#11 君の優しさは忘れない。ありがとう。そして、
柱の陰に隠れて春亜と陽音の視線から逃れた。周囲から見たら怪しい女だと思われるかもしれないけど、そんなこと気にしている場合じゃないのよ。それにしても陽音には隙きがない。さすがにアイドルで、隠し撮りに対する身の守り方は普通じゃない。
二人がマクデナルデを出たタイミングで柱から柱に移動して後をつける。駅ナカの家電量販店で掃除機を見ているっていうことは、どう考えても同棲の準備をしているんじゃないの。遠目から見ても同棲カップルか新婚の夫婦だろうって思う。店員もあたしと同じ印象を受けたらしく、「これだと新婚さんの家にぴったりだと思うんですよね」なんて言って、あたしの逆鱗に触れる5秒前。あの店員闇討ちしてやろうか。
「ああ、えっと、機能よりもデザイン重視で」
「いや、デザインよくても吸わなきゃ意味なくない? とにかく吸引力の劣らないやつにしといたほうがいいって」
「えぇ〜〜〜〜あ、じゃあ、このロボット掃除機3つ買ってがんばってもらうとかは?」
「……あの部屋……片付けないとロボット掃除機が難儀するかも?」
イラッとして凸してやろうと思ったけど、なんとか気持ちを鎮める。結局、店員に勧められるままコードレスの掃除機を買っていったけど、終始イチャついて腹立たしいッ!!
次にニトラで家具を見始めた。やっぱり同棲する気じゃない……。ここでも陽音には隙きがない。ちょうど良いところにカーテンが垂れ下がっていて、あたしはそのカーテンに包まるようにして姿を隠す。あたしを見た店員さんがギョッとしたけれど、今はそれどころではない。こっちは真剣なの。
「ねえねえ、ルア君はこんなお部屋どう?」
「ああ、僕はあんまりインテリアとか得意じゃないし、分かんないな」
「窓辺にテーブル置いて、季節ごとのお花を活けて、それで朝食にベーグルを食べるとか最高じゃん」
「うーん。分かんない。優雅な気はするけど、そんなことよりも衣装ケース買わないと」
「むぅ。つまんない」
「つまんなくない。早くしないと片付けの時間なくなるし」
衣装ケースを買って早々に店を出ていった。
次は駅ナカの一階のスーパーに寄っていくらしい。食材を買うのかと思ったらゴミ袋が置いてある棚に一直線。あまり客がいないから姿を隠しにくい。
「試食です〜〜〜あ、奥さん? 特製ダレにつけた仙台の牛タンですよ〜〜〜どうぞ」
「奥さんに見えますぅ〜〜? 恥ずかしいなぁ。若妻ってなんかエロいよね?」
「ぜんっぜんエロくないから。本当に恥ずかしいからやめれ?」
「うわぁ〜〜〜仙台の牛タンってすごいっ! 試食できるの!? すごいっ!」
「ありがとうございます。いただきます」
「あ、この牛タンまだ赤い?」
爪楊枝に刺した丸まったローストビーフを受け取った陽音は、パート(おそらく)の店員さんから顔が見えないように背を向けて、周りに誰もいないかキョロキョロと見回す。
危なかった。あたしの方を見たような気がして、慌てて焼肉のタレの並ぶ棚に引っ込んだ。
スマホに角度をつけて陽音の様子を窺う(スパイのように)と陽音は誰もいないと判断したのか、マスクを顎にずらした。
ちっ! サングラスが邪魔。マスクを外した姿でも問題はないと思うけど、どうせなら目も撮っておきたい。
食べようとした瞬間、陽音はまだ肉が赤いことに気づいたのかサングラスを取った。その一瞬をあたしは見逃さなかった。シャッター音のならない(なるけど音が小さい)動画で一部始終をカメラロールに収める。
「なんだ、タレが赤いのかっ! うん、美味しい、あとでもう一度買いに来よう?」
「夕飯は牛タンかぁ」
「なに言ってるんだい? ルア君、お昼ごはんに決まっているじゃないかっ!」
「は? たった今、マクデナルデでサムライ肉厚スペシャルセット食ったじゃん」
「チッチッチ。あれは朝ごはん!」
そのまま動画を回しながらスーパーを出て高花駅の文字を一緒に撮って、と。完璧だ。これで夢咲陽音が高花市に身を潜めていることを公にできる。この町から忌々しいあの女を追い出して邪魔者がいなくなったところで春亜の洗脳をゆっくりと解けばいい。
カメラロールの動画を見返すとばっちり夢咲陽音の素顔(メイクはしているからスッピンではない)が映っていて、スーパーアイドルが高花駅にいることが分かる映像になっている。
これであたしのもとに春亜が帰ってくる。
ちっ!
