#15B おかえりハル



蒼空には家に帰ってもらって、僕は夢咲陽音のことを調べることにした。なぜ彼女は殺されなければならなかったのか。



検索をしていると誹謗中傷は未だに残っていて、世界線Bの夢咲陽音は世界線Aの陽音とまったく同じ状況に陥っていたことが分かる。



今、現状で分かっている世界線AとBの明確な違いは、1つだけ。



一つは僕が蒼空と付き合っているのが世界線B、付き合っていないのが世界線Aだ。



不明なのが、世界線Aの2023年時点で夢咲陽音が生存しているか否か。世界線Aの2023年5月時点で僕は死んでしまったために、その後のハルが生きているかどうかなんて確認しようがない。もしかすると世界線Aでもハルは殺されてしまったのかもしれない。その線が濃厚な気がして、考えるだけで切なくなってくる。



無性に寒気がした。手が震えてくる。ハルと会いたい。会ってもう一度話したい。だが、それは到底叶いそうにない。絶望に打ちひしがれていると吐き気がしてくる。ハルはなぜ死ななければいけなかったのか。ハルに会いたい。会わせてほしい。



神様でもなんでもいいから、ハルに会わせて……頼むから。



いや、泣いている場合じゃない。世界線Aのハルが生きているとすれば、なんとしてでも助けたい。こっちのハルは死んでしまっているのだからもう救いようがないけれど……なんとか世界線Aに戻って、ハルを助ける方法はないだろうか。



ガチャっと玄関の扉の開く音がした。どうせ蒼空が帰ってきたのだろうと思って、無視を決め込んだ。いくらこの世界線の蒼空が良いやつだったとしても僕は『ホラー蒼空』を知っているから、話を真に受けないことにしようと思っている。たとえ世界線Bの蒼空が世界線Aの蒼空とまったく違う性格だとしても、どこか向こうの世界線の本性を隠し持っているような気がして——申し訳ないけど、生理的に受け付けなくなってしまっている。



「よ。ルア君じゃないか。ただいま。ずいぶんと君の家探しちゃったよ。君の名字が鏡見かがみなんて珍しいから助かったけどさぁ」

「ちょっと蒼空、今、忙しいんだから邪魔しないで欲しいんだけど」



待て。なんか声が違うぞ。蒼空の声はもっと低いし、変なセリフ掛かった言葉を使わない。気味が悪いな。まるで幽霊でもいるかのような感じだ。だって、この声は……。



ふと背後を見るとハルがニコニコしながら立っている。



「うあああああああああッ!!」

「ちょ、ちょっと、そんなに驚かないでよ」

「幽霊が出たんだから驚くに決まっているだろうがぁぁぁぁぁ」

「誰が幽霊……失礼だなぁ、君は」



死んだ人間が目の前にいて、それを自分で幽霊じゃないと言い張るなら……この子はいったい何者なんだろう。ああ、そうか。僕がハルを思うあまりに出てきたしまった幻覚に違いない。これは末期だ。末期症状で僕がハルに会いたいばかりに、自分自身でハルの虚像を作り上げてしまったのだ。ハル……幻覚だとしても来てくれてありがとう。嬉しいよ。



もういいや。幻覚でもなんでもいいから、近くにいてほしい。



「それと不用心だよ。鍵くらい掛けたらどうなの?」

「……えっと、なんだかあったかいんだけど?」



僕の肩に触れているハルの手は、あの温もりがある。まるで本当に生きているように温かくて、不覚にもハルの家に泊まったときのことを思い出してしまった。幻覚よ……これ以上傷をえぐらないでくれ。でも、本当に懐かしくてさ……つらひ。



ハルは僕を抱きしめて(幻覚のくせに)、「ただいま。会いたかったぁ」と耳元で囁いた。僕は耐えきれずにハルを抱きしめ返す。そしてこらえきれずに……やっぱり泣いた。あぁ、温かいというよりも汗ばんでいて気持ち悪い。夏に抱きつくと暑いんだな。はじめて知ったよ。



……え? 幻覚なのに汗ってかくの?

そもそも抱きつくと暑いとかって……幻覚なら変じゃね?



えっと……もしかして、本当にハルは生きている?



っていうことは、この世界で夢咲陽音が死んだというのは偽情報だったってことかッ!?

あれ、じゃあさっきやっていた追悼番組は……?



