#01 嬉しいに決まっている。だが断る。
はっと顔を上げるとベッドの上だった。見覚えのある天井で大学時代に一人暮らしをしていたアパートだ。枕元に置いてあったスマホ……あれ、こんな古い機種をまだ使っていたんだっけ。これはフリマアプリでかなり前に売った気がする。なんで手元にあるんだろう?
日付は2023年4月3日。
え? 待って。今って2028年じゃなかった?
信じられないことに、スマホには5年前の日付が映し出されている。きっと古い機種だから壊れているのだろう。
だけどネット検索をしても間違いなく現在は2023年……。
そんなはず……。
唐突に古いスマホに通知が来た。
『約束覚えてる?』
メッセージのタイムラインを遡っていくと、どうやら今日なにかの約束をしているようだった。忘れるはずもない。2023年の4月3日という特別な日で約束をしているということは、アレしかないよな。
少し記憶が混乱しているようだ。確か僕は、NTRされた蒼空に幻滅してうずくまって泣いていたところをトラックに潰されて死んだはず。
それがなぜか生きていて、2023年にいるということは死に戻りをした?
まさかアニメや映画でもあるまいし、そんな非現実的なことがあるはずないじゃん。
そうだ、外に出てみよう。アパートを飛び出してみると、半年前に潰れたはずのコンビニが開いているし、先月取り壊されたはずのビルが薄気味悪く佇んでいる。
間違いなく過去に戻っているみたいだ。そんなバカなことあってたまるか。
だけど、スマホも、ネットも、テレビも町並みさえも、どこをどう見ても2023年に間違いはない。やばい、本当にやばい。
こんな現象が現実に起きるわけない。
もし、本当に過去に戻ってきたなら、今日の約束は……。
もう一度……蒼空とやり直すことができる?
急いで身支度して家を出た。たしか駅前のコンビニ前で待ち合わせだったはず。息を切らしてコンビニに直行すると早月蒼空はすぐに現れた。ダンススクール『スタジオスパーブ』不動のエースのポジションにいることも納得の、大きな瞳に通った鼻筋、それに引き締まったウェストは身体のラインのメリハリを強調している。
「おまたせ。ごめん呼び出して」
「うん。ほんとだよ。相変わらず遅い。それで、どうする?」
「……河川敷の桜が満開だって。少し歩かない?」
「オッケー。行こか」
遊歩道になっている河川敷の桜並木は風に吹かれて、ほんの少しだけ花びらが舞っている。家族連れやカップルが多く賑わっていた。少し歩くとベンチがあって奇跡的に周りには誰もいない。以前——じゃなくて人生一周目はここに座って話し始めたのを覚えている。
そうだ、人生一周目はB世界と呼ぼう。ビフォーのBだ。
「はぁ。ルアはさ……好きな人とかいる?」
ルアというのは小学校のときからの僕のあだ名で、
「……いや。いないといえばいないし、いるといえばいる」
「どっちよ。あたし達って幼馴染だよね?」
「うん」
「もしだけど、もしあたしに好きな人ができたらどう思う?」
2028年の出来事をついさっき起こったような感覚でいる身としては、その質問はすごく胸に突き刺さるセリフだ。
「いいんじゃないの……恋愛は個人の自由だし」
「いいんだ。ふーん」
「お互いにそうじゃん」
「え、もしかしてルアには彼女がいるとか?」
「いないよ、ホントに」
「そっか。じゃあさ、あたしたち付き合っちゃうか? 仕方ないからあたしが付き合ってあげる。ルアはあたしがいないとダメだと思うんだよね」
あのとき、B世界線の僕は「それもいいかもな」とか言ってオッケーをしたけれど、実は内心ドキドキだった。中学生の頃からすでに早月蒼空という幼馴染のことが好きで、高校に入ることにはいつ告白をしようかと計画をしていたくらいだ。けれど、蒼空の周りにはいつも男の存在があって、月に一度は告白をされていたと思う。その都度フッていたから、なかなか機会がなかったんだ。だって、僕もフラれるんだろうって思うのは当然の空気というか。
蒼空の言うことはそのとおりで、僕が生きていく上で蒼空は間違いなく必要な存在だった。B世界線の僕は結局告白なんてできずに、中学、高校と自分自身に「女なんて世の中たくさんいる」というセリフで誤魔化して、なにもできなかった意気地なし。それでも諦めきれなかった。
だって、早月蒼空はこの世に一人しかいないから。
僕にとって、蒼空はそんな存在だった。
そんな状況でB世界線の僕は勇気を出せずに尻込みしていた。そんな蒼空が僕に告白をしてくれたのだから嬉しいに決まっている。今も心が揺らいでいる。
もしかしたら、過去の記憶を持つ僕がまた蒼空と付き合うことになったとしたら、違う道を歩めるんじゃないか、なんて思う。
でも、葛根先生と蒼空がホテルに入っていく光景がフラッシュバックして、僕の心をグサグサとナイフを突き立てているような痛みが蘇ってくる。蒼空の顔を見るだけでも辛い。
「僕は……蒼空とは付き合えない」
「え……? な、な……なんで? だって、だってルアはあたしのこと」
「好きじゃない。ごめん」
蒼空は、僕の友達に手回しをして情報を得ていたんだと思う。友達には「蒼空のことが好き」と相談をしていたし、蒼空本人には言わない約束をしていたところの情報流出ということは、僕は裏切られたのだろう。
ったく、どいつもこいつも。
「す、好きじゃないって、どどど、どういう……」
「だから蒼空とは付き合えない。ごめん」
ベンチから立ち上がって僕は歩き始めた。振り返らずにただまっすぐ歩いた。正直、顔はグチャグチャになるほど泣いていたけれど、きっとこれでいいんだ。
もう二度とあんな思いはしたくないから。
新しい人生をここからはじめよう。これは僕に対する神様が与えてくれたやり直すきっかけ——ギフトなんだ。
きっと何かのアニメみたいに違う世界線になって、違う運命が待ち受けているのだと思えば……楽しみじゃないか。
そう言い聞かせて、泣き虫な自分の足をなんとか前に動かす。
「絶対に諦めないからーーーーーーッ!!!」
聞こえないふりをして、決して振り返らずにぐっと奥歯を噛んだ。
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