#10 蒼空への決別。『代償』の重み


ジョギング帰りなのだろうか、蒼空はスパッツに短パン姿でトラックジャケットを着たままま目の前に現れた。いったい何してるの。いつもはこんな時間にジョギングしてないじゃん。



「昨日は……暴言吐いてごめん。気が動転してたんだ。話は違うけど、ちょっとお願いがあるの」

「……蒼空ちゃんなに企んでいるの?」

「ハルって、ユメマホロバの夢咲陽音じゃん? だから、一緒に写真に写ってくれないかなって。あ、もちろんただの記念撮影ね?」

「ごめんね。写真はNGなんだ。色々あって」

「別にただの記念撮影だって。友達にユメマホロバが好きな子がいて、それで自慢でもしてやろうかってただのネタだからさ」

「うん、それでも……ごめん」

「そっかぁ、じゃあいいや。ごめん、時間取らせて。あ、ルアを少し借りて良い?」



ハルが心配そうに僕の顔を見上げた。そういえば蒼空は昨日の電話でもそんなこと言っていたいな。僕としてはもうなにも話がないわけで、時間の無駄な気がする。でも、蒼空からすれば納得がいっていない様子だし、僕に話をぶちまけることで気が収まるなら(諦めてくれるなら)聞いてあげてもいいけど。



「イヤ。ルア君はわたしの専属だから。蒼空ちゃんに貸すなら莫大な代償が必要だけどいいの?」

「は? なに莫大な代償って。そもそもハルはルアのなんなの? 恋人?」

は違うけど……でも、ルア君はわたしと一緒に居てくれるって言ったもん」



なんだかハルのセリフは誤解を招く言い方だな。蒼空が勘違いしそうだ。僕はハルのストーカー対策で力を貸してあげている(実際はなんの力にもなれないけど)だけで、専属の付き人でもまして恋人なんかではない。



「もう、ハルには聞いていないから。ルア、どうなの?」

「……話の内容にもよるけど」

「ほんの少しでいいから時間をくれない?」

「……15分くらいなら。ハルは15分大丈夫?」

「待てない……その間どうしてればいいの?」



まさか目を離した15分のすきに連れさられるなんて、幼児でもあるまいし。まして駅ナカの人通りが比較的多い時間帯にそんなことあるはずがない。と思うけど、それは一般人に対しての常識だよな。大人気アイドルに限っては、もしかしたら危険かもしれないから、ちゃんとしたお店の中のほうがいいかもしれない。うん、じゃあファーストフード店でも入ってもらって過ごしてもらえばいいか。



「そこのマクデナルデでポテトでも食べて? 僕もすぐに戻るから」

「むぅ……ルア君の……バカ」

「……ごめんすぐ戻るからさ」

「待っているからね? 蒼空ちゃんと勝手にどこか行っちゃったりしないよね?」

「うん、約束する」

「約束だからね? 15分だよ?」



さっきさとしたのにもうメンヘラに戻っているような……いや、ヤンデレなのか。僕に恋心なんて持っているはずもなく。おそらくストーカーに対する恐怖と僕に対する依存がそうさせているだけ。それでも自分を安売りしちゃいけないって散々言ったんだけど、ぜんっぜん分かっていない。はぁ〜〜〜まあ、仕方ないか。



「蒼空、どこで話す?」

「上のカフェテラスでどう?」

「わかった」



駅ナカビルの三階にはカフェがあって、そこのテラス席は高花市の町を見下ろせる、カップルであれば最高のロケーション(世界線Bでは蒼空と何回も訪れている)だった。この世界線Aでも蒼空はお気に入りのようだ。



少し肌寒いけれど、あえてテラス席を選んだのは絶景を見たいわけではなく、単に混雑していないからで、ほぼ貸し切り状態だからだ。



二人でコーヒーをオーダーして、一口含んでから本題に入る。



「それで? 話って?」

「この前は軽い気持ちで告っちゃって、本当にごめん」

「いや、それは別に」

「あたし……中学のはじめのときには、もうルア——春亜のことが好きだった。でも、なかなか機会がなくて、ううん、そうじゃなくて春亜にもし断られたらって思ったら怖くて」



それは僕も一緒だった。蒼空のことが好きで告白の機会を窺っていたけれど、最後の一歩が踏み出せなかったのだ。まさか蒼空も同じだったなんて。

しかし、その割には男友達と仲良さげに放課後歩いていた気がするけど……。しかも毎日違う男子だった。もしかしたら蒼空は……いや。そんなの今となってはそんなのどうでもいい——蒼空を信用できない。



「うん、それで?」

「あと、別に春亜をからかうつもりなんてなかったけど、その……今までイジってごめん。春亜のダンスはすごくいい感じだし、アレンジもすごいと思う。あたしなんて全然追いつかないくらいセンス良くて……」

