#15B零 蒼空を憎むきっかけの事件



いったいなんなんだ。



窓を開けて外を見ると庭先に立つ男が目に入った。まさか石を投げてくるなんて非常識かつ悪意のある行為で、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。



待て、なんで葛根……あれ、僕は葛根のことを忘れていた?

そうだ、葛根はクリスマスマーケットで僕たちを追いかけてきたんじゃなかったのかッ!?



「クズ先生ッ!? 突然なんなのあいつ! いきなり石投げてくるなんて……」

「あのさ……僕たちさっき葛根先生に追いかけられていなかったっけ……」

「あれ……な、な、なんで? あんなに怖い思いしたのに……忘れていた!?」

「ハル……服を着替えて。いつでも逃げられる服装に着替えて」

「う、うん」



よく目を凝らすと、葛根先生は左手に灯油タンクを持ち、右手のジッポライターはすでに着火している。窓を開けた時点ですでに灯油の鼻につく臭いが立ち込めていた。



挑発している……?



僕たちが出ていかないと火をつけるという脅迫かつ挑発をしているんだ。ここまでくると頭がおかしいとしか思えない。



あれ、気のせいか……葛根先生が霞んで見える……なんだこれ。

目をこすってもう一度見ると、葛根先生はたしかに庭先でこっちを見ている。



「ハル、勝手口から逃げて。僕は葛根先生と話すから」



着替え終わったハルは戻ってきて、戸惑っている様子で首を横に振った。



「ダメだよ。一緒に逃げよう? あの人なにするか分からないって。警察に通報して逃げよう?」

「警察には通報する。けど、火をつけられたら逃げ遅れて死ぬかもしれない。だから、ハルだけでも先に逃げて」

「イヤだよッ!! ルア君も一緒じゃなきゃイヤ」

「僕まで一緒に逃げたら葛根先生は追ってきて、ハルに危害が及ぶかもしれない。だから、頼む」

「……ダメ」

「ダメじゃない。待ち合わせは駅ナカのマクデナルデ前で」

「ルア君……せっかく五体満足で一緒になれたのに……悔しいよ」

「……まだなにも終わっていないし、すぐに追いかけるから」

「絶対だよ? 絶対約束だからね?」

「うん。大丈夫」



クリスマスプレゼントに買ったダンクローカットを早速履いて、「お揃いで履く約束だからね? 絶対に。来なきゃ許さないんだから」と言って、ハルは勝手口から飛び出して走り出した。



警察に連絡するのはハルに任せて、僕は素直に玄関から出て、葛根先生と対峙した。スポーツバッグに鏡と100万円の入ったバッグ入れて逃げる準備に。持ち出すのは消失したら困るからだ。



人んちの敷地に派手に灯油を撒き散らしやがって。



「なにが目的なんだッ!? 葛根先生、どうかしてるだろッ!?」

「お前のせいで俺は人生が台無しなんだよ。お前さえいなければ……」

「は? そもそも犯罪に手を染めたのは葛根先生だろ? お前は何人傷つけたと思ってる?」

「無理やり襲っているわけじゃない。お前の彼女だった蒼空もそうだぞ?」

「……蒼空?」

「蒼空は最高だったなぁ。お前、好きだったんだろ? 蒼空が好きだったお前に見せたかったなぁ、蒼空のあの顔」



確かに昔は好きだった。それを考えると複雑な気分だけど、でも今は蒼空になんの未練もない。蒼空がどうなろうと知ったことではないが、蒼空があんなふうになってしまった発端が葛根なのだとしたら……とても許せるようなことではない。



「お前の恋人は、あの夢咲陽音なんだろ? 次は夢咲陽音だ。楽しみだなぁ、現役のアイドルはどんな顔をするのか」

「ハルがお前なんかについていくかよ」

「それが、俺の前だとどんな女でもひれ伏すんだよな。代償なんてものを支払った甲斐があった」

「代償ッ!?」



代償……こいつもッ!?



