#16B キス……しちゃおっか



どうも春亜の様子がおかしい。独り言が増えた気がするし、いつもよりもダンスレッスンが楽しいのか笑顔のままアイソレーションをしているから、なんていうか不気味。それと葛根冬梨のレッスンはすべてキャンセルして、如月凜夏きさらぎりんか先生のつまらないダンスに付き合っている。あたしも仕方なく、春亜のレッスンに付き合っているけど……。



「ねえ、どうして今さらポップダンス?」

「やったことないから」

「それはそうだけど、いつも夏のイベントはジャズとかヒップホップじゃない?」

「あぁ、僕はポップダンスでいく。蒼空は葛根先生のとこに行けば?」

「……いや」



この前は、別世界の記憶はなかったように見えた。でも、葛根冬梨を避けているとなるとやっぱり思い出したってことなのだろうか。



「ああ、そうだ、蒼空に話さなきゃいけないことあるから、終わったら時間もらえる?」

「うん、もち」



ポップダンスというジャンルは、一番わかりやすいのはロボットダンスかもしれない。ジャズをやってばかりのあたしからすると、使う筋肉が違うためにちょっと混乱する。春亜はまったく意にも介さず如月先生のフリを一瞬で覚えてしまった。



「ああ、確かに面白い。しかし、ハルはなんでもできてすごいなぁ」



!?!?!?



今、確かにハルと言ったよね? 周囲を見回しても陽音なんているはずないじゃない。だって、陽音は死んでいてこの世界に存在しないはずだもの。

陽音はどこの世界線であっても死んでいるはずなのだ。間違いない。

春亜の耳を見てもインカムのようなものが入っている様子はないし、Tシャツにハーフパンツでまさかダンスに邪魔になるようなスマホをポケットに入れているはずもない。



じゃあ、いったい春亜は誰と話しているというの? まさか、怨霊を連れて歩いているというの……ばかばかしい。



「ハルって誰?」

「あー……いや、春の頃はなんでもできたんだけど、身体が鈍っちゃったなって、独り言」

「……そんなことないと思うけど?」



その後も春亜は完璧にポップダンスを踊り如月先生は驚いていたけど、あたしはどうしてもハルの存在が気になってしまう。



レッスンが終わってスタジオを出ると、春亜は「あっちぃ」と言いながらタオルで汗を拭った。もうすぐお盆で、高花市の一大イベントの夏まつりが開催される。そこのイベントに出演するためのステージ練習でみんな生き生きとしている。春亜もそれは同じで、今日はとくに明るく元気だ。



駅ナカのアーケードに入って、マクデナルデに入る。まだ20時だからそこそこお客さんも入っていたけど、偶然空いた角のボックス席に座ってモバイルオーダーをする。春亜はやたらと隣を気にしていて、咳払いをしながら壁側に詰めた。誰もいないし、そんなに端に詰めなくても大丈夫のような気がするんだけど。



「それで話って?」

「ああ、うん。突然だけど」

「うん」

「蒼空は夢咲陽音のこと……気になっていたみたいだけど、なにか知らない?」

「いきなりなに? 漠然としていない?」

「うん。そうだね。じゃあ、質問を変える。よく聞いて」



春亜は届いた2つのポテトのうち、一つのパッケージを自分の前に置いて、もう一つのトレイに乗ったポテトをはなぜか空席のテーブルに移動させる。なんで2つも頼んだのか。そんなにお腹が空いているなら、セットを頼めば良かったのに。



