35 荒廃 ー経緯ー
*
往路の道中、改めて各地の荒廃を目の当たりにする事となった熊掌は言葉を失った。
街道は、酷く寂れていた。
道の隅に
壊れかけた玩具を力なく握りしめた幼子。
泣く力も既にないのか、静かな赤子を抱えた母親。
行き場を失ったのであろう、月の民がそこかしこに散見される。
水、水を下さい。その言葉を一体どれ程耳にしただろうか。
ここまでの貧困を、生きる苦しさを、
熊掌は居たたまれなかった。
――この頃からだろう。己に目を
閉鎖された
しかしどうだ。それは、この実際の苦役と比べて如何に生温く映る事だろうか。思わずそう考えずにはいられない。眼の前に広がる飢餓と無気力。衣食住の満たされぬ不穏で保証と救いのない日々。何も見えない、良いように変わるとは思えない明日。
恐るべき
白玉の維持と支配は、それ程までに
父は、果たしてこの光景を目にしたのだろうか。
いや、この惨状は先の
かも知れない。
何もかも、「かも知れない」なのだ。
自分には真実に触れられる場所がない。機会が存在しない。
熊掌は静かに、自身の心に暗雲が垂れ込めるのを感じていた。今から再び
そして、父はまだ生きているのだろうか。
そうだ。自分は
静かに、ただ静かに心折る事なく、戦うための刃を
今はそれしかない。
真っ直ぐに行き方へと眼を向ける。
どこからか泣く子供の声が聞こえる。
耳を塞ぎたくとも、手綱を握る両の手がそれを許してはくれなかった。
だから、目を眇めて、見えない物を見る。見たくない物を視界から遮る。
はらりと、視界の端で幾枚かの花弁が散り落ちた。
宮中に到着した熊掌を待ち受けていたのは、この場における作法について自身が全く明るくないという残酷な現実だった。
到着して真っ先に直面したのは、
潜る際の礼の取り方が分からない。
回廊で踏んでよい場所が分からない。立って良い場所が分からない。どうやって道を譲ればいいか、譲るべきかが分からない。そこに身分差というものが関わっている事や、その種類や階級差がどれだけあって、どんな名がつけられているのか、またどんな由来があるのかが分からない。
角を曲がる時もどの姿勢でどの箇所で曲がれば良いのかが分からない。
まともに歩く事すらできない。
あらゆる局面において、決められた約束事や暗黙の了解が多過ぎる。あまりに微に入り細に
絶句。これ以上にこの言葉が相応しい状況もない。
この時滞在に用意されたのは、
しかし、初回や前回のような例外的な参内ではなく、正式なものとなった今回に、この有様では
急遽最低限の教育を行うために教師がつけられる事になった。差配をしたのもまた璋璞である。本来禁軍右将軍がやらされるような仕事ではない。麾下にやらせればよいはずの事を、しかしなぜか本人が動く。どうにもこうにも、五邑の世話を焼くという習慣が染み付いているらしいと、熊掌も見ていて悟った。
恐らくは、他の者に対処をやらせた時に、熊掌の命の保証が出来ないからだろう。
瀛洲の
月人共の様子を見ていて、熊掌は理解した。
五邑が月人から如何に白眼視され憎まれているかという事を。手出しは如艶の手前できない。しかしその振る舞いや対応に全ての本音は滲み出る。
――それは、憎悪と恐怖と嫌悪だった。
今の国家の状況を
差配が滞りなく整った事を確認して、璋璞は漸く帝壼宮を出立した。
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