せっかく人が良い気分でいるのに葛根冬梨からの着信とか。
反吐が出る。
*
結局片付けの予定はどこに行ってしまったのか。
ハルの家に帰って購入した大荷物を玄関に置くなり、Uターンをしてスーパーに戻った。そんなに牛タンが食べたかったのかよ。言い出したら聞かないんだから、本当に仕方のないヤツだ。
「いっぱい買っちゃったね。冷凍できるのかなぁ〜?」
「とか言って、今日全部食べるつもりなんじゃないの?」
「えへへ。バレてるし」
僕がお米担当で、研ごうと思ったら肝心のお米がないッ!!
本当に食料がなんにもないじゃないかっ!
よく考えたら牛タンなんかよりも買うべきものがあったんじゃないのか? 野菜もなければ調味料もない(牛タンはタレ付き)。料理する気まったくないだろ、これ。
キッチンの奥に置かれたダンボールを漁るとレンチンの米があった。米をレンジに入れてため息をつくと、ハルは「あッ!」と突然声を上げた。
いきなりなんだよ、びっくりするからやめて?
「まずいまずいまずいまずい!」
「なにが?」
「ホットプレートがないじゃん。そんなぁ」
ハルはこの世のすべてに絶望したような顔をして落胆し、フローリングにペタンとお尻をつけた。そんなにガッカリすることなのか。フライパンという古来より伝わる文明の利器があるじゃないか。
「僕が焼こうか? フライパンでならすぐできるよ?」
「イヤ」
「……なにが?」
「おうち焼き肉ごっこしたかったの」
「……諦めるしかないって」
「買ってくる。駅ナカはここから歩いて5分だし、買ってくる」
「は? ホットプレートのためだけに?」
「うん。買ってくる。面倒ならルア君は休んでいていいから」
「でも、まずいんじゃない? ストーカーがいないとも限らないし」
昨晩のベランダの人影の件は解決していない(ハルの見間違えの可能性が高いと判断はしているけど)し、ハルが危険な目に遭わないために僕がいるのに、少しも目を離せないじゃないか。ホットプレートを買いに行く5分で拉致されても困るから付いていく。
本当に困った子だよ……。人を振り回すのが得意なのはいただけない。けどまあ、悪気がまったくないから許してやるか。
結局、お昼を食べ始めたのが14時30分を過ぎたあたりだった。
「久々にルア君と焼き肉ごっこできて嬉しいな」
「ん……ひさびさ?」
「え? わたしそんなこと言った? ごめん、無意識に変なこと言っていたね」
実家で焼き肉でもしたことでも思い出して懐かしんでいるのだろうと思い、あまり深く追求しなかった。ホットプレートを買いに行くついでに飲み物と肉を買い込んできて(牛タンだけでもすごい量なのに)、二人だけの焼肉パーティーがはじまった。
「かんぱーいっ!」
「乾杯。でも、お金いいの?」
ハルは、とんでもない金額を牛タンにつぎ込んでいたけど、タダ飯を食べるほど僕は落ちぶれていない(と思っている)。お金は本当にないけど。
「持ちつ持たれつじゃない? 無理言って泊まってもらっているんだもん。本当はすごく申し訳ないって思っているんだからね? だからこれくらいはごちそうしないと」
「でも、それじゃなんかイヤだな。バイト代少ないけど食費として入れるから」
「そんな、別にいいよ」
「ダメだ。タダ飯食うほどヒモじゃないって」
「強情だなぁ君は。仕方ない。じゃあ、しっかり稼ぎたまえ」
「なんか偉そうだな」
「エロそう? じゃあ、今夜セッ——」
「ああああ、もう。言うな。そして断るッ!!」
ハルは嬉しそうに「えへへ」と笑った。
ハルとの焼肉パーティーは思ったよりも楽しくて、二人で買ってきた分を軽く平らげてしまった。しばらく動けずに、二人して背もたれに寄りかかってグロッキーになっている。こんなアホな食い方を今までしたことがない。
世界線Bでは蒼空とともにダンスのために少食に徹していたから。ハルはそこのところあまり気にしていないみたい。直近でダンスをする機会がないから余計引き締めるつもりがないんだろうな。でも、ハルはすごく幸せそうな顔をしているし、まあいっか。
キッチンに肩を並べて立ち、一緒に洗い物をしているとハルは泡を使って遊び始めた。ホットプレートの鉄板を取り外して擦ってみても、なかなか焦げが落ちないからって諦めの境地に至るなよな。茶色く染まった泡でクマの顔をつくり始めたくらいにして。