しかもそんなくだらない欲望を得るために代償を支払って。



あれ……まただ。霞む。



葛根先生がいなくなった……?

いなくなったというよりも認識できない。目の前にいるはずなのに、ザワザワとノイズのような音とともに空間が歪んでいるような、景色に溶け込んでしまっているような。



声は聞こえる。けれど、どうしても葛根冬梨という男が認識できない。次第に記憶が失われていくような……奇妙な感覚。これは……小学校の卒アルで蓮根音羽を見たときと同じッ!?



これはいったい……?



『鏡をシロヤエノコケラに向けなさい』



シロヤエノコケラ?

鏡?

今のはツクトシ様の声?



今は疑っている場合じゃないッ!!



バッグから鏡を取り出して葛根先生に向けた。シロヤエノコケラというやつが葛根先生のことだろうって勝手に判断して、言われたとおりにする。おそらくそこに葛根はいるはずだ。



「ああああああッ!! くそぉぉぉぉぉ」



姿を現した(認識できた)葛根先生は頭を抱えながらうずくまる。肩から頭にかけて白い湯気のようなものが立ち上っていく。その姿はま赤い瞳をした生物のようでまるで巨大な蛇だ。なにかに取り憑かれていたってこと?



「……くっ。この家を燃やされたくなかったら、夢咲陽音を出せ」

「燃やせよ。ここにハルはいない。燃やせ」

「いいのか? お前の実家だろ?」

「燃やして困るのはお前だ。すぐに警察が来る」



なんで警察が見つけられなかったのか。考えてもみればおかしな話だ。

ミオのホテルの一件も、車を捨てて逃げたのに警察は捕まえることができなかった。そればかりか、僕たちはたった2時間ほど前に葛根に襲われそうになったのに、そのことすら忘れていたのは、やはりシロヤエノコケラとかいう存在のせいだったということか。



でも、今なら葛根冬梨を認識できる。



葛根が放火をする必要性なんてないはず。わざわざ放火してまで罪を重くするなんて馬鹿なことしないだろう。



「ルア君ッ!!!」

「捕まえたけど?」



ッ!?



葛根の後ろに現れた蒼空はハルを羽交い締めにしていた。



「ハル? 蒼空ぁぁぁぁぁぁッ!! ハルを離せッ!!」

「まずは復讐。心配しないで。夢咲陽音はこの気持ち悪いゴミ男に抱かせた後、ゆっくり復讐させてもらうから。大丈夫。すべて元に戻せばなかったことになるでしょう?」

「なかったこと?」

「そう。誰も代償を負わない世界に戻せばなかったことになる。夢咲陽音が襲われることに絶望するあなたの顔が早く見たいわ」



狂ってる……。なんでそこまでするんだ。



「ルア君、助けてぇぇぇぇ」

「ハルッ!!」



ハルは路駐してあったワンボックスカーの後部座席に乗せられて、蒼空もとなりに乗り込んだ。葛根は「まあそういうことだ」と言って駆け出し、運転席に乗り込んで走り去った。



僕がどんなに全速力で走って追いかけても追いつかずに、ついには見失ってしまった。



「ハル……ごめん」



涙があふれる。いったいどうすればいいんだ。すぐに警察に電話で通報したけれど、それでハルが助かる見込みなんてわずかだろうし。

時間との勝負だ。



くそッ!!!



ハルが葛根に襲われてしまう。ハルを助けるにはどうしたらいいんだ。



『ルア君のスマホで位置情報分かるよ?』



ミオを助けに行ったとき、ハルはそう言って位置を割り出したのを思い出した。慌ててスマホを確認すると案の定、ハルは移動している。急いで駅前まで移動してタクシーに乗り込みながら警察に再び電話をして位置情報を知らせる。



場所は……下草駅の南口のホテルだった。



タクシーで急いで向かうと警察よりも僕のほうが早かったらしく、パトカーはまだ来ていなかった。さっき路駐してあった車が駐車場に停まっているのを運良く見つけることができた。なんとか間に合ってくれ。



