#12 代償を代償で支払う矛盾の成立

※残酷描写・暴力描写・流血シーンがございます。苦手な方はご注意願います。

以下本編

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ハルが僕と距離を取ってから(と言っても嫌われたわけはない)1ヶ月と約20日が経過した。とはいえ毎晩ビデオ通話をしているから、離れている感じはあまりしない。



ハルはあれからずっと引きこもっていて、通販でなんとか生活できているって元気な素振りを見せているけど、絶対に空元気だから僕は心底心配。ストーカー云々の問題よりも、このままだとハルが精神的に潰れてダメになっちゃうんじゃないかって思う。ストーカーの件は今のところなにも動きはないみたいだし、ハルは少し気分転換に外を歩いてもいいんじゃないかな。



大学のキャンパスを歩きながら考えていると、前方から早月蒼空が歩いてくる。僕は見なかったことにして顔を伏せて通り過ぎようとしたのに、蒼空はわざわざ声をかけてきた。



「ルアじゃん。ねえ、あの子元気にしてる?」

「さあ?」

「ねえ、午後の講義休みだし、どこか行かない?」

「無理。あのさ。蒼空はさ、僕のことどう思っているわけ?」

「どうって……2回も告白したじゃない。もしかして鈍感?」

「そうじゃなくて、フラレて友達に戻るとかはいいけど、しつこく毎日毎日誘ってきてどうなの?」

「どうって、いいじゃない?」



全然よくないし。蒼空を完全に忘却したい僕としては迷惑どころの話じゃない。しかも、今さら気づいたことは、蒼空の顔つきが違う。世界線Bでの蒼空の表情とはどこか違って見えていて、それがどこがと言われればそれは分からないんだけど。ただ、別人のような顔つきをしていると思う。とくに、告白を断ってからというもの、世界線Bでの優しかった(嘘だとしても)蒼空の顔は見る影もない。



「あっそ……」

「ねえ、本当にハルの姿を見ないけどどうしたの? もしかして病気?」

「あぁ……」



面倒くさいことこの上ない。心配してくれているんだろうけど、事情が事情だけにハルの情報を僕から他人に漏らすようなことは徹頭徹尾絶対にしたくない。だから僕の回答はこうだ。



「さあ。いなくなっちゃったから、分かんない。僕も消息を知りたいくらいなんだ」

「へぇ。いなくなったか」

「そういうわけだから」



蒼空とはあまり話したくないから、話を適当に切り上げてスタスタと歩いていく。5月末のどんよりとした雲が皐月さつきの陽光を遮っていて、昼間なのに薄暗い。こんな日はどうしても陰鬱になってしまう。梅雨がはじまろうとしているこの季節は苦手だ。



「あ、ちょっとっ! ルア!」



追いかけてくる蒼空を無視して、僕はバスに乗り込んだ。蒼空を待たずしてバスは発車し、不満げな蒼空を窓際から見送って僕はため息をついた。結局ダンスチームは見つかっていないし、自主練をすると言っても、なかなかできずに筋トレに徹する毎日。本当につまらないなって最近思う。ハルと一緒にいたのはたったの2日間だったけど、すごく楽しかったな。なんだか胸の奥がモヤモヤして、少しズキズキする。



ビューチューブでダンス動画でも視聴しようかとスマホのロックを解除したら、突然ハルから着信があり、タイムリーにハルのことを考えていたからびっくりした。電話には出ずに『今バスの中だから』とメッセージを入れると、つまらなそうな顔のブタのキャラクターのスタンプで返信してきた。



バスを降りて駅前のロータリーで電話を掛け直すとハルは突然、「会いたいっ!」と開口一番。そりゃそうだ。誰とも会っていなければ、きっとそうなるよな。いよいよ限界なんだろう。僕だってハルのことが心配だし、会って話がしたい。



『それで、実は仕事で東京に行かなきゃいけなくなったんだ』

「へぇ。いつ?」

『明日。それで、行く前にルア君と会いたいなって。だから今日何時でもいいから会えないかな? 無理なら……仕方ないんだけどさ』

「……僕は構わないけど、ハルは大丈夫なの?」

『後悔したくないから。きっと、今、ルア君と会わなくちゃ後悔すると思う』

「えっと……そういうの本当にやめて?」

『ってことで今日何時でもいいから会えないかな?』



物語のヒロインが、死から逃れられない運命を悟ったときに口にするセリフじゃん。死亡フラグ丸出しで会ってほしいなんて懇願しなくても、僕はすぐにでも会いにいくっていうのに。



