#26B 予兆 カウントダウン
「ハル? ハルってあのハル? え? まさか。ルアはいったい誰と話しているのよ」
「春亜君……君……鏡になにか見えたの?」
「いや……」
蒼空と如月先生に不審がられている。混乱してきた。鏡の向こうのハルは蒼空を水辺に近づけるな、もし蒼空が水辺に近づくと僕に大変なことが起こる。と言っていたがさっぱり意味分からん。なんで蒼空が水辺に近づくと僕が大変なことになるのか想像もつかない。でも、もし、どこかの世界線のハルが僕を助けようと鏡からこっちの世界線の僕たちに救いを求めているとしたら?
「……蒼空、忠告しておく」
「ちょ、ちょっとルア君、言ったらまた変な人扱いされるって」
「ハルいいから。えっと蒼空、とにかく水辺には近づくなってことらしい」
「は? だから水難の件で来ているんだから分かっているわよ」
「そうじゃなくて……なんだか水辺はまずいらしい。絶対に近づくな」
自分でも言っていて意味が分からなくて、どう言ったら蒼空に伝わるのか分からない。これは、混乱の極みだ。
「……春亜君の言うとおりだと思うよ? 昔から水には悪いものが憑きやすいから。川や海、それから湖や沼には近づかないほうがいいと思う」
「如月先生……それって夏を放棄しろってことですか?」
なんで水辺を避けることが夏を棄てることになるんだって。蒼空の思考回路がよく分からないし、そんなに抗議することなのかって。
「意味分からなすぎだから。とにかく蒼空は家から一歩も出るなって」
「ルア君、夏といえば海、川、プールってどれも水辺だよ? つまり、夏に水辺で遊ぶなってことは、夏を楽しむなってことだって蒼空ちゃんは言いたいんだと思う」
「……山だってあるじゃん。山で遊べばいいじゃん」
「それはそうだけど……」
山で遊ぶ蒼空を見たこともないし、想像もできない。だからといって、蒼空と付き合っているときに海や川、プールに行ったかといえば記憶にない。夏はエアコンのきいた部屋で涼むか、ショッピングに行くくらいしかなかったような。今考えるとつまらない夏を送っていたな。それも5年なんていう長い間……。
っていうか、そんなに夏休み遊びたいのかよ……。
「あ、じゃあ、わたしと海に行こ? キワドイ水着買って、着てあげるから、ね?」
「ハル……なんでそうなる……っていうか自分も水難に遭いそうなこと忘れていないよね?」
「あ……でも、ルア君が守ってくれるでしょ?」
「自然の脅威から? 無理無理」
なんてハルと話していると、如月先生と蒼空が不思議そうに僕を見ていた。やばいやばい。いや、ハルをみんなが認識していないってことをなんだか忘れちゃうんだよね。しかも、ハルが話しかけてくるから余計にそうなっちゃうんだよな。少し黙ってくれると助かるんだけど。
「今年だけよ。それに山があるじゃない」
如月先生も僕と考えていることは同じだったみたいだ。山で遊べば問題ない。誰かとキャンプでも行って夏を満喫してこいっていうの。
「……じゃあ、ルアが山で遊んでくれるなら考える」
「だから、蒼空……なんでそうなる……? 僕たちは」
って、蒼空と山でなにするの? 蒼空は虫が嫌いだし、BBQはいぶし臭くなるから嫌だとか言うし。キャンプは……テントで寝るのが超絶無理、っていつか言っていたような気がする。まあ、誘われても蒼空とは絶対に行かないけど。復縁とか言われても困るし。
「復縁だって考えてあげてもいいけど?」
……いや、想像通りだな。それにたとえ蒼空が心を入れ替えたとしても復縁するつもりはまったくない。付き合っているわけではないけど、ハルと一緒にいたほうが楽しいって思っているんだからヤバいよな。自分でもそう思う。いつかハルが僕のもとを離れるときが来たら、切ないよな。あぁ、昨晩の夢を思い出した。悲しかったなぁ。よく分からない夢だったけど。
