#04CーA 凸する蒼空 葛根冬梨の転落 後編



日帰り旅行でも行くつもりなのか。誰か(どうせスパーブの子じゃん)を乗せて走る葛根冬梨の車が停まった場所は……那須かよ。

随分遠くまで来てしまった感と徒労感がすごい。冬梨の妻の雫さんは怒っているような、悲しそうな、とにかく負のオーラをまといながらハンドルを握っていて、一言も話さない。



スマホの地図の指す葛根冬梨の目的地は那須のロッジ……って。日帰りじゃないのかよ。

こんなところまで来て、なにをする気なのか。片道2時間もかけてバカじゃないの。



それから1時間してあたし達も那須に入り、葛根冬梨のいるロッジに着いた。冬梨の車が停まっていて、もう1時間近く中にいるのか……。




「雫さん、ここに見覚えある?」

「何度か二人で来たことがあります……彼が所有しているので」

「は? 別荘ってこと?」

「ええ。まさか……こんなことに使ってるなんて思わなかったので、すごいショックです」

「まだ分からないじゃん。一人でいるのかもしれないし」



ま、それなら仕事に行くなんて嘘をつく意味がない。どの道、葛根冬梨が破綻するのは分かりきっていることで、ここで外れたとしても問題はない——どうせ真っ黒すぎる黒だろうけど。



「合鍵とか……持っているわけないか」

「そうですね」

「仕方ない」



奥さんの車は窓から死角となる裏に停めてもらって、あたし達は回り込んで窓のカーテンの隙間から中を見やる。すると、案の定スパーブの子(ばっちり未成年)がベッドに座っていて、冬梨は裸でタオルを腰に巻いていた。



「雫さん、玄関からとつしよ。あの子はまだ間に合うから」

「はい……」



玄関のインターホンを押し込んで、「お宅の裏手で火が上がっていますッ!! 早く避難してくださいッ!!」とマイク越しに言うと、予想通り冬梨は慌てて玄関の扉を開けて出てきた。



「どこで火がッ!? あ?」



冬梨と目があった。と、同時に横から飛び出した雫さんが思い切り冬梨の頬をビンタした。鼓膜が破れたんじゃないかってくらいのフルスイングに、あたしは思わず目を背けた。いや、痛そうなんてものじゃないのよ。バチンという音が響き、一瞬その場の全員が沈黙した。



「カレン、無事―っ!?」

「蒼空ちゃん……助けに来てくれたの……?」

「うん。もう大丈夫だから」

「怖かったよぉ……うわぁぁぁぁぁん」



カレンははじめて葛根に誘われて、連れてこられて暴力(と敢えて言っておく)を受けるところだったのだと思う。だからこそ本当に怖かったんだろうね。

スパーブ内でもカレンの情報はなかったから。



「もう大丈夫だから。カレン、ちょっとコイツと話があるから、そこの車に乗っててもらっていい?」



カレンは一度ロッジに戻ってバッグを取ってきて、早足で言われたとおり車に乗り込んだ。



「冬梨……あなたなんてことしたのよ……私は、あなたがそんな人だなんて……そんな人だなんて思わなかった」

「違う、こ、これは……なあ、蒼空違うって言ってくれよ」

「……死ねば? 変態のロリコン冬梨センセ」

早月さつきさんに全部教えてもらったわよッ!! 自分の生徒に手を出すなんて……最低以下のクズじゃない……このッ!!」



今度はグーで殴りかかろうとしたしずくさんの手を押さえて、「まあまあ、とりあえず冷静に」と言ったけど、殴りたいのはあたしも一緒。雫さんの目つきはまるで取り憑かれた人みたいでつり上がっているし、息遣いは荒い。



うん、修羅場だ。なんか楽しくなってきた。

正直言うと、これが見たかった。



「違う、俺は誘われたんだ、あいつらに。まさか俺がそんなことするわけ」

「嘘ばっかり。いったいこれからどうすればいいの?」

「どうすればって……なにが?」

「被害にあった子たちにどう謝罪をして、和解すればいいのかって訊いてるのッ!!」

「そんなの……」

「うーん。あたしは1000万くらいでいいけど?」



修羅場を見ていたかったけど、よく考えたらあたしが一番の被害者じゃん。本当は時間を巻き戻してくれればいいんだけどさ。無理ならお金で解決するしかないわよね。



「ええっと……早月さん? それは本気ですか?」

「ええ。あ、雫さんからはいただかないけど? どうせ離婚するんでしょう?」



けれど、雫さんは黙り込んでしまった。まさか、こんな男と婚姻関係を続けていくつもりじゃないわよね?



「蒼空……待て。そんな大金は……」

「じゃあ、葛根センセはあたしが大事に取っておいた大切な、大切な『はじめて』はお金で買えるものだと思っているんですかー? 分かりました。それなら、警察に相談しま——」

