#25B 鏡の中のハル
うだるような暑さにもかかわらず、年嶽神社の境内は木々のマイナスイオンの効果があるのかないのかは分からないけど、涼しいような気がした。
鳥居をくぐって一番はじめに見えた社務所(お守りを販売してくれるところや御朱印帳の受付、祈願申し込みする建物だと思う)は閉まっていて、仕方なく敷地内に建つ住宅を訪れた。
「すみません、あの……ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
僕がインターホン越しにそう言うと、僕たちと同じか少し下の年の男性が眠たそうに顔を出した。
「あぁ、えっと親父はでかけました。用事なら姉ちゃんにお願いします。えっと多分……拝殿所にいるんじゃないですかね」
「拝殿所ですか?」
「そこの参道を真っ直ぐ行って丘を下ると見えてきますよ」
「ありがとうございました」
少し坂になっている参道を歩いていく。ハルはこの暑さをなんとも感じていないのか。それとも体力が有り余っているのか、軽快に参道をスキップして進んでいく。ユメマホロバの歌を口ずさみながら僕のほうを振り返り、「気持ちいいね〜」なんて言って。今日もゴキゲンでなにより。
小高い丘になっていて、そこから浜辺と海を一望できた。潮風の匂いが一層増して、さざ波の音が心地いい。ハルは丘から海を見下ろし、気持ちよく吹く風になびく髪を耳にかけた。何気ない仕草が可愛すぎる。
「わぁ、見て。ルア君ここすごくキレイ〜〜〜」
「こんなふうになっていたのか。……あ、少し伐採したのかな。昔はこんなに見晴らしよくなかったような気がする」
「見てみて〜〜〜豪華客船が見えるよ! いいなぁ〜〜。あ、そうだ、ルア君新婚旅行は船でどこか行ってみたいの。海外をめぐる旅に憧れてたんだぁ〜〜〜」
新婚……というと昨夜の夢を思い出してしまう。あれはあまりにも刺激的な夢だった。だって、人気絶頂のアイドルの夢咲陽音と結婚をしていて、その可愛いお嫁さんが僕に懐いているんだから、破壊力ありすぎだろうよ。
けれど、もしハルがアイドルじゃなくて容姿が優れていなくても……僕はハルのことを可愛いって思うだろうか?
答えはイエスだと思う。少し小悪魔だけど、一緒に居てこんなに楽しい子はそうそういない。
だから、むしろアイドルなんて目立つ存在じゃなくて、一般人としてハルが目の前に現れたとしても僕はハルのことを……って好きじゃないからね? セルフ思考誘導みたいになっちゃっているけど、まったくそんな気ないからね。あの夢のせいだ。ったく、なんて夢見せるんだよ、自分。
「ルア君は結婚して旅行に行くとしたらどこにいきたい?」
こんな狭い船室で……ル、ルア君、ダメ、声がでちゃうよぉ♡
ご主人さまぁ〜〜〜もっと、もっとぉ〜〜イジメてください……。
はっ! なにを妄想劇場を広げちゃってんだよ、僕。そうじゃなくて、新婚旅行はどこに行きたいって訊かれているんだから答えないと。って、新婚? 誰と? ハ、ハルと?
