#13B  早月蒼空の二度目の人生はクレバーに



ふと目を覚ますと、目の前には蒼空がいた。ニコニコと笑う彼女は「やっと起きた?」と菩薩のような柔和な顔でマグカップにコーヒーを注いでくれる。あぁ、僕はソファで寝ちゃっていたんだ。なんだか変な気分だけど、間違いなくここは僕の部屋だ。随分と長く寝ていた気がする。



蒼空がとなりでダンス動画を観ていて、なんだかまったりとした夏休みの一コマ……。そうだ、僕は……悪い夢を……。そうだ、なにかとんでもなく気持ち悪い夢を見ていたようだ。



それにしても現実と区別がつかないような、本当に生々しい夢だった。



内容は……なんだっけ? まあいいか。



「大丈夫? 調子悪い? なんだかひどくうなされていたみたいだけど?」

「いや。変な夢見たから、ちょっと気持ち悪くて」

「どんな夢?」

「分かんない。覚えていないんだよなぁ」

「……は? どうせメチャクチャで意味分かんない夢でしょ? それか、あたしとイチャイチャする夢。はぁ〜〜〜なるほどぉ。どうりでニヤけてたと思った」

「マジ? そんな顔してた?」

「嘘。でも幸せそうな寝顔だったわね」



起き上がった僕の頭を撫でた蒼空は、「ねえ、これ見て」とスマホを僕に見せた。あぁ、アイドルグループのユメマホロバか。ライブステージで激しいダンスナンバーを披露している。ユメマホロバというアイドルグループはダンスが上手いことでも有名……らしい。アイドルにあまり興味のない僕にとって、割とどうでもいい情報だった。けど、確かにダンスはすごい。



「この真ん中の子、すごくない?」

「ああ、夢咲だっけ。すごいね」

「へぇ〜〜〜夢咲知っているんだ? ルアってアイドル詳しいんだっけ? それでなにか覚えている?」

「いや。まったく」



って、夢咲なんとかを話題に出すのもはじめてだし、覚えていると訊かれてもピンと来ない。



「夢咲陽音のこと……どう?」

「どうって……意味分かんないなぁ。夢咲は……陽音っていうんだっけ? いや。なんか夢咲って名前知っていたような気がして。適当に言ってみた」

「ふーん。そう。夢咲陽音。覚えていないならいいや。それにしても、この子の表現の仕方は何回見てもすごいよね」



ダンスバカな蒼空は気に入ったダンサーの動画を見つけると、何回も見ては研究をしている。でも熱を入れすぎて、いつかダンスに飽きて辞めちゃうんじゃないかって思う。



夕立が来そうな空模様になってきたから、ベランダに干していた洗濯物を取り込んでいると、蒼空は動画視聴を止めて冷蔵庫を開けはじめた。



「今日は蒼空が夕飯担当だっけ?」

「ああ、うん。カレーでいっか」

「なんでもいいよ」



付き合って4ヶ月近く経つけれど、いまだ僕と蒼空の距離は縮まっていない気がする。ただの幼馴染だったあの頃となにも変わっていない。恋人なのにこのままでいいのかと少し不安を覚えたけれど、こればかりは焦っても仕方ない。蒼空の後ろ姿を見ていると抱きしめたい衝動に駆られたが、前に一度それをやってキレられたことがあったから止めておく。



作ってもらったカレーをダイニングテーブルに並べて、「いただきます」と手を合わせる。すると蒼空はテレビが観たかったのか、カレーの器を移動させてめずらしく僕のとなりに腰掛けた。うわぁ、蒼空と距離が近い。



なんだか、同じ光景をどこかで見た気がする。それで僕はひどくバカにされて。いや、気のせいだ。きっと蒼空と同じようなことをどこかでしたのを、無意識に思い出していたのだろう。それがデジャブってやつだ。きっと。



「そういえば、今日、夢咲陽音のテレビやるんだよね」

「ああ、さっきの子」

「うん」



けれど、蒼空がスマホで検索して調べると放送時間まであと30分近くあるらしく、点けたテレビの電源を落とす。蒼空が夢咲陽音のことをそんなに気にするのはなぜなんだ?

確かに夢咲陽音のダンスはうまいけど、他に上手いダンサーはたくさんいるし、第一同性をそんなに気にする蒼空はめずらしいというか。異性のことはよく気になって観ているのは知っていたけど。確か蒼空は、K-POPアイドルとか好きなんだよな。



「夢咲陽音のダンスってそんなに気に入ったわけ?」

「まあね。ルアは本当に覚えていない?」

「……? うん、っていうかなんなのさっきから」

「夢咲陽音って名前に引っかからない? ほら、ハルとか呼びそうじゃん」

「ハルは……っていえば、鈴木陽音かっ! ああ、名前一緒じゃん。確かにハルって呼びたくなるかもね」

「うん。で、アイドルのほうのハルは会ったことない?」



鈴木陽音は小中と同じ学校だった子で、僕も蒼空も面識がある。中学の途中で引っ越しちゃって転校したんだよな。元気でやっているのだろうか。良いやつだったよな。



「まさか。相手はアイドルじゃん。会っていたら忘れるわけ……」



いや、そう言われると確かに会ったことがあるような気がする。不思議なことに、もう一度蒼空のスマホに映し出される夢咲陽音を見ると、不思議とアイドルとしてではなく、まるで近くにいたような感じがする……。そう、久しぶりに会った友人のような感覚なのだ。



もしかしたら蒼空も同じ感覚で、そんなことを言った?