「えっと……僕ってイジられていた?」



僕を見て、冗談を言いながら笑ってくれる蒼空のことが一番好きだった。



僕がイジられていて不快だと思っている、と誤解しているならそれは違う。僕を笑ってくれる幸せそうな蒼空を見ていると、とても癒やされた。世界線Bでは、付き合っているときは優しく微笑んでくれたけど、付き合う前はいつもムスッとしている蒼空の笑顔が見たくて、どうすれば笑ってくれるのかって悩んでいた。



そうか、もうそのあたりからすれ違っていたのか。



「うん。ごめん。好きの裏返しってやつで……子どもみたいなんだけど、そういうところあったと思う」

「それは気にしていないって」

「ありがとう。それでね、ちゃんと言うから聞いて」

「うん」

「あたし……絶対に春亜を幸せにする。あたしを幸せにしてとは言わない。あたしはどうなっても構わない。春亜のとなりに、後ろでも良い。とにかくあたしの近くに居てほしいって。ずっと、本当にずっと好きでした……だから……」

「…………」

「付き合ってください。お願いします。なんでもします」



なかなかのパンチの効いた告白をブチ込んできたな。なんでもしますってどういうこと?

そんなセリフを世界線Bでは聞いたこともないし、こんなに切羽詰まって、泣きそうな蒼空を見たことがない。まだ蒼空に気持ちが少しだけ残っているから——揺れてしまう。



もしかしたら、今から蒼空と付き合ってみて、僕がしっかりしていれば未来は変わるかもしれない?

こんな、しおらしい蒼空ならば僕が繋ぎ止めておけば……浮気をしない子になるかもしれない?



『ルア君の判断は正しいと思うよ』



ふと、ハルの言葉が頭をよぎる。なんの確信があって言ったのか分からないけれど、ハルはそう言っていた。いや、それはもしかして、小学生と中学生の頃からすでにハルは蒼空の本性を見抜いていて、僕に忠告の意味を込めて言った確信を持ったセリフだったとしたら?



僕の知っているハルは、小中学生のときは暗い性格だったかもしれないけれど、根はいいヤツだった。今もそれは変わっていない。アイドルとなった今でもおごり高ぶらず、ファンひとりひとりのプレゼントを一つも捨てることなく、引越し先まで持ってくるような温情のあるヤツだ。



そう、蒼空のどんなに琴線きんせんに触れるような思い出話や好きだという甘い言葉も、僕の心の奥底には響かない。そう自分に言い聞かせて、深呼吸をして気持ちを整える。



そして、僕はハルを信じるよ。



「あの……聞いていい?」

「な、なに?」

「蒼空は僕に隠していることない?」



浮気はあくまで未来の話だ。けれど、その浮気がいつからはじまったのかが分からない。つまり、こうして話している今も、葛根先生と関係を持ち続けているかもしれないんだ。それをここで訊いても答えるはずはないんだけど……。そこがクリアできない限り、付き合うどころか友達としてもやっていける自信が僕にはない。



「? なにいきなり。ないけど……」

「本当にない?」

「ないってば……」

「く……く、葛根先生と」

「えっ……?」



明らかに顔色が変わった気がした。蒼空は動揺している——と思う。



気のせいか?



「個人レッスンを結構するじゃん。蒼空はあんな人が好きなんじゃないの?」

「……それは」

「僕なんかより、ずっと良いと思うよ?」

「絶対にないッ!! そんなこと絶対にッ!! 信じて、絶対に、絶対にそんなことないからッ!!」



突然声を荒らげた蒼空はテーブルを叩き、立ち上がり肩で息をしている。対して僕は自分でも驚くほど冷静だ。未来とはいえ一度確信的事実を目撃してしまった身としては、現在進行形で葛根先生と関係を持っていないとすれば、いつから関係を持っていたのか気になるところ。



僕と付き合う前だったとしたら、はじめから僕をバカにしているとしか思えない。それが告白後なら、僕に愛想を尽かした可能性が高い。



後者ならば反省しないといけないし、理由を知りたい。



「それで……答えを聞かせて?」



声を荒げた理由は分からないけど、おそらく……蒼空はこの時点で葛根先生と。

そう思わせる態度だった。間違いない。蒼空は……。



もういいや。なんだか疲れた。



「あのさ……蒼空の気持ちはすごく嬉しいけど、僕は蒼空とは付き合えない」

「やっぱり……ハルのこと……好きだから?」

「ハルは関係ないって」

「じゃあ、どうしてハルと一緒にいるの?」



どこで情報が漏れるか分からないために、蒼空にストーカーの件を話すわけにもいかないし、って、よく考えたら蒼空にはまったく関係のない話じゃん。僕と幼馴染という曖昧な関係だけで、僕を束縛する権利なんかないよな。だから、僕とハルとの関係なんて蒼空にはなんの関係もないこと。この世界線Aでは、僕と蒼空はまだ付き合ってもいないんだから答えなくてもいいはず。うん、そうだよな。



