#08 一緒に寝てくれるよね?/悪意ある妙案



「美味そうだが断るッ!」

「なんでー?」

「そのスプーン、ハルが舐めたやつじゃん」

「そだけど? あ、もしかして潔癖症? そんなのルア君じゃないやっ!」



ダイニングチェアーに移動し体育座りをして、ハルはハーゲンダッチのアイスクリームを美味そうに食べている。すると何かに気づき視線をテーブルの上に落とした。置いておいた僕のスマホが鳴ったことにいち早く気づいたらしく、「あ、鳴ってる」って勝手にスマホ見るなよな。



「蒼空ちゃんからだーっ! 出よ出よ!」

「は? いいよ。出ても話すことなんてないし」

「急用かもしれないじゃないか。どこかその辺で倒れていて、もしも命にかかわることだったらどうするつもり?」

「それは……」



救急車呼べばいいんじゃないか……僕に電話するより先に。けど、機転が利かなかったとかアプリの電話帳の一番上が僕だったから掛けたとかはありそう。見殺しになっちゃったらどうするの、とハルに咎められそうな気もするし。仕方ない。



「もし、なんでもないなら適当に切り上げればいいだけだし」



僕の心情としてはなるべく蒼空に関わりたくない。古傷をえぐるような行動は控えたいけれど、ここで出ないのは不自然かもしれない。ハルからすれば蒼空の電話に出ない僕が、蒼空となにかあったと考えるのは自然なこと。



あれ。ハルに蒼空の告白を断ったと打ち明ければいいだけじゃないか?



でも、蒼空をフッたなんてことを言いふらすのは、勇気を振り絞って告白をしてきた蒼空に失礼だ。モテるアピール(実際蒼空にしかモテてないけど)とかキモいし。やっぱりそんなことは黙っておいたほうがいい。この件に関しては僕と蒼空の問題だ。



「うん。そうだな。分かった」



通話アプリの電話マークアイコンをタップした。すると蒼空は『もしもし、先週はごめん』と言っていきなり謝罪してきた。えっと……何に対して謝ってきたんだろう?



「なにが?」

『いや、ルアの気持ちも考えないで……あのね、あたし、ルアを誤解していたと思う』

「……誤解?」



ダイニングテーブルに肘をついて両手で頬杖をつくハルは、すごくつまらなそうな顔をしている。とがらせた上唇の上にスプーンが置けるかどうか、なんて遊んでいる。何してんだよ。あ、これ音漏れしているんだ。蒼空の声がハルに丸聞こえだった。でも、これ以上ボリューム下げるとなんだか聞きにくいし。はじめから外で会話をすればよかったんだ。



そう思って移動しようとしたら、ハルが僕の袖を引っ張る。行くなってこと?



『うん。ダンスのフリなんて誰にでも間違えることはあるし。あたしもあるよ? それと、あのときルアに告白したときもすごく軽い感じで言っちゃったし、本気度が伝わらなかったのかなって。だから、電話じゃなくて直接会ってもう一度、話を聞いてくれないかなって……』

「振り付け? いったいなんの話?」

『明日、時間をくれないかな。手間はかけさせないから』



未来から死に戻ってきたタイミングが告白された日なんだから、その前の些細な出来事なんて覚えているはずがない。しかも、そんな理由で僕が告白を断るなんてありえない。そうじゃなくてさぁ。



思わず僕はため息をついてしまった。確かに未来の出来事なんて蒼空の知るところではないだろうし、それが理由で蒼空の告白を断ったのも客観的に見たらおかしい話だと思う。



けれどそうじゃなくて、蒼空がそういうことをしてしまう性格だと知ってしまった以上、付き合うことができない——拒絶するしかない思考へと変わってしまっている。今から付き合って、蒼空が浮気をしない未来に書き換えることができたとしても、この子はいつか浮気するかもしれないという疑念は一生晴れない。