有人のホテルだったために事情を話し宿泊者名簿を見せてもらった。

個人情報云々の話で、はじめ名簿を見せることはできないの一点張りだったが、警察と電話で話しながらだったために、警察と電話を代わることですんなり名簿を見せてもらうことができた。ただ、警察は部屋に行くことは待ってほしいと言われた。けど、そんな流暢なことしていられるかって。



しかし、葛根冬梨という名前を認識できないらしい。何回見ても名簿のある一行が目から落ちていく。僕はハッとして名簿に鏡を向ける。すると、すぐに葛根冬梨という名前を見つけることができた。これは、文字に関しても有効なのか?



「警察からも止められていることですし……」

「いいからッ!! もしハルになにかあったら、責任取れるのかッ!! 今すぐ鍵を貸してくださいッ!!」



僕の気迫に負けたのか、従業員の方が同行することを条件に鍵を貸してもらった。そうして葛根の部屋に行き、カードキーで扉の鍵を開ける。っていうか指名手配なのに普通部屋を貸すか?



けど、認識できない能力だったシロヤエノコケラとかいうやつならもしかしたらなんでもありなのかもしれないな。恐ろしい。



部屋に突撃するとハルはそこにいなかった。蒼空がハルのバッグを持っていて、「どうしたの?」と涼し気な顔で訊いてくる。



「お前、ふざけんなよッ!!!!」

「あたしがどこのホテルに泊まろうが勝手でしょ?」

「葛根の場所を教えろッ!!」

「そんなの知らな~~~い」



どこまでも人を馬鹿にしやがって。蒼空をぶん殴らないと気が済まない。僕が拳を振り上げても蒼空はまったく動じず、早くやれば、と言わんばかりに僕を凝視している。焦燥感と怒りと不安で僕はとにかく怒鳴り散らして、今すぐ蒼空をボコボコにしてやりたかった。



待て。冷静になれ。

殴ったらそこで終わりだ。おそらくそれが狙いで、蒼空は僕を嵌めようとしている。それは間違いない。



一旦深呼吸をして考える。



葛根の運転した車があったということは、ここに葛根もいるんじゃないか?

蒼空は高校生だし(免許を持っていたとしても乗ってきた車は一台しかない)、いくらなんでもここに来るまでの間にどこかに立ち寄って葛根とハルを降ろすことは不可能だ。それに位置情報を見ていたかぎりではここに一直線だった。つまり、ここのどこかに葛根はいるはず。



「葛根の場所を教えろ」

「だから知らないって。ここからは想像だけど、今ごろ陽音は裸で縛られて葛根にキスをされて泣きながら、助けてー、なんて懇願して、メチャクチャにされてるんじゃないかしら」

「はやく言え、頼むから言ってくれ」

「あら。ルア君泣いちゃうんでちゅか? 赤ちゃんみたいでちゅね。ほら、どう? 気分は? 気分はどう?」

「蒼空……頼むから」

「教えてほしければ土下座してくれる?」



土下座でもなんでもしてやる。だから葛根とハルの居場所を教えろ……。

立ち上がった蒼空がゆっくりと僕に近づき、「顔を上げて」と静かに言う。僕に抱きつき、蒼空は僕の耳元で囁く。



「それともあたしとここでしちゃう?」

「ふざけるな。土下座したんだから教えろ」

「それを撮って、あとから陽音に見せても面白そうね。ルアはあたしのこと好きだったんでしょう? あんな女忘れてあたしとしちゃえばいいじゃない?」



首を絞めて殺したい衝動をなんとか抑えた。ダメだ、こいつと話していてもらちが明かない。ふらふらと部屋を出ていくと「残念ね」と蒼空は僕の背中に向かってつぶやいた。



フロントに戻ってもう一度訊く。今度は蒼空が借りている部屋がないか。だが、調べてもらっても早月蒼空という人物が部屋を借りている形跡はないという。



……どういうことだ。



どこにいる。従業員に事情を話しても宿泊者の名前が分からないとなんともならない。そうしているうちに警察が到着して、さすがに従業員も焦りはじめていろいろ調べてくれたけど分からないようだった。



警察が宿泊者リストを請求してくれて、僕に協力してほしいと見せてくれた。再び鏡を向けてみても何の反応もないし、従業員も警察官も僕を大いにいぶかしんだ。



クソッ!!!