そうじゃなくてハルは漠然と訊いているんだ。
「国内……かな。えっと瀬戸内海とか」
「そっかぁ。うん、ルア君がいいって言うならそこでいいよ」
「って、なんで僕と新婚旅行行くことになってるわけ?」
「え? 他に誰がいるの?」
「なに? その、僕が相手なの当たり前。的な発想は?」
「はい、ルア君しんきんぐた〜〜〜〜いむ。わたしはどういう状況でしょう?」
「誰にも認識されない?」
「ピンポーン。はい、ではこの先それは解決するでしょうか?」
「すると思うけど、打開策は見つかっていない?」
「ピンポーンピンポーン。では、そんなわたしを認識できる人物といえば?」
「僕……鏡見春亜だけ?」
「せいか〜〜いっ! やったね全問正解。ってことで、ルア君が責任持ってわたしを貰ってください」
「責任……って、重い」
「重くない。わたし軽いよ? ノリも軽いし。だってこんな状況なのに笑っていられるもん」
「いや、そういうことじゃなくて」
「わたしじゃイヤ? イヤなの? なんで? そういうのよくないと思うよ? せめて理由を言って? ねえねえどうなの?」
イ、 イヤとかそういうのじゃなくて。僕はハルと……。ってそうじゃなくて。
「いやいやいや。そもそもなんで新婚旅行の話になっているわけ? 結婚どころか付き合ってもないじゃん?」
「だって、豪華客船見てたらそんな気になっちゃったんだもん」
「あれ、どう見てもタンカーだからね?」
「夢がないなぁ。あ、じゃあさ、じゃあさ、恋人ごっこから新婚ごっこにグレードアップしちゃう? ダンナぁ〜〜今ならお安いですぜ?」
「はいはい。なんでいいですよ。それよりもハル、ゆっくりもしていられないから先に進もう?」
「……つまんないな」
「つまんなくない」
「つまんない。あ、なんでもいいからって言ったよね? 言ったね? ならさ、ならさ、今から新婚さんってことで。この際、ごっこだけど籍入れちゃお?」
「既成事実作ろうとしないの……っていうか、なんだか楽しそうだなぁ。怖くないの? 溺れて死ぬかもしれないのに」
鏡の中のハルは水の中に沈んでいった。あれが未来のハルだとしたら……。なんて考えると、僕は怖くて仕方ないのに。
「そうなったらそうなっとき考えればいいじゃん。前にも言ったじゃん。不安視していることってほとんど起こらなくて、人間の防衛反応がそうしているだけだって」
「確かにそうなんだけど」
起こるかどうか分からないことを考えて不安になっても仕方のないこと。そう言いたいんだろう。どこまでも前向きで、そんなハルだからこそ今まで局面を乗り越えてこられたんだろうな。アイドルならいろいろとあったはずだし。でもあのストーカーのときは本当に怖そうだった。まるで死ぬことを確信していたような気さえする。
「ルア君。わたしここ気に入った。だからね、今度ゆっくり来ようね?」
「うん。そうだね。良い散歩コース見つかったな」
ハルと話していると長い参道もあっという間で、今度は下り坂で先に
「ごめんください。すみません、こちらに行けと言われたので」
すると、中から巫女さんが出てき……え?
巫女さんはよく知っている顔をしている。最近は毎週顔を合わせているし、なんなら一緒にダンスをしている。
「この鏡、見てもらえますか?」
「は? 春亜くん?……っていったいなんでこれを?」
「え……如月先生?」
巫女さんは、ダンスでお世話になっている如月凜夏先生だった。そういえば如月先生が巫女さんをしているって誰かから聞いた気がする。まさか
「この鏡は……昨年、こつ然と消えた国宝だけど?」
「え? じゃあ、年嶽神社に保管されていたものなのですか……?」
「うん。でも、どこでこれを……?」
なんて説明すればいいか。まさかタイムリープ的な話をするわけにもいかないし。僕が困っていると、如月先生に認識されないハルが僕に耳打ちした。
「拾ったとかでいいんじゃないかな」
「そんな馬鹿な話できないじゃん」
「このままだとルア君が盗んだことになっちゃうじゃん」
「……確かに」
僕が一人で話している(実際にはハルと話している)ことに眉をひそめた如月先生は、「とりあえず中に」と言って僕(とハル)を通してくれた。回廊になっている外廊下をグルっと回って奥の部屋に通されると、中には女の人の姿が見て取れた。なんだかすごく嫌な予感がする。その正体は、正座をしてこっちをじーっと見ている蒼空だった。
気まずすぎる。
「なんで蒼空ちゃんがいるのよ。わたし帰る」
「待てって。別に蒼空に認識されていないし、いいじゃん」
「だって、せっかくいい気分だったのに……」
「本当に蒼空のこと嫌いなのな……」
「だって……蒼空ちゃんはさ……」
ハルとヒソヒソ話していたつもりなのに蒼空には筒抜けだったらしく、「あたしがなに?」と訊いてきた。ハルのゴキゲンだった気分は急降下したみたいで、腕組みをして明後日の方を見ている。この前、スパーブに連れて行ったときもこんな感じだった。ダンスをしたら機嫌は直ったけど。
「なんでもない。それより蒼空はなにしてるの?」
「別に。ただ如月先生に不吉なことを言われたから」
「不吉なこと?」
「あたしを捨てたルアには関係ないじゃん」
「捨てたって……それだとなんだか別の人と浮気していたみたいじゃん」
「違うの?」
「全然違うし。そもそも僕はそんな理由で蒼空と別れたわけじゃないからな?」
「じゃあ、なに? 他にあたしと別れる理由がどこにあるの?」
ハルがため息をついた。ハルは心底蒼空のことが気に入らないのか「どんだけ自分に自信あるのよ」と不機嫌な口調で漏らす。
ごめん、それは正直僕も思った。僕が別れた理由は蒼空が未来で浮気をしたことが原因だ。つまり、僕が誰か他の子を好きにならなくても、別れるしか選択肢はない。いつか浮気をされるかもしれないっていう思いが強すぎて無理だ。好きだったから余計に期待を裏切られた気がして。そう考えると意外と心の傷は深いのかも。女々しいな、僕は。
「はいはい。痴話喧嘩はその辺にして」
如月先生は座布団に腰を下ろすと改めて挨拶をした。
「いらっしゃい。春亜君。ちょっと春亜君は待っていてね。蒼空ちゃん、あなたには何かが憑いている気がするの。水……にまつわるなにか。なんとなくだけど」
「それで水難の相があたしに出ていると?」
「……そうね」
水難の相……蒼空が? それで来ていたのか。蒼空は霊障とかパワースポットとか占いをあまり信じるタイプじゃなかった気がするけど。
思い出すのは鏡に映し出されたハルが水に沈んでいく姿。あれも水難だし、蒼空の話となにか関係があるのか?