「ぶっぶーっ! 時間切れ。ごめんね、蒼空ちゃん。明日もルア君はわたしの貸し切りです」



ハルは僕のスマホに顔を近づけて、会話に割り込んできた。いやいやいや。ハル……なにしてるの。



『は? な、なななんで……ルアとあんたがまだ一緒に……もう午前様じゃないのッ!? もしかしてお泊りするつもり!?』

「今、一緒にお風呂入ったところで、アイスを美味しく食べていたのに」

『一緒に……お風呂ッ!? ふざけないで。もしルアに指一本でも触れたら』

「触れたら? どうなの? 蒼空ちゃんはルア君を束縛する権利なんてあった? 誰の許可が必要なの? ねえねえ、教えて?」

『呪い殺してやるからッ!』

「おぉ〜〜〜怖い。本当に呪いとか掛けてきそう。蒼空ちゃんやべーーーー」



こいつらは小学生なのか。今どき、小学生でもそんなやり取りしないだろ……。



「嘘はついていないよね? ルア君」

「まあ……うそは……ついていないか?」



確かについていないけど。弁明もできない。一緒には入っていなかったけれど、近くにいました、って。いや、そんな仔細しさいな説明をする必要なんてないじゃないか。蒼空の僕に対する気持ちを知った上でのハルの挑発行為のメリットが思い浮かばない。


いや、僕のため? 


ハルはもしかして、僕が蒼空をフッたことを知っているのか? それなのにしつこい蒼空に嫌気が差して……?



『やっぱりそうだんだ。絶対にあたしは……あたしがあんな目に遭っているときに……くっ……うぅ……』

「あれれ……蒼空ちゃん泣かないでよ。別にやましい関係にはなっていないから。今のところだけど。ま、これから入眠するにあたって、ルア君が豹変してしまう可能性は否定できませ~~~~ん」

「んなわけあるかッ!!」

「蒼空ちゃん負け犬さんですよ。ほら、蒼空ちゃん口癖だったじゃ~~ん。『鈴木陽音は負け犬ぅぅぅ』ってよく連呼していたじゃん。あ、確かにわたし、中学からずっと負け犬だけど、芸能界入ってからは噛まれると痛いってよく言われるんだぁ。えへへ」



負け犬……なのか?

今のハルを見ていると、どう見ても勝ち組だと思うけど……。

それにしても蒼空のやつ、そんなこと言っていたのか。まったく。



蒼空は一方的に通話を切ってしまった。ちょっと二人ともやりすぎなんじゃないかとも思ったけれど。



「一応訊くけど蒼空ちゃんはルア君に気があって、ルア君は拒絶したがっている。間違いないよね?」

「それは……まぁ」

「蒼空ちゃんのことが本当に好きなら、お祭りの時点でわたしの誘いなんて断っていると思うし、もしわたしの誘いがあまりにも魅力的で流されてしまった、っていうなら蒼空ちゃんへの気持ちなんてそこまでじゃないんだな、とも思えるし。ま、男の人の感性は分からないからなんとも言えないけどさ。ルア君を見ているとそんな感じに見えるよ?」

「……えっと」

「はい、結論を言います。蒼空ちゃんのことフッたでしょ?」



やっぱりそうか。よく見ているよなぁ。勘が鋭いというかなんていうか。

これは弁明できないし嘘をつくのもおかしい。蒼空には悪いけど事実だから肯定せざるをえない。



僕は蒼空の告白を断っているのに、蒼空は僕を束縛しようとした。ハルのいうとおり、僕がハルとどんな関係になろうと蒼空の許可なんていらないよな。いや、別に僕はハルと付き合いたいとかそういうことは思っていないけど。



蒼空の性格をハルは見抜いていたんだと思う。僕の曖昧な態度を見かねて僕の代わりに舌戦(小学生並みだけど)を繰り広げてくれたんだ。



「……うん」

「蒼空ちゃんの目、血走っていたしね。えっとね、ある神社の巫女さんが言っていたことなんだけどね」

「神社……?」

「うん。現世で結ばれる人ってあらかじめ決まっているんだって。他の誰と付き合っても運命の強制力が働いて別れさせられて、結局その決まった人と結ばれるのが運命なんだとか」



それは後出しジャンケンと同じで、未来の自分からすれば過去のことなんてなんとでも言える。未来から『予言のとおり過去は当たっていた』と豪語するようなもの。ハルには悪いけど、その話に信憑性はないと思う。



