#14B零 二人きりのクリスマス



あれは、本当に蒼空だったのだろうか。

あんな顔をする蒼空を僕は未だかつて一度も見たことがない。歪んだ笑顔とどこか底知れない恐怖を感じさせる声色。とてもじゃないけどまともに話ができるような相手じゃなかった。



「ハル、もう大丈夫だから」

「ルア君……怖かったよぉ」



駅ナカの家電量販店に避難すると安心したのかハルは泣き出してしまった。まるでホラー映画(それも幽霊系ではなくクライム系の)のワンシーンのような出来事にショックを受けているんだろうな。僕だって、まだ手が震えている。



ベンチに座って頭を撫でると少し落ち着いたようで、ハルは泣き止んでハンカチで目元を拭った。



「わたし……蒼空ちゃんに負けたくない。けど、あれは絶対に蒼空ちゃんじゃないよ。なんていうか、本気で人を殺しちゃうような……そんな感じだったと思う」

「それは僕も思った。あれは……蒼空じゃないよな」

「うん。それに自分のこと……音羽って言ってた」

「もしかして、二重人格ってやつ?」

「音羽って……どこかで……あれ、おかしいな。覚えていたはずなのに」

「確かに音羽って聞き覚えがあるような……」

「うん。どこで聞いたんだろう。なんで思い出せないの……ああああすごく気持ち悪い」



僕も音羽というワードを聞いたことのあるような気がしたけど、それがいつなのか、どこでなのか思い出せない。蒼空が自分を音羽と呼ぶのには訳があるだろうし、それが蒼空の豹変とつながっているのは確かだろうな。



「音羽って、誰なんだろう。蒼空ちゃんの中の人格って考えるのが自然だけど、そうじゃなくてどこかで絶対に聞いたことのある名前なんだよね」

「僕のこともハルのことも知っていたんだから、蒼空が演じているのか作り出したのか、そんな感じのキャラクター……じゃないのかな」

「うーん。でも気になる」



クリスマスマーケットに戻る気もしないので、このまま帰宅することにした。その途中、予約していたケーキを受け取って、その間も葛根先生と蒼空の存在に警戒しつつ、買ったらすぐにタクシーに乗って自宅に戻り、約束していたクリスマスパーティーをふたりですることに。



とんだクリスマスイブだ。



でも、こうしてクリスマスをハルとともに過ごすことができたことには感謝しないといけない。2022年に来る前の僕たちは病気で、特にハルは心臓に病を抱えていて苦しかっただろうし、心の底から笑うことができなかったと思う。



チキンを食べてケーキを切り分け、「あーん♡」と甘えるハルにケーキを食べさせて、口の周りに付いたクリームを拭いてあげて笑って、写真を撮りあい、一瞬でも現実を忘れることができた。



「ルア君、はい、プレゼント」

「ハルもね」



お互いプレゼントを交換した。ダンクローカットのパンダ。よく考えたらおそろいで履かなきゃいけないなんて、恥ずかしいよな。



「明日から毎日履こうね」

「まあ……うん」

「えーっ! イヤなの? わたしとお揃いはイヤ?」

「嫌じゃないけど」

「イヤじゃないけど?」

「恥ずかしいというか」

「恥ずかしくないよ」

「恥ずかしい」

「恥ずかしくない」

「恥ずかしいものは恥ずかしい」

「もうッ! 怒っちゃうんだからねっ!」



わざとらしくそっぽを向いたハルに「ごめんって」と言ってケーキのクリームをフォークですくって、再びハルの口元に近づけると、まるで餌付けされている小動物のようにパクっと食べた。ああ、なんか可愛い。



「分かったよ。恥ずかしいけど履く」

「分かればよろしい。さて、さっき走って少し汗ばんで気持ち悪かったから、シャワー浴びてくるね」



確かに厚着で走ったから汗をかいて気持ちが悪い。ハルがシャワーを浴びている間に、僕はどうしても『音羽』が気になったから小学校と中学校の卒業アルバムを引っ張り出して眺めていた。



まずは直近の中学生の頃のアルバムを眺めていると、友人たちのまだ成長しきっていない顔が並んでいる。スポーツ大会やら学園祭、それに耐久レース(マラソン)の写真を見て懐かしい気持ちが湧いてくる。ハルも少しだけ映っていて、今とは違い髪の毛がボサボサだ。



中学校のアルバムを見終えたタイミングで、シャワーを浴びてきたハルが「なに見てるの?」と髪の毛の水分をバスタオルで拭きながら部屋に入ってきた。



モコモコのハーフパンツにモコモコのニーハイ。なのに上半身がキャミソール姿というアンバランス。胸元の谷間が見放題という……眼福にあずかり感謝を述べる次第であります。って、そうじゃなくて風邪引くから。



「ハル……寒いんだからちゃんと服着なよ」

「だって、髪の毛濡れているからさ。と言いつつ、君の視線はいやらしいじゃないかっ! そんなに触りたいなら触ってもいいんだよ?」

「……い、いや」

「それとも足かい? 君の視線の占有率は胸と太ももが96パーセントだからね。ねえねえ、どっちがいい?」

「なにその割合。そんなに見てないからね?」

「視線って結構分かるよ? 男の子からしたら気づかれていないって思うかもだけど」

「ごめん」

「勘違いしていないかい? 君にならどこを見られてもいいの。他の人の前でこんな姿になるわけないじゃないか。だから、存分に楽しんでくれて結構だよ」



と言いながらハルはさらに距離を詰めてきて、僕の二の腕に胸を当ててくる。いや、割りと変態じゃないのか。あざといを通り過ぎて変態だからな?