僕だけが見たのなら幻覚とか、夢とかで片付く話だけど、ハルも一緒に見ているからその可能性は低いと思う。
「あの、話している途中ですみません」
「なに春亜君?」
「この鏡って、見た自分以外のものを映すことってありますか?」
「……ルア、それっておとぎ話? 鏡よ鏡、世界で一番美しいのはってやつじゃん。なにバカなこと言ってるのよ」
「そういうのじゃなくて、なんていうか突拍子もなく突然……たとえば自分たちが映っているんだけど、全然こっちとは違う動きをしているとか」
おそらく違う世界線を映し出しているんだと推測するけど、おそらくここでそれを言ってもだれも信用しないよな。だからあえてそういう説明にした。ハルはとなりで「言えてる。鏡に向かって言いそうだもんね、蒼空ちゃん。そもそもヴィランズ中のヴィランズじゃん」なんて蒼空を皮肉っているけど、当然蒼空には聞こえていない。
「あぁ。高花の伝承……というか風土記の話だよね」
「え? 知ってるんですか?」
「うん、まぁ。ツクトシノヒメが鏡を使ってシロヤエノワニを封じた神話だよね。シロヤエノワニが封じられた後、その鏡には呪いが掛かってしまい、映った自分が話し出すことがあるとか。鏡にまつわる話も風土記にはたくさんあるんだけど、長くて覚えきれないのよね。でも春亜君はよく知っていたね。意外と博学?」
「ルアは鏡に映った自分が話しかけてきたんでしょ? それで怖くなってここまで来たとか? そんなの見間違いに決まってるじゃん」
「見間違い……分かんないけど、怖いのは怖いよ?」
見栄を張っても仕方ない。実際、怖かったし。現に今も怖い。
「蒼空ちゃんもじゃん、水難が怖くなって駆け込んできたのはさ。ルア君のこと笑えないのに。バッカみたい」
「まあまあ。ハルは少し頭冷やせって」
しかし、ハルは如月先生の話には興味があるようで、「それで?」と食いついているけど、如月先生もハルは見えていない。諦めたようで、ハルはつまらなそうに鏡を覗き込み「鏡よ鏡、世界で一番可愛いのはだ〜〜〜れ」と問いかけていた(もちろんおふざけだろうけど)。
『陽音、蒼空ちゃんに伝えて。そこの蒼空ちゃんに水辺には近づくなって言っておいて』
突然、鏡の中のハルが話しだした。あまりにも気味が悪くて僕もハルも固まってしまった。如月先生と蒼空は見えていないか認識できていなくて、僕の様子を見て首を傾げている。
今のはいったい……。ハルの服装も様子も全然こっちのハルとは違う。切羽詰まっているような顔つきで、鏡の中のハルは鏡いっぱいに顔を近づけて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「な、なに。いったいなんなの……わたしは誰に話しかけられているの? え、わ、わたし? ルア君怖いよぉ」
ハルは僕にしがみついてくる。でも、顔は鏡を覗き込んだままだ。
『あまり詳しくは言えないけど、とにかく蒼空ちゃんが死ぬとまずいの。だから水辺には近づけないで、さもないとルア君が大変だから。陽音、わかった!?』
「は? それって水難? ちょっと、あぁ、消えないで、ねえ、待って、こらぁ!! そっちのハル教えろ!」
しかし、こちら側のハルの願いも虚しく鏡の表面は凍りつくようにして白く濁ってしまった。
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