「多分、蒼空ちゃんにとっての春亜くんという存在は、そんな感じなんじゃないのかな? ま、わたしも運命自体は信じるけどね」



あのとき僕が蒼空と葛根先生を目撃しなければ、僕の考えも変わることなくそうなっていたかもしれない。蒼空はむしろ運命の強制力(それも自業自得の)が身に降りかかっているじゃないか。結果的に蒼空の思い込みが強いだけで、客観的に見て僕と蒼空は運命でつながっていない。



「それと、運命に逆らって、なにかを得たいならばって。スピリチュアルの話はあまりしたくないんだけどね」

「……なんだか意味深じゃん。犠牲とかって……なにそれ?」

「今言えることは、蒼空ちゃんじゃない誰かと恋に落ちて、一生幸せに暮らしました、なんていうハッピーエンドもいいじゃないってこと?」

「蒼空をフッたことは正しいってこと?」

「ルア君の今回の選択は絶対に間違っていないって昨日言ったとおり。わたしが保証する。だからルア君も早く気持ちが晴れるといいなって思っただけ」

「よく分からない慰め方だけど、ありがとな」

「それよりも、どうやって寝ようか?」




あー……予備の布団もなければソファもないし、これはフローリング雑魚寝をするしかないのか。いくら春になったからとはいえ、朝方は冷えるし風邪を引くのはイヤだな。



「よし。レッツ添い寝——」

「それは断る」

「困ったなぁ。とにかく寝室はクイーンサイズのベッドだから、二人で寝ても余裕はあると思うよ?」

「そういう問題? ハルと一緒に寝るなんて不可能なんだけど」

「ルア君は、小さいときに怖い思いをして、一人で眠れる子だった?」



小学校低学年の頃は……どうだったろう。小さい頃、両親を亡くしている僕としては甘えることができなかった。だからどんなに寂しくても怖くても一人で枕を抱えて眠った。甘えることが得意じゃないよね、と世界線Bの蒼空に言われたことはある。

というよりも、どうやって甘えていいのか分からなかったんだ。



今もそれは変わっていない。



「わたしはね、甘えたかったのに甘えられなかったんだ。お父さんとケンカしたお母さんはよく家を出ていっちゃうし、お父さんは怖いし。だからか分からないけど、すごく甘えたいときがあるの」

「それは僕に甘えたいってこと?」

「別にルア君に甘えたいとかそういうのではないんだけどね。ごめん、嘘ついた。今は一人で眠れるほど強メンタルでもないかな。ルア君にとってすごく迷惑かもしれないけど、なにもしないから一緒に寝てくれない?」



ハルはそう言って立ち上がり、また僕の袖を摘んだ。怖い思いをしてきたハルが、なぜ僕に心を許すのか分からなかったけれど、そんな顔をされたらさ。



断ることなんてできない……って。ハルの怖い気持ちはよく分かるし、一緒に居てあげたい。だって、可哀そうじゃん。なにもしていないハルが怖い思いして。




ハルの寝室はクイーンサイズのベッドが真ん中に置いてあり、ダンボールが重なっていて、引っ越してきたばかりの片付いていない部屋だった。カーテンの向こう側の月の優しい光が、ベッドの縁に座るハルを包み込んでいた。その背中はとても寂しげに見えて、なんだか記憶がかき乱される。



僕は、ハルのこと——いや、そうじゃなくて、夢咲陽音のことを知っていた……?

どこかで懐かしく思えるこの記憶はいったい……。

どこかでこの光景を見たことが……あるのか?



「ルア君……来て?」



僕はベッドに横たわりハルに背を向けた。向き合って眠れるほど女の子に慣れていない。それを知らずかハルは「触っていい?」なんて訊いてくる。



「ダメって言ったら?」

「イヤ」

「また駄々っ子かよ」



僕の脇腹に突然指をおいたかと思ったら、くすぐってきやがった。本当に小学生だよなッ!!



「なにするん!?」



寝返りを打って抗議すると、ハルは真顔で僕を見つめる。月の光が差して、ハルの目が青く光る。か、可愛い……。やばい。



「こっち向いてほしかったの」

「なんで?」

「ルア君がどんな顔しているのか見たかったから」

「……なんで?」

「ううん。意味はないけど。気になっただけ。ルア君、手……つないでいい?」

「触るとか手とか。意味分かんないって」

「分かんなくていいよ」

「断る……って言ったら?」

「泣く」

「それは困る」



一緒に横になっている女の子に泣かれたら、どうしていいか分からず詰むのが目に見えている。って、なにこの状況?



