この前落ち合った居酒屋での話

伊藤 猫

この前落ち合った居酒屋での話



 わたしは親友を抱けない。


 わたしは感情無く女性に肉欲的な触れ合いを行うことは出来る。経験は無いが出来ると断言できるくらいには同性にそういう感情を抱くことに忌避感はないのに、親友は抱けないと確信している。

 その反面、わたしにとって親友は同性の友人の中で一番の『特別』で、その感情が友愛ではなく恋愛なのではないかと何度も錯覚しているのに、わたしは目の前にいる親友を抱けないと思った。


 親友とは中学時代からの付き合いでかれこれ十年以上は関係が続いている。そしてBLしか受け付けない腐女子であり、当時純粋と不純の区別ができないほどの無垢だったわたしをその世界に手引きした確信犯である。わたしは彼女の手によってあっけなくその世界にのめりこんだ。


 しかしインターネットで関連の動画を漁っていたわたしはある日好きなアーティストの新曲を聞くために動画サイトでそのMVを見て衝撃が走った。

 バラード調の曲に合わせて流れたその映像は女子高を舞台にしたGL。つまりガールズラブを描写したストーリーだったのである。


 前提として当時わたしは男女の恋愛に対して憧れがある反面、女子の中で比較的発育が良かったために男子たちから好奇の目を寄せられて揶揄われたこともあり、同世代の男子達に対して恐れつつも、蔑み、見下し、侮り……まぁ、恐怖を抱く反面下に見ていたのだ。

 そんなわたしにとって同性である女子のコミュニティは己のセーフティネットだった。


 わたしにとって『少女』とは、肉欲には無欲で、他人との触れ合いに感じるのは信頼と安らぎだけの存在だと思っていた。それくらいわたしは無意識に少女という概念に対して神聖視していたのだろう。


 話を戻し、わたしに衝撃を与えたあのMVだが、わたしがこれまで見てきた少女同士の触れ合いは、自分をからかってきた男子達のような、下心の感情を持たず触れ合っているのだと思っていたし、事実撮影に参加した少女たちはそうなのだろう。

 少女は穢れていないとそう信じていたのに、その少女達が互いを恋愛対象と見て、お互いが過剰な触れ合いを許している様子を見せつけられたわたしは、あっさりと自身の性癖が捻じ曲げられた。


 それからわたしは日常生活においてもBLが好きな親友が同級生の男子達のやり取りを腐った目で見るように、女子同士のやり取りや過剰な触れ合いを今までのように見ることが出来なくなった。ということはなく、むしろ割り切っていたのだが、常に行動を共にしていた親友に対して、密かに『特別』な感情が芽生えていた。


 学校で一番共にいる時間が長いからそう錯覚するのだろうと思っていた。

 だけどたまにふとした時に触れる指先や手の甲の感触に、心地よい熱を感じることがあった。


 胸を張って言うことではないがわたしには友達と呼べる人は少なかった。だからそれは相手が友達で親友だからだと思っていた。


 親友は共に行動する時間は長いし、他愛ない話で一緒に爆笑したり、子供みたいな支離滅裂なやり取りをしたりしてじゃれ合うことはあっても、わたしが甘える素振りをすると容赦なくはたかれる。己の額を彼女の肩に乗せようと試みたことは数えきれないが、それと同時にぴしゃりとはたかれるのも数えきれないくらいある。


 あるときそんな素っ気ない親友から一度だけもたれることを許された時、額を肩に乗せている自分が緊張してしまった。


 結果その感情に『特別』という核心をついているようで漠然とした名前を付け、わたし達は別々の高校に進学し、数年に一度の程度顔を合わせるほどにまで関係が疎遠になっていった。


 それから十年が経ち、親友が25歳の誕生日を迎えた日の夜。ふと親友の誕生日を思い出したわたしは誕生日を祝うメッセージを送ると、流れで地元の居酒屋で飲もうということになった。


 久しぶりに会った親友の肌の荒れようはあまりにも酷くて、わたしは仕事が忙しいのかと同情した。

 勤め先の会社もやってる仕事も全く違うがわたしも同じ業界に居たので、その忙しさはなんとなく知っていた。というかわたしは親友がいるような会社に仕事を依頼する側だった。