今日の宿泊者を上から順に見ていくと……。ある名前が普通に載っている。しかもその名前を知っていたはずなのに焦って見落としていたのだ。



「これだッ!! 蓮根音羽ッ!! この部屋ですッ!!」



警察官5名とともに部屋を訪れて扉を開くとベッドの上で縛られているハル(ちゃんと服を着ていた)を発見し、僕は慌てて駆け寄った。



「ハル、大丈夫ッ!? 何もされていない?」

「ルア君、うぅ……怖かった……来てくれてあり……がとう。大丈夫」



警察官は風呂に入っている葛根冬梨をその場で逮捕(今度は認識できた)し、ハルは事なきを得た。葛根はただ風呂に入っていたわけではなく、湯船の中で力尽きている感じだった(とても動けずに警察官に引きずられて風呂から上がった)。もしかして、さっきの鏡を向けたときになにか力を奪われたってことか?

そのおかげでハルは助かったのか……本当によかった。



葛根に協力した蒼空がいる部屋に戻るとすでにもぬけの殻で、蒼空は逃げた後だった。



「ごめん……焦っていてバッグを……鏡を蒼空に盗られた。本当にごめん」

「そんなことよりも、ルア君が無事でよかったよ。本当によかった」



それはこっちのセリフだった。ハルが無事で本当によかった。

気が抜けて僕はその場に座り込んだ。足に力が入らず、そんな僕をハルは抱きしめ、頭をなでてくれる。自分のほうが怖い思いをしたのに、そんなときまで僕の心配をしてくれて。ハルはどこまでも人の痛みがわかる子なんだと思った。



その後、パトカーに乗って警察署まで移動し聴取を受けた。ハルの身分はバレてしまったけれど、冬休みで中学生のときの同級生だった僕のところに遊びに来たと言うと、なんとか信じてもらえた。高校生とはいえ、すでに18歳(大人)だったことも助かった(ハルの実家に電話がいかなかった)。



そんなこんなで帰宅したのは11時を過ぎた頃だった。



「ハル、ごめん」

「なんで謝るの? 謝らなくちゃいけないのはわたしのほうだし」

「違う。やっぱり一緒にいればよかったんだ。僕が判断をミスったから」

「そんなことないよ。ルア君はわたしの安全を最優先に考えてくれたんだから、むしろ感謝すべきだよね」



葛根を認識できなかったことをハルに報告した。それとシロヤエノコケラのことも。まるで擬態をしている様子で、ハルはその様子を『誰でもない誰か』が目の前に現れたときと同じようだと口にする。



もしかすると、ツクトシ様の言っていた『シロヤエノワニは複数いる』こと、それが乗り移ったのが葛根だったり、蒼空だったりするのだろうか。もっといろいろな人に取り憑いていて、僕たちが知らないだけで葛根のように擬態をして生きているとしたら。



背筋が凍るような話だ。



葛根に割られた窓をダンボールとガムテープで仮補修し、なんとか冷風の侵入を防ぐことはできたけど、これって葛根は弁償してくれるのかな。



「はぁ……蒼空ちゃんにスマホ持っていかれちゃった……困ったなぁ」

「スマホは解約して新しいのかな。鏡は……はぁ。僕の責任だ」

「明日……下草の海岸の祠に行ってみない?」



少し気が引けるけどそうするしかないかもしれない。



ただ今晩の聖夜は、とりあえずすべてを忘れてハルとクリスマスの続きをすることにした。



ハルの二の腕と膝は少しだけ擦り傷になっていて、抵抗したときにできたのだという。ハルを傷つけた蒼空を絶対に許さない。必ず報いを受けさせる。




僕は、このときから蒼空を憎むようになっていた。






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