「だって、わたしが寝たらどこかに行っちゃうんじゃないかって……」

「行かないって」



何も言わずにハルは泣きそうな顔をする(演技かもしれないけど、めちゃくちゃ可愛い)。



「ハルが寝るまで起きているから」

「じゃあ、頭なでなでして」

「要求がいちいち多すぎる」

「ダメ?」

「くっ……じゃあ、ちょっとだけだからね?」



まるで腫れ物を触れるかのように、僕は震える手でハルの……夢咲陽音の髪に触れた。アイドルだからとか、可愛いからとかいう理由で緊張しているわけではない。女の子は誰であっても緊張してしまう。髪をやさしくくしけずるとまるで絹のようにサラサラで、指の間をなんの抵抗もなく流れていく。



しばらくそうして優しく撫でていると、ハルは静かに寝息を立てた。



こんなに安心して寝て。本当にハルは無防備だな。けれど、僕は寝ているハルになにかしようとか思っていない。ただ、この寝顔を見られるのはすごく幸せなことなのかもしれない。



この可愛い寝顔を見られる男が、不幸せなわけがない。



あ〜〜あ。僕もこんな子が彼女だったら、幸せだったのになぁ。





不覚にも泣いてしまった。悲しくてではなく悔しくて。本当に悔しくて。手のひらに爪のあとが残るくらいに恨めしくて。



本当はあたしがそっち側に行くはずだった。なのに、あの陽キャの仮面をかぶったメンヘラがすべてをぶち壊しにしてしまった。今ごろ、二人であたしのことなんて忘れて、仲良くベッドで楽しんでいると思うと殺意が芽生えてくる。こんなことが許されるわけがない。



あたしはただ、もう一度だけ春亜と話をして、ちゃんと聞いてもらいたかっただけなのに、その機会すら奪われてしまった。



なんとしてでも、あのメンヘラの洗脳を解かなければならない。あの女はあたしと葛根冬梨の関係を知っている可能性がある。それを春亜に吹き込んでいたとしても、弁明をすればきっとなんとかなるはず。



いや、そんな事実はなかったと押し通す。道がそれしかないのなら、たとえ嘘でも真実としてみせる。なんとしてでも。



後ろを振り向いてもなにも得ない。前をしっかりと見て、今後の対策を考えなくちゃいけない。あの女をどうやって地獄に叩き落とすか。どうやって春亜に話を聞いてもらえるか。



とにかく早くけがれを落とさないといけない。身体を洗おう。とにかく何度もこすってあのよごれた葛根冬梨の臭いを落とさなければ春亜に嫌われてしまう。

30分ほど掛けて髪の毛と身体を洗い、歯磨きを3回ほどして再び湯船に浸かる。



スマホで夢咲陽音のことを調べてみると、ストーカーの被害に遭っている、というような記事を発見した。少し前までネットには夢咲陽音の情報がいくらでも転がっていて、個人情報が売買されていたなんて噂も掲示板には書き込まれている。



今度はSNSをくまなく探してみる。偶然見つけたのは、夢咲陽音のファンでいかにも危なそうな人物だった。夢咲陽音は自分の恋人なのに公式SNSにメッセージを送っても既読すらつかない、とか。なんていうか……可哀そう(あんなメンヘラに人生を奪われてという意味)で言葉を失う。



だけど、そんな人物はかなり多いんだろうと思う。恋人と自称する人は数名いたけど、大半はネタだ。けれど、そうじゃなくて、本当に恋をしてしまった(騙された)コアなファン(自称陽音の彼氏)はかなりいるとみた。これは、なかなか面白そうだ。



数打てば当たるかもしれない。



妙案を思いついた。個人情報を流出させるのではない。あたしはただ、SNSに夢咲陽音と一緒に写真に映り込むだけでいいのだ。

もし撮影を断られたら、夢咲陽音の目撃情報を興奮のあまり投稿してしまう、野次馬根性丸出しの女に徹してしまえばいいのだ。そんな女ならば勢い余ってSNSに投稿してしまうのも無理はない。



面白くなってきた。これであのメンヘラを追い込めるんじゃない?



叩き落としてやる。地獄に。煉獄に。



また負け犬に。





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