「やっぱり幽霊じゃんか」

「だぁ〜〜か〜〜らぁ〜〜幽霊じゃないって。多分だけど……時間を移動してきたの。理解するのに丸一日かかっちゃったけどさ」

「先に言えよッ!! 心配したんだからなっ!」

「言っても全然聞かないじゃんかっ! ルア君のばかぁ……」



人を罵りながら再び抱きついて人の胸に顔をうずめながら、「ただいまぁ」なんて。

僕はハルの頭を抱きしめて、自分の顔を見せないようにして「おかえり」となんとか発した。顔がグチャグチャすぎて見せられない。そのままキープしていると、ハルはジタバタし始めた。



「死ぬ、本気で死ぬって、このばかぁ」

「ご、ごめん」



でも、ハルは僕の顔を見てもなにも言わなかった(というよりも気づかないふりをしたんだと思う)。



しばらく二人で背中を向けあって、心を落ち着かせる。再び顔をつきあわせると、ハルも目は真っ赤だった。



「とにかく、ハルは……生きているってことでいいんだよね……?」

「うん……多分。でもさぁ、それが不可解でね。ちょっと来てみてよ」



ハルに袖を引かれて外に出る。どこに連れて行かれるのかと思ったら、コンビニの中に一直線。コンビニでなにをしようっていうんだ。ハルはレジ手前の棚にあるグミを手にしてレジのカウンターに置いた。グミが食べたいから来たっていうわけ?

相変わらず、食欲には正直すぎるなぁ。



「あのぉ〜〜〜店員さ〜〜〜んっ! グミほしいんですけど?」



タバコのカートンを開けて在庫補充をしている店員さんは、まるでお笑い芸人のコントのようにまったくハルに反応しない。それどころか、不思議そうにグミを手にして、首を傾げながらカウンターを出て元の位置に戻した。



えっと……ハルのことをガン無視? 客を無視するなんて有り?

大胆不敵すぎる店員だな。これは苦情どころの話じゃないよ?



「ほら。こういうわけ」

「……存在感薄ッ!!」

「わ、わたしの存在感ってそんなもんだったのぉ〜〜〜アイドルなのにぃ〜〜〜って。ルア君? ふざけてる場合じゃないよ? そんなレベルじゃないでしょ。これ見てよ」



自動ドアがまったく反応せずにハルは肩をすくめる。お客さんがそのとなりを素通りしていく。雑誌コーナーでは、別のお客さんが週刊誌を立ち読みしていて、表紙にはデカデカと『夢咲陽音の死の真相は!? メンバーが胸中を吐露』なんて書かれていた。いや、目の前に本人いますけど……?



「笑えないなぁ。本当になんで?」

「わたしが聞きたいよ……」



あまりにも人気すぎてファンがストーカーになってしまい、常にサングラスとマスク、キャップで正体を隠していたのが夢咲陽音という人気アイドル。それなのに、今の夢咲陽音はサングラスどころかメガネすら掛けていない。マスクもキャップもしていないハルの顔を見て、これほどまでに誰もなんの反応も示さないのはおかしいと思う。



分析1。死んでいるから。

みんな夢咲陽音はこの世にいないと思っている。よって、みんなは夢咲陽音を死んだと認識していて、ハルのことを見ても夢咲陽音に似ている人がいると思っているために、特段騒ぎ立てないという理由。



結論。

そうだとしても、店員さんの反応はやっぱり不自然だ。

視界にも入っていない。店員さんだけじゃなくて、他のお客さんもまったくハルを認識していない。そのままだとレジに来るお客さんにぶつかってしまうために、ハルが慌てて避ける始末。ハルは幽霊よりも幽霊らしい存在になってしまっている。よって、この理由はありえない。



分析2。本当に存在感が薄い。

夢咲陽音の死はなにかの間違いだとして、実際は死んでいなかった。世界線を移動してきた時点で歴史改変があってなんらかの理由で誰からも認識されなくなっている状態。だとしたら、なんで僕はハルを認識できるのか。だとしても、これだけ夢咲陽音の死亡が社会的に取り上げられているのだから歴史改変もくそもない。とにかく変な話だ。



結論。

そもそも死んだ人間が世界線を移動してきた場合、どうなるかなんて僕には分からないから分析不能。



なんて一人で考えていると、僕に対する店員さんや他のお客さんの視線がなぜか冷たい。ああ、そうか。一人で話しておかしい人だとか思われているんだ。まいったな。



「ってわけでだよ。わたし、空気になっちゃった……あはは」

「笑い事じゃないよね」

「だって、笑うしかないじゃん。こんなことはじめてだし」

「聞いていい? ハルは……どうしてこっちに?」

「ルア君が刺されて死んじゃって……悲しくて。それで……実はさ……自分のことに関してはあんまり記憶がないんだよね。こっち来てからすぐの頃はハル君のことも忘れちゃっていたし。気合で思い出したけど。あはは……やっぱりわたし死んじゃったのかな」