「それは蒼空には話せない。恋愛的な関係で一緒にいるわけではないって、それだけは言っておくよ」

「……許せない」

「え? なんて?」

「春亜は騙されてる」

「えっと……蒼空? 話……聞いてた?」



そして、泣き始めた。柳眉りゅうびを逆立てながら泣く姿は少し怖いくらい。鬼気迫るオーラに圧倒されて、僕は椅子の上で少しだけ反り返ってしまったほど。腹の底から出すような蒼空の低い声は、もはやホラー映画そのものだ。



何かに取り憑かれているような表情とも取れる。



「諦めないから……あたし、絶対に諦めないから」

「は……? マジで蒼空大丈夫?」

「なによこれッ!? うるさいッ!! 黙って。なによあんたッ! あたし、絶対に負けないからッ!!」



千円札をテーブルに叩きつけて、テラス席から駆け出して店を飛び出していった。まるで台風を彷彿させるような荒々しい行動に呆気にとられて、ふとスマホを確認するとハルと離れてから25分も過ぎていることに気づいた。



「ああああ、約束破っちゃったじゃんか」



慌てて会計を済ませてエスカレーターで階下に下り、急いでマクデナルデに向かう。キャップとサングラス、マスク姿は遠目に見ても目立っていて、けれど周囲のお客さんは無反応だった。夢咲陽音がこんなところにいるはずない、と思う効果が多少なりともあるんだと思う。さすが田舎。今のところ正体はバレないと思う。



「ご、ごめん……」

「もういいもん」

「ごめんって」

「蒼空ちゃんに言いくるめられて……ルア君わたしのこと忘れちゃったみたいだしさ……」



言いくるめられていない。っていうか、蒼空を完全に拒絶できたのはさ。



「ハルのお陰できっぱり断れた」

「え……?」

「僕の判断は間違っていないって言葉を思い出してさ。僕にとってやっぱり蒼空は運命の人なんかじゃないんだと思う」

「ルア君……」

「だから、ありがとう」



蒼空の最後の様子(ホラー蒼空)を見ていたら、ハルの言葉が少し理解できたのは確かだし、むしろ蒼空の裏の顔といえば大袈裟かもしれないけど、今まで気づかなかったのは僕の落ち度だ。少しだけ気持ちが落ち着いて、蒼空への感情は冷めた気がする。



「あれ……なんか今、蒼空ちゃんがそこを通った気がするんだけど」

「まだほっつき歩いてんのか。もういい加減……」



振り向いてみると誰もいない。蒼空の姿は見当たらなかった。マクデナルデの通路側の席は、駅の構内の様子が良く見える。モデルのような体型で目立つ蒼空がいたらすぐに分かると思う。



蒼空の家はこっち側じゃないし、なにか他に用事でもあったのかな。買い物をしてから帰るとか。もうなんでもいいや。蒼空がどこでなにをしていようが僕の知ったことではない。



僕も久々にハンバーガーを食べる。ハルはマスクを鼻側にずらしながら(外すのは危険らしい)食べていて、ふとハルが前に言っていたことを思い出した。



「あれ、外食禁止じゃなかったっけ?」

「だって、この店で待てって言われて、なにも食べないのはおかしくない?」

「あー……確かに。ごめん、気が利かなくて。本屋とかにすればよかったな」

「たまに食べたくなるからいいよ。脳をジャンクフードが満たしていく~~~~あぁん。幸せ」

「なんだそれ」



買い物をして帰ることにしたけど、結構買うものがあって大変だなぁ、これは。







これではっきりした。あたしと葛根冬梨のことを吹き込んだのは夢咲陽音とかいうメンヘラアイドルなのは間違いない。個人情報を勝手に流出させられた苦しみを自分も味わうといい。

こっそり尾行をして、なんとか写真さえ撮れればば、あのメンヘラも破滅一直線よ。



『あなたは一生自分の愛する人からは愛されません。です』



なんだったの? あの声はいったいなんだったの?

突然頭の中に響いた、あの声は……気持ち悪い。なに、これ。

あたし……頭の中がグチャグチャで……混乱している?



いや、おかしいのかもしれないけれど、これは確かにどこかで聞いたことのある声だ。そんな非現実的でばかばかしい現象なんてきっと何かの聞き間違いよ。たとえば、店内にいたお客さんの声が偶然聞こえてきただけかもしれない。そんなことよりも前に進まないといけない。



とにかく陽音をおとしいれて、春亜に少しでも振り向いてもらわないといけない。






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