修羅のなみだはつちにふる

「──まず怪獣がどこからきたか考えるべきです。彼女は突然降って湧いてきたわけではありません」

 有森結由夏は立ち上がって机に手をついた。

「その調査から行うべきです。彼女はどこから出現したのか──」

「しかし現状被害が出ている。市民の不安も不満も募るばかりだ。どこからきたかなんか、後で調べることだろう」

 課長が宥めるように結由夏を見上げた。

「ですが、彼女が仮に市民だったとして、どうするんですか。市民に銃器を向けるおつもりですか?」

「有森主任。先ほどから怪獣エックスのことを彼女と表現するのはなぜかね」

 副市長が口を挟んだ。結由夏は、ぐっと唇を噛んだ。

「あれは……私の幼馴染によく似ています、とても」


──奈々菜。ごめん。

 

「だから怪獣を庇うのか!これだから女は!」

 我が意を得たりと市長が叫んだ。「そんな私的な理由じゃ何も通らないよ、有森くんと言ったか。たらればで発言されては困る。そして個人的理由で市の方針に発言されても困る。あれは怪獣エックスだ。駆逐されるべき害獣だ。市民生活を脅かし、破壊する、真に怪物だ」

「……!」

 なんてひどいことを、と言いかけた結由夏の腕を、課長が引く。

「市として、自衛隊基地へ要請を送っている。該当地区の住民は避難させる。……異論ないな」



 その頃、市役所の待合スペースでは、全国ニュースで「謎のビックフット、Y市に現る」と続けて「ピンクのビックフット、人を襲う」という衝撃映像が流れていた。

「これって」

 市民応対に追われるヒラの職員が、ちらほらと何かに勘づき始める。

「これって、例の怪獣なんじゃないのか?」

「怪獣は人だったんじゃないのか?」


 しかし、会議室で言い争う面々はその映像をついに見ることなく。

 とうとう自衛隊が、やってきた。

 怪獣エックスを殺しに。



〜〜〜



 あのね、■■■。『春と修羅』なんだけど。

 これ、──すごく、陰鬱で、うまくいかなくって、苦しいって心境を語っている詩だと思ってる。いかったり、歯ぎしりしたり、心のなかは灰色だって言ってみたりするの。そう、感情的にマイナスなの。

 それなのに彼から見える景色は本当に美しい。鳥が飛んだり。ガラスみたいな風が吹いたりするの。そのギャップが、わたしは、すこし悲しい。

 ……うん。そう。卒論の内容。ようやく決まったから、その報告。

 ■■■、そっちもおめでとう。婚約でしょう?お祝いしなくっちゃね。……ところで卒論の内容は決まったんでしょうね? あはは。嘘だよ。■■■はいつも、さっさと先に行っちゃうからさぁ。

 わたし、追いつけなくなっちゃうなあ。





 反抗しなくなった修羅を、市民たちは縄やロープで縛りつけた。血の流れる尾を踏み、顎と腕と脚とをそれぞれロープで縛り付けて動けないようにしてしまった。修羅にとってそれらを引きちぎるのは容易なことだったが、頭の中を付き纏って離れない「存在罪」のために涙を流し続けてそれどころでなかった。


 存在するだけで罪。

 生きていることが罪。

 だからこれはその罰。……賢治は、身を粉にした。

 甘い汁を吸い続けることを厭って、農民の間に入っていこうとして、爪弾きにされて。


 “いかりのにがさまた青さ“。そんなものはとうの昔にどこかへ置いてきてしまった。修羅は怒り狂うほどの気概も持てず、立ち上がる勇気も持てず、縛られることに反抗もできなかった。何をしても誰かを傷つけてしまう。生きているだけで誰かに迷惑をかけてしまう……そんな意識が、修羅の中で大きく根を張っていた。


『市民の皆様へご連絡します。これより、自衛隊による攻撃が開始されます。市街地での交戦となりますので、該当地区にお住まいの方は速やかに避難をお願いします。職員の誘導に従ってください、繰り返します』


 防災無線が何かを告げた。市民はそれを聞き、慌てて引っ込んでいく。修羅はわずかに顔を上げて、それを見た。

 5機のヘリコプターが上空を旋回していた。ミサイルか、銃弾か、何かは知らないけれど、何かを積んだ攻撃機が、修羅を狙っていた。


『避難をお願いします。職員の誘導に従ってください。繰り返します。これより──』


 くりかされる防災無線の中で、一人の人間が修羅の前に立った。そしてヘリコプターに向かって胸を晒し、両腕を広げた。

 どこかから「有森ィ!」と絶叫が聞こえてきた。


 女は、泣き出しそうな声で修羅に問いかけた。

「奈々菜。奈々菜でしょう」

 修羅は瞬きをした。赤い目に涙が滲みかけた。その背中は小さいのに、大きくて頼もしく思えた。

「奈々菜。ごめんね。守れなくってごめん。私にはこんなことしかできない。時間稼ぎしかできない」

 

■■■。いや。……結由夏。


「逃げて。ここにあなたの居場所はない。私にもどうすることもできなかった。ごめんなさい。でも」

 結由夏の声は、鈍った修羅の頭の隅々まで染み渡った。

「遠くへ逃げて。ずっとずっと遠くへ逃げて。誰も知らない遠くへ逃げて。生きて」

……どうして。

「そしたら会いにいくから、死なないで」


……どうしてそんなにひどいことを言うのやさしいの


 修羅は起き上がった。ロープがぶちぶちと切れて、涙で溶けたアスファルトが修羅の足元で歪んだ。転びかける結由夏の背を傷つけないようそっと支えて、修羅は言った。


「あいにはこないで」


 結由夏にはそれが伝わったらしかった。驚きの表情を浮かべる結由夏を掬い上げ、小学校の屋上へと載せる。驚愕の表情を浮かべたままの結由夏に指を差し出して、修羅は言った。


「さよなら、結由夏」


 修羅の目からは涙が溢れた。小学校の校庭にはたくさんの穴が空いた。修羅はそれを見もせずに、一目散に道路を走った。




 海を目掛けて。

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