「……ごめん。ハル……本当にごめんな」

「なんでルア君が謝るのよ。って、違う。そうだよね。ルア君」

「うん?」

「わたしのほうこそ……ごめんなさい。わたしのせいでルア君が痛い思いや大変な思いしちゃったよね……助けてもらってばかりで……」



コンビニを出て、人がいる場所ではあまり話さないようにして、僕の家にまっすぐに帰ったほうが無難だろうという話でハルと意見が一致した。足早に帰ってハルと互いの状況を整理したいと思ったからだ。



「……ねえ、変なこと訊いていい? 蒼空ちゃんって……どうなの?」

「この世界線……いや、あのときと同じだよ。僕は変わらない。蒼空のことはちゃんと断るつもり。これでハルの言っていたことがわかったよ。ありがとな」



この世界線で僕が蒼空と付き合っているという事実をハルは知らないはずで、むしろ世界線Aでの出来事を思い出せばハルは、僕が蒼空のことを拒絶していると思っているはずだ。後にも先にも僕が蒼空と付き合うことはもうないと思う。



「……は? 蒼空ちゃんフラれちゃうの? あの蒼空ちゃんが? なんで?」



なんだかハルの反応がおかしい。僕の選択した行動は間違っていないとハルは思っていたはずなのに、『なんで?』はないんじゃないかな。ハルの顔を見ても僕をからかっている様子はないし。



「待って。世界線A……いや、移動元の世界でハルは……僕が蒼空を拒絶していたところを知っていたよね?」



確かにハルは僕と蒼空の関係を見抜いているような素振りを見せていた。遠回しに蒼空と関わりを持たないほうがいいと言っていたきらいさえある。でも、今の反応からしてなんだか僕の知っているハルとどこか違うような。



「……? どういうこと?」

「ほら、僕の行動は間違っていないって……言ってくれたじゃん?」

「ごめん。覚えていないかも。蒼空ちゃんとルア君の関係っていつ破綻したの? っていうか付き合っているんだよね? 告白したのってどっちから……?」



……なんで覚えていないの? 本当にハルなんだよね?

もし、僕と一緒にいたハルならこんな反応はしない。じゃあ、やっぱりハルは……幽霊とか? それともハルの姿をした何者かで、実は他人だったとか?

つい、後退りをしてしまった。

いや、もしかしたら僕もそうだったけど、記憶が抜け落ちていて混乱しているのかもしれない。そうだ、それしか考えられない。



「えっと……蒼空のほうかな」

「それでルア君がフッたってこと?」



この世界線で僕と蒼空はまだ付き合っているけど、僕の心情的にはもう蒼空への思いは絶望に変わっていて、今すぐにでも拒絶したいと思っている。次に蒼空と会ったら、早々に別れよう。



「まあ、そうなるかな」

「ほんとにッ!? ほんとっ!?」

「うん」

「そうだったんだぁ〜〜〜えへへ」

「……なんだかすごく嬉しそうだけど?」



でも……なんで僕と蒼空の破局がそんなに嬉しいんだろう?

いや、そんなことよりもハルの記憶はいったい……?



「だって、蒼空ちゃんとルア君って絶対に付き合っていてうまくいってるって思っていたから」

「……そう?」

「うん。桜まつりでもさぁ……二人仲良さげで、声かけるタイミング逃しちゃったんだよね」

「え? 待って、桜まつりで声……どういう……あ」




分かってしまった。



今、目の前にいるハルは僕の知っているハルじゃなくて、どこかの世界線から僕みたいに死に戻りをしたハル——夢咲陽音なんだ。つまり、世界線Aのハルとは別のハルであって、だから僕が蒼空を拒絶したことを知らない……ということだと思う。



だって、世界線Aでの桜まつりでは間違いなく僕とハルは話をしている。それどころかハルの家にまで招かれて二日の間、ずっと一緒にいたはず。



でも、僕はこの世界線Bの桜まつりでハルと会話をしていない——ハルを見た記憶すらない。だから、僕は世界線Bのハルとの面識はない。桜まつりの時点で僕と話していないのは世界線Bのハルで間違いない。するとやっぱり、目の前にいるハルは……。世界線Bのハルで確定だ。AとBの他に世界線がなければの話だけど。



「年末に会ったときはそんな素振り見せなかったのになぁ。分からないもんだね。でも、あのとき、ルア君の言うとおりにしなかったら大変な目に遭っていたなぁ。感謝しか無いよ」

「年末……?」



年末に僕がハルと会っていた?

年末は蒼空とずっといたはずで僕はハルと会っていないし、感謝されるいわれもない。ハルが何を言っているのかまったく分からない。僕は夢咲陽音——鈴木陽音に中学生のとき以来会った記憶がない。



「うん、あ、それよりもルア君、わたしね、わたし」

「ん? どうした?」

「お腹すいた〜〜〜〜」



どっちにしてもハルはハルだな。僕の知っているハルと性格はあまり変わらないらしい。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る