「えっと……蒼空はもしかして夢咲陽音と会ったことがあるんじゃないかって思って」

「は? ないけど?」

「そっか。いや、なんでもない。それならいいんだ。それとさ。えっと僕は蒼空と付き合っているよね?」

「うん……それが?」

「別れたいって言ったら?」

「は? バカも休み休み言って? 何の冗談よ」



春亜はため息をつきながら隣の空席を見た。いったいその席になにがいるっていうのよ。行動の一つ一つが理解不能で嫌になる。



「春に……蒼空の告白を受け入れたけど、やっぱり蒼空とはやっていける自信がない」

「……理由を聞かせてくれる?」

「蒼空の気持ちが見えてこない。僕は蒼空と付き合っているけど……蒼空に一度も触ったこともないし、触ったら怒るじゃん」

「それは……」

「それって健全? 僕だって蒼空のことが好きなら抱きしめたくなるし……でも蒼空は拒絶するじゃん」

「いいわ。ならあたしを抱いて?」

「……え?」

「はやく。抱きしめてキスをして。そしてメチャクチャにして。あたしを穢してくれればすぐに終わる」

「……な、なにを」

「穢してくれて構わない。今からホテルに行ってもいい」

「……なにを……蒼空……いったい何の話を……」

「覚えていないならいいの。それよりもどうする? ほら、ルアにならあたしのはじめてをあげてもいい。行くか行かないか、はっきりして」

「……ごめん。蒼空、僕は蒼空と付き合っていける自信がない」

「そう」




春亜は独り言を言いながらマクデナルデを後にした。

結局、あたしとは別れることとなり、いつもどおりの結果となったわけだ。





ハルがダンスをしたいというからスパーブでこっそりダンスをさせた……。なんか入会していないのにスタジオに入っちゃうのはアウトな気がするけど、まあハルは僕以外の誰からも認識されていないし仕方ないよね。



その帰りに蒼空とハル(蒼空は認識していない)ととものマクデナルデに行って、蒼空とは付き合えないときっぱり告げて別れてきた。向こうの世界のことだから、僕の勝手で別れてしまうのは蒼空には本当に申し訳ないと思っている。けど、やはり蒼空の様子は少し……いや、かなりおかしかった。




帰宅して僕はソファに座って脱力した。となりに小動物のようなハルがちょこんと腰掛けて、食べきれず持ち帰ってきたポテトを摘んでいる。ハルはなにも言わずに考え込んでいて、ずっと眉間に皺を寄せていた。



「蒼空ちゃんってなんか頭おかしい人? 前に……桜まつりで見かけたときはあんな感じじゃなかったのに」



僕がマクデナルデで蒼空を拒絶したとき、蒼空は開き直ったようにこう言った。



『あたしを抱いて? 今すぐホテルにでも行っていい』



その言葉の重さは……なんていうか、もし蒼空の言うとおりにしたらなにか大変なことが起こりそうな気がして、とてもじゃないけどそんな気分にはなれなかった。それに、もうすでに別れると決めていたから蒼空とホテルなんて行くはずがない。



「……あいつさ、昔は本当に良い奴だったんだよ。本当にどうしちゃったんだろうな。蒼空は……絶対にあんな奴じゃなかった。ハルも覚えていない?」

「……ごめん。わたし蒼空ちゃんにあまり良いイメージ持っていなかったかも。ああ、いや、別に悪い人とか思っていないよ?」

「いや、いいよ。あんな姿を見たら誰だってそう思うだろうし」



子どもの頃の蒼空は本当に可愛らしく純粋な少女で、今のようなおかしい性格ではなかった。いつからあんな風になってしまったのか。僕に対する執着も普通じゃないし、さっきの吹っ切れた感じというか、開き直った感じというか、あれはなんなんだろう。



怖いというか……



「ねえ、ルア君」

「どうした?」

「ルア君は……変わらないよね?」

「え? いきなりなに?」

「ううん。なんでもない。はぁ、それにしてもルア君の家にお泊りなんてしていいのかなぁ。はじめてのお泊りでドキドキしています……どきどきっ」

「はじめて……あ、そっか」



僕がハルの家に泊まったことがあることをハルは知らないんだ。あのときは確か風呂に入るところを見ていてくれとか、一緒に寝ないとダメだとか散々だったけど、まさか今日は……大丈夫だよね?