 お店についてテーブルに手を置いた時、薬指にある指輪に一瞬硬直した。

 嵌めているのは右手の薬指だったが、その場所は恋人がいるという証でもある。あまり広く知られていないが親友が知らないなんて思えない。

 細く、中央に大小さまざまなダイヤが4、5個連なったカジュアルなデザインの指輪に、もしそのダイヤが本物だったらそれなりの値段がするだろうなと思う反面、そのデザインのカジュアルさから彼女の推しをイメージした指輪だろうか。いやそれなら内側に文字が刻めるくらい幅が広いものが一般的である。フックタイプのピアスと同じくらいの細さに文字は刻めないだろう。なんて推測を立てながらメニュー表を眺めた。


「ジュースバリエーション少ないね」

「うん……」


 かれこれ会うのは二年ぶりだ。どんなテンションで会話すればいいのか分からずぎこちない会話が続いた。


「安いのは知ってたけどわたしここ来るの初めてなんだよね」


 ちょっと声が強張った。吃音症かと言われそうなくらい固くなっている自分が情けなくなった。

 選んだ居酒屋はチェーン店だ。わたし自身、20代の女性にしてはかなりの酒好きである癖に居酒屋で飲むことはあまりない。学生である妹からの評判は良かったから選んだ。

 しかし開店してすぐに入った為に客はわたし達しかいないので聞こえるのは店内に流れるテンションの高いJ-popだった。


「……ほとんど宅飲みだもんね」


 今ではほとんど浮上しなくなったつぶやくSNSでたまに上げる画像はその日飲むチューハイの缶や日本酒や焼酎のパッケージばかりだった。

 浮上するタイミングが重なることもほとんどないのに、わたしのつぶやきを見ていたのかと思わず苦笑する。


「妹がよく友達と来てるみたいで。……駅前にあるのは知ってたんだけど」

「へぇー……」


 ぽつぽつと何気ない会話が続く。

 日本酒を半分飲んだあたりで上機嫌になるわたしはホント現金なやつである。

 あちらも話のネタとして最近通っている皮膚科の話をし始めた。距離的に遠いななんて呆然と思いながら、「その肌どうしたの」なんて聞いてみる。

 原因は濁されたがその荒れ方だとどうせストレスなんだろう。その様子だと今の会社をやめるのは一、二年くらい先かもしれないとも思った。

 わたしも昨年行った旅行山口の話をする。そこで見つけたゲームの推しと同じ名前の岩の写真を見せた。そこで知り合ったいとこのはとこ。つまり親戚の親戚の顔が載った写真はなんとなく見せるのは避けた。


 ねぇ、と浮ついた状態でその細い指にはめられた指輪を指さした。


「それって本物?」


 偉そうに、その指輪のダイヤが本物かどうか問うた。

 別に親友に恋人が出来ようが出来まいがわたしにはノーダメージである。ないったらないのだ。この子は一生、現在休業中の推しに貢げばいいのだなんて思っていない。


 頑固だなとそう自分の脳内を自嘲しながら親友の動きを観察する。

 幼い頃はピアノを習っていたらしい親友の指は相変わらず細くて長い。中学時代はまさしく白魚のような手と称されそうな手が羨ましかったなとなつかしさに浸りながらもう一度親友の指を見る。

 必要最小限手入れしたであろう爪に若干剥がれたネイルで彩られている。わたしがその指に惹かれる感覚はもうすでになく、私はそういう意味で親友を見ていないことに気付いた。


 親友が差し出してきたスマートフォンの画面は、通販サイトの注文履歴だった。ダイヤは流石に偽物だった。


 そこから今度は恋人の話になった。

 親友はバイだった。だけど学生時代に別れて以降恋人は誰もいないらしい。

 私はマッチングサイトで出会った人と長続きしなかったと言った。


 話もそこそこに、あらかたご飯も食べ終わった頃お開きになった。

 店を出てもなんとなく別れたくなくて、バス乗り場まで送って「また何年後かに」と手を振った。


 首から下げていたヘッドホンを頭に乗せ、最近のお気に入りの曲を流し始める。

 まだ飲み足りないと思いながら軽い足取りで帰路につく。


 そしてしようもない独り言をぽつり。


「よかった、まだこの子の中にわたしがいる」


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