「プレートは僕が洗うから。ハルはこっちの皿洗って」
「このクマかわいくない? 写真撮るから待ってくれたまえよ」
「そんなに可愛い? どう見ても汚い泡だけど」
「夢のないヤツだなぁ〜〜〜君って人は」
手を洗って、スマホを手にしたハルが固まる。どうしたのだろうと思っていると、「事務所の人に電話しないとダメみたい」と廊下に出て話しはじめたから仕方なく、クマの泡のついた鉄板はそのままに他の食器を洗っていく。それにしても服が臭くなったな。焼き肉臭がすごい。やっぱり夜にでも家に帰って服をとってくるか。
「なんでですかッ!! イヤですッ!! だって、それじゃあ」
なんだか揉めているな。ハルがあんなに大きな声で話すところなんて見たことない。まあ、どうせ仕事のことでなにか問題でもあったのだろう。芸能人ならきっとそういうの多そうだし、ハルも大変なんだなと思いながらスポンジで皿を擦っていると、結局、鉄板以外は洗いすべて終わってしまった。
「ルア君……大変なことになっちゃった」
「なにかあった?」
「……わたし、また引っ越さなきゃダメだって」
「え……? まだ3日も経っていないのに?」
「うん」
これなんだけど、とハルが差し出してきたスマホの画面には……ハルがマスクとサングラスを取って試食をしている様子が鮮明に映っている。しかも、その後、わざわざスーパーを出て、高花市だと分かるように駅名のディスプレイまで撮っていて……。
「これが流出したみたい」
って、たった数時間前のことなのにもうこんなに拡散されている……いかに夢咲陽音が人気なのかが分かる。この拡散スピードは異常だ。
「マジか……」
「わたしの身バレはいいんだけど……そうじゃなくてよく見て」
動画のスライダーを指で戻していき、試食のシーンを拡大すると……。
「僕じゃん」
「うん。ルア君。ルア君とわたしの関係……この動画だとどう取れる?」
「友達……」
「男友達と二人きりでスーパーで買い物……はしないでしょ? カップル。しかも同棲中のカップルと解釈するのが普通だと思わない?」
「あー……」
逆に友達だと言い張ってしまったら雑な言い訳をしていると、ファンのみならずたくさんの人に叩かれる可能性がある。だからといって、嘘をついて恋人と認めるのは違う気がする。
結局、黙ってやりすごすしかないわけだ。
「それで引っ越せって言われたんだよね?」
「……うん」
「引っ越すって言っても、東京以外にアテはあるの?」
ハルはぶんぶんと顔を横に振って眉尻を下げた。引っ越しなんてそうそう何回もすることでもないし、むしろ様子を見てからでもいいような気がする。ハルには悪いけど、ストーカーが実際に問題を起こして警察沙汰になったほうが解決は早い気がする。ここで引っ越したら、引越し先でまた問題が起きて一生逃げ続けることになってしまうんじゃないか?
「引っ越したくない」
「引っ越さなくていいんじゃないの? ストーカーの件は警察に話して、それでハルはしばらくここに引きこもって様子を見るとかしかないんじゃ?」
「でも……ルア君が……」
「僕は……」
まあ、大丈夫だろうって楽観視している。ハルと一緒にいるときを除いて、誰も僕の顔なんて覚えていないだろうし、わざわざ僕を探し出して追いかけてくるような人もいないと思う。それよりも、ハルのほうが心配だ。
「大丈夫。ハルはここにいればきっと安全だから」
「うん。実はわたしも引っ越すつもりはないんだ。たとえ危ないと言われてもとどまるつもりでいる。でも、ルア君は違うよ」
「いや、僕は……」
「昨日と今日は本当にありがとう。甘えるのはもうやめにするね。これ以上ルア君を巻き込むことはできないからさ。ルア君はやっぱり優しくていいヤツだよ。わたしは……大丈夫だから」
ハルは僕から顔を背けてしばらく沈黙した。それまでの楽しかった時間が嘘のように空気が沈んでいく。
ハルは……身体を小刻みに震わせて、僕に顔を見せまいとうつむき、静かに泣いていた。
「ルア君、本当に少しの時間だけど楽しかった。ありがとう」
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