「マジでありえない。ねえ、ルア君、耳をかさないほうがいいよ? それは……恋愛は自由だけど、でも蒼空ちゃんはさ……」
「分かってるって」
「なにが分かったの? 独り言多すぎなんじゃないの? ルア大丈夫? ハルって誰なの? なにが見えてるわけ?」
「とにかく、復縁もなにもないから?」
「よく言った! 偉いぞ、ルア君。ご褒美にチューしてあげる」
「やめれ、ハルッ!! くっつくなって」
蒼空は案の定不思議そうな顔をしているけど弁解するつもりもないし、僕は平静を装ってもう一度「復縁はないから」と蒼空を切り捨てた。いや、本当にどうしようもない話だ。こんな神聖な場所でつまらない話をするのはどうかと思う。反省しないと。
「とにかく、蒼空ちゃん、心配なら家に泊まってもいいけど? 心を清めることも大切なのよ?」
「いえ、結構ですッ!! 如月先生、こう見えてもあたし、溺れるのには慣れていますから」
「え? 蒼空ちゃん? 慣れているってどういう———」
「それでは失礼します」
復縁を断ったからなのか、不機嫌そうに蒼空が拝殿を出ていくと、如月先生は追いかけていきしばらく蒼空と外で何かを話していた。戻ってくるなり、如月先生は「ごめんね」と謝ってから再び腰掛ける。
それにしても、溺れるのには慣れているとはどういうことなのだろうか。もしかして泳げないから僕と海もプールも行かなかったってこと? 溺れすぎてトラウマがあるとか?
「それで鏡ね。どこでこれを?」
「家に送られてきました。送り主不明で」
「……誰かが盗んだのか。それをなんで春亜君に渡そうと思ったのか……もし、春亜君がグルだとしたらこうしてここに持ってくることはないね。けれど、もし盗んだのが君で、自責の念に駆られて返しに来たとしたら? まあ、それはそれで許そう。ということで、春亜君の言葉を信用しようじゃない」
信用しているのかしていないのかさっぱり分からなかったけど、「冗談だよ」と如月先生は笑った。如月先生はダンスでお世話になっているし、僕が中学生のときには如月先生は大学生ですでにダンス講師だった。そのときからよく話しているから、もしかしたらある程度の信用は勝ち得ているのかも。
「その犯人がなんで僕にこれを託したのかがわからないんです」
如月先生に言ったところでますます意味不明な状態になるだろうけど、そもそも託したのは別の世界の僕に違いないし、そうなると別の世界の僕が過去にここに来て、盗み出した可能性が高い。犯人は僕じゃない、なんて言い張っても結果的に僕じゃん。
「この前、ここの前を通ったときに鳥居で神紋を見たんです。その神紋が鏡にもあったので」
「あぁ。うん。ツクトシノヒメの神紋だね。春亜君はそれで鏡を持ってきてくれたんだね」
「……あれ、ルア君おかしくない?」
「なにが?」
「だって、ツクトシノヒメって漢字で書くとお月様の月と年越しの年にお姫様の姫で月年姫だよね? それって下草のあの祠の……神様じゃないの?」
そうだった。この世界線のハルも僕たちと中学までは一緒にこの辺で遊んでいたのだから知っていて当然だ。世界線Aで、ストーカーに恐怖するハルと一緒に訪れた場所が、下草の海辺の祠だった。確かに記憶が正しければあれはツクトシノヒメの祠だった気がする。それとも、
「ツクトシノヒメは、下草の海岸にもありませんか?」
「あるよ。でも、あそこは少し曖昧なんだ。実は伝承が残っていなくてね。一度津波で流されたことがあって、なにを祀っているかみんな分からなくなっちゃったんだよね。そこで、おそらくツクトシノヒメだろうってことになって、祠を復元した経緯があってね」
「そんなことあるんですか?」
なんだか大雑把すぎる気がするけど。誰だか分からないから、適当に神様を決めて祀ったってことだよね? なんだか神様に失礼すぎない?