「今からでも大丈夫だけど?」

『午後は大学ないの?』

「うん。午後は大学の都合で休みらしい。工事が入るとか」

『そうなんだ。じゃあ、一時間後に下草町の駅前の本屋の奥のミリタリーコーナーで』

「なんだって? もう一回」

『えっと……メッセージ送っておくね。じゃあ一時間後に』



言われたとおり電車に乗って下草町の駅前に向かうと、道を挟んで向こう側には昔ながらの本屋があった。さすがに駅の改札前で会う約束なんてしたら目立ちすぎるから、訳のわからない待ち合わせ場所を設定したんだろうな。中に入ると手前に文房具が並んでいて、小学生が商品を選んでいる。雑誌コーナーでは主婦が立ち読みをしていたけれど、他には誰もいない。



待ち合わせ場所のミリタリー本の棚の周囲には誰もいないし、本屋の入り口から死角になっていた。さすがハルだ。抜かり無いな。



「よっ! 彼氏待たせたな」

「呼び出しておいて偉そうだな。そして誰が彼氏だっ!」

「エロそう? なら今から行っちゃう?」

「……どこに?」

「女の子に言わせるなよ。決まっているじゃないか。ホ・テ・ル——」

「断るッ!! って意外と元気そうじゃん。それよりも本当に心配させるなよなぁ。東京にはどうしても行かなきゃいけなんでしょ?」



会いたいって言われたら、それは嬉しいに決まっているんだけどさ。でも、なんだか死ぬ前のようなセリフを聞かされたら心配になるじゃん。どっちかっていえば不安のほうが大きい。



「あぁ、うん。どうしても出なきゃいけないイベントがあって。そのあと収録をして、一泊したら帰ってくるよ」

「でも、僕に会わないと後悔するとか言っていたじゃん」

「東京はね……怖いから。なにがあるか分からないしさ」

「……まあ、そうだよね」



怖いから。



ストーカーというよりも人の目が怖いから、東京からわざわざこの町に引っ越してきたのに。今からそこに戻るということは、ハルにとって恐怖しかないのだろう。僕も少し——いやかなり心配だ。襲われるとかそういうことじゃなくて、ハルが恐怖や不安に押しつぶされて、壊れてしまうんじゃないかって。



僕はSNSをやらないし、ユメマホロバ関連のニュースを見ないようにしている。これは自衛のため。たとえ赤の他人であるとはいえ、夢咲陽音に対する非難や誹謗中傷を見ていたら自分の心がポッキリと折れてしまいそうで……。



けれど、ハルのことが心配で、現状把握のために電車の中で少しだけ検索してきた。結果、予想以上に荒れていた。僕のことも多少触れていて(鏡見春亜という個人情報は露見していない)、陽音と一緒にいる男殺す、といった殺害予告の書き込みがあったことに驚いたけれど、そんなの放っておいていい。



「本当に大丈夫? こんなこと言うのもあれだけど。もし本当に身の危険を感じているなら……アイドルやめてもいいんじゃないの?」



夢咲陽音に対するバッシングは散々だった。体調不良でやめたなんて嘘つきやがって、とか。彼氏の存在がバレたから逃げたんだろクズ、とか。ファンを裏切ってなにしてんのこいつwwww、とか。

しかも彼氏がいたことのない夢咲陽音に対して、でっち上げの過去を語る者もいて(中学、高校のときからビッ◯だった、等)、さすがに僕もブチ切れそうだった。ハルの高校生活は知らないけれど、僕と一緒だった中学の途中まではそんな子ではなかったと断言できる。



夢咲陽音は確かにエロいことを普通に言うし距離感は近いし、僕を彼氏呼ばわりするし……でも、でも!!

