好まぬのですよ。魂が無くなり、死した肉体は、自然の摂理に逆らうことなく、命あるものに食され、肥やしとなりて大地に返り、木々となす。それが私の考え方です」

「・・・残念」

「すみません。こればかりは性分ですので。ただ大層な事を申しておりますが、結局は死体の保管が手間である。と言うのが主な理由ですね。死した肉体を運ぶのは腰にきますから」

「・・・無理はしない」

「ええ、ご心配ありがとうございます。貴方もお仕事お忙しいと思いますが、ご無理はなさいませぬように」


 コクリと無言で頷くと、強面筋肉男は運転席に入っていった。

 そしてガラス越しにオジサンを見つめている幸に気が付いて、最後の挨拶をさせるためにガラスを開ける。


「今までよく頑張りましたね幸さん。ですがもう大丈夫です。貴方を一番に考えて下さる方々がお傍にいますからね。ですからどうぞ幸せな人生を歩んでください」

「オジサン・・・・・・オジサンと・・・また会える?」

「そうですね。機会があればまた会いましょう。ですがオジサンのことよりも、自分の事を優先してくださいね。そして自分を一番に想ってくれる方々を、自分の傍にいる方々を優先してあげてください。その結果オジサンの事を思い出すたびに苦しい記憶が蘇るのならば、オジサンのことなど忘れてしまいなさいね」

「や、やだ! オジサンの事忘れない! 忘れないよ! オジサンと一緒で楽しかったもん! 楽しくて幸せだったもん!」

「それは嬉しい限りですね。オジサンも一緒に過ごせてとても楽しくて幸せでしたよ。流石お名前の通り、幸せを運んで来て下さるお方ですね」

「ならオジサンも忘れないで! 私と楽しかったなら忘れないで! また会いに来るから! またここ来るからっ! だから待ってて!!」

「ええ、ええ、いつまでもここでお待ちいたしておりますよ・・・では、また会うその日まで」


 そう言うと運転席に視線を向けた。

 別れの挨拶は終わりだとわかり、強面筋肉男は窓を閉めていく。


 幸がまだ話し足りなそうにしていたが、いつまでもオジサンと話していてはいけない。

 もう彼女は自分のような世界の人間とは関わるべきではないのだから。


「幸せに生きて健やかなる死が迎えられますように・・・でぇへへへへ」


 そう呟きながら、車の中で頭を下げる老夫婦と、窓ガラスにへばりつき叫んでいる幸を見送った。

 幸が何を叫んでいるのかわからないが、あんなに大声を出せるようになって良かったなどとズレたことを考えながら。


「さて、次のお仕事に取り掛かりましょう。まだまだお仕事は残っているのですから」


 そう言うと気持ち悪いオジサンはスマホ画面を見つめながら、また人気のないお仕事欄を見ていった。

 とても安く、誰も受けようなどと考えない優先順位の低いと判断されし依頼を。


「ふむ、次はこれに致しましょう。丁度この方のお父様も気にしているようですし、一人の男性としてお綺麗なお嬢様が穢れてしまわれるのはとても悲しいですからね。でぇへへへへへへっ」


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