「夢咲陽音……」

「うわ言……キモいよ? そんなに夢咲陽音のこと好き?」

「いや、蒼空が言い出したんじゃん」

「そうだけど……あ、もしかして、好きになっちゃった?」

「んなわけないだろ。そうじゃなくて」



そうでなかったら、この感覚はなんだ?

すごく気持ち悪い。僕は、夢咲陽音を知っていた? そしてなにか特別な感情を抱いていた? すごく大切ななにかを忘れているような気がして、マジで気持ちが悪い。



カレーを食べながらそんなことを考えていると、21時ちょうどになった。



「はじまったね。夢咲陽音の追悼番組。それにしても不幸だよね、この子。あ、同い年だったんだ。マジか」

「え。追悼……?」

「うん。ほら、刺されて死んじゃったじゃん」

「刺されて死んだ……誰が?」

「……? 大丈夫? 夢咲陽音じゃん。なんかファンだかストーカーだかにめった刺しにされて死んじゃった子だよ。ネットとかでも話題になってたじゃん」



夢咲陽音が死んだ……?

なんで? ストーカー? え、待って。ストーカーに刺されて死んじゃったってこと?

そんなの……嫌だ。



「蒼空……詳しく教えて?」

「マジで大丈夫? アイドルに興味がなくても社会面の記事で全面に出るくらい有名だったニュースだよ? ルアって、バカになった?」

「……そうかも。なんだか混乱してる」

「ちょっと。本当に大丈夫? なにかの病気じゃないよね? 脳腫瘍とかだったら大変じゃん。病院行く?」



そうかもしれない。脳に異常があって、僕に幻覚を見せているのか。あるいは、記憶障害があって混乱しているのか。僕は、蒼空と付き合っていて……それで夢咲陽音が現れて。

そうだ。そんな夢を見た気がする。でもあくまで夢だ。夢咲陽音が僕の前に現れるはずなんてない。



テレビで流れた再現VTRの場所は……新宿の路上だった。夢咲陽音は自分が刺されることを分かっていたかのように、人混みの中なんの抵抗もせずにファンの男に刺されたのだという。当初の情報では、ファンの男と夢咲陽音は知り合いで、私情のもつれからの犯行と言われていた。けれど、不思議なことに二人に接点はまったくなかった。夢咲陽音の意図が分からず、今でも論争が起こっている。目撃者多数。助けを求めれば命は助かったはず……だった。



なのに、夢咲陽音は瞳を閉じて犯人に殺されることを望んでいたように、刺されて死んだ。



『ルア君……死んじゃイヤだよ……』



頭の中で不意に再生される声は、いったい……誰のもの?

僕を呼ぶ声はだんだんと大きくなって、頭蓋の中でエコーのように寄せては繰り返す。



潮騒が聞こえる。そうだ、僕は海にいた。海で誰と話していた?

大切な誰かと肩を並べて話して。あれは下草町の浜だ。なんで僕はそんなところにいたんだろう。新宿で刺された夢咲陽音となんの関係が……。



『明日、仕事で東京に戻らなきゃいけないんだ。憂鬱だよ』



思い出した……僕は……刺されて死んだんだ。でも、すべてを思い出したわけじゃない。他にもいろいろな記憶があったはず。まるで漂白されたように消えた記憶。なぜ忘れてかけていたのか。



浜辺の岩場で笑う女の子の、モザイクの掛かった顔が鮮明になっていく。スマホに映し出されているステージでマイクに向かって歌う女の子と同じ顔。



——夢咲陽音。



ハル……。そうだ、ハル。

ハルは東京に行くと言っていたんだ。ハルが僕と会ったのも最後の別れのような死亡フラグを彷彿させるほうなセリフを吐いていた。つまり、ハルは自分が殺されることを知っていた? だからあんなことを言って。



新宿で殺された……。



「蒼空ッ!!」

「な、なに? ちょっとびっくりしたじゃない。どうしたの?」

「食べたら今日は帰ってほしい」

「は? な、なにいきなり……」

「頼むから」

「……本当に大丈夫? 体調でも悪いの?」

「なんでもいいから」



蒼空はカレーを食べ残して、不機嫌そうな顔をしながらも僕の言うとおりに部屋を出ていった。蒼空のことも思い出した。そうだ、蒼空は浮気をしていた。そして世界線Aでは僕につきまとい、しつこく迫ってきたんだった。



今日は……スマホを見ると2023年8月10日だった。また、僕は時を超えたんだ。蒼空と付き合っている様子(そうでもなければ、蒼空が僕の部屋にいるはずがない)からして、世界線Bに戻ってきたのかもしれない。そういえば、世界線Aに渡ったときも、記憶が少し曖昧だった気がする。



この世界線Bで夢咲陽音は亡くなっていた。なのに世界線Aに渡った時点で、なぜその情報を忘れていたんだろう?



そうだ、夢咲陽音の死亡のニュースは日本全土を巻き込む大事件として取り上げられて、社会現象にまでなった。模倣犯が現れて(実際はユメマホロバに対する殺害予告の書き込みのみ)、ネット上では陰謀論まで巻き起こった。毎日毎日しつこいくらい同じニュースが流れて、ワイドショーでは連日夢咲陽音のことを取り上げていた。



世界線Aに死に戻りした瞬間、そのすべてが都合よく記憶から消されていた。

もし僕がそれを知っていたら……。知っていたらどうなる……?

未来の記憶を持っているなら……死を回避できた?



『運命の強制力が働いてね、』



ハルの言葉を思い出す。なにが『未来から過去の出来事を取り上げて、予言は当たったと豪語するようなもの』だ。まさに、これのことじゃないか。今さらどうしろっていうんだ。ハルは……世界線Aでもこの世界線Bと同じように死んでしまったかもしれない。



なんで今まで気づかなかったんだ。未来から過去に渡ったのなら……予言を的中させることができることを。







いったいなんだっていうのよ。

人を突然追い出しておいて、いつもくれる、「気をつけて帰れよ」のメッセージもよこさないなんて。

でも、夢咲陽音……あのクソメンヘラのことは忘れているようだったし、まあ、よしとしよう。あの様子からして、春亜がどこかの時間域から渡ってきたのは確実だ。あたしの経験がそう言っている。



時間を渡った人は必ず、脳内のデフラグ……最適化が行われて、一時記憶障害のような症状が現れる。あたしと同じ時間域から戻ったとしたら……少しやっかいだけど、あの様子だと違うと思う。良かった。もし記憶のある春亜が戻ってくると面倒だから。



あたしの彼らに対する復讐が失敗しちゃうじゃない。彼女にも……だけど死んじゃっている人にはどうしようもないし。あのメンヘラゾンビ……二度と来るな。



暗い夜道を歩くのは危ないかもしれない。夢咲陽音のように刺されたら怖いじゃない。だから、迎えに来てもらおう。



コンビニに入って都合の良い男に電話を掛けて呼び出すと、10分も掛かって迎えに来た。妻に逃げられて一人暮らしのくせに随分と遅いじゃない。5分で来いっていうの。と思ったけど、あたしは心が広いから許す。



「お前な、時間考えろよ」

「はぁ〜〜〜? あたし口が滑っちゃうかも〜〜〜。葛根冬梨って人がスタジオスパーブのJKからJDの弱みを握って食いまくっています、なんて警察に行ってぶちまけちゃうかも? 犯罪ですよね?」

「わかった、わかった。送る」

「それとせんせの奥さんにあることないことを暴露して、実家の怖いお父さんに出てきてもらうかなぁ〜〜〜っ! 純粋でいい子のあたしと、クズっぷり最強のせんせの話、どっちを信じると思いますぅ〜〜〜?」

「本当に……なんでもないです」

「ありがとうございます。せんせ」



葛根冬梨は心底恨めしそうな顔をしているけど、それでもあたしに誠心誠意尽くしてもらわないと困る。あっちの世界であたしの純真……はじめてを奪った男を逃がすはずないじゃない。死ぬまであたしの『奴隷』として使ってあげないと。



とはいえ、この死に戻った世界では、あたしは葛根先生とまぐわっていない。正真正銘の生娘であって、まだどの男にも身体を指一本触れさせていない。キスどころか手をつなぐこともしていない。そう、過去は書き換えられた。それによって、未来がどう変化するのか楽しみだ。春亜があっちの世界のことをなにも知らなければ、あたしの描く未来が必ず訪れる。



もちろん、春亜にも触れさせるつもりもないし、触れることもない。これはあたしを捨てて陽音を選んだ春亜への復讐だ。春亜がそれを覚えていないことは好都合だが、ざまぁ系としては不十分な気がする。



「今日は……春亜と一緒じゃなかったの……ですか?」

「ルアの話出さないで」

「……すまない」



夕飯をほとんど食べることもなく追い出されるなんてひどい仕打ちを受けて、健気なあたしは彼氏の言うことを聞いて帰ってきたのはいいけど、まだ空腹のまま。クズすぎる葛根せんせの当然のオゴリでお寿司の出前を取ってもらい、仕方なくせんせと一緒に夕飯を食べてあげた。



「蒼空さん……ふ、ふ、ふたりきりだし、今日こそは……」

「寿司くらいで調子に乗らないでくださいね? それにしてもクズすぎますね。残念ながらあたしは孤高の存在なの。そこらの女と一緒にされては困ります」



今のあたしは1億を積まれても身体を差し出す気はない。やり直しの人生はクレバーに生きると決めたのだ。



『代償として、あなたは一生愛する人に愛してもらうことはできない』



しかし、いつまでもその声は頭の中に響いている。

それが代償だったなんて。あんまりよ。

それもこれも、陽音のせいだ。



絶対に許さない。




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