ハルはモゾモゾと恥ずかしそうに、伏し目がちに僕にチラチラと視線を送ってきた。




「そういえばさ、ルア君」

「うん」

「お風呂……入っていないんだよね」

「まあ、そうだね。見れば分かるよ」

「一緒に入ってくれるよね?」

「え。ってなんで? 別に今日はなんの脅威もないじゃん。なんで、一人で入れない?」

「だって……ルア君近くにいないと怖いんだもん」

「だから、それはなんで?」

「消えちゃってもいいの……? 怖い」

「怖くない」

「怖い」

「怖くな——あああああ分かった。分かったから」

「やったっ!」



これは……すごい既視感だ。



風呂場を覗いてハルは……「あぁ……」と気落ちしたような顔をした。それはそうだ。ユニットバスでトイレも一緒。清潔感こそあるものの、古臭い感じはハルに申し訳なくなるほどだからな。



「ごめん。狭いよね」

「ううん。わたしはまったく気にしないよ? それよりもごめん」

「なにが?」

「わたしが使ったら光熱費上がっちゃうね……」



そんなこと気にしていたのか。お金は無いけどまたバイトして稼げばいいだけだし、そんなケチくさいこと言っている場合じゃない。とりあえず浴槽に湯を張っている間に寝床をつくることに。



さすがに僕の寝ていたベッドのシーツも交換せずにハルを寝かすのは気まずいから、クローゼットの奥にしまってあった、新品のボックスシーツを引っ張り出した。



「別にいいよ? ルア君の匂い嫌いじゃないし」

「そういう問題じゃなくて。僕が嫌なのっ!」

「……わかった。君は言い出したら頑固だからね。じゃあ、わたしも手伝う」

「ああ、助かる」



ベッドの古いシーツを剥がして、ボックスシーツをマットレスに張っていく。夏用の接触冷感だから快適に眠れると思う。うん、これでよし。あとクーラーの温度はあまり低くしないで、タオルケットを掛けてあげよう。



「愛の巣が完成したねっ!」

「……なんの巣だって?」

「わたしとルア君の愛の巣じゃんか」

「僕はソファで寝るけど……?」

「はぁ? こんな美少女がいるのに? 添い寝もしないなんて据え膳食わぬは男の恥じゃんかっ!」

「自分で言ったらダメなやつだからね?」

「チックテックではむしろ下ネタガンガン使えってマネージャー言ってたし」



どんなマネージャーなんだろう。下ネタ連発するアイドルって……なんか嫌じゃない?

あ、待てよ。もしかすると僕の考える下ネタと夢咲陽音の言う下ネタは次元が違うのかもしれない。美少女が言えば下ネタも可愛く聞こえる……とか?

よく分からん。



「なんでもいいよ。そういえばSNSやめてたんじゃないの?」

「……よく知ってるね。さてはユメマホロバの隠れファンだな!?」



ストーカーで悩んでいたハル自身が言っていたことだ。おそらくこの世界線Bでもハルは殺されてしまっていたのだから、SNSはしていない。つまり、チックテックの下ネタ話は随分と過去のことだと思う。そういえばハルは年末から来たと言っていたな。



なにがあったんだろう?



「ハルは……年末に僕と会ったって言ってたけど、どうして時間を飛んだの?」



僕が刺されたとか言っていたような?

何回も刺されるのって異常だと思うんだけど。



「ルア君に会って助けてもらったっていう記憶が色濃く残っているだけで、ほかは覚えていないんだよね。だんだん……忘れちゃうの」

「つまり、僕となにか事件があったはずなのに、記憶が現在進行系で消えているってこと?」

「うん」



僕が刺されてこの世界線に来たときと同じだ。僕の場合は段階的に消えるようなことはなかったけど。ハルの場合は、未だに記憶が戻っていないってことなんだろうな。しかも進行しているとか。うーん分からん。



「みんなと連絡取りたいんだけど……この状況じゃ難しそうだよね」

「みんな?」

「うん。ユメマホロバのメンバーあ。ルア君ってユメマホロバの中で誰が好き?」



いきなりシリアスな話から飛ぶな?