「待って。早月さん、お支払いします。だから、それだけは……」

「いや、雫さんからはいただかないって言ってるじゃん。むしろ、この男からお金むしり取ったらどうなの? 雫さんも被害者じゃん」

「いえ……」

「蒼空……お前は…‥はじめから」

「勘違いしないでもらえます? あたしはお金がほしいわけじゃないですよ? ただ誠意を見せるとしたらそれくらいかなってお話で。別に無理なら支払わなくても結構です」

「ふざけるなよっ!! お前の……こと全部春亜に話すからな?」

「いいですよ。話せばいいじゃないですか。もうすべて終わりました。あたしね、思うんです」

「開き直りやがって」

「あなたみたいな人がいるから、世の中うまく回らないんだろうなって。だから、消えてくださいね」



あたしは110番通報した。冬梨も雫さんもどこに電話をかけているのか分からないようで固唾かたずを呑んで見守っているような状況。



「あーもしもし。ええっと、あたしの知り合いの子が未成年の高校生なんですけど、誘拐されてですね。ええ、場所を突き止めたので大至急来てくれますか?」

「ちょ、ちょっと、早月さんッ!?」

「蒼空……お前、なにを……」



その後、冬梨は逃げるわけにもいかず(逃げたら自分がやったと証明するようなもの)にロッジの玄関に座り込んでうなだれていた。雫さんも無言で立ち尽くしている。



警察が到着して事情を話すと、カレンも出かけること自体には同意済みだったこともあり、また親御さんにも冬梨と出かけると話してあったこともあって証拠不十分で逮捕には至らなかった。残念。



あたしとカレンは雫さんの車の後部座席に乗って、高花市まで送ってもらって別れた。



葛根はスパーブをクビになり、また警察が毎日のように家を訪ねているようだった。スタジオに私物を取りに来た葛根を偶然見かけたことがあって、その様子は……なんか痩せて病的な顔をしていたし、覇気がなかった。廃人って言葉が似合うかな。ざまぁみろっつうの。



それから初夏の6月になってやっと葛根は逮捕された。



雫さんからあたしの口座に入金があって、またほどなくして家に訪ねてきた。1000万円はすぐに支払いできないけれど、少しずつお支払いしますと丁重に頭を下げていった。

離婚はしないらしく、そうやって被害にあった子の家を回って歩いているのだとか。

雫さんは……疲れていたけれど、まったく被害者ヅラをせずに何度も頭を下げていた。



……これが愛……か。



もしあたしが春亜と付き合い、結婚をし、春亜が葛根冬梨のような男になってしまったら同じことをできるか……? 春亜はそんなことを絶対にしない。けれど、雫さんだってあたしと同じで、そう思っていて冬梨と結婚したのだろうから、裏切られた気分だろう。



春亜があたしを裏切ったら?



あたしならできない……と思う。絶対に雫さんのような真似はできない。あたしはそんなに強くないし、裏切られたとしたら復讐を考えるタイプなのは自分でもよく理解している。



むしろ、春亜はすでにあたしを裏切って陽音のところに行ってしまったではないか。あの時、あの瞬間がなければ今ごろあたしは春亜と付き合っていたはず。

そうだ。葛根を陥れて満足している場合ではない。



レッスンの帰り道にふと裏路地を歩きたくなった。昔はこの辺りが本通りで栄えていたんだけど、今では見る影もない。

中華屋とクリーニング店に挟まれるように公園があって、なんとなくブランコに座ってため息をついた。昔はここでよく遊んだな。記憶は薄れているけれど、春亜と遊んだ記憶がわずかに残っている。



この公園にはなぜか祠があって、昔、神社があったのだが戦時中に焼け落ちてしまったとか。



年嶽としたけ神社』と書かれている。



すべてが虚しい。あたしは何を目標として生きていけばいいのだろう。春亜を諦めなければいけないなんて……悲しすぎる。戻りたい。もう一度やり直したい。



ふと顔を上げると景色が……景色が違う。まるで昭和のような景色になっていて、沈んだはずの陽が山の陰に隠れようとしていて、古ぼけた町が目の前に広がっていた。


目の前のとおりには豆腐屋と駄菓子屋があって、座っていたのはブランコだと思っていたのに、いつの間にか境内の階段に腰掛けている……。



いったい……これは?



『よく生き延びましたね』



周りを見回しても誰もいない。けれど気配はあった。風に舞う木の葉なのか砂埃なのか。認識できないけれど何かがそこにいる。セピア色に染まった町を吹き抜ける風が、あたしの頬を撫でていく。まるで誰かの指で触れられているように。



「……なんのこと?」



誰なの? 誰があたしに話しかけているの?



『覚えていないようで残念です。まあいいでしょう。あなたはこれから願い事を一つ言います。それは必然であり、逃れることのできない宿命です。あなたはやり直したい。違いますか?』

「……できるの?」

『代償をいただければ。ただし、あなたが望むことにより世界は増殖し、世界はさらに枝分かれしていくでしょう。そして、あなたと関わる者たちもそれは同じ』

「なんの話を……?」

『そうですね……あなたと関わり深い方に…………もらうのも趣があるかもしれません』

「ちょっとまって……つまり、あたしがやり直せる代わりに誰かに死んでもらうってこと!?」

『問題ありますか? 別に命を取るとは言っていませんよ。どうですか? 蒼空さん。いえ、

「なにを言っているの……」

『戻りたい意思表示をしてください。これはあなたにとっても妾にとっても利益のあることなのです』

「それは戻りたいけど……」



まるで耳元で羽蟲はむしが大量に羽音を立てているような、耳障りな音とともに、一瞬意識が飛んだ。






気づくと……見覚えのある通りを歩いていた。スマホを確認すると2023年4月3日で、なぜかこんなところを歩いていたのかまったく覚えていない。スマホのリマインダーには『春亜との運命の日』と表示されている。




あたしは……なんだか長いこと夢を見ていたような気がした。








—————

ぶっちゃけます。蒼空は世界線Aに飛んでいます。

近況にそのあたり解説入れます。

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