「一応、ツクトシノヒメの伝承があの海にはあるけど、なんだか妙なんだよね。大学の調査とか入ったんだけど、流された祠がなんのために奉られたのかまったく分からなかったんだよ。おそらく江戸時代あたりに作られたんじゃないかってことだけど……うーん。謎が多いね。それで今の祠はたしか、40年くらい前に復元されたのかな」
「そうですか。ここに祀られているツクトシノヒメとは別ってことになるんですか?」
「いや、そうじゃないよ。信仰の場所は一つとは限らないんだ。遠く離れた場所の神様に会いに行けないから、近くに神社や祠を作ろうって場合もあるからね。信仰者がいればそれだけ多くの神様が生まれる。神様っていうのはそういうもんだよ」
「よくわからないけど、わかりました」
如月先生はニッコリと笑って鏡を手にした。
「うん。で、この鏡は預かっていいのかな?」
「ええ。元の場所に戻すのが一番だと思って」
ここに来てやっぱり持って帰りますとは言いにくい。それよりも如月先生に預けて、なにか分かったら教えてもらうほうが気が楽ということもある。それに、持っていても、鏡の向こうで映った僕やハルを……どうしようもできないし、むしろ怖いだけだ。どこまで鏡を信用していいのか分からない。それにさっきのハルは……本当にハルだったのか。鏡が作り出した虚像ではないのか?
「殊勝な心がけだと思うよ。売ればそこそこお金になったと思うのに。まあ、闇ルートじゃないと無理だろうけど」
「だから、盗む気ないですって」
「だから冗談だよ。鏡に関しては伝承を調べておくよ。それと、不可解な犯人については警察にでも相談するとしよう。春亜君、ありがとうね」
「いえ。こちらこそ色々と話しを聞かせていただいて、ありがとうございました」
「それはそうと、夏まつりまであと三日だね。今年の打ち上げ花火は予算が倍だっていうから楽しみだね」
「へぇ〜〜〜そうなんですか。楽しみですね」
「うん。まあ、ダンスもほどほどにね。春亜君はとくにね。君はスイッチが入ると周りが見えなくなっちゃうところあるから」
「……はい」
結局、分かったのはツクトシノヒメがシロヤエノワニを封じた鏡ということだけ。それと、やはり年嶽神社に鏡は保管されていたということ。誰が持ち出したか、またその理由がなにか、まったく分からなかった。
拝殿所を出て、元の来た道を戻る。
「ねえねえ、夏まつりって昔と同じ感じ?」
「えっと……豪華になっていると思うよ? 盆踊り大会デラックスみたいな?」
「なにそれ。ワクワクする。高花ってお祭り多いもんね」
「イベント好きな人が多いんだろうね」
「楽しみだなぁ。あ、ルア君」
「うん?」
「恋人ごっこ、じゃなくて新婚ごっこはまだ続いているんだよね?」
「え? 冗談じゃなくて?」
「えぇ〜〜〜冗談なわけないじゃないかっ! 絶賛継続中に決まっている! だからさ、だからさ」
「はいはい、花火一緒に見たいって言うんでしょ」
「うん……ダメ?」
「いいよ。僕もそう思っていたから」
どこかでひぐらしが鳴いていた。8月にもなると夏も終わりかけていて、秋の気配が訪れる。実際、立秋はもう過ぎているのだから秋といえば秋なのかもしれない。
神社から帰る途中で、ハルは浴衣を着たいと駄々をこねた。
仕方なく……ハルとショッピングモールに寄って、浴衣を2着買って帰った。
男性用と……女性用の2着を。
ハルは夏まつりを心底楽しみにしていたが……その夜、また身体が透けて、ハルは消えかけた。泣き出したハルはすぐに身体がもとに戻ったものの、恐怖であまり寝付けなかった。僕もハルが心配でずっと起きていた。
うとうとしていたハルは夢を見たという。
暗い海を入水していく夢を。その水面には空に浮かぶ大輪の花が映し出されていた。
大きな花火が。
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