根は真面目で一生懸命で、陰で努力をしているのを知っている。だからこそ、彼氏なんて作る暇がなかったっていうハルの言葉は真実味を帯びている。



ダンスをはじめて3年。たった3年。

僕はダンスを習いはじめて13年。蒼空も同じだ。けれど、どう見ても僕や蒼空よりもダンスのレベルが高い。ハルの家で観たテレビの中で踊る夢咲陽音は、並大抵の努力でトップアイドルに駆け上ったのではない。それは僕もダンスをしているから分かる。



踊りたい、と泣いたハルの言葉がすべてだ。それを知らないで、適当な書き込みしているやつをぶっ飛ばしたくなった。



ハルの、夢咲陽音のなにが分かるっていうんだ。これには怒りしかない。



ハルがエゴサーチしていないことを祈る。



「そうだね。でもさ、負けたくないから。ここでやめたら負けを認めることになっちゃう。それはイヤ」

「でも、なにかあってからでは……」

「欲しい物があるとき、代償は必ず必要なの。ルア君、わたしはただ……」



話を途中にして、「少し歩こう」とハルは言う。下草町の駅前の坂を下っていくと海が見えた。しめ縄が巻いてある一枚岩(えぼし岩)が海に立っていて、その前に小さな祠があるものの参道は見当たらない。鳥居はまるで広島の厳島神社のように海の中に佇んでいて、波が激しく打ち付けている。



「ここが好きで、中学校の時とか嫌なことあったらよくここに来てたんだ」

「神社なのここ?」

「ツクトシノヒメっていう神様が祀られているみたい。この鳥居から海を眺めていると、割りとどうでもよくなっちゃうから」

「じゃあ、僕もハルが無事に仕事にいけるようにお賽銭あげておくよ」



とはいっても、賽銭箱に行くには海の中を通らないといけないよな。さすがに海の中に入っていくのはちょっと……。なんてどうしようかと思って横を見ると、『投げ入れてください』なんて看板が立っているじゃないか。



「投げ入れればいいんだな。よーし」

「わたしだって何回もチャレンジして一回しか入ったことないんだから、いきなり入るわけないよ」

「そんなの、やってみなきゃ分かんないじゃん」



五円玉を握りしめて投げると、なんと奇跡的に賽銭箱に入ったじゃないか。僕は球技が苦手でコントロールが最悪のはずなのに、五円玉は放物線を描いて吸い込まれるようにますの中に入っていった。これは、なんていうか……奇跡?



「ウソ……入っちゃった」

「マジで……?」



あ、そうだ、二礼二拍一礼をして願い事を言わないと。



ハルが無事でいますように。ハルがなにも悩まずに過ごせますように。ハルが幸せになりますように。ハルの身に危険が迫ったら助けてください。お願いします。



欲張りかもしれないけれど、そう願い事をした。



「ルア君……なんてお願いしたの?」

「それは言えないな」

「かわいい彼女ができますように、とか?」

「内緒」

「あ~~~そうなんだ。エロい願い事なんて罰当たりだからダメだぞ?」

「んなわけあるかッ!」



ハルは笑った。岩(しめ縄の巻かれているえぼし岩じゃなくて、砂浜に立っているなんの変哲もない岩)に座って海を眺めて少しだけ話をした。昔、小中学生のときどこで遊んでいたか、とか。ハルのアイドル活動とはかけ離れた他愛もない話。



「はぁ。もう夕方になっちゃうね」

「ハル」

「うん?」

「帰ってきたら、ちゃんと連絡して?」

「ルア君は親かっ!」

「ハル。真面目に」

「わかってるよ……」



やっぱりハルには覇気がなくて、伏し目がちに僕から顔をそらした。だけど、岩に置いた僕の指にそっと触れて……ハルはそのまま僕の手を強く握る。僕は握られた指先から視線をハルに戻すと……泣きそうな顔で——いや、涙をこらえているだけで、すでに心では泣いていたのかも。

そして、僕に抱きついた。



「ハル?」

「ごめ……ん。弱音……吐かせて。怖い、本当はすごく怖い」

「大丈夫……?」



東京に行くのがそんなに怖いのか……。そこまでしてアイドルを続けるハルを突き動かしているものはなんなんだろう。僕にはまったく理解できなかった。小刻みに震えて可哀そうに。



夢? 意地? それとも……?



