11話:自宅にて②

「まあ、質問というよりお願いになっちゃうんだけど」


 神竹先輩は私の正面にどかりと座り込むと、言いづらそうに頬をぽりぽりと掻いた。


 なんだろう。

 今後、焼きそばパンをパシらされるのだろうか。


 パシリは下位カーストの宿命だ。アニメとか漫画とか、立場の弱いキャラクターが標的になるのが定番となっている。逃げようものなら校舎裏に呼び出され、トイレの水を頭からかけられるまでがテンプレ。なんなら、教室の自分の机とかを窓から放り投げられるかもしれない。


 まさに弱肉強食。狩られる者である私には、まさか逆らう勇気なんてあるわけもない。命じられれば最後、上下左右に走り回る豚と化すだろう。


「………せめて人間扱いしてください」

「萌ちゃん。通訳を頼む」

「たまにある発作です」

「も、萌ちゃん……」


 萌ちゃんは私の顔を抱き込んで、髪を撫でてくれる。柑橘系の甘い香りが鼻腔を通り抜けた。


 とても安心する……やっぱり萌ちゃんはすごく優しくて、頼りになる親友だ。


「こうしてあげると、大体落ち着いてくれます。二人はやらないでくださいね。リコは私だけのおもちゃなんですから」

「「………え?」」

「間違えたわ。リコは大事なお友達よ」

「あ、ま、間違えちゃったんだ……そっかぁ」


 そうだよね。萌ちゃんだって間違えくらいあるよね。まさか一方通行の友達関係なんて――――あるわけない………よね。


 ばぁん!


「ひぃ!」


 唐突に床を叩きつける音が響いて、私は萌ちゃんの後ろに隠れた。どうやら花鷹さんが、手で畳を思い切り叩いたらしい。眉を吊り上げて、いかにも不機嫌ですと全身で表現しているようだった。


「茶番なんか後にしてくれるぅ!? 狐ヶ裡弧リコぉ! さっさとカチョウちゃんと再戦しなさい!」


「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「カチョウちゃんは謝ってほしいんじゃあないのぉ!」

「そうですよね! ごめんなさい!」


 怖い怖い怖い怖い怖いぃぃいいぃぃいい!!


 なんで陽キャな人ってすぐに威嚇してくるの! これじゃあただの反社だよ! 人間なんだから、理性的な言葉で話してよぉ……!


 私は萌ちゃんの後ろで震えることしかできない。もう帰りたい。


 眼に涙を浮かべていると、神竹先輩は「はーい、もうちょっと静かにしててねー」と花鷹さんをいさめてくれた。

 神竹先輩は気を取り直したように「こほん」と咳払いをする。


「リコちゃん、それに萌ちゃんも。私と一緒に、全国を目指す気はない?」

「「全国?」ですか………?」


 私と萌ちゃんが訊いた。


「そ。毎年行われる、VRFPSの大会。県大会で一位通過した学校だけが、その切符を手にすることができるの」


「それは何となく知ってますけど……」


 日本に住んでいれば耳にするくらいには、かなり有名な大会だ。総参加者数という意味では、野球の甲子園よりも大きな大会かもしれない。


 なにより、通称ドラフトと呼ばれる選抜会議がある。

 大会の優勝チームの選手はもちろん、大会で好成績を残した選手をプロチームがスカウトするもので、名前が呼ばれた選手は翌年度からプロ契約が約束される。


 プロ契約金の過去最高額は1億5千万円。そこに出来高払いで最大7000万円がのっかっている。それ以外の高額契約者も、すべてが優勝チームからの選抜になっているのだ。


 VRFPSでプロを目指す高校生にとって、全国大会がいかに大切かわかるというものだろう。


「一昨年、うちの学校は県大会で2位だった。弱小にしてはよくやった方なんだけどさ。君たち三人がいれば、きっと行けると思うの。全国に」


「は、はあ……」


 目を輝かせる神竹先輩に気圧されるように、私は身を引いた。


 断るべきだ。私には家のこともあるし、そんな余裕はない。大会に出るとなれば、高性能なVRマシンだって必要になってくるだろう。それだって決して安くはない。

 でも……。


 ―――痛っ!


 まずいと思った時にはもう遅かった。意識をまな板の上に戻すと、そこには血の水溶液が広がっていた。キャベツにも、少しだけかかってしまっている。


 痛みを訴えてくる左手を見ると、中指の第二関節の肉が、ぱっくりとスライスされていた。ぽたぽたと大粒の血滴が水を伝って垂れていく。


 傷を自覚したからか、痛みは段々と大きくなっていった。


「ちょっと、大丈夫……って何その血!?」


 どうやら反射的に声が漏れていたようで、リビングにいたお母さんが駆けつけてきた。


「だ、大丈夫だから、お母さんは仕事してて、いいから」

「いいから手当するよ! こっち!」

「あ、床が……」


 私の小さな訴えは届かず、怪我をした反対側の手をお母さんに掴まれて、あれよあれよと救急箱があるリビングの棚の前へと連れていかれてしまった。

 恐る恐る見てみると、道中の床にはぽつぽつと血の跡ができていた。


「ほら、手出してっ」

「あ、うん……」


 お母さんに言われて手を差し出す。今こうしている時も、ぽたぽたと血は滴り落ちていた。


「~~~~っ!」


 元々痛かった指に、更なる激痛が走った。

 アルコール消毒液をぽたぽたと垂らされたのだ。


「ま、まって! じ、自分でやるから!」

「片手じゃやりづらいでしょ。いいから大人しくしてなさい」

「うう………」


 お母さんにされるがまま、痛みをこらえて治療を眺める。慣れた手際で巻かれていく包帯に、じんわりと血が滲んでいく。

この一年、散々指を切ってきた私だからわかる。これは、後から痛い奴だ。


「学校でなにかあったの?」

「え?」

「包丁で切るなんて、珍しいと思って」

「べ、別に、大したことじゃないよ」

「なるほど、何かはあったわけだ」

「だ、大丈夫だから」

「ふぅん……」


 お母さんは探るように見つめてくる。たとえお母さんでも、この目は苦手だ。まるで見透かされているような感覚にさせられるから。


「まあ、リコがいいなら、いいんだけど」


 包帯を止め終わると、お母さんはすっと立ち上がる。そのままティッシュをもって床を掃除し始めた。


「あ、手伝うよ」

「いいから、あんたはリビングで大人しくしてなさい。夕飯も私がつくるから」

「で、でも」

「家長命令。オーケー?」

「…………わかりました」


 お母さんからの命令は絶対。我が家のルールを持ち出されては、私は何も言えない。


 心に重しをぶら下げたような気分になりながら、私は静かにソファへと腰かけるのだった。

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