「君ってかわいいね。あんなことしちゃったのに、まだドキドキするの? そういうものなの?」

「あんなことって……」

「せっ——」

「ああああああああああああ言わなくていいから。



そして僕に接触したままドライヤーを使い始めるあたり大迷惑というか。耳元でうるさいな。ドライヤーで髪を乾かしながら鼻歌を歌っていて、さっきの蒼空の恐怖を引きずっていないようだし、まあ、よしとするか。



次に小学校のアルバムを開く。ハルもドライヤーを片手に視線を落として「懐かしいね」と大音量の爆音のなかでつぶやいた。



「ああ、うん。音羽がいないか一応調べてみたけど、中学の頃はいなかったな」

「小学校のときもいないよ。いたら絶対に覚えているじゃん。2クラスしかなかったんだもん、いれば絶対に覚えているって」

「そうだよなぁ」



しかし、アルバムを開いて2ページ目で強烈な違和感を覚えた。となりでハルもドライヤーのスイッチをオフにして眉間にシワを寄せる。



遠足で動物園に行ったときの班の集合写真だった。僕ともう1人男子(この男子はよく覚えている)、蒼空、ハル、そして見覚えのない子がハルのとなりでうつむき加減で写り込んでいる。その見覚えのない子がどうしても思い出せないし、そのくせ見た瞬間に奇妙な感覚が頭の中を駆け抜けていく。



「この子……わたし知ってる。けど、名前も話し方も、顔も、全部思い出せない。写真で見ているのに、目を離すと忘れちゃう」

「動物園に行ったのは覚えてるけど……こんな子いたか……?」



ページを捲ってみる。多くはないがあと数カ所、ところどころに小さく写っていた。



決定的なのは個人写真だった。



蓮根音羽と書かれた名前の上の写真が明らかに幼かった。しかもなにかの写真から切り取って無理やり個人写真にしているような感じで、これは撮影日にはいなかったことを示唆している。小学6年生の顔つきじゃなくて、明らかにもっと低学年の顔だ。



それに、卒業前に撮った集合写真にも写っていなかったのに、写真下に記載されている卒業生一覧の名前だけはしっかりと書かれていて、つまりそれは卒業する前に……何らかの事情があって来られなかったってことじゃないのか?



「もしかして……入院していたとか。それとも……」

「死んでるのかも? ハルも本当に覚えていない?」

「……うん。もしこの子が亡くなっているんだとしたら、なんで覚えていないんだろうね。むしろ強烈に覚えている気がするんだけどなぁ。亡くなっちゃうなんて悲しいじゃん」

「そうだよな」



机から取り出した付箋を蓮根音羽の写っている箇所に貼っていく。付箋には『この子は誰?』と書き込んで、ほかにも形跡がないか棚を漁ってみた。けれど不気味なくらいになにも出てこない。それどころか、蓮根音羽がどこの誰なのかさっぱり分からなかった。アルバムに写真が載っているということは、実在したことは確かだと思うけど。



「あれはたしかに蒼空だったよな。でも、それがなんで蓮根音羽に……」

「考えても分からなそう。もしかして、ツクトシ様の言っていた『変則』となにか関係あるのかな?」

「あー……そうとしか考えられないよな。そういえば鏡なかったっけ?」

「バッグに入っているよ」



2022年に渡ってきた時点で持っていたものは鏡と100万円。その鏡は下草の祠の中にあった鏡で、あの鏡の部屋でツクトシ様の話を聞かなければただの骨董品だったけれど、今なら特別なナニカであることは分かる。



バッグから取り出してみたもののただの曇った鏡で、なにかが映るとかそういうことは何一つ起こらない。



「なにも映らないじゃん。明日、もう一度下草の祠に行ってみる?」

「そうするか……」



再びドライヤーのスイッチをオンにして髪を乾かし始めたハルは、蒼空に掴まれた手首(右利きでドライヤーを持っている)を痛そうにしている。少し痣になっているかもしれないな。



「ハル、手首痛そうだからドライヤー持ってあげるよ」

「え? 怖い」

「は? なに怖いって」

「気が利くルア君ってなんだか怖い」

「どんな感想ッ!? 可哀そうかなって思っただけじゃん」

「じゃあ、お願いしようかな」



とはいえ、ドライヤーを持って位置を固定しているだけで、ハルが自分の頭を移動して風を当てるという、第三者から見たら奇妙な髪の乾かし方だ。完全に乾く頃にはなぜかハルは僕の膝の上に乗って、僕の胴を脚でカニバサミする形で抱き合っていた。



「ねえ。どうやったら髪を乾かしながらこういう体勢になるんだろうね」

「うーん。不思議だね」

「不思議なのは僕の方なんだけどね」



キャミソールしか着ていないハルの弾力がダイレクトに伝わってくる。それに、すごく良い香りだし、すっぴんが可愛すぎる。小さい顔が僕の肩に乗って耳元に吐息がかかり、くすぐったい。



「あのさ」

「な~に? ルア君寒いよぉ」

「そろそろ降りてくれないかな。寒いのはちゃんと着ないからだよ?」

「でも、薄着のほうが抱き合っていて気持ちよくない? つまりルア君も脱げばいいと思うの」



ハルは僕のスウェットを脱がしにかかった。いやいやいや。寒いからね?



「さっき、言いかけた言葉の続き言ってくれないの?」



言いかけた言葉……あ。そうだった。葛根先生が現れてうやむやになってしまったままだった。邪魔された挙げ句、蒼空にも怖い思いさせられて。タイミングが悪すぎた。



「ハル……僕は、ハルのこと」

「……うん」

「——好」



ガシャンという音とともに窓ガラスが割れて石が投げ込まれた。



「きゃああああああああああああッ!!」

「はああああああ??」




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