そもそも……僕は、ユメマホロバのメンバーが誰であれ、絶対的に夢咲陽音推しに決まっている。



「ごめん。夢咲陽音以外のメンバー知らなくて」

「……うそ? 本気で言ってる?」

「うん」



ハルはユメマホロバのメンバーについて色々と教えてくれた。アイドルグループって聞くとどのグループも仲が悪そうなイメージがあって、だいたいのグループは想像の通りらしいんだけど、ユメマホロバはまったく違ったらしい。プライベートでも遊ぶくらいにみんな仲が良かったのだとハル話した。



「みんなわたしが死んじゃってどう思っているのかな……泣いて……くれてるよね?」

「多分……」

「申し訳ないなぁ。わたしは元気だって伝えたいけど、難しいよね」

「きっと認識されないとは思う。けど、気になるなら行ってきてもいいんじゃないかな」

「……いや。期待すればするほど……叶わないときに落胆が大きいから。でも、ルア君が近くにいてくれるからさ」



その後、ハルは僕との再会が本当にうれしいと言ってくれた。すごくゆったりとした時間が流れて、僕もハルとの思い出が少しずつ蘇ってきた。



「ルア君がいればわたしは……大丈夫。本当にありがとう。ごめん、悲しいわけじゃないのに涙が……」

「僕も……ハルにもう一度会えて……」



ようやく落ち着いて話すことができた。ハルの現状を理解するために色々と考えて、再会の喜びを噛みしめる余裕がなかったんだ。いや、今もハルの透明化の解決には至っていないけど……でも、ほんの少しの間でもいいから、ハルと会えたこの気持ちを整理したかった。



ハルともう一度会えて、話せて、笑わせてくれて、こうやって慰めてくれて。溜まっていたハルへの思いがまたこみ上げてきて。泣きたくないのに。それなのに……子どもでもあるまいし、なんで頭なんて撫でるんだよ。自分だって泣いてるじゃんか……。僕は……悲しいんじゃなくて。

あれ。なんだろう。なんで泣いているのか分かんない。




甘えていいのか……これでいいのか……?




「わたしさ……自分がこの世界で死んじゃっていることは理解していたんだ」

「ハル……?」

「気づいたらね……北口のマンションの前にいたの。まったく記憶がなくて。それで駅ナカの家電量販店のテレビで観たの。夢咲陽音の死の真相だとか。追悼場組とか。だから自分は死んで幽霊になっちゃったんだってそのとき確信しちゃった」

「幽霊だったら……こんなにあったかくないじゃん」

「うん。でも、そのときは本当に自分が幽霊だと思ったの。それで、なんとかルア君を思い出して必死に家を探したんだ。前に南口の河川敷近くって聞いていたからアパートを片っ端から訪ねてみた」

「よく見つけたね」

「えらい? もっと褒めて。えへへ」



泣き笑いをしながらハルは僕に距離を詰めて、僕の肩に頭を置いた。ハルがしてくれたように今度は僕がハルの頭を撫でる。「ハル、戻ってきてくれてありがとう」と素直に気持ちを口にすると、ハルは「うん」と言ってしばらく口をつぐんだ。



なんだかとても尊い時間のような気がした。心がくすぐられる感じ。なんだろう。この感情は……説明できないような……。



「ねえ、ルア君」

「うん……?」

「キスしちゃおっか」

「え……?」



ハルは瞳を閉じてゆっくりと唇を近づけてくる。いやいやいや。待って。なにこの突然の展開は……。すごく良い香りがして、頭がクラクラしてきた。



『テテテンテンテンテテテテン♪ お風呂がわきました』



ハルは瞼を開いて、「あ、お風呂」ってはぐらかし、座っていたベッドから立ち上がって風呂場に駆け込んだ。



「え? えええ?」」

「やっぱりお風呂に入って歯磨きしてからなのっ!」



真っ赤な顔で浴室のドアから顔を出してそう告げた……。

いや、そうじゃなくて。この展開はなに……。




——————

※上記の蒼空のエピソードの完全版はサポーター限定記事(#16S 臨界点のゲシュタルト編)に載せてあります。読まなくても本編で理解できますが、核心の話なので気になる方はチェックしてみてください。

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