僕に抱きついたままハルは大声を上げて泣いた。ハルの慟哭どうこくは潮騒にかき消されて、僕はそっとハルの背中をさする。これくらいしか力になれないのが悔しくて、僕は痛いくらい奥歯を噛み締めた。



下草駅に続く坂道を上って駅に戻るころには夕暮れになっていて、分厚い雲がわずかに橙に染まっている。



二人で並んで歩いていると……突然誰かがこちらに向かって走ってくる。黒いパーカーに黒いスウェット姿だったから、建物の影と同化していてすぐに気づかなかった。これは、どう見ても危ない感じがする。よく漫画とかで殺気を感じる、なんていうけど、きっとこれがそうだ。ただならない雰囲気で、背中から汗が流れ落ちた。



僕はハルの身を守ろうと……あれ。



足が動かないッ!?



しかも、周囲の風景がまたあの……セピア色の古めかしい町に変わっている!?

豆腐屋と駄菓子屋の前に……いつ移動したッ!?



なんだこれ。まるで金縛りにあったように足が動かない。ハルが危ないっていうのに。


クソッ! 動けッ!


なんでもいい、いいから動けよ。男はもう3メートルほどの距離まで近づいてきている。ハルはまったく気づいていない——というよりも反応が鈍い。まるで流れている時間の速度が僕とハルとでは違うみたいに、ハルと黒いパーカーの男の動きはスローモーションのようで、振り返ろうとしているハルの動作がとんでもなく長い。



僕がハルを守らなきゃ、誰が守るんだよッ!

神様でもなんでもいいから、僕の体を動かせッ!!



僕は——僕は死んでもいいから、ハルを助けたい。だから、なんでもいいから動けッ!!

ハルを死なせたくない。ハルを……ハルの笑顔を奪ってほしくない。

僕は……ハルを……。



『困りましたね。のですか。それは矛盾というものです。でも、いいでしょう。機会は与えます。ですが、矛盾はどうにもなりません。どうなるのか、楽しみですね』



今のは……誰の声?

女の声だった。すごく通る声で、この世のものとはとても思えない神秘的な声音だった。



ハルはとてもそんな冷静に話をできる状況じゃないし、ラグいゲームのように固まっている。他に誰もいない。じゃあ、今のは……?



ふと身体が軽くなった。なんとかハルの前に身体を突き出して、男の動線を遮る。

ドンッと体当たりをされて、下腹部に鋭い衝撃が走った。そして猛烈な熱を帯びたような感覚。いや、不気味なくらい僕は冷静だった。



「ぐぁ……ああああああああああああ」



三秒後に猛烈な痛みが訪れて地面をのたうち回っても、どうにもならないくらいの苦痛が腹部を中心に身体中を駆け巡る。



「きゃああああああああああああ」




霞んでいく視界の中、ハルは絶叫しながらしゃがみ込んで泣き出した。いつの間にか、下草町の風景に変わっていて、セピア色の昭和の町は消えている。夢だったのだろうか。スローモーションは解けていて、元の様子に戻っている。



「なんで……違うのッ!! なんでルア君がっ!? 違うのに、こうならないために、わたしが……なんで、ルア君死んじゃイヤ。わ、わた、わたしなんでもする、お願い、お願いだから。。お願いッ!!!!!!」

「ハ……ル……」

「あ、ああ、きゅ、きゅう、きゅう……救急……車呼ばなきゃ」



ハルの背後に立つ黒いパーカーの男は「お、おれ、おれの、おれの陽音にて、手をだ、だすからこ、うなるんだ」と呂律ろれつの回らない言葉でハルに話しかけていた。その手には……凶器が握られていて。身体を震わせながら走り去った。よかった、ハルは無事か。でも、あの男は戻ってくるかもしれない。はやく……にげ……ろ。



「ルア君……死んじゃイヤだよ……だって、本当はわたしが……わたしがルア君を……なんだよ?」



なんだよそれ……。







『臨時ニュースをお伝えします。今日、午後18時頃、茨城県高花市下草町いばらきけんたかはなししもくさちょうの路上で男性が何者かに刺されたと110番通報がありました。その後病院に搬送されましたが、男性の死亡が確認されました。亡くなったのは——』



大学生の鏡見春亜さん18歳です。。

犯人は黒いパーカーに黒いスウェットの男で身長は160センチ程度と見